07 恵と紅音と柘榴の実
私が前世の記憶を取り戻してから、およそ一週間が経ちました。
お父様から日記帳のような物とペン、インクをもらったけれど、それは今のところ日記に使っているだけです。
館恵、5歳。
私は、貴族の令嬢です。
貴族は不定期で、お茶会やら夜会やら舞踏会やらを開催します。
理由は様々で、今回の場合、私の快気祝いです。
ええ、つまり。
昼餐会と呼ばれるこの集まりの主役は、私なのです。
緊張で食べ物が喉を通りません。
それを知ってか知らずか、今日のドレスは子供体型をスリムに見せる、きついサッシュの巻かれた青系のプリンセスラインである。
それに合わせるのは、ティアラを模した金色の髪飾り。耳の上部に付けるそれは、個人的にとても気に入っている。
王族には失礼だと思うけれど、リュナが作った衣装なので、間違いではないはず。
あ、そうそう。
やっぱりこちらの貴族にも、序列はあるようです。
まず、忘れてはならないのが、国のトップである王族。
そのすぐ下の権力者、公爵。これは王族の血を色濃く受け継ぐ爵位で、権力もさる事ながら、継承される力にも強いものが含まれているとか、何とか。
力って魔法のことかな? きっとそうだよね。
そんな公爵から、侯爵、伯爵、子爵、男爵、準男爵、騎士爵といったように、後になればなるほど王族から遠のき、政治的権力や持っている力も弱まっていくとか。
そのはず、なのだけれど。
我が館家は、例外も例外らしい。
貴族の序列としては、最下位と言うか。むしろ平民上がりの貴族の中でも、武勲を立てた者がその人一代だけ名乗る事を許された、名誉職なのに。
館、騎士爵家。
何と、公爵と同等の権力があるそうです。
とりあえず、ね? リリエラから、にこにこ微笑んで挨拶はお父様達に任せておけばいいとか言われたから、その通りにしていたの。
そうしたら、ね?
「グランワード男爵家ご一行が、ご到着されました」
「
「ハルネスティーネ侯爵家御一行がご到着されました」
「
「
公爵家だって。公爵家。
この身体には、営業スマイルが染み付いているらしい。何とか笑顔を崩さずにいたけれど、内心はもう、頭が真っ白になっていた。
脳内で漢字変換されている苗字達は、何やらメルヘンチックなものが並んでいる。
あ、藤山は覚えやすかったよ!
紹介されていないし、どの人かは分からないけれど。
「皆様、本日は我が娘、恵の快気祝いとなる昼餐会にお越しくださり、誠にありがとうございます。また、お忙しい中、時間を作ってくださいましたこと、感謝に堪えません」
そんな前口上を述べたお父様の口からは、すらすらと那賀台詞が流れていく。
しんと静まり返った中、お父様の声はとてもよく響いた。
「―― ああ、長々と挨拶を続けてしまいましたが、どうぞごゆるりとお寛ぎください」
お父様の「乾杯」の声が、響く。
すると、少しずつ、少しずつ騒がしくなり始めた。
「旦那様」
「ああ、やはり来られそうに無いかな」
「はい。ですが、少し遅れる、と」
「……そうか。分かった。気を抜かないように」
「は」
まだ誰か来るのだろうか。
正直、疲れてしまった。
何せ、胸を締め付けるほどの緊張の中、聞いた事も無い名前を聞かされ、慣れないお辞儀をし続けたのだ。
苗字のいくつかは何と無く覚えている、気が、しないでも、ない。
顔と苗字が一致したかと聞かれると、NOと即答できる程度だ。
私と同じ年齢の子供がいたら覚えたかもしれないけれど、来るのは大人ばかり。子供は別の所で、元気に遊びまわっている。誰が誰の子供かは、残念ながらわからない。
昼なのに、アルコールの香りがあちこちから漂ってくる。
子供用のジュースを、後でリリエラにでも持ってきてもらおうかな。と、思ったのだけれど、リリエラはリリエラでとても忙しそうにしていた。
うぅ、話しかけづらい。
「恵。ここは私に任せて、人の少ないバルコニーにでも行っておいで」
「はい、お父様」
ナイスだよ、お父様!
