05 どの世界にも濃い人はいる
ふと目を覚ますと、部屋の中が薄紫色の明かりに照らされていた。
何かと思えば、朝日がちょうど窓に差し込んだらしい。
薄く雲のかかった空に、ちょうど朝日が浮かび始めていた。
不純物が混じっているのか、窓に使われたガラスは少しだけ曇っている。けど木枠の窓は驚くほどするするとスムーズに動き、二重になっていた窓を開ける。
「わぁ……」
そこは小さなバルコニーのようになっていて、プランターが植わっていた。見た事の無い、薄緑色の小さな花は、存外甘い香りを放っている。
ガラス越しではない太陽の光は温かく、頬を撫でる風は柔らかい。
日本の春に近い気候だ。
優しい光と風に、私は思わず声を出していた。
「お嬢様ぁー」
聞こえてきた声に、ふと下へ目を向ける。
広い中庭には、何人もの使用人が行きかっている。2階にいた私に気付いたメイドの声で、他の人達も私に気付いたようだ。
「あ、お嬢様? お嬢様だ!」
「朝食は期待していてくださいねー」
「お元気そうで何よりれしゅ……いひゃい!」
一部、後で大丈夫か聞いておかないとダメそうな人達がいる。特に、舌を噛んだメイドさん。食事で不自由しないといいな。
ちなみに、私が知っている人はいなかった。
それから大して待つことも無く、リリエラが扉をノックし、入ってくる。朝の簡単な身支度を整えてくれた。やっぱり寝巻きのままの食事はダメですか。
朝食はふわとろスクランブルエッグ、牛乳に浸されたパン、リンゴのジュースである。
どうやらこの世界のパンは牛乳に浸さないと、子供には固すぎて食べられないらしい。特に病人食というわけでもないと聞かされた。
味は甘め。甘いけど、砂糖の甘さじゃないね。蜂蜜が使われているみたいだ。
ふんわりと、ややクセのある甘い香りが漂い、スプーンが止まらなかった。
「ご馳走様でした」
「はい、では、食器をお片付けいたしますね。その後、ご用意いたしましたドレスを試着いたしましょう。ご要望どおり、桃色のドレスです」
「わかったわ」
用意されたナプキンで軽く口を拭い、にっこりと笑う。
言動の端々に小さな子供らしさが滲み出ているのに、冷静になると途端に口調や動作に変化が出てきた。貴族のお嬢様だし、気品のある行動が染み付いている事が窺える。
これほど小さいのに、よく躾けられているものだ。と、他人事のように感心してしまった。
普通このくらいの歳の子なら、じっとしていられないものだけれど。
前世で仲が良かったお金持ちの子の事を思い出す。たしかに、出会った小学校1年生の頃で、既にかなり綺麗な所作をしていた。
眩しいくらい、動きが洗練されていた。
ただの個性だと楽観していたけれど、思えばこのくらいの歳で、あそこまで綺麗な言動は異様だったとも言える。
めぐみの小さい頃なんて、つまらない勉強に居眠りしたり、教科書のあらゆる写真に落書きしたりしていた。
それが、少し視線をずらせば、姿勢を正し、熱心に教師の話に耳を傾け、正しい持ち方で握られた鉛筆が羨ましく見えるほど、美しかった。
けど、もし、その所作が親の注目を集めるための手段だったとしたら。
……だだっ広いお屋敷で、誰からも褒められない生活は、どれだけ苦しかっただろう。
今となっては知る由も無いことを思うと、僅かに胸がちくりと痛む。
今も生きているのだろうか。あれからどれほどの時間が経っているのか分からないけれど、生きていてくれると嬉しいな。
私の事なんか忘れて、新しいお友達が出来ていればいいけど……。
「お嬢様、用意できました!」
「あ、うん」
ガラガラと移動式のハンガーラックが押されてくる。
フリルたっぷり、ボリュームたっぷりなドレスが、ぎっしりとかけられていた。
……え? 多くない?
着せ替え人形に徹する事2時間。
2時間ですよ、2時間。
広い部屋を埋め尽くすほど運び込まれたドレスを一着ずつ見て、好みに合わないものを除外。全て私のサイズに合っているので、後は一着ずつ試着する流れとなった。
しかし、昨日はリリエラの熱に当てられて、ついピンクを指定してしまったけれど。
ピンクってかわいいし、フリルたっぷりでも違和感が無くて良い。私の髪とも、春らしい色合いになって似合っている。
ただ、個人的な感想を言うと……似合わない。
色じゃなくて、ドレスのデザインが。
「お気に召しませんか?」
「うーん、何か、しっくりこない」
「そうでございますか……。では、気分転換にこちらの色も試しましょう」
そう言って取り出されたのは、かわいらしいピンクとまた違う、クールな水色のドレス。あ、パステルカラーは変わらないんだね。デザインもそれなりだ。けど、5歳の子供が着ると、かなり大人びてしまうようなデザインでもある。
色的には合っているけど、デザインが気に入らないピンク。
色もデザインも悪くないけど、そのデザインに子供らしさが無い水色。
ま、迷う……!
