08 アリス・ド・クラーレット


 結果から言います。

 踊れました。


 前世では全く踊りなんてやった事の無い私ですが、踊れました。


 むしろ、音感が前よりずっと良くなったと驚かれました。ゆったりとしたテンポに合わせるのは、速いテンポの曲で溢れていた現代っ子には容易いのです。

 ……多分。


 ステップは曲に合わせて、型どおりの物を少し覚えるだけで良い。

 何せ、貴族とはいえ5歳の子供に求められている技量なんて、たかが知れている。

 大人に合わせていれば、自然と褒められていた。


「恵、驚いたよ。とても上手だった」


 これこそ、お父様からもらったお褒めの言葉。ついでにセットされた髪型が崩れない程度に優しく撫でていただきました。

 どうしよう、頬が緩んで仕方無い。

 鏡があっても見たくない。きっと、貴族としてははしたないくらいに、破顔しているに違いないのだから。


 自覚があったので、私は落ち着くためにもお手洗いに向かいました。


 もちろん、周囲には濁した言葉で伝えましたとも。

 お化粧直し、と。


 薄いメイクはしているのです、一応。


 やってくれたのはリリエラだけどね!


 でも、私が向かったのは自分の部屋。来るのを予測していたのか、他の場所を警備しているはずのマクシスがいた。

 彼は無言で、私の部屋へ通してくれた。


「ふぅ」


 まだ明るい空を見ながら、私は窓際に置いたイスに腰掛けた。大して疲れていないけれど、いや、多分、精神的には疲れているのかもね。


 今日だけで色々あった。まだ夕方では無い事が信じられないくらいに。


 今、このお屋敷は舞踏会の真っ最中。

 バイオリンやフルートっぽい楽器が、厳かな曲を奏でている。

 お父様とお母様が最初に踊って、その次に私がお父様に誘われて。そこで身体の方も、少し疲れていたのだと思う。イスに座った途端、足が痛み出していた。


 窓を少し開ければ、どこからか舞踏会の音楽がよく聞こえた。


「……」


 ほんの僅かな間だけ、窓の外を呆然と見つめてみる。

 精神の回復は、心を無にするのが手っ取り早い。


 と、誰かが言っていた気がする。


 ほどよく疲れていて、うたた寝でも始めてしまいそうだけどね。


「……っ」


 だけど、聞こえてしまった。

 ガタガタ、と、窓の外から、音がした。


 見ると、窓ガラスの向こうで、影が蠢く。


 ―― 何?


 私は恐怖で、思わず窓から距離をとる。

 それは、僅かに開いていた窓に手を掛けて、器用に開けて見せた。


「―― 誰かと思えば、恵だったのか」

「……えっ」


 逆光で、その人影が何者なのか、私には見えなかった。

 けれど、その声はついさっき聞いたばかりのもの。


「紅音っ?」


 ついさっき、私を置いてどこかへ行ってしまった男の子の声。

 忘れるわけがない!


 正体がわかってすぐ、私は、窓からするりと入ってきた彼に詰め寄る。


「さっきは私の事、置いていったでしょ! ひどい!」

「はは、悪かったよ。けど、一緒にいたら面倒そうだったし?」

「うぅー……」


 そうそう。在守河って、公爵家だったの。紹介された時、ちゃんと聞いていなかったから、すぐにピンと来なかったけど。

 爵位で言えばかなりの身分差があるけど、権力差で言えば同じくらいの家である。


「恵って、ここの奴だったのな」

「うん。紅音も公爵家だってね」

「あー、そういやちゃんと名乗っていなかったか。改めて言わなくていいだろ? 面倒くさいし」


 面倒くさいというところは、同感である。とはいえどうでもいいプライドはこの身体に染み付いていたらしく、頷かず、目を軽く逸らすに留められた。


「というか、何で紅音がここに? 一応2階なんですけど」


 この屋敷でいう2階って、前世で言うところの3階相当なのよね。うん、高い。

 そんな所に5歳児がいるなんて、おかしくない?


「登った」

「うん。どこから?」

「壁の装飾がいい感じにデコボコしていたから、それで」


 君はどこのボルダリング選手かな!?

 うちの壁の装飾、そんなにゴテゴテしていないはずだよ。騎士の家系だからなのか、全くと言っていいほど装飾が無いシンプルイズベストな壁だよ。

 真っ白で滑らかな壁は、むしろ装飾を施した物より凄いよ!


 いい? 真っ白で、滑らかな壁なの。

 どこがデコボコなのかな?


