第一話 赤の章―誰にだって、秘密はある
地表は今日も酸性雨が降っているらしく、外出注意報が出されていた。軍の施設は頑丈にできているから、軍の講堂に一時的に避難している市民も見られる。
中央棟から徒歩三分にある女子寮の三階にある自室で、伸びっぱなしの髪を結う。最後に美容院に行ったのはいつだろうか。
クリーニングから返ってきた軍服を着る。皺がないか隅々までチェックして準備完了。不思議と背筋が伸び、姿見で敬礼の練習をする。
出世頭だと数少ない同期から言われているが、軍の要職についても所詮は二十五歳。自分の未熟さを逃げ場にしているわけではないけれど、経験値が足りないのは消せない事実だ。これから一癖も二癖もあるらしい隊員をまとめ、人類を新たな居住地へ導かなければならない――
東アジア宇宙第三ステーションは、東アジア宇宙軍の誇りである。敷地は広大で、宇宙の様々な事象に耐えられるようにできている。着いてさえしまえば、他の惑星に移住して未曽有の災害を耐え抜いていくより、おおよそ八割は安全である。
「と、言うことで。私が東アジア宇宙軍将軍、伊達だ。国宇連所属の坂登翠、萌田橙子。協力してくれてありがとう。感謝する」
「一つよろしいでしょうか、将軍」
メガネをして、高めのポニーテールに深い緑のスーツを纏う女性。最上級の知性を感じさせる彼女は、たしか坂登翠。東アジア宇宙軍と犬猿の仲である、国際宇宙開発連合の代表第一秘書であった女性だ。
「白衣の彼がいないと思うのですが」
「よく知っているね。あれはあと十分もすれば来るよ。それまでに自己紹介を済まそう。チームでのミッションは、相手を知ることから始まる」
「橙子、理想論って嫌い。規律を乱す奴は軽蔑する。肝心要の宇宙科学隊を率いる人間がこれじゃ、先が思いやられるなあ。ねえ、坂登さん」
萌田橙子。東アジア圏解析部の彼女とは何度か顔を合わせたことがあるが、いつも職業を間違えているのではと疑っていた。
可愛い系の顔に、豊満な体。そして、それを強調するように着崩した制服を着ている。国宇連も男性社会で、希少価値の高い美人職員。きっと彼女はそれが武器だと知っている。はっきり言って苦手なタイプだ。
「私は、そうやって文句を並べ立てる人間もどうかと思いますよ。萌田さん」
「何よう。メガネ女ー」
国宇連選抜の二人も、決して関係が良好ではないらしい。
「そういえば、チビスケもいないんじゃねぇの。水香ちゃん、捜してきなよ。上官なんだから」
「職場でファーストネーム呼ぶのやめてよね。あんたんとこの科学馬鹿もいないじゃん」
宇宙科学隊の伊東蒼と、空間医療隊の西谷水香。軍では有名な“異性&合コン大好きコンビ”だ。付き合ってはいないらしいが、顔が広い二人は、夜な夜な軍の休憩スペースで炭酸飲料を片手に大騒ぎをしている。懲戒を喰らっていないのは、各々の専攻における能力が高いからだ――と、報告は受けている。
西谷が軍専用の通信機を取り出した。それはシンプルな黒の原形はとどめておらず、ピンクを基調としたデコレーションが施されていた。学生時代、日本史で習った大昔の女子高生のようだ。
「あ、先輩?西谷です。顔合わせとファーストミーティング、もう始まってますよ。はい、え、中央館の会議室ですが……五分で来てください」
「どうしたの、水香ちゃん」
「……北館にいたそうです。一時間前、白衣の彼からメールが来て」
「やばっ」
顔を青くした伊東が、会議室から飛び出した。
四角い中央円卓会議室には、東館、西館、南館、北館、それぞれから来られるように四方に廊下が伸びているのだが、伊東が出ていったのは、“チビスケ”がいる北館への廊下ではなく、科学と医療の実験施設である南館である。
「何が何やら、という顔をしているね。凛田」
「……どういうことですか」
「あの馬鹿やりやがった、という顔をしているね。坂登翠」
「慣れていますが、恥ずかしいです。両名の奇行は」
坂登が盛大なため息をつき、メガネの位置を直す。国宇連の彼女がなぜ、要職の軍人を二人も知っているのだろう。残りは軍人二名。伊東曰く“チビスケ”と、西谷曰く“科学馬鹿”だ。事前に渡された個々のデータと照合しようと、円卓のタッチパネルに手を伸ばした。
その瞬間。
「すみませんすみませんすみませんすみません!!!!」
会議室全員の視線を奪った叫び声。走ったらしく、息も上がっている。呼吸を整える音のみが響く中、西谷と坂登は冷めた視線を送っていた。
「声デカいですよ、先輩」