まぁ、子供だし、かわいらしい方を選びたい。似合っているかどうかは二の次にした方がいいのかもしれない。
と、こんな感じで私が頭を抱えて唸っていると、タイミングを見計らったかのように、後ろで大きな物音がした。
だーん! 破裂音とも錯覚しそうになるそれに、咄嗟に耳を塞ぐ。
「断、然! 白ですわー!」
そうして聞こえてきた少女の声に、私は目を点にした。
だって。音が。大きい。
もし発砲音に近かったら、多分、お風呂のトラウマパート2が発動していたと思う。視界がブラックアウトの上、瞼の裏は黒ずんだ赤色に蹂躙されていたかも。
というか、しかけたよ!
「リリエラさん、リリエラさん! 時には主に最も似合うドレスを勧めるのもお傍に仕えるメイドの仕事ですわー! 特に今回は主がちょうど良い感じで悩んでいるのですから最も似合うドレスを勧めてセンスの向上を図るのが正解なのですわー!」
句読点どこ行った!? と、つい突っ込みたくなる台詞を叫んで入ってきたのは、メイド服に身を包んだ少女? だった。
何故疑問符かって?
仮面で顔の上半分を隠した上、フードのせいで髪は見えず、メイド服には女性らしい起伏が乏しいからだ。
「……あの、今まで何をしていらしたのですか、リューストン」
「何って! 恵お嬢様に最も似合うのはどの色か形か香りか同士と共に研究していたのですわ!」
「そう、ですか。では、一度落ち着いてください。また、聞き取りづらくなっていますから」
「あら、いけない」
リューストン、というらしい少女? は、私に視線を向けると、頬に手を当てた。
私はと言うと、突如として現れた少女? に対し、ぽかん、と口を開いて疑問符を浮かべるくらいしか出来ない。
リリエラは眉間にシワを寄せた。
綺麗な顔が台無しである。
「それと、居住まいを正してください。お嬢様が不信がっています」
「……あらあら、それはいけないですわね。では失礼して」
フード、仮面、次いでメイド服を取り払い、少女? はそれらを後ろ手に隠す。
えっ? 何でメイド服まで?
などと考えたけれど、理由はすぐに分かった。
それは「メイド」でもなければ「少女」でもなかったのだから。
「ふふっ、お久しぶりですわ、恵お嬢様。覚えておいでかしら? ボクはリューストン=アーヴァンチェ。館家に仕える専属デザイナー、兼、執事ですの」
デザイナー。
もとい、執事。
執事とは、主に男性の事を指すわけで。
燕尾のベストをキッチリと着こなし。アイロンのかけられたズボンをカッチリと着こなし。袖にシンプルな刺繍の入ったドレスシャツを着こなし。
毛先がくるくると飛び跳ねた、栗色のバブルマッシュ。エメラルド色の垂れた大きな瞳がキラキラと輝いていて、小さな唇がぷっくりとしていてかわいらしい。
驚くほど中性的な、少年、だった。
んー、えっとぉ。
何、その口調。
「お嬢様と最後に会ったのは、たしか4年前ですわね。あら? 覚えている方がおかしいではありませんか」
唇に人差し指を当てて、彼は首をかしげた。
女性よりも女性らしい仕草である……。
「お嬢様。彼のこの口調は、彼の家庭事情によるものです。警戒は不要にございます」
「これからは会う機会が増えそうですし、ボクの事はリュナでいいですわ」
「え、あ、うん」
唐突な自己紹介に、未だ心と身体が重ならない。
おかげで感情のこもっていない返事しか出来ず、リリエラが心配そうに私を窺った。
「……それで、リューストン。お嬢様は、ピンクのドレスをご所望のはずだったけれど」
「そう、それなの! 実は」
「落ち着いて、お話なさい」
「……ピンクのドレス。かわいらしいドレスを作るのは、簡単なのですわ。ですがどうしてもお嬢様に似合うデザインが作れなかったのです。ですので、こちらで勝手に、白地のドレスを作らせていただいたのですわ。さすがに数は揃えられませんでしたけれど」
リュナがパチン、と指を鳴らすと、先程のリュナと同じような、怪しげな格好をした一団が部屋に押し入ってきた。
って、ぎゃーーーッ!?
「ぎゃーーーッ!?」
怖い! キモイ! 気持ち悪い! 心と身体が同時に拒絶反応を示したのだけれど!?
