15 焔《ホムラ》


 悠芽焔ユウメ ホムラは転生者である。

 とはいえ生まれた頃から記憶を持っていたわけではなく、恵と同じで5歳になってから前世の事を思い出した。


 しかし恵と違い、記憶が戻る時に大して騒ぐ事が無かった。


「―― そうだったね」


 誰もいない丘の上で1人、そう呟いたのみである。




 前世、12歳まで生きた彼女は、自ら世界を『殺した』。

 神への叛逆を起こしたのだ。


 少女の名前は碧鐘雫。


 焔とは何もかもが正反対の、そこそこお金持ちの少女だった。

 髪も瞳もアジア系によく見られる漆黒で、濡れたような艶やかでサラサラの髪はよく褒められていた。背は平均よりもやや低かったが、将来美人になる事が誰の目にも明らかな美少女だった。


 座学実技共に好成績で、文武両道を体現する彼女には、しかして最凶最悪とも言える、重大な欠点があった。


 いわゆる人見知り。

 いわゆる引っ込み思案。


 親の付き合いで知り合いは多いが、友達はごく僅か。その友達も、多くは知り合い程度の付き合いしかしていない。

 それもこれも、幼い頃から人との接触を断っていた両親のせいである。


 過保護とはよく言ったものだ。

 人が出入りするためには、3重の扉を抜けなければならず、その全てが外側からしか鍵をかけられない。窓も閉め切られ、手の届かない通気口も、ようやっと手が入る狭さ。


 見た目も中身も小奇麗で、何より時計の音すらない空間。


 それは、軟禁以外の何物でもなかった。


 使用人はおろか、両親でさえ彼女との接触を嫌っていたのだ。義務教育、という制度が無ければ、学校に通うことも無かっただろう。


 あるいは、親が世間体を中途半端に気にしていたから、一応大事にされているように見せかけたかったのかもしれない。


 何はともあれ、人と接する事の無かった彼女には、その事を相談できる友人はいなかった。

 そんな彼女はある日、数少ない友達の中でも、更に珍しい親友と遊んでいた。


 恵である。


 放課後、人の少ない校舎内で折り紙をして遊ぶ程度だった。それでも、彼女にとってはこれ以上に無い至福の時間である。

 その親友の、そのまた親友であるという少年とも、仲良くなった。


 雫ほど対人関係は狭くないが、やや女々しい少年だったためか孤立していたのだ。


 小学2年生に上がる頃には、その3人で遊ぶのが普通になっていた。

 だからこそ、ずっと一緒にいたかったのだ。


 少しでも長く。少しでも遠くまで。


「い、一緒に、帰ろう!」


 家の位置はバラバラ。いつもは車が迎えに来るような遠くに住んでいた雫だが、2人の家まで付いて行こうと、一大決心した日。

 雫にしては、1年を通して出てくる僅かな勇気を前借りし、振り絞った一言だ。


 だが、その日……あの事件が起こってしまったのだ。


 どうやって、どこに攫われたかはわからない。


 少年はあろうことか初めに殺され、親友は―― 恵は、自分の目の前で殺された。


 水槽内だけが明るく照らされ、彼女の姿はよく見えた。

 見えて、しまっていた。


 助けを求め、苦しみ、恐怖に凍りついた瞳が、雫を睨みつける。

 死にたくないと、もがいても、もがいても、もがいても。彼女の入れられた水槽の蓋は、重苦しい音を響かせながら、落とされて。


 助けたかった。


 自分が代わりになれたらと、願った。


 願っただけで、何も、出来なかった。


 そうして、自分だけが助かってしまった。


 親友2人を犠牲にして。


 傷1つ無く、ただただ大きな穴が心に空いた「だけ」で、済んでしまった。


 しかしそんな雫を慰める者はいない。

 助かってよかったね、今のお気持ちは、事件の事は忘れなさい。

 顔も名前も知らない人、声も聞いた事が無い人ばかり。中には高名なレポーターなんかがいたかもしれないが、記憶に無ければ皆一緒だ。


 事情を聞きに来た警察も。

 家を取り囲む報道陣も。

