第二話 橙の章―テスト・ミッション
東アジア第三宇宙ステーション移住計画チーム発足より一週間。それぞれ今までの任務の引継ぎ、宇宙軍の西館に設置された会議室、執務室、私室への引っ越しを完了させた。軍人は引継ぎと内部の移動だけだけれど、国宇連から軍施設までは距離がある。強行スケジュールだったけれど、何とか六日間で済ませ、一日は休みにあてられた。が。
「おはようございまーす」
「萌田、五分遅刻だ」
「厳しいなあ、五分なんて誤差の範囲にないじゃない。橙子は国宇連への菓子折り選んで、引継ぎして、引っ越ししてきたのよ。疲れるんだって。ねえ、坂登さん」
「西ユーラシア圏において、十分前後の誤差は個人の特性としてみるらしいですね」
「そうそう!」
「でも、ここは東アジア圏です。輪を乱す行動は慎んだ方がいいと思いますよ」
むぅ……東アジア圏の人間は頭が固くて困る。実力で覆せるメンバーばかりなのだから、ミーティング如きに少し遅れたぐらいでブーブー言わなくてもいいじゃない。
ちなみに、ママはいない。西ユーラシア圏の男性に一目ぼれして、パパと離婚したから。それ以来ずっと父娘で支えあって、パパの会社の社宅で、何不自由なく暮らしてきた。転校も面倒だったから、それまで通っていた西ユーラシア圏最高峰であるコスモ・インターナショナルスクールの情報解析科通信課程で学生生活を終え、国宇連に就職を決めて今に至る。
「伊達将軍、お願いします」
「サード移住計画の日取りが決まった。来月末だ」
「一か月後ですか……」
「あすから指揮官は凛田本隊長に完全にシフトする。俺は、相談役だと思っていてくれ。その前に、全員、今日一日でお互いの行動、適性など各自必要情報を把握するべくテスト・ミッションを用意した」
「テスト・ミッション?」
「宇宙艦航行中のイレギュラーな事態に対する模擬体験だ。制限時間は一時間。ミッションの目的が満たされれば何も言わないし、俺もこの後の会議で抜けるが、軍で一連の行動は管理させてもらう。結果如何では除名処分もあるから、そのつもりで」
「つまり、誰かが一人に頼るより、私たち全員での力を見せろ、ということですか」
「ああ、頼むよ。期待しているからね。ちなみに科学隊長を見つけ出すのもミッションのうちだ。はい、スタート」
◇◆◇
「なんで橙子が探しに行かなきゃならないのよう」
本隊長が出した最初の指令は、なぜか橙子に向けられた。幼馴染の坂登弟でも、補佐役の伊東君でもなく。確かに、坂登姉がいれば、解析分野では安定しているかもしれない。だけど、橙子は解析を学んできたプロフェッショナルだ。成り上がりの秘書とは訳が違う即戦力なのに。
『ハムラビ法典だ。目には目を、歯には歯を、遅刻魔には遅刻魔を送り込む。十分で探してきてほしい。一時間で試したいことは山ほどある』
何よ、ハムラビ法典って。私だって、この一時間一秒たりとも無駄にしたくないのに。
「たいちょー。カガクタイチョー。実験バカー。ミッション始まりますよーう」
独りになると、橙子は何故か、ママのことを思ってしまう。浮気、パパよりほかの男をとった――橙子とパパを捨てていった、あのひと。思い出してもいいことなんて何もないから、優秀な脳科学者に記憶は最低限を残して消してもらった。それでも最後の日の後ろ姿は消えなかった。
『いかないで、ママ』
手を伸ばしても届かないことくらい分かっているのに、手を伸ばす。
遠くの星をつかもうとするように、それこそ、今はもうない虹をつかもうとするように。
言っても無駄な事なのに、言う。
普段は穏やかなパパの顔は、憎しみとも哀しみともとれて、能面みたいで少し怖かった。
人のことは言えないけれど、あの科学馬鹿――向井とか言ったっけ。集団より個人を好むような遅刻魔のあいつは、求められているのにまっすぐ応えない。その罪にも似た意味を知っているのだろうか。
「泣けばいいのに!」
「いっ」
思考の中に、突然現れた第三者にハッと現実に戻った。目の前からは、見覚えのある長身細身の白衣の男がこちらへ歩を進めていた。
データで数回、リアルで一回しか見てないけれど、忘れられるわけもない。
「泣きたいなら泣けばいいんだ」
向井紫恩だ。
「ちょっとー、なんで橙子が泣かなきゃいけないのよう。あんたを探してたんだからね」
