第3話:私で、いいの?

「もしもし?」


 璃玖がポケットからケータイを取り出して自動ドアの前に立ち止まるのと同時に、私のケータイの向こうから声が返ってきた。心臓がどくんと大きく波打った。


「もしもし?」


 声はもう一度、繰り返す。間違いなく璃玖だ。


「あ、あの、宇宙です」


 真希の口が叫び声の形になるのを手で押さえて、続ける。


「今、どこにいるの?」


「OMGだよ。これから『ミュージックチョップ』の収録。今、スタジオ着いたとこ」


「忙しいよね。ごめんなさい」


「いや、なんかあった?」


「ううん。なにも」


「夜、電話するから」


 そして、小さい声でこう付け足した。


「これ、みんなに内緒だよ?」


 ナイショダヨ、という響きがたまらない心地さで耳をくすぐった。


「うん。分かった」


 電話は切れて、璃玖は透明な自動ドアの中に消えた。私の手から解放された真希が、ぎゃーともぐぉーともつかない歓声をあげた。


「すっごいじゃん!」


「ホンモノだよ……」


 私たちはその場にへたり込んだ。先客の10人ほどのファンの子が、不審そうにこちらを見ている。


「良かったね、宇宙! ホンモノのミラクルだよ!」


 真希の言葉に、ボロボロ涙がこぼれた。やっとホンモノの璃玖だと信じられた。あんなに、ずっとずっと大好きだった璃玖と、私はつながってるんだ。どうして璃玖に電話が通じたのかとか、どうして璃玖が私の名前を知っていたのかとか、どうして璃玖が私に今夜も電話してくれるのかとか、そんなことどうだっていい。これは奇跡みたいな現実なんだから。私と璃玖は、こうなる運命だったんだ。


 帰りのバスから見えるいつもの景色が、いつもとは違って見える。他人事だったクリスマスのイルミネーションも、私を祝福してくれてるみたい。あの大きなチョコレートのCMの看板さえも。あんなに遠かった璃玖と私は今、二人だけの秘密を共有してるんだ。


 家に帰って、お風呂で念入りに身体を洗って、お気に入りの下着と部屋着に着替えて、璃玖からの電話を待った。璃玖にとって恥ずかしくない女の子でいたい。11時34分、ケータイの着信ランプが光った瞬間に、私は飛びついた。


「もしもしっ!」


「早いなぁ、半コールくらいだったよ」


 璃玖の声が微笑んでいるのが分かった。


「今、帰ってきたの?」


「ちょっとさっき。シャワー浴びて、プリン食って、それで電話した」


 璃玖はプリンが大好物なのだ。


「そうなんだ。お仕事、お疲れさま」


「あぁ、疲れたよ~。今日は新曲歌ったからね」


 こんな会話を、どれだけ夢見ただろう。璃玖はメンバーののズボンのチャックが開きっぱなしだったせいで本番が撮り直しになったこと、トイレで一緒になったハードゲイキャラの芸人さんの素顔が、意外にかわいかったことなどを話してくれた。璃玖の話は上手ではないけど、味があってすごく好き。何より璃玖が心を開いて話してくれることが、とてもうれしい。何も確かめないつもりでいたけど、思い切ってひとつだけ聞いてみた。


「あの……、璃玖は私が怖くないの?」


「うん? 怖くないよ。宇宙がいい子だっていうのは分かるから」


「本当?」


「うん。あのさ、俺と付き合ってくれる?」


「え?」


 一瞬、時間が止まったような気がした。


「えーと、俺と付き合ってもらえますか?」


 璃玖は少しかしこまった口調で繰り返した。


「……私で、いいの?」


「俺は、宇宙がいいんだよ」


 涙が静かに頬を伝った。


「はい。お願いします」


 私もかしこまって答えた。


「今は忙しいからムリだけど、クリスマスイブは絶対時間作るよ。東京タワーの前で会おう」


「そんな日に、いいの?」


「うん。俺がそうしたいんだ。約束する」


 神様なんて、この世にいないと思ってた。でも今は心から思う。「神様、ありがとう」って。

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