 何故か学校の教師が手配したというカウンセラーも。

 そして……雫の家族も。


 誰一人として、雫の記憶には残ってくれやしなかった。


 むしろ、雫の親友をムリヤリ記憶から消そうと奮闘した奴の事は、よく覚えている。雫が持てる、最大限の憎悪をぶつけてやったら、二度と姿を現さなかった。

 絶望は、雫が死ぬまで重くのしかかった。


 雫達お金持ちの子供が死ぬシナリオなど、存在しなかったのだから。




 ―― 最初から。




 『革命家』達は、恵が力無く沈んだのを見て、下卑た笑みを浮かべ。


「これで俺達の『役割』は終わった。明日には解放される」


 と。


 まだ、雫達が残っていたのに。

 彼等は、それまで見せなかった爽快とでも言うような笑顔で、そう告げた。


 心の底からそんな顔をしていたものだから、雫は心底気持ち悪くなって。

 何度も吐いて、疲れて、眠ってしまった。


 騒がしさに目を覚ますと、『革命家』の着ていた上着がかけられて、次の瞬間には警察の突入が開始されていた。

 彼等の宣言どおり、タイミングを図ったように、警察がやってきたのだ。


 特に争いが起こるわけでもなく。それどころか、警察は『革命家』と固い握手さえ交わしていたのを、雫は見逃さなかった。


 奇跡の救出劇すらも、神様の書いた、シナリオに沿っていただけだった。

 何故なら『神様』が、直接、こう言ったのだから。



「―― 貴方の親友を殺したのは、僕です」



 と。


 助かった3人を呼びつけた『神様』にそう告げられ、雫は絶望した。


 ……いや、絶望なら、誘拐され、最初に少年が殺された時から、嫌と言うほど喰わされていた。


 恵の最期が、瞼の裏に焼きついて、消えない。

 平和な世界では普通見ないような『死』の光景が、悪夢の中で何度も再生された。


 雫の目の下には、酷い隈が出来ていた。


 『神様』の住む神殿は、それはもう綺麗だ。塵1つ見逃さずに拭かれた床、天井、壁に調度品。その全てが城で統一されていたのだから。

 『神様』自身も、髪、瞳は白く、肌は陶器のように滑らかで、人ではない青白さがある。そして、唇は『神様』の中では唯一、赤紫の色を持っていた。

 普段なら、恵達と一緒に、ああ綺麗だと、ああ神々しいと感動しただろう。


 しかし神殿や神様自身の神々しさを否定するかのような、どす黒く、冷たく、それでいて熱いものが、雫の全身を冒す。


 『神様』は特に笑いもせず、泣きもせず、怯えもしない。

 『神様』のいる神殿の外が、空から降ってきた爆弾で荒野と化しても。

 『神様』の世話をする者達が、クーデターを引き起こした者達に殺されても。


 そして、雫によって、その心臓をナイフで刺されても。

 痛がりもせず、苦しみもせず。


 ただ、淡々とした様子で語り続けた。


「この世界は、終わります。それは、この世界が作られた時から変わらない、この世界の宿命です。その最後の引導を、貴方が渡す事を、僕は知っていました」


 目を見開き、返り血を浴びた雫は、刺されても動じない『神様』に怯えた。


 目の前で散々、刺せば死ぬ光景を見せられてきたというのに。

 目の前で散々、血が流れれば死ぬ光景を目に焼き付けられたというのに。


 自分の手では、恵の、あの少年の仇は取れないのか。


「そして、この世界の劇的な幕引きで演者を務め、この世界最初で最後の『逸脱者』の称号を、貴方に与えましょう。僕が出来る、最初で最後の祝福です」

「―― いらない!」


 彼女の両親が見たら、どれだけ驚くだろうか。

 大人しく、従順で、世間知らずな雫は、完全なる変貌を遂げていたのだから。


 いつでも落ち着いていて、声を張り上げた事すら無かった雫が、心臓に響くような声を響かせたのだから。

 『神様』へ反抗し、その命を奪おうとする『反逆者』に対し、それまで無表情だった『神様』は、初めて笑みを零した。


「祝福にして呪縛となるこの力を、受け取りなさい」