私の足は、生まれたての小鹿の如くプルプルと震えていた。正直真っ直ぐあるけるかどうかも不安なほどに。
まぁ、転ばずに済んだけどね。
私が主役とはいえ、子供の私にきちんと挨拶をする大人はほとんどいない。
彼等が見ているのは、私ではなく、お父様。お父様でなければ、館家という家柄そのもの。
「ふぅ」
人のいないバルコニーに出て、脚と同じくらいに疲れてしまった顔を揉む。
笑顔って、疲れるんだね。知らなかった。
「お前も疲れたのか?」
こつこつと音を立てて、誰かが近付いてきた。
振り向くと、私と同い年くらいの男の子が、そこにいた。
薄い赤紫色の髪は跳ねていて、目は濃い紫色。つり目で、赤を基調とした光沢のある服を着た男の子は、後ろ頭の下方で髪の一部がまとめられた、少し不思議な髪型の子だ。
5歳くらいなので、声は高くて、顔の輪郭もふっくらしている。
ただ、つり目のせいか、物凄く生意気そうに見えてしまう。
「少しだけ」
私はもう一度笑顔を作って、男の子に答える。
「そんな固くならなくていいぜ。休憩中だろ? 俺もだし」
「そうなの?」
「ああ。大人に付き合っていても、つまらないだけだからな」
至極面倒くさそうに手を振ると、彼は目を伏せた。
欠伸を噛み殺して、私には興味の欠片も無さそうに空の彼方へと顔を背けてしまう。一応この昼餐会の主役は私だけど、知らないのだろうか?
少なくとも、挨拶を交わした人達の中に、彼はいなかった。
「あ、私は恵。貴方は?」
「
「紅音。綺麗な名前だね」
頭の中で、勝手に漢字に変換される。紅色の音かぁ、綺麗な名前だね。髪や瞳の色とは合っていないけど、綺麗である事に相違はない。
そう思って、素直に言葉にしてみたら、紅音はキョトンとした顔になった。
あ、もしかして、名前を聞き出すにもちゃんとした作法があったのかな。だとしたら、失礼な事を言ってしまったのかもしれない。
咄嗟に謝ろうとしたけど、それより前に、紅音の表情に緊張が走った。
「やっべ」
「どうしたの?」
「……お前ならいいか。お前もつまらないなら、一緒に来いよ」
途端、私の腕が引かれる。
……えっ?
「え、あの」
「静かに。こっちだ!」
紅遠は、とても楽しそうな笑みを浮かべて、なお私の腕を引く。
不思議とムリヤリ引っ張られている感覚は無く、握られている手も痛まない。
私達は、あっと言う間に屋敷の庭園まで来ていた。
子供でも通り抜けるのが難しそうな隙間を、彼も私もするりと抜ける。
まるで草木の方が私達を通しているかのよう。
棘だらけの薔薇の柵、百合に似た蔦の花が巻きついたアーチ、ふわりと漂う柑橘系の香りを抜けて辿り着いたのは、少し雰囲気のある広場だった。
何の雰囲気かって?
「うわ、おばけ出そう」
「あぅ、言わないで」
空気が冷たくなり、暗い色合いの草木が目立つようになっていた。
もっと単純に、明解に、簡単に状況を話すとすれば。
こわい。
「ね、ねぇ、ここ、どこ?」
「ちょっと待てよ……幼き青の試練? だって」
それはどこ情報なのだろう。地図でも見たのか、紅音はたどたどしくこの場所の名を告げた。
というか、試練? 何、それ。
「噂は本当だったのか」
「う、うぅ、噂って?」
「館家の庭園には、子供のための試練場があるって噂だよ。7歳の子供が連れて来られて、何人かが一緒に挑むやつ」
「聞いた事無いよっ!?」
少なくとも、私の記憶が戻ったこの数日の間には!
「ま、俺も兄様からこっそり教えてもらっただけだけど」
ぼそぼそと呟いて、紅音は歩き始めた。
え、何で奥に行くの?
試練だよ? R7の試練ですよ?
年齢指定がされているという事は、何かしら理由があるはず。ここが何の試練かは知らないけど、このおどろおどろしい雰囲気ではろくな事が起きないだろう。
夜じゃない分マシだけど、明るくても危険は危険だと思うの!
「も、戻ろうよ、ね?」
「大丈夫だって」
紅音は妙に自信ありげだった。
かなり楽しそうな笑顔を浮かべていた。
でもね、私は知っているよ。
これはきっと、好奇心というものが見せた幻。
子供特有の「きっとなんとかなるとおもう!」だよ……!
「も、ど、ろ、う、よ!」
「あーもー。どうせどっちが出口か分からないし、歩きながら探そうぜ」
「ええぇ……」
必至に抵抗するけど、私の身体はひどく非力でした。
同じくらいの背丈である紅音に、ずるずると引き摺られていく。うぅ、怖いのは甘んじて受け入れるけど、でも、でもね。
さっきから、風は生ぬるいし、風が無い時に限って草木がガサガサと揺れるのだ。
絶対何かいるよ! いや、動物とか、普通にいるかもだけど!
