第4話:どうして……

 一日の中で、目覚めの瞬間が一番不思議だ。ぼんやりとした視界が晴れて、真っ先に見えるポスターの中の璃玖が今、私の“現実”なんだって確認するとき。胸とみぞおちと手首の内側がキュッと震えるような、喜びに包まれる。そう真希に話したら、「胸とみぞおちは分かるけど、手首っておかしくない?」って笑われたけど。私は璃玖の彼女なんだ―誰にも言えないから、心の中で繰り返す。それだけで、無敵だ。


 あれから毎晩、璃玖から電話がかかってくる。忙しいから10分くらいだけど、璃玖のその日にあったことを聞いてるのがたまらなくうれしい。私の話はほとんどしない。璃玖もあまり聞いてこないし。平凡な女子高生の生活なんて、あの先生がムカつくとか、期末が近くてヘコむとか、たかが知れてる。そんなつまらない話より、少しでも長く璃玖の話を聞いていたい。あるとき璃玖は、こんなことを言った。


「ファンの子が好きなのは自分が思い描く理想の俺で、本当の俺とは違うような気がすることがある」って。そして「みんなの理想どおりの俺でいることはできない。だからせめて失望させないように、ダンスだけはちゃんとやりたい」とも。今でもどんなに忙しくても、週1回はダンスレッスンを欠かさないという。


 そのとき私は「すごいね」としか言葉を返せなかった。日本中のたくさんの女の子の熱い気持ちをあれだけ受けていても、浮ついていない璃玖を心からかっこいいと思った。それに比べて私は、なんてつまんない女の子なんだろう。特別きれいでもかわいくもない。勉強もスポーツも普通。クラスでも目立たない。将来の夢も分からない。強いて言えば、名前と声が変わっているくらいだ。私には何もない。だからちょっとでもいいから、私を選んでくれた璃玖に、なにかを返したい。璃玖に内緒で、璃玖のためになること……。


 悩んだ末に、璃玖たちの新曲を毎日、有線にリクエストすることにした。うちは有線を引いていないから、近くの喫茶店でバイトしながら休憩時間に電話する、というやり方に決めた。これでたくさんCDも買える。期末に向けて、勉強もちゃんとやった。今までのなんでもテキトーだった私からは、考えられない進歩。


 愛の力って、すごい。


 璃玖たちの新曲の発売日。

 バイト先にお休みをもらって学校帰り、真希とCDショップに行った。10枚買う。初の大人買い。


「やるね~。かっこいいね~」


 真希がバンと背中と肩を叩いた。


「これで1位になるかな?」


「1位かどうかはあれだけど、かなり貢献してるんじゃない?」


 今日は璃玖たちが新曲のプロモーションで、生放送のラジオ番組にゲストで出ることになっている。それをうちで真希と一緒に聴いて、盛り上がろうという計画なのだ。


「宇宙、急いで! あと40分で始まるよ!」


 真希に急かされて大急ぎでバス停まで走り、家に駆け込んで部屋のコンポのラジオをオンにした。


「よかった~。間に合った~」


 璃玖と付き合うようになってから、生放送の仕事の声を聴くのは初めて。なんだか緊張してしまう。


「今回の新曲は切ない恋の歌だけど。どうなの? みんな、恋とかしてるの?」


 パーソナリティーの不意打ちの発言に、今度は激しくどきんとした。


「璃玖、なんて言うだろね? ねっ?」


 真希は大はしゃぎだ。私は耳を済ませた。


「そうですね。今はあんまり恋愛に興味ないかな。彼女とかいると、いろいろ大変だし」


 璃玖の言葉に前身の血が引いていくのが分かった。


「えー、でも、モテモテなんじゃないのぉ?」


 パーソナリティーのツッコミに、璃玖は困ったような口調で続けた。


「ぜんぜんですよ~。だいたい出会いも時間もないんで。やっぱ何回も会わないと、恋愛感情は生まれないですよ」


 追い討ち、という単語が頭を駆けめぐった。


「宇宙、気にしちゃダメだよ? 璃玖は芸能人なんだからさ、“彼女います”なんて言えるわけないじゃん!」


 真希の無理に明るい口調が、はるか遠くに聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る