「いらない! いらないよ、そんなの!」


 雫は叫ぶ。

 血を吐くように。


 それまでずっと、押し込んでいた感情の全てを、吐き出すかのように。

 『神様』に存外深く突き刺さったナイフは、肉が絡んで離してくれず、上手く取れない。

 だがそれでも、ムリヤリ引き抜き、何度も、何度でも。


 ついこの間まで、平和な世界しか知らなかった少女が、振り下ろしていた。


「そんなの! 今もらっても意味が無い! 恵も! あの子も! もう死んだ! 死んだら、守る事なんて出来ないんだよ!?」


 他に来ていた2人の子供は、止めようとして、出来なかった。


 目の前で起こっている惨劇が、誘拐されていた時に見たものより、ずっと強烈で残酷なように見えたから。


 義務、責務、使命感。そんなものに捉われて行われた殺人劇。

 そんなものより、恨み、辛み、苦痛の全てをぶち撒き、隠す事無く晒し続ける少女に、怯えてしまったのだ。


「何で! 何で、死なないの……! 恵は、あの子は……っ、死んで……何でぇえ……っ!!!」

「……」


 血塗れになった雫を、生きているのが不思議なほどに血塗れになった『神様』が見下ろす。


 恨み、憎しみ、そして―― 罪悪感。

 それらを一気に吐き出した彼女は、やがて、ナイフを取り落とす。


 感情の大きさに、幼い身体が付いて行かなかった。

 最早叫ぶ体力も使い果たすほど、それは激しく、未だ轟々と燃え続けている。


 口惜しそうに、人間とも、獣とも思えない眼光を携えた瞳が『神様』を捉えていた。

 だが、もうその身体が、動かない。


「この力を、受け取りなさい」

「……ぃらなぃ。貴方からは、絶対、受け取らない……ッ!」


 頑なに拒み続ける少女。

 それをただ静かに見下ろす『神様』は、笑みを絶やさない。



「―― これが『彼女達』を守るための力だとしても?」



 そして、その一言は放たれた。

 雫はその言葉に、初めて『神様』の顔を見た気がした。


 色ばかり目に映っていたそれは、ひどく既視感を覚える顔のつくりをしていた。

 中性的な顔は、やがて、雫の世界から奪われた、ある1人の少女と重なる。


「彼等の魂は、この世界から遠く離れ、同じ場所に辿り着いた。そういう契約だったから。崩壊するこの世界から死人の魂を受け入れ、それを勇者として育てるために」

「……何を、言って」

「館恵。そして漣柘榴サザナミ ザクロ……。選ばれた2名の名です」

「ッ!?」


 恵、そして柘榴。それは雫にとって、両親よりも大切な者達の名前。彼等の名前が出た瞬間、雫の身体が強張った。

 口からも血を垂れ流し始めた『神様』は、よりいっそう笑みを深める。


「2人して、貴方の親友だった。そして彼等を異界へと送るには、世界の崩壊よりも前に死を迎える必要があった。世界の崩壊には膨大なエネルギーが伴い、そのエネルギーに人々の魂は飲み込まれ、消滅するから。それより前に、送り出す必要があった。

 死によって魂はあちらへ渡り、生まれなおす。これが転生。神の手により再び生まれた者には新たな力を与える事となっている。

 だから、彼等は旅立った。方法は少々、苛烈だったけれど」


 少々、と言うには、些かかなり物凄く苛烈すぎであるが、雫がそれを告げるよりも前に『神様』は再び語り始めた。


「そして、君の事を聞いた」

「!」

「君は、選ばれた2人と、常に共にいた。僕は君の事を、知らなかった。彼女達の死を悲しむ者がたくさんいることも、僕に引導を渡すのが君だということも知っていた。

 けど、その2つを結び付けて考えられなかった。君が僕に、世界に引導を渡す理由こそ、恵と柘榴という、君の世界を構成していた者達の強奪であると、そんな事を考えもしなかった」


 未だ『神様』は微笑んでいる。

 それに苛立ちを覚え、雫は、震える手にナイフを握り直した。


 何も知らなかった。

 だから許せとでも言うのか。


 許せるわけが無い!


