11 幕間の出会い


 めぐみには、親友がいた。

 1人は死んでしまったけれど、もう1人はわからない。


 それ以外だと、家族は全員生きていた。と思う。

 幼い頃に行方不明となった兄以外は、全員、まだあの世界で生きていると、そう、思っていた。


 けれど、思い込んでいたものは、アッサリと崩れる。


 どこの誰よりもしぶとく生き残りそうな叔母様が、今ここにいる。

 その時点で、最悪の結末を予想できていても、おかしくなかったのだ。


「お、おい。イマイチ話が見えないけど、恵が前にいたところが、もう無いってどういう事だ?」

「そのままの意味だよぉ。けど、ここから先はめぐたんと2人じゃないとしたくにゃいかにゃあ~。今は情報過多で混乱しているだろうし、少し落ち着いてからでも良いよー」


 ふにゃ、とした笑みを浮かべて、猫みたいにだるそうな雰囲気を醸し出す叔母様。

 久々に出会った美味しい食べ物の記憶は、私の中に残ってくれなかった。




 時刻は夕食の少し前。

 落ち着くのにどれくらいかかっただろう。


 嵐のようにやってきて、嵐のようにその場を荒らし、嵐のように去って行く。

 これこそ叔母様の最重要とも言える特徴だ。


 けれどここまで荒らして去るのも珍しい。嫌と言うほど考え込まされて、挙句の果てに知恵熱なんてものを出してしまった。

 働かない頭で彼女から得た情報を整理する。


 この上なく不本意だけれど、彼女の言葉に偽りがあったためしがない。捻くれた表現をする事はあっても、決して嘘を吐く事は無いのだ。

 だから余計に性質が悪い。


 幸いにして熱は1日と立たずに治まってくれたけれど、当然の如くお父様達に心配をかけてしまった。後で謝罪しないと……。

 6歳の子供が自力で出来る事で、お詫び出来たら良いな。


 あ、そうだ。この世界の食事って美味しくないし、料理でも作ろうか。


「リリエラ、厨房に行きたいな」

「えっ、厨房、ですか? お嬢様が?」

「ダメ……?」

「……只今連絡を取りますので、少々お待ちください」

「うん!」


 それに、気を逸らしていないと、落ち着かない気がしたのだ。

 前世でもちょっとだけ、料理はがんばっていた。お味噌汁からお寿司、ムニエルからビーフストロガノフまで、作り方自体は覚えている、はず。

 実際に作ったのはお味噌汁とかゼリーとか、家庭科実習の時の物くらい。それにうろ覚えのレシピも多いと思う。


 でも、お母さんのお手伝いで、少しは色々作れる、はず!


 とはいえ子供が作るものだからなー……あ!

 卵、砂糖、牛乳もある……それも、どれも朝採れた新鮮そのもの! あ、砂糖はさすがに違うだろうけど。


 本当は塩と胡椒もちょっぴり入れると美味しいけどね。


「卵焼きを、作ります!」

「卵焼きですかぃ?」


 館家専属のシェフ、トルガが、頭をポリポリかきながら尋ねてくる。

 すっかりおなじみとなった白メインのドレスに、薄い緑のエプロンを着けて、すっかりやる気の私に、彼は対応に困っているようだった。


「卵の基本料理、です!」

「そらそうですがねぇ。お嬢様に作れるかなぁ?」


 トルガは出っ張ったお腹を揺する。子供が火遊びをしているように見えるのだろう。その声には、心配だ、という副音声が混じっていた。


 ……こっちだって自信無いよ!

 転生してから初めての料理、だからね!


 紅音の家でもそうだったけれど、この世界の食事情は途轍もなく質が低い。どの料理も奥が深いと前世では聞いていたけれど、この世界の料理は深遠を覗こうともしていないのだ。

 そりゃ、不味いわけだ。


 叔母様の言っていた地上ならともかく、平和な世界で料理が発展しない理由は、まぁいずれわかるだろう。


 けど、前世というグルメな世界から来てしまった私に、この世界の料理は不味すぎる! その理由を追求するよりもまず、美味しい物が食べたいのだ。


 大きな卵を手に取り、まず力加減を見極めるべく、軽くテーブルに打ちつける。

 コン、と音は聞こえたけれど、思ったよりも軽い音だった。

 これは、思いっきり叩いても大丈夫そう。


 コンッ! よし、いい感じにヒビが入った。中身をボウルに入れて、と。んん、今日は家族みんないるらしいから、人数分作っちゃいますか。

 牛乳と砂糖を加えて、かき混ぜる。


「お嬢様、混ぜるくらいなら俺がやりますよ」

「わ、ありがとう」

「いえいえ」


 卵を混ぜる作業はトルガに任せる。うんうん、この身体で7人分の卵をかき混ぜる作業は辛いよ。明らかにオーバーワークだよ。

 もし今度作るなら、もうちょっと加減しないと。


「あ、白身は完全に無くなるようにね!」

「ほいほい、じゃ、このくらいですかね」


 ……うん! いい感じ!