「……えっと、ごめん。近くの木に登って、そこから屋根伝いに登った。ここの壁は無理。うちのは木造だから、登りやすいのに」


 無言でただただ微笑んでいたのだけれど、私が思ったように反応しなかったからか、彼は、沈黙に耐えられずにおずおずと語り始めた。

 ふふ、ちょっとだけ勝利の気分♪


「在守河邸って、木造なの? 和風なの? 壁は赤いの?」

「木造だし、和風だし、壁が赤いな。ま、屋根の瓦は藍色だけど」

「わぁ!」


 紅音は神社みたいなお屋敷に住んでいるらしい。

 何それ凄い! 見てみたい!


「そんなの、親に言って見に来ればいいだろ。あと、真っ赤なのは神社じゃなくて鳥居だ」


 心の声が漏れていたのか、紅音がやや引いた様子で返してくれた。

 そうだね。入る所までは行かずとも、外観を見るくらいなら出来るはず。それに言われてみれば、瓦はともかく真っ赤な壁って……うん、鳥居のイメージが強い。


「そういえば、何でこの部屋に?」

「暇潰し」


 簡潔に述べられた答えに、場がしん、と静まる。


「暇潰し」

「え、何で2回言ったの」

「いや、聞こえていなかったのかなって。聞こえていたならそう言えよなー」


 そう言って、紅音は頬を大きく膨らませた。

 けど、ね。ちょっと考えて欲しい。


 仮にも貴族。むしろ王族に次いで高い地位にいる公爵家の子が、何故暇潰し程度で人の家の屋根に乗っているのかって話ですよ。


 そういう話なわけですよ。


「もうやらない方がいいよ。魔法も使えないのに、危ないなぁ」

「そんな簡単に落ちないって」


 どこから来るのかな、その根拠の無い自信は!

 うーん、子供の特権『下から目線でお願い作戦』は、同い年の彼には通じないだろうしなぁ。危ない事は、すぐにでもやめさせたいのに!


「とにかく、今すぐやめて!」

「……ちぇ」


 出来うる限り強めに言い切ると、紅音は怖がった様子もなく、私から目を逸らした。

 そのままの勢いで横を向くと、彼はそのまま窓の傍まで歩いていった。


 戻るのかなー……とか思ったけど、違うみたい。

 黙りこんでしまって、ちょっと気まずくなってしまった。


 ……うーん。何で紅音はここにいるのだろうか?

 それを尋ねようと思って、私は紅音に近付く。すると風に乗って、小さくパーティの音が聞こえてきた。


「あ」


 紅音が急に、小さく呟いた。

 私は反射的に、彼の方を向く。


 あぁ、意外と睫毛が長いんだね。子供だから仕方無いけど、言葉遣いが無かったらギリギリ女の子と言われても気付かれないのではなかろうか。


「もうすぐ一曲終わる」

「そうなの?」

「ああ」


 その瞳は、ほんの少し寂しそうだった。

 何でだろう。


 聞いていいのかな。


 聞いちゃダメかな。


「……んー」

「っ、どうしたの?」

「や、俺さ、一応ダンスのレッスンを受けてきたんだけど」

「それは、私もだよ?」

「だろうな。それがさ、親と踊ったり、知らない奴と踊らされたりするためにやっていた、なんて。つまらないなーって」

「……」


 子供らしからぬ、憂いを帯びた表情に、思わずドキッとする。

 5歳という今の時点で、既に成長後がイケメンである事を確信させる、綺麗な横顔だった。

 薄暗い室内に差し込んだ温かな光は、彼の顔を照らさない。


「恵」


 横顔が、正面を向いた。

 大きな瞳が私を捉え、私の姿を映しこむ。


 彼の声が、耳に残った。


 おかしいな、顔が異様に熱い気がする。

 私は、前世で11歳だったのだ。現世を足さないとしても、彼との年齢差は5歳以上ある。のに、何でだろう。


 彼との距離が、ついさっきよりも『近い』気がした。



「―― 俺と、踊らないか?」



「――……」


 太陽の光は、強い赤色を帯びてきたらしい。

 紅音の頬が、僅かに赤く見えてしまった。


 紅音から見る私の頬も、こんな風に見えるのだろうか。


 私の意志とは裏腹に、胸の辺りが早鐘を打つ。


 ドキ、ドキ、ドキ。

 この世界で初めて目が覚めた時や、初めて魔法を見た時よりも、全身に血が巡る感覚がハッキリと感じられた。


 遠くから聞こえてくる、完璧なリズムのクラシックメロディ。



 ……私は、差し出された彼の手を、取った。



 断る理由は、存在、しなかった。


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