「だから――」

「ぅ、うぅううぅううああぁぁあぁあああ!」


 懇親の一撃に、残り僅かとなった力を全て、込める。

 世界全体が震えていることなど、知らない。

 目の前の敵に、



「だから―― 君の手で、今度こそ、彼女を救ってほしい」



 ずぶり、と。

 やけにすんなりと、ナイフは沈む。


 それほど力を入れていないはずなのに。


 見れば『神様』は、水をかけた粘土のように、溶けていた。


 どろり、と。

 神殿そのものも、溶けていく。


 どろり、どろり、と。


 世界の全てが、溶けていく。


 どろり、どろり、どろり、と。



「―― 君達は、僕が送ってあげる。だから――」



 最後に聞こえた『神様』の声は、震えていた。

 悔しそうに、それでいて嬉しそうに、震えていた。


 それがどうしてなのか、雫は、知らない。




 次に目を覚ましたのは、5歳のある日。


 国の王女様が誕生日を迎えて、1週間が経った頃。

 街中の住宅街で生まれ育った雫は、すんなりと『焔』である事を受け入れた。


 焔は炎のような真っ赤な髪を、後頭部で一部纏めているが、ピョンピョン跳ねて不細工なパイナップルのように見えた。

 瞳も見事なまでに真っ赤で、まるで宝石のルビーのよう。


 およそ、大人しい性格の雫とは程遠い容姿である。

 目も心なしか吊り目だ。雫は垂れ目だったのに。

 背丈も、まだ5歳だが他の同年代の子より、ちょっとだけ大きい。雫が5歳の頃なんて、既に平均身長より小さかったのに。


 そして。

 『役割』の印は、無かった。


 誰からも何も言われずとも、焔は自身のステータスを開き見る。


「……私の名前は、焔。一般家庭で生まれ育った、平凡な少女」


 鋭い目つきで、鏡の中の自分を睨みつける。


「変わるんだ」


 見慣れない鮮やかな色合いが目に付くが、5歳相応の身体つきに、心の中で舌打ちをする。これでは弱い。誰がどう見ても。

 だから、決めた。鏡の中にいる、弱い自分とは決別すると。


 『雫』を、消すと。


「変わらなきゃいけない」


 それは最早、強迫観念のようなものだっただろう。

 悪を挫き、弱きを救う。多を救い、少をも救う。


 勇者でなくとも、出来る事はあるはずだ。

 正義感に任せ、前世ではあえてやる事はなかった武術の研究に没頭した。


 この世界のどこに、恵や柘榴がいるのかは分からない。


 だが。


「次は、アタシが守る番だ―― !」


 いつか出会えた時、彼等を守れる存在であろうと、心に固く誓ったのだ。


 鏡はそれから、見なくなった。




 そして、約1年後。

 子供の、それも幼女のものとは思えない程に、鍛えられた身体があった。


 某カンフー映画を参考に日々努力を積み重ねた結果である。


 焔はその日も、日課のランニングをしている途中だった。


「――……」


 商店街の喧騒に紛れ、なにやら騒がしい空気を感じ取った焔。


 彼女は静かに、闘志を滾らせる。

 とても平和なその世界で、誰にも心配がかからない程度に無理を重ね、鍛えた肉体。それが掴んだ勘が、焔を突き動かした。


 不自然に『気にならない』場所に、身体が向いた。


 ……かすかに聞こえた気のする声が、親友のものに似ていたのも、原因かもしれない。


「―― 離してッ!」


 やがて聞こえたその声に、立ちくらみがする。

 それはまるで彼女のものと同じ声だった。……あえて封印しようともしてない彼女の最期が、脳裏に蘇る。


 焔は猫のようにつりあがった目を、鋭く細めた。


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