03 館恵という人間2


 スッキリしたところで、遅めの自己紹介と行きましょう。


 私の名前は館恵タチ メグミ

 おそらく「前世」と呼べる世界での名前と、現世の名前は一緒です。わぁお、奇跡的。


 でも物凄くややこしいので、前世が「めぐみ」で、今の私を「恵」としましょう。


 音は変わっていないけど、こういうのは気分が大事なのです。


 さて。


 めぐみとしての人生は、終わったという事で良いのでしょう。

 ブラックアウトする視界が、まだ瞼に焼き付いている。肺を満たす水の感覚が残っている。あれだけの事があって生きている、なんていう事があるはずがない。


 そういうわけで、めぐみがその後も生きているという事はないという体で、話を進めます。

 生きていたとして、恵になっている時点で、めぐみとしては死んでいるだろうし。


「生き残ったわけじゃない。そして、生き返ったわけでもない」


 そう呟いて、私は鏡の前へと歩いていく。


 何度見ても、そこに映っているのはめぐみじゃない。

 目をこすっても、色が変わることは無かった。


 顔の造りはともかく、髪や瞳が、前の世界ではありえない色なのだから。染めているわけでも無いのに、この発色はおかしいもん。

 この世界には、どうやら「与えられし役割」は無いみたい。ただ少なくとも、私の部屋からして、一般市民とか庶民という枠組みではないね。


 だってこの部屋、物凄く広いもん。途轍もなく。途方も無く。

 この一部屋だけで、学校の教室2個分はありそう。


 私の髪の色に合わせて、春をイメージさせるパステルカラーで統一された部屋だ。落ち着いた色だけど、フリルは豪華に、小物も豪奢に。

 かわいらしい、また子供らしい部屋である。


「あ、写真」


 箪笥に目を向けると、私が家族と一緒に写っている写真が何枚も飾られている。写真立ては美しい意匠の凝らされたもので、中の写真を引き立てていた。

 その中の私は、2人の男女に抱かれていた。お父様とお母様なのだろう。2人と私は、とても楽しそうな笑みを浮かべている。


 ……あ、これ。庭でピクニックをした時の写真だ。


 うん。写真になっているくらいだし、恵の記憶にも僅かに残っている。

 やっぱり、この人達が両親なのか。


 めぐみの両親とは似ても似つかない、超絶美人である。

 お母様は凛々しい顔をしていて、髪は白金に近い水色。瞳はとても濃い青色で、肌が白い。明らかに日本人ではないと分かる風貌だ。

 お父様はやや中性的な顔つき。ヒゲもなく、目尻が下がっている。髪は白金に近い緑。瞳が金色だけど、こちらはややアジア人顔。ハーフならこんな感じじゃなかろうか。


 うん、この2人を混ぜたら、たしかに私みたいな子が生まれる、かも。

 遺伝子がどうなっているのか知りたいね。緑の髪とか、めぐみの世界じゃ非常識だよ。どう考えても染めないと無理だよ。


「……それと」


 私は写真の中の自分と、今ここにいる私の手の甲を見る。

 真っ白ですべすべ。しっとりぷにぷにの、かわいらしい手がある。


 ……あざは、無い。




 めぐみの世界。

 そこでは、人には必ず「役割」が存在した。


 その役割は神様から与えられた物。役割を示すあざを持つ私達は、その役割通りに生まれ、死んでいく。そんな世界だった。


 私の役割は「一般人」だ。

 誕生、成長、そして死に至るまで、波乱も何も無い、ごくごく平凡な人生。それを生まれながらに証明された、紛れも無い凡人。


 役割の度合いによって、そのあざの様子も変わる。

 あざは役割ごとに模様が変わり、どの程度「役割」に沿うのかが大きさで表される。


 たとえば、王のあざを持って生まれた子の中でも、小さいあざなら無難な王。大きいあざなら世界を率いる王にもなれる。そんな感じ。


 私のあざは、ひと際大きかった。

 どう足掻いても、凡人から抜け出せない。


 そう、誰からも認められた凡人。


 悔しい事に、その通りだった。

 不思議なくらい、平凡だった。

 むしろ、特徴:平凡くらいしかない。だった。


 そんな私があんな死に方をしたのだ。世界中が混乱したかもしれない。まぁ、あのカメラで映された映像が、もし世界中に流されていれば、だけど。


 何で神様に与えられた役割が覆ったのか。それは分からない。

 けど、あれが最初で最後の「脱、平凡」であった事には違いないだろう。


 あの事件以外、本当、全く、非凡な事など無かったのだから。




 次は、今の私の話。

 といっても、これは想像するしかない。