けど、紅音はそんな事を全く気にしてくれない。
しばらく引き摺られていると、枯れた噴水が見えた。
しばらく使われた形跡のない、汚れの目立つ噴水である。けど、覗き込んでみると、とても綺麗な水が溜まっていた。
水の掛け合いっこくらいなら出来そうな大きさで、水は大体リンゴが浸かるくらい溜まっている。水自体には汚れが一切無く、噴水の底が見て取れた。
「飲むなよ?」
「さすがに飲まないよ……雨水って、綺麗に見えて意外と汚いって知っているもの」
「そうなのか? 雨水を溜めて、非常時に使うって聞いたけど」
「それは水をろ過して、飲めるようにしてからの事でしょ? ただ溜めただけの雨水じゃ、お腹壊すよ。煮沸消毒とかでもすれば、ギリギリ飲めそうだけどね」
およそ5歳児がするような会話内容じゃない気がするけど、私はあまり余裕がなくて、そんな事には気付かない。
紅音の僅かに驚いたような顔も、目に入らない。
「……お前って」
「うん?」
水を覗き込んでいた私は、紅音の呼びかけに振り向く。
そこでようやく、紅音の顔を見た。
紫色の大きな瞳が、大きく見開かれている。
「お、おい。これ」
「うん??」
私は更に振り向いた。
そこには。
「……うん???」
それまで、無かったはずのものが、噴水の中にあった。
溜まった水の中から音も無く床の一部がせり上がり、そこに何かが乗っている。
それは……ブレスレットだった。
白い真珠のような物が連なった物で、透明な水晶球の飾りが付いている。
私は吸い寄せられるように、その1つを手に取った。
「綺麗」
「だな。誰かの忘れ物か? いや、急に出てきたし、俺達に……?」
腕を組んで、唸り始める紅音。
だよね、急に出てきたよね、これ。さっきまで無かったよね!
「まぁ、どちらにせよ、ここに置いといても誰も見に来ないだろうし。持って帰るか」
「あ、そうだね。うん」
そう言って、私はブレスレットを拾った。
―― はずだった。
「あれ?」
ブレスレットに触れ、持ち上げるところで、違和感を覚える。
全く重さを感じないのだ。
見れば手の中にブレスレットがある。キラキラと輝いている。感触もあるし、冷たい感覚もある。なのに、何故か重さだけが無い。
不思議。
これは、前世では見なかったもの。
明らかに、魔法に関する物質だ……!
そう気付いた途端、胸の辺りがぽかぽかと温かくなる。ドクンと大きく鼓動が聞こえて、その瞬間ブレスレットも温かくなったように感じた。
魔法なんてものは、前世にはなかった。神様はいても、魔法は無かった。
これは、感動。
他人から「魔法だ」と言われて見たものよりも大きな熱が、心の中を駆け巡る。
誰から言われるでもなく、自分で魔法を手にした、感動だ……!
「―― 君達!」
「「あ」」
ブレスレットを手に、私達は呆然としていた。
声も出さず、ただただ興奮していた。
そこにかけられた声は、足音と共にやってきた。
「ここに来ていたのか! どうりで見つからないはずだよ。一応見に来て良かった」
苦い顔で胸を撫で下ろしたのは、顔の整った少年。私達よりも年上で、髪が黒い。あ、日本人っぽい! 顔立ちもアジア系だし、中国人によくいる目が細い感じの人でもない。
髪も瞳も真っ黒な、いかにも日本人って感じの人だ!
耳にかからない程度の髪が、無造作に跳ねている。でも、奔放さより素直さが滲み出ており、メガネをかけてもいないのに、文学少年と呼びたくなった。
彼は膝立ちになって、私達と目線を合わせる。
「俺は乙。
「「はい」」
……ありすがわ? どこかで聞いたような。
「良かった。じゃあすぐに戻ろう。リリエラというメイドから、恵さんに伝言。急ぎお伝えしたい事があります、だってさ」
「あぅ、はい」
あぁ、リリエラに、私がいない事が気付かれたのかぁ。
お父様にも伝わっていたらやだな。
あ、でも、それなら乙君みたいな子供を探索には駆り出さないよね。あのお父様の事だもの。人探しのプロを速攻雇って探させるはずだよ。
私達は咄嗟にブレスレットをしまっていた。
「これのこと、秘密な」
「うん」
どことない罪悪感に苛まれたけど、うん、別にいいや。
今はバレなければ、それでOKって事で!
その後、心配しまくっていたリリエラに怒られて、そんな感傷に浸る暇は無かった。
一緒にいたはずの紅音は、知らない内にどこかに行っちゃうし。
まぁ、行方不明にはなっていなかったから、概ね大丈夫だったと言えなくも無い。
「恵お嬢様、聞いていらっしゃいますか!?」
「あ、はぃ」
リリエラのお小言は、長い。とにかく長い。
私の事を心底心配しているからこその長さだろうけど。
それにしたって、5歳児に30分は長いと思うの。
「さあ、戻りましょう。旦那様には言いつけておりませんから」
「うん」
何にせよ、気分転換にはなったし、十分休憩も取れた。
無事に今日を乗り切れそう! 今なら何でも出来る気がするよ!
「それと、お嬢様。お伝えしたい事が」
「うん」
そういえばあったね。伝えたい事があるからって、乙君が探しに来てくれたんだっけ。
「急遽、今から舞踏会が開かれる事になりましたので、ダンスのおさらいをいたしましょう」
―― 満面の笑みで、無理難題が押し付けられました。
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