「御免、西谷。すみません、空間医療隊副隊長の坂登です。サード計画隊では医療隊長に任命されました……あ、
「黄河。やっぱり君、国語勉強し直した方がいいよ。さてさて、俺はぼちぼち失礼するよ。凛田、あとはよろしく」
「もう一人揃っていないのですが」
「ああ、彼は大丈夫。天才型だし、伊東がなんとかフォローするさ。西谷、伊東に戻ってこいと連絡を頼む。じゃ」
◇◆◇
伊達将軍が去った円卓会議室には、はりつめた沈黙が続いている。最後の一人は未だ登場していない。戻れと指示の出た伊東がバツの悪そうな顔をして戻り、一番遅く登場して、一番早く自己紹介した坂登黄河の息が整うのを待つ。
「はじめよう」
さすが、選ばれしメンバーだ。
緊張感など早々に消し去らなければならない。綻びを見せてはならない。こんな些細な事でも、自分のおかれた立場を、改めて実感する。
「顔合わせは自己紹介だけで済ませる。本隊長の凛田紅莉だ。よろしく頼む。学校のようで申し訳ないが、時計回りに名前と役職を頼む」
私のパソコンとホロパネルを接続し、スクリーンに東アジア圏の地図を出した。ホロパネルの操作は、本隊長と解析隊長しか権限がない。
「解析隊長、坂登翠です。よろしくおねが……」
「姉ちゃんじゃん!! 何、選ばれてたの!!」
場の空気を乱したのは、先ほど飛び込んできた“チビスケ”だった。早速痛くなる頭を切り替えて、視線で彼を捉える。
「時計回りに、と言ったつもりだが?」
「あ、すみません」
「してしまったことはしょうがない。一言どうぞ」
「改めまして……医療隊長、坂登黄河です。坂登翠の弟です。どうぞよろしく」
「一言多いし、気づくのが遅い。後で君には色々聞きたい」
坂登黄河には聞きたいことは山ほどある。それは後々として、坂登翠の横に座る例の女に自己紹介を促した。
「解析副隊長、萌田橙子です。よろしく」
「橙子ちゃんっつーんだ。可愛いじゃん」
「誰よあんた」
「科学副隊長、伊東蒼」
「会議室で口説いてんじゃないわよ。医療副隊長、西谷水香です」
「あと一人は登場してからだ。ファーストミーティングに移ろう」
「面白い!」
決めなければ、話し合わなければ、共有しなければいけないことが山積している。やっと雰囲気が戻ったところで、会議室の扉が開いた。
「遅れました。こういう場は苦手なんですよね。でも、選ばれし七人の若者なんて面白そうなこと、将軍が言ってたから、何かと思えば。俺たちは希望の橋なんだ」
現れたのは、少し汚れた白衣を纏い、小脇に宇宙軍のパソコンを抱えた高身長の男だった。円卓に来たかと思うと、私の隣の空席に座り、軍のパソコンを立ち上げ、支給されたパソコンを隣に座る私に押し付ける。
「なに?!」
「平静な心をもとうぜ、本隊長。使い込んだコイツの方が相性がいいに決まってる。それより、これ見てよ」
「ホロパネルが……君には権限はないだろう?!」
「権限を増やしたんだ。それに時間がかかって遅れたんだ、申し訳ない。これ見てよ」
ホロパネルが、大昔の写真を映し出した。そこには、美しい七色の橋がかかっている。
「虹……だっけ」
「そう。雨上がりの希望の橋だ。赤、青、水色、黄色、緑、橙。俺たちの名前に入っている色は、虹を構成する色が入ってる。いやー、伊達将軍も粋なことするじゃないか」
今の時代を生きる私たちの誰が、この美しいアーチを、希望の橋を想っただろうか。漆黒の闇の中、人類が作り出した無機質の星に国民を無傷で運ぶ。それは、きっと東アジア圏史上、大変な業務だ。皆、少なからず不安を抱えている。しかし、彼は少年の様に、周りに散らばるものすべてに興味を持っているように思える。ホロパネルの権限に自分を加えた情報処理能力も天晴だし、名前に共通点なんて、しかもそれが虹だなんて、いらない知識だ。けれど――
「シオン君、いきなりみんなひいてるって。すみません、この人変人で……」
それこそが、伊達将軍から、まだ経験値の足りないわたしたち七人に与えられた、拠り所なのかもしれない。
「今は顔合わせの最中だ。手短に謝罪と自己紹介を頼む」
「あ、遅れて悪かった。俺は向井紫恩。紫担当の科学隊長。よろしく」
◇◆◇
虹。主に雨上がりに架かる、光の屈折が生み出す橋。
作戦隊の隊室に戻り、インターネットで調べてみると、あまりの情報の少なさに自然とため息が漏れた。それは、こんなコアなものに興味を示す、異質なものに対するため息だ。