 何やらお金持ちのお嬢様みたいだけど、それ以上の事はまだ分からない。この部屋に、この世界の事が分かる何かがあると良いのだけれど。


 えっと、箪笥の中身は、うん、普通だね。

 私の着替えが入っているわけだけど、ヨーロッパの雰囲気が掴めるだけだ。


 この世界でも私は館恵だから、漢字とか和のテイストがミックスされている状態だと思う。


 あとは、大きな絵が飾られているね。

 うん、誰だろう? 見た事無いや。保留。


 あ、本棚がありますな。ふふっ、読書家ではなかったけれど、ラノベはめぐみの叔母さんの影響でよく読んでいたのです!

 読むのが楽しみである。


 叔母さんはラノベ作家だったからね。あまり売れていなかったけど、私は好きだった。


 というかどう見ても辞書レベルの分厚い本だらけだね。ちゃんと読めるかな? それ以前に、文字とか分かるかな?


 私のこちらの知識は、普通の5歳児に準拠しているのだ。読めなくともおかしくないというか、むしろ読めない方が普通である。

 ひらがな程度の文字なら、読めるかもしれない。その程度なのだ。

 試しに1冊読んでみようとしたけど、ダメだった。


 アルファベットを初めて見た時と似た感覚に苛まれる。

 一部絵本があったけど、そちらもむり。読めない。一冊目と似た文字はあるけど、より複雑な文字は子供用の絵本に書かれているはずも無く。


「うぅ、仕方無い。今度、リリエラに読んでもらおう」


 幸い、絵本があるのだ。子供が読んでもおかしくない。そして、内容的に読んでとせがんでもおかしくない。


 というか、見覚えのあるキャラクターがいるね。

 赤ずきんとか、シンデレラにそっくりのイラストが……。


 ……待って、これ、物凄くがんばれば、自力で読めるのでは!?


「うーん……まぁ、いいや、後で」


 何と無く見覚えのあるキャラクターの描かれた絵本を、本棚の端に寄せておく。後で読むためだ。最悪、イラストだけでも楽しめれば良し。


 異世界転生の中には、娯楽の無い場所に生まれる例もあるのだ。

 楽しめるものは、ちゃんと管理しないとね!


 それにしても、身体が小さいと不便だ。本来はリリエラのような人に頼んで、上にある本を取ってもらうのだろうけど。

 ここ、私の部屋でしょ? はしごみたいのがあっても良いと思うの。


 うーん、イスを使えば、上の本も見られるかな?

 あ、でも、万が一落ちたら心配かけそうだよね。ずっと寝込んでいたわけだし。


 家族が心配して帰ってくるのに、傷を増やすのはよくない。


 私は自分の手が届かない位置にある、やや分厚い本への思いを馳せる。


「……はぁ」


 そして、本棚を眺める事数十秒。

 ずっと見ていても仕方が無いと諦め、つい先程後に読もうと考えていた絵本を手にする。


 何冊かあるので、ベッドに持って行って読もうか。

 というか、お風呂に入っている間に、あの汗臭さが綺麗サッパリ消えているね。


 え、何。ベッドの枠組みまるごと洗濯機にでも入れた? そう感じるほどに、もわっとした感じが無くなって、代わりに石鹸の良い香りが漂っている。

 ま、任せるとは言ったけど、何をしたのだろうか。マットレスごと入れ替えたのかな? はうぅ、肌触りが気持ちいいー……。


 じゃない。


 絵本だよ、絵本。


「あー、やっぱりまだ読めないなー」


 当然の事をつぶやきながら、他の絵本と見比べてみる。


 あ、同じ表現が幾つかあるね。絵と一緒に考えると……。


 ふむふむ。

 ほうほう?


「何をしているのかな?」

「絵本を読もうとしているの!」


 でも、うん、さっぱり分かんない!

 熊とか、靴とか、狼とかはわかった。それが全部、日本語で言うところのひらがなだという事も。そういう配置なのだ。

 でもこの先はメモ用紙か何かが無いと、覚えていられない。


 ひらがな以外に、カタカナのようなものと、英語のような表記が混じっているのだから。


「読めるのかい?」

「ううん。でも、読みたい……えっ?」


 と、そこで、私はようやく気付いた。


 目の前に、見知らぬ人がいる事に。


「やぁ、とても熱心に読んでいるものだから、声を掛けるのが躊躇われてね」


 優しげな瞳が、私を見つめていた。笑顔がとても綺麗な美青年で、話しかけられた私は、つい固まってしまう。

 普通、アイドルが目の前に、急に現れたら、固まるよね。


 多分それと同じような現象だと思う。


「あ、えと」


 この人は、何やら見覚えがある気がする。というか、さっき写真に写っていた気が。

 って、あれ? という事はですよ?