 次はフライパン。この世界にはプラスチックが無いらしいね。フライパンの取っ手は鍋掴みで持ちながら振るらしい。


 子供用のフライパンが欲しい。切実にそう思った。


「トルガ、今日の予定だが……恵、どうかしたのかい?」

「あ、お父様」


 フライパンを温めていたら、お父様が来た。

 ちなみに、この世界のコンロはオーブンの火です。火力の細かい調節が出来ないです。

 後で聞いたら、使える人は炎の魔法を使って威力を調節するのだとか。


 それでお父様だけれど、今日はお客様が来るらしくて、その分の軽食を作るよう命令しに来たのだとか。召使に任せず、自分で来るのがお父様のスタイルらしい。


「軽食……お父様、私が作る卵焼きでも良いですか?」

「トルガのものがいいかな」


 笑顔の即答いただきました!

 うんまぁ、そうだよね。子供の作る物体Xよりも、ちゃんと雇ったシェフの方が良いよね!

 まぁいいや。お父様達に食べてもらえるなら、それで。

 そう考えていたのだけれど、思わぬ方向から援護射撃が……。


「そう言わないでくださいよ、旦那様。お嬢様の作ったオムレツ。きっとあの方も喜んでくださると思いますよ?」

「……本当か?」

「ええ、もちろん」

「ふむ。……恵、今作っている物を、あと3人分、用意できるかな」

「ぇあ……は、はい!」


 トルガの思わぬ褒め言葉で、3人分、追加で作る事になりました。

 あの方って、誰だろう? 何か嫌な予感がしないでもないけど、頼まれたからにはやってやりますとも!


 卵は大量にあるので、新たに3人分の溶き卵を別のボウルに作る。


 そして、すっかり温まったフライパンに、バターを引く。

 じゅわわ……と溶ける音と、バターの甘い香りが広がった。


 バターは焦げやすいので、すかさず溶き卵を流し込む。

 円く広がった卵の中央部分が焼ける前にかき混ぜ、端が乾いてきたらフライパンと菜箸を使ってふんわりと仕上げる。


 最後にトルガ特製だというトマトソース(これは美味しい)をかけ、飾り付けにバジルを添えれば完成です!


「オムレツ一人前、です!」

「じゃ、保存しときますねぇ」

「保存?」

「このまま全員分を作ったら冷めるでしょう? オムレツは温かい内が勝負……冷まさないために、別次元に保管しておくんです」

「魔法なの?」

「ええ。ま、毒見で大抵冷めますがねぇ」

「あー……」


 元々冷たい料理ならともかく、元が温かい料理って、大体冷めると美味しくない。

 毒見の魔法とか、無いのかな。あれば良いのに。人が毒にあたらないし、安全そうだけど、魔法ってそんなに自由度が無いのかな?


 至極面倒くさそうにしているトルガを見ると、無いらしい。


「人数分、作っちゃうね」

「疲れません?」

「……が、がんばるよ!」

「へーい」


 口調がやる気の無い中年っぽいけど、年齢はまだ20歳だと言うから驚き。

 ヒゲもあるし、恰幅良いのに。


 これで20代入ったばかりって、見た目詐欺だよ!