「泣きたい顔をしてたからだよ、橙子ちゃん」
「誰がファーストネームで呼ぶのを許可したってのよ。早く戻るよ、本部へ。もうテスト・ミッション始まってんだから」
「御免御免、光学の実験やってたら夢中になっちゃって」
「ったく、一時間でミッションクリアしなきゃなんないんだよ。しかも優秀な本隊長のお力だけでなく、みんなで仲良く協力して」
「発案者は伊達将軍?」
「そうだけど、年上にため口きくのやめなさいよね!」
「ほいっ」
向井紫恩は立ち止まり、何かを投げた。投げたそれは緩く弧を描き、慌ててキャッチする。
黄色くて、曲がってて、甘い香りの何か。
「なにこれ」
「バナナだよ。いつまでもサプリメントの食事に頼ってるから、精神不安定になるんだ。それ、サプリメントで栄養補給をしている今は、とても高価なんだけどね。グラグラ揺れてる橙子ちゃんにあげるよ」
「誰の精神が不安定なのよ! 医者みたいな口きかないで。早く戻るよ!」
「大丈夫だよ。伊達将軍の発案なんでしょ、ミッション。どうせ一時間でメンバーの特性やら知りたいことやらを熟知しろって内容だろう? きっとミッション自体は容易く片づけられる。だって、その筋のプロフェッショナルが、七人もいるんだから、できないはずがない」
「……一理あるけど、とりあえず戻ってよね。責任者が正式に凛田さんにシフトしたの。顔に泥塗るわけにはいかないでしょ」
「戻るのには五分もかからない。バナナ食べてリラックス」
「本隊長の指令。十分で戻らなきゃいけない。もう四分使ったわ」
「じゃあ、戻りながら話そうぜ」
白衣を翻したこいつは、大昔のヒーロー気取りなのだろうか。こんな食べ方も知らない黄色いものを、どうしろというんだか。向井は大股で歩いて、軽々と橙子を抜いて、ずんずんと本部へ向かっていく。小走りで向井の斜め前を確保した。
「橙子ちゃん、負けず嫌いでしょ」
「あんたは怒らせ上手ね」
「伊東より気が合う気がするな」
なんてことを言うのやら。数多の男に口説かれてきたけれど、まさかこの状況で口説かれるとは。
「あ、口説いてるわけじゃないよ、安心して」
読心術でも心得ているのか――
「俺と橙子ちゃんは、同じものを持ってる気がする。違っていたら御免な」
「いいわよ、別に。迷惑だけど。それより、なんで伊達将軍のご意向を……」
「……片親だったんだ、俺」
「今、関係なくね?」
「今は独り身だけどね。母親の葬式の時、親族中に言われたよ。婚外子で、捨て子同然のお前を引き取る余裕はないんだって。結局、遠い親戚である坂登家に厄介になったんだけど。当時小学生の向井少年の心に、大人たちの剣幕が突き刺さったんだ。深く、深く」
「……苦労人なんだね、あんた」
「苦労とは思ってない。迷惑はかけたけど、自立はできたしな。橙子ちゃんの家族構成とか、知らないし無理に知ろうとも思わないけど、同じように辛いもの、持ってる気がしてさ。上官だとか上司だとかに対して、少なくとも嫌われないようにって」
「あんた、本当に医者みたいなこと言うね」
「“ヤブ”がついていいなら医者でも構わない。橙子ちゃんは、橙子ちゃんのままでいいんだから、好きに生きていいんだ。俺たちは人類を救わなきゃいけない。でも、俺たちだって人類だ。俺たちも、救われなきゃいけない。そうしなきゃ、等号で結ばれないだろ」
向井紫恩の言葉の一つ一つが、心に優しく刺さって。
「俺はそう信じてる。橙子ちゃん、本音言っていいんだ。大人なんだから」
色々、経験してきたのだろう。普通に生きてきた人間は、それをきっと苦労と呼ぶ。向井紫恩がそう思わないだけで。
彼がどんな考えで、輪を乱しているのか分からないけど、きっとそこには意味があるのだと。
そう、思いたくなった。
「バナナ、もらうよ」
「早めに食べないと腐るよ」
どんな出来事にもポジティブに意味づけする彼を。
「馬鹿、橙子のお守り替わりよ。液化窒素で固めといて」
「お安い御用だ」
支えてあげたくなった。
「橙子らしくないなあ」
◇◆◇
駆け足で会議室に戻ると、緊急時のブザーが鳴り響いていた。きっと、テスト・ミッションが開始したせいだろう。ホロパネルに示された残り時間は――
あと、五十分。
「遅れました、すみません」
「萌田のことは信頼している。問題は向井だよ。あとでたっぷり謝罪してもらう」