中性的なリュナ、それも変声期前なのか声が高い彼だからこそ、あの不気味な格好も様になっていたのかもしれない。
しかし、その時入ってきたのは、ムキムキマッチョゴリラとでも言うようなひげの濃い人達。胸板が厚く、メイド服の一部が身体の逞しさに付いていけずに破れているほど。
加えて丈が合っていないから、毛がボーボーの足や腕が露出。
唇には濃すぎる紅色が差され、喉仏が上下に動かされる。
間違い無く男である。
「お嬢様! ご要望とは違うけれど、確実に似合うドレスだけを揃えたのですわ!
じっくり決めていらして!」
思わずリリエラに抱きついて、放心してしまう。
いやいやいや! まず、5歳児にあんな物を見せた事に謝罪しようよ! 心の中でも現実でも思い切り叫んでしまったのですが!?
ドレスを運び終わると、メイド姿の巨漢達は去っていった。
そこはホッとした。
自分でも驚くほど、ホッとした。
「お、お嬢様。彼等は、その。かなりユニークな方々ですが、腕は確かなのです。一応見ていきましょう。ドレスは、かわいらしいですから」
「あうぅ……うん……」
「あの子達、見た目がいかついオトコですけれど、とても素直でいい子なのですわ。そう、腕だけと言わず、性格もいいですわよ」
あの一瞬では、人の性格など分かりません。
けど、腕が良いというのは確かなようです。
白地と言っても、シンプルには見えないフリルたっぷりのドレス達。薄い緑髪や水色の瞳に合わせた、髪留めやリストバンドなどの小物も充実。
用意されたピンクのドレスより、ずっと、自分に似合っていた。
「ふふん。やっぱり、ボクってハイセンス……♪」
「否定は出来ません」
「う、うん」
私ではなく、私が着るドレスに賛辞を送るリュナ。多分とっても、失礼な事をしているよね。
けど、否定まではしなくて良い。リリエラが零したとおり、彼はとてもセンスがいいのだ。
「……白って、何の色にも染まれるけれど、弱いと思っていたの。それが、こんなに綺麗でかわいくなるなんてね」
絵を描く時、真っ白な紙にいろんな色を載せるじゃない。けどいざ白くしようとしたら、何故か、思ったとおりの白さになる事が無かった。
黒が断然強くて、白は侵略されるだけとか、そういうイメージだ。それって逆に言うと、他の色に冒されていない、純粋さがあるって事だよね。
髪も目も淡い色合いだから、白の方が引き立つわけだ。
はー、なるほど。
「……お嬢様」
私が感心していると、リュナがゆらり、とこちらを見た。
……その目には、翳が差していて。
「え? あれ? 何か変な事言ったかな?」
ゆらり、ゆらり、ゆらゆらり。
ゆっくりと、それでいて確実に私へ近付いてくる様は、まるでおばけのよう。
叫びそうになるのを必至に我慢した私、偉い。
「……に」
……へっ?
「―― こんなにお小さいのに……ボクのセンスを理解してくれるなんて……!」
え、そっち?
「やだ、どうしましょう! ねぇリリエラさん、うちのお嬢様、天才ですわよ!」
「え、違うとおも」
「激しく同意します」
「リリエラ!?」
ちょ、え、何でそうなるの!
私、別に天才じゃないよ? 普通に感想言っただけだよ!
私の意志をよそに、2人は固く握手を交わし、私の天才っぷりというか、どの辺りがかわいらしいだとか、素晴らしいだとかの談議を始めてしまう。
あの、ドレスを選ばなきゃいけないのでは?
あーもー。仕方無いなぁ。
私はフリルがやや控えめのドレスと、薄い黄色の花を使ったコサージュを選ぶ。
色味は華やかから最も遠いけれど、バランスはいいと思う。うん。
「よし、これで……」
「「とても良くお似合いです」」
息ピッタリに返されて、私は驚いて2人を見る。
彼等は姿勢良く、お辞儀していた。
「……いつ話し終わったの?」
「まだ終わっていませんが、お嬢様のお姿があまりにもおかわいらしいので」
「そうですわ。お嬢様の愛らしさを、100%引き出すにはどうすればいいか。更に研究を……」
再び2人で談議し始めてしまう。
おそらく、日常茶飯事なのだろう。
他のメイドさん達は、生ぬるい視線2人に向けたまま、営業スマイルを浮かべていた。
というか、かわいらしいって。
私、そんなかわいいのかな? まぁ、小さい子は誰でもかわいらしいものだよね。うん。お父様のイケメンな顔を見たら何と無く希望が見えた気がするけど……。
うん、気のせいだ。
だって、前世の私と同じような姿だもん。
成長したら地味に見えるはずだって。貴族って綺麗な人が一杯いるだろうしね~。
これはそう、親バカのようなノリなのだろう。
そんな事より、あぁ、早くお母様達も帰って来ないかな。
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