 とか何とか心の中で愚痴を零していたら、あっと言う間に人数分作れちゃった。


「運ぶのは、任せても良いかな」

「お任せを」


 最後だけしっかりした態度をとるトルガ。その目がキラリと輝いて見えたのは、どうしてだろう。今度聞いてみようかな。




 さて、これは私の見ていない、お父様とお客様との会談の様子である。


 私の作ったふわふわでとろとろのオムレツが、お父様の分も含めて4つ、用意されていた。


 残念な事に、夕食は家族全員別々に取っていた。まぁ、私のオムレツが出るなんて伝えていないしお父様はお客様と一緒に食べるらしかったから、良いけどね。

 ちなみに、オムレツを作った人を呼べと家族全員から催促があったのは言うまでもない。


 お父様も内心、私を呼びたかったと後に語った。


「―― いかがでしょう?」


 お父様は満面の笑みで、自慢げに尋ねる。

 陶器の食器と銀のスプーンがぶつかる音が、室内に響いていた。


「素晴らしいな」


 力強い声で、お客様の中でも年長である男性がそう言った。


「……素晴らしいですわ」

「美味しい、です」


 お客様の内2人は子供であり、2人も一旦口の中にある物を飲み込んでから、感想を零した。しかしすぐにもう一口を放り込み、ゆっくりと味わっている。

 砂糖を使った甘いオムレツは、彼等の口に合ったようだ。


 少女は上品に見える所作だが、一口で含む量が多い。熱々の内に全部食べようとしているのだが、飲み込むまでに時間がかかっている。

 一方、少女よりも小さな男の子は、一度に食べる量は少ないが、ちゃんと適度に冷ましながら食べていた。結果的に言えば、彼の方が早く食べ終わる。


「ふふ、まさかこれほどまでに腕の良いシェフが、君の娘とはな」

「いくら陛下でも、渡す気はございません」

「……確かに欲しいとは思うが、君を敵に回してまで取ろうとは思わぬ。それよりも。お忍びで急に来たにもかかわらず、もてなした事を褒めて遣わそうぞ」

「お褒め頂き光栄です。それにこちらとしても、急な客人の対応に慣れさせる事が出来ますから」


 暗に、何でこれほど頻繁に来るのかと問い質すが、男性は微笑を浮かべるだけだ。

 静かな睨み合いは、もう数年も続く恒例行事。10秒も経たない内に終息し、お父様は男性を違う意味合いで睨み付けた。


「……お忍び、とのことですが」

「うむ。ああ、2人とも。席を外しなさい」

「「はい」」

「おやすみなさいませ、お父様」

「失礼いたします、お父様」


 男性の息子と娘である2人は、いつの間にか現れた召使によって寝室へと案内される。

 部屋には護衛もおらず、ただ2人の男性と、アルコールの香りが漂い始める。


 しかし、今この場で重要なのは、彼等の世間話なんかではない。今しがた部屋を出た、男性の子供達。中でも……男の子の方だ。


「……お姉様」

「何かしら」

「……今日は、寝られますか?」

「ふふ、大丈夫よ。最近はあなたのおかげで、とてもよく寝られているもの」

「今日も、おまじない、しましょうか?」

「……大丈夫。今日くらいは、ゆっくり寝なさい」


 少女は男の子の頭を優しく撫で、微笑んだ。

 藍色のふわふわとした髪を撫でられて、男の子は嬉しそうにはにかむ。手が離れても残る温かさに目を細め、案内された寝室へ入った。

 男の子以外、誰もいない部屋だ。


「……お姉様が、悪夢を見ませんように」


 男の子がそう呟くと、彼が身に付けているペンダントが白い光を放つ。雫の形をした、透明な宝石の付けられたペンダントだ。


 光が収まると、男の子はおもむろにパジャマへと着替え、明かりを落としてベッドへ寝転がる。

 そうして、すぐに寝息が聞こえてきた。


 その寝顔は、ほんの少しだけ、苦しげに歪んでいた。




 会談が終わって、次の日。


 早朝、メイドも庭師もまだいない庭に、私はいた。

 何でかと聞かれると、答えかねる。何せ偶然、何と無く、そこへ来たから。あまり眠れなくて、何度目かの浅い眠りから目覚め、ふらふらと起き出して来たのが、ここだっただけ。


 植わっている春の終わりに咲く花を眺めて、ふと目を留めた。

 それは今まで見た事の無い花で、5枚の小さな青い花弁に、白い10枚ほどの花弁が混ざった不思議な花。花自体は今の私の手に収まるほどの大きさだ。

 たしか部屋の図鑑に載っていた気がする。


 何の花だったかな?


「あ、あの」

「えっ?」


 花の名前を思い出そうとしていると、横から声を掛けられた。

 見た事のない男の子だ。背丈は紅音と同じくらいだから、多分同い年かな?

 気弱そうな印象を受ける子で、


「何でしょう?」


 装いは貴族のそれだったので、他人行儀に尋ねる。

 すると、彼はおずおずと話し始めた。


「ぼ、僕は……ファートゥム。昨日のオムレツ、美味しかった、から。お礼を言いたくて」

「……ああ、昨日来たお客様だったのね。口に合って良かったわ」


 そっか、昨日のお客様って子供だったのか。あ、親と一緒に来た可能性もあるよね。誰が来たのか聞いていなかったけれど。

 彼は目を泳がせて、言葉を探し、ハッとなった。


「……きっ、君は、学校に通いますか?」

「? 通うと思うけど」

「……そう、ですか。じゃあ、また会いましょう、ですね」

「はぁ」


 どうも口下手らしい。話題が無い上に、別れる口実が見当たらないためにしばらく沈黙していたようだ。

 彼はホッとした様子で、私に背を向けた。


 あ、お話……終わりなのね。


 とまぁ、煮え切らない感覚はあるけれど、彼と私の出会いはこれで終了だ。決して私の悩みや迷いや混乱が消えたわけではないけれど……。

 それは確かに、私の運命に大きく関わる彼との、始まりの記憶だったのだ。


 ファートゥム。

 ラテン語で宿命と名付けられた彼。

 そして……この時見た、あの「3分だけ咲く花」の名前にして、花言葉。




 そんな彼と私が再会する話は、また別の、もっと先のお話である。


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