軍の宇宙科学隊にヒアリングしたところ、向井紫恩は実技については太鼓判、人格については問題ありの奇才らしい。まだ二十五年の人生で、初めてであったタイプだ。お世辞にも対人関係に長けていると言えない自分に、彼をコントロールできるのだろうか。
メンバーに色を示す漢字があり、それを太古の昔にあった虹に結び付けた。現代のインターネットがもつ、答えを見つける“最高峰の参考書”であれば、草創期のインターネットが持っていた言葉の意味を深く探る“万能のライブラリー”であると学生時代に学んだが、双方を脳に持ち合わせ、加えて、そこから導き出す優れた推理力。まさに科学の申し子なのだろう。それが議題に必要か不必要かは別として、殺伐とした地下世界で、あんなに生き生きとした人間を、私は初めて見た。
「凛田副隊長。空間医療隊の坂登副隊長がお見えです」
「応接室へ通してください」
奮起した。
彼を知りたい。地球末期の時代を生きる人間として。
「ま、まさか僕が本隊長にお呼ばれするとは……」
「まだチームは始動していないよ。心配しないでいい。ええと……」
「黄河、で結構ですよ。姉ちゃんを苗字で呼んでやってください。あの人、無駄にプライド高いから」
「移住計画の選抜メンバーに、無駄なものなどないよ。わざわざ作戦隊まで呼び出してすまない。今日は、黄河に聞きたいことがある」
将軍から頂いたデータには書いていないが、坂登黄河は私を含めた七人の中で、一番顔が広いように思えた。伊東にはチビスケと呼ばれていたし、西谷は同じ空間医療隊所属だ。坂登を“姉ちゃん”を呼んでいたし、問題の向井のことを“変人”と呼び陳謝していた。
「……なんでしょう」
「君が変人と言っていた向井紫恩……奴は何者だ?虹の知識なんて現代人は知らないし、興味すら持たない。サード計画幹部の私たちは人事異動として今の役職を離れ、軍の西館一帯を本部として使っていく。缶詰だ。まとめる立場の本隊長として、部下のことは理解したいんだ」
「……本隊長も、紫恩君を慕っちゃったってやつですか」
慕う?
私が、向井を?
突飛な発想と呼べば言葉は良いが、もし尋問ならたちが悪い。
「私の言葉を、どう汲み取ったらそういう方向に向くの!!」
「す、すみません……」
「あっ……こちらこそすまない。大学時代、しつこい男に付きまとわれたことがあって。それ以来、色恋は捨てたんだ」
「紫恩君は、初対面の女性に好かれることが多いんです。顔が良いでしょ。背も高いし、高学歴だし。中身を知ってみんな離れていくんですけど、悪い人間じゃないんです。口止めされてるんですけど、抱えてる事情が事情なんで」
「職権乱用する気はないが、私はこれから始まる計画の指揮官だ。教えてくれ。君と向井のつながりを、言える範囲でかまわない」
「はぁ……」
頭を掻く黄河に、珈琲を出してみた。インスタントだが、このご時世では貴重なもので、作戦隊隊長の引き出しからくすねたものである。私の誠意だ。黄河は仮にも空間医療隊副隊長だし、それが分からない人間ではないだろう。
「紫恩君と僕ら姉弟は、いとこなんです。紫恩君のお母さんが、僕らの母親の妹なんですけど、なんというか……結婚はしなかったんですよね」
「未婚の母ということか」
「そうです。でも、紫恩君が小学校四年生の時に酸雨症で亡くなって、うちの両親が引き取りました。宇宙大学に合格してからは寮を志願したんで、一緒に暮らしたのは八年間です」
酸雨症は、三十代以上の発症率が高い、酸性雨が原因で致死率の高い環境病だ。かかったら最後、打つ手は見つかっていない。
「ここまでしか言えません。命の危機です」
「冗談は好きではない」
「本当なんですって。紫恩君は飄々としているけど、根底にあるのは冷酷さです。求めているものに対する弊害を切り捨てるぐらい、平気でやりますよ」
「で、後始末が君の役目なわけだな」
「よくご存じで」
「わかった。ありがとう。職務に戻って」
『紫恩君は飄々としているけど、根底にあるのは冷酷さです。求めているものに対する弊害を切り捨てるぐらい、平気でやりますよ』
種の保存と考えれば、動物世界では当たり前のことだ。しかし、知性の備わった人間である以上、それを残酷ととるか、素直ととるかは相手次第。情報のカードが少なすぎる。
誰にだって、隠したい秘密の一つはある。
変人と謳われる、向井が知りたい。彼は何を抱えているのだろう――
「恋?」
まさか。でも、胸の痛みを隠せない。
あの時、私はオンナの幸せを捨てたじゃないか。
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