「すんませんねえ。で、テスト・ミッションってなんなの?」
反省の認められない向井の態度に、本隊長は短くため息をつき、円卓を操作する。何しろ、貴重な時間の六分の一が向井のせいで失われたのだ。とりあえず戻ってきたからいいものの、十分の喪失は痛い。
ブザーが止まり、残り時間のパネルが縮小され、新たに表れたパネルに驚愕した。
『声紋認識を実行します』
「東アジア宇宙第三ステーション移住計画隊本隊長、凛田紅莉」
『確認しました。ハロー、リンダ。本日のミッション――危機回避。一時的に宇宙空間を再現します』
体が自然に浮いた。慌てて簡易重力発生装置を起動させると、浮いていた体が重力を感じ、宇宙艦の持つ環境に適応し始める。
『ミッション開始。非常警報発令、敵戦艦より被弾。敵戦隊位置不明、けが人多数』
「イレギュラーな事故設定か。坂登、詳しく頼む」
「はい」
『三十分で現状を打開せよ』
「三十分?! 一時間じゃないわけ?」
「戦略決定、遂行、準備、実行、機材の使い方――大丈夫、それらを十五分で終わらせれば勝機はある。皆、持ち場についてくれ。機材の初期登録を三分、使い方を五分でマスターして、指示を待つように。ミッションの内容上、向井には戦略サポートを兼ねてもらう。能力に関しては信頼している」
この女……
「よって、科学隊副隊長の伊東に兵器取り扱いを一任する。医療隊はけが人救助、他惑星戦艦乗組員の身的弱点を探れ。解析班は空間の重力場と設定されたこの
すごい――!!
「さすが、大学首席卒業生。判断力はけた違いだね」
「君もだろう。確か、歴代最高点での入学だと聞いている。それより、この状況を打破する可能性の提示をしてほしい。遊んでいる暇はない」
動けなかった。
凛田紅莉と向井紫恩。将軍がなぜこの二人を選んだかは一目瞭然だ。
恐ろしいほどの判断力、決断力。心情の読み取り方と、意志の強さ。
特別だ。
たかが専門学校を出ただけの橙子じゃ、相手にもならない。
「萌田さん」
「……なによ」
「自分のできることを、どのくらいできるか本隊長に示すことが出来るかチャンスです。本隊長は知りませんが、向井紫恩は特殊な人間なんです」
「そういえば、坂登さんとは同じ鍋つっついてたって言ってた」
「……できることをしましょう。空間解析学はあなたの得意分野ではないですか」
「そうだね」
今は、できることを、精一杯。
「応戦するには兵器の損傷が激しいね」
「伊東、稼働率は」
「相手を百とするなら、こちらは五十。あくまで確率だから、五分五分だ」
「生き延びるにはこちらの確率を八割には上げたいな。応戦は却下だ」
「……橙子ちゃん」
「なによう」
「元気になったね」
「……」
「大体でいい。この座標と適度に近くて、それでいて安全なところ。探してくれないかな」
「……了解」
「決まりだな。医療班は待機だ。先に何があるかわからない。いつ、どんなけが人が出ても死者が出ないように備えてくれ」
「西谷、ドクタールームの在庫確認」
「分かってるわよ!ついでに準備もしとくわよ!」
「伊東、艦をバトルモードからディフェンスモードに切り替えよろしく」
「兵器を守るわけだ」
「解析隊。君らの腕の見せ所だ」
パパ。
橙子は初めて、本物の“希望”に触れたよ。
「坂登、萌田。ワープの準備だ。後ろ盾も守るものもない宇宙空間で、攻めも守りも自信がないなら、逃げは最高の“生き残る”カードだ」
◇◆◇
「電話会談なんて、他の通信手段を絶たれでもしましたか? 湯浅代表」
『伊達。君が選んだ精鋭のミッションを見せてもらった』
「ハッキングですか? 国宇連もおちたものだ」
『正直、坂登と萌田を抜かれたのは痛手だ。下手な使い方をしたら強制的に戻ってもらうつもりだ。それと、他のメンツはどうだ。天才の本隊長と科学隊長に比べ、他はただの秀才だ。理由を聞きたいな』
「湯浅代表は、虹をご存知ですか」
『教養程度には』
「それを、つかみたかっただけですよ。今の時代を生きる我々に最も大切だと思ってこその選出です」
『何を考えている?』
「愚問です。俺は、希望を求める努力をするために生まれてきた人間ですから」
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