第22話《半舷上陸》

ここは世田谷豪徳寺・22(惣一編)

《半舷上陸》



 突然の半舷上陸になった。


 本来は、洋上で慣熟公試のため越年の予定だったが。機関室の装備配置が被弾時の緊急行動上欠陥があることや、慣熟公試にも支障があることが分かり、急遽横須賀に戻り装備配置の変更工事をやることになって、その間、乗組員は五日ずつの半舷上陸になった。


 わたしの乗艦は『いずも』の拡大型新鋭艦『あかぎ』 諸元は排水量26000トン、全長270メートル、最大幅42メートル、速力30ノット以上、全通甲板式の空母形護衛艦で、オスプレイ12機、対潜ヘリ8機搭載、などの新鋭艦である。


「班長は、どこで正月を?」

 砲雷科の杉野曹長が、ニヤニヤしながら聞いてきた。

「どこって、世田谷の実家に帰るだけですよ」

「そうですか、なかなかのおめかしなんで、別口かと思いましたよ」

「あ、そんな風に見えます?」

「はい、十分」

「光栄だな。ユニクロとABCマートで、しめて一万八千円でお釣りの来るナリですよ」


 自衛隊を見る国民の目はだいぶ変わってきたが、制服を着て街中を歩けるほどではないと思っている。


 渋谷に着くまでは、潮っけが抜けなかったが、京王井の頭線に乗り換え小田急の下北沢で小田急に乗り換える頃には、ただの佐倉惣一にもどっていた。

 豪徳寺のデニーズでアメリカンクラブハウスサンドを適量買って半年ぶりの我が家に向かう。

「兄ちゃん、電話ぐらいしなよ!」

 家に入る前に三階のベランダから気づいて声を掛けてきたのは、下の妹のさくらだ。


 デニーズのサンドを半分近く食べると、さくらは三階の自分の部屋に上がろうとして振り返った。

「明菜さんとは会う約束してんの?」

 口封じのサンドの効き目は食べている間だけだった。

「機密情報だ」

「早く手ぇ出しとかないと、尖閣みたいにややこしくなるわよ」

「うるさいなあ、尖閣と一緒にすんな!」

「丘に上がった時しかチャンスないんだから、なんなら、あたしから明菜さんに連絡しようか?」

 言うが早いか、さくらはスマホを取りだした。

「こら、余計なことすんな。それにどうしてさくらが明菜のアドレス知ってんだ!?」

 オレは、完全に海自の士官から、ただの兄貴に戻って、さくらにヘッドロックをかまし、そのままカーペットに横倒しになった。スマホを持つ手を押さえようとして、さくらの胸に触れてしまった。

「おお、女らしくなったな」

「今のセクハラだからね、防衛大臣に言っちゃうぞ!」

 ちょっと前なら、横抱きにしてお尻に二三発食らわしてやるんだが、さくらも、もう女であることを尊重してやらなければならない様子なので止めた。親父とお袋は、ただニヤニヤ笑っている。


「あれでも、こないだから人助けを二回もやってるんだ」

「え?」


 親父は、さくらが学校で自殺しかけた女生徒を助けた話しをした。で、ゴミ市で買ったコキタナイ人形がさくらの身代わりに割れたことを自慢し、わざわざ人形を見せびらかした。

「亀ヶ岡式の土偶みたいだね」

「さくらが、屋上から落ちた時に、身代わりに袈裟懸けに割れたんだ。そこを……あれ、継ぎ目が分からん」

「これ割れたの?……ぜんぜん分からないよ」

「今どきの接着剤は、よくできてるからね。あとで父さんトイレの便座の割れたのも直してくださいよ」

「それなら、オレがやるよ。そういう家庭的なことをするのが、オレには休養なんだから」

 そして、お袋は、さくらが昨日急性盲腸炎の女の子を助けた話しをしながらコーヒーを淹れてくれた。正直『あかぎ』のコーヒーの方が美味いが、我が家の素朴な味は格別だった。


 コーヒーのあと、トイレの便座を直しに行ったら、ドアを開けたその場に無防備な状態でさくらが座っていた。

「セクハラ自衛官!」

 オレは、素直に閉め出されてやった。兄妹の機微というものである。

 リビングに戻り、妹が出た気配を感じて五つ数えてトイレに入った。

――臭いぐらい消してからいけよなあ――

 思ったが、口には出さない。こういう油断が兄妹である証拠なんだろうから。

 

 便座は、根本の支持棒のフックのところが、疲労破壊で折れていた。破断面がピッタリなんで楽にくっつくかと思ったが、微妙に変形していて難しい。

「う~ん……」

 思わずうなり声が出る。

 すると、ドアがいきなり開いて、ガキのころそのままのさくらが覗いた。

「なんだ、便座の修理か……」

 つまらなさそうに、さくらは行ってしまった。


 こういう臭いところの防御をやるのがオレの使命だ!


 そう気合いを入れると、破断面はピタリと付いた。

 紅白が始まる頃に年越し蕎麦になった。我が家のお茶の間は昭和の空気がゆったり流れている。

 九時頃になると、さくらが出かけた。年越しの初詣のようだ。入れ替わるようにさつきが帰ってきた。

「あら、お珍しい」

 そう言うと、コートを脱いだだけで年越し蕎麦を食べ出したので、お袋に言って、もう一杯作ってもらった。人間は食事とか人間的な行動を共にすることで絆が確認できる。

「さつき、お前も人並みに苦労してるみたいだな……」

「自衛隊ほどじゃないけどね……」


 さつきの目から、一筋の涙が流れた……。

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