 この人は、まさか……!


「お、お父様!」


 兄……えっ? お父さん?!


 無意識に出た言葉に、私は思わず驚いた。

 若すぎません? どう見ても10代後半くらいにしか見えないというか。えっ?


 あああ、また心と身体が乖離しかけて……。


「お父様、私、お迎えに行こうと思っていたのに! 早すぎるわ!」

「はは、そうだろうと思ってね、急いで帰ってきたのさ。恵は病み上がりだろう?」


 イケメンパパさんが、私を軽々と持ち上げる。

 お父様と呼んで何の疑問符も浮かべなかったのだから、やはりこの人が私の父親なのだろう。全く信じられないけど。


 というか、髪の色が写真と同じで白金に近い緑色。私に似た感じがある。


「お気に入りのドレスを用意してもらおうと思っていたのに……お父様ったら酷い!」

「ああ、それはお母様やお兄様達に見せてあげよう。みんな、恵のお出迎えに喜ぶよ」

「本当!? リリエラに頼まなくちゃ!」


 本能に任せておいたら、とても子供らしい発言がばんばん出てくる。とてもはしゃぐ様子は微笑ましいが、なにやら謎のドキドキハラハラ感があって疲れるね。

 とはいえ、実の父親でしょ? 何か違和感を持たれたら嫌だから、このままで行こうかな。


 ……要観察!


「もう体調は良くなったと聞いたが、本当に大丈夫かい?」

「うん、大丈夫! お父様もお元気そうで、嬉しい!」


 ぎゅっと抱きつくと、石鹸の香りがした。

 近くで見ると、写真で思ったような中性的な顔が、更に幼いように見えた。


 けど、私を抱き上げる手は力強い大人のそれであり、背も低いわけではない。童顔なだけで、それ以外は頼もしい事この上なかった。


 そういえば騎士らしいし、腹筋とかも割れているのかもしれない。

 筋肉に興味は一切無いのだけれど、怖い物見たさか好奇心は疼く。精神がこの、小さい身体に引っ張られているのかな。前世の私では飽きてしまっているような物にも目が向かった。


 一番の興味は、精神、身体共に本に吸い寄せられているが。


「まだ心配だな……お母様達が戻ってくるまでは、ベッドで大人しくしていようか」

「えー……」


 本当に心配そうな声音がかけられるけれど、私は自分でも信じられないほど嫌そうに眉を寄せる。小さい子は何だかんだじっとしているのが苦手なのだ。

 まぁ、中身は11歳だけど。


 って、あまり変わらないかな? でも、めぐみが5歳の時はよく駄々をこねていたらしいけど、今は全然そんな事は無い。


 5歳くらいの子は自我が形成される途中で、好奇心も相応に大きくなる時期。

 本能のままに動くくらいがちょうどいい、というのが、間違いで無いと思いたい。


「その代わり、私が本を読んであげよう。どれがいいかな?」

「……!」


 ぶわわっ、と、全身の毛という毛が逆立った!?

 喜びでこんな、ぞわぞわした感じになるの、初めてだ!

 鏡を見なくてもわかる。今の私は、目をキラキラ輝かせて、お菓子やおもちゃをもらう子供みたいな喜びようだ……!


 飛び上がって喜びたかったけど、それより本の話である!

 1分一秒でも早く読んでみたかったので、ちょうどいい……!


「こ、これ! お父様、これを読んで!」


 私は小さな手で、やや薄めの本を差し出す。それでも絵本の中では分厚い方で、子供の力では持っているのが少々辛い。


 赤い表紙に控えめな装飾の施された本で、所々に挿絵が入っている。

 カラー印刷のような物ではなく、手書きで白黒の絵本だ。

 紙の質が良くない、というか羊皮紙であり、正直かなりボロボロである。


 ちなみに、私は勝手に「赤ずきん」と解釈していた。


「ああ、赤き衣の少女だね。私も昔、よく読んだよ」


 やはり内容も似たり寄ったり。大筋を言ってしまえば、赤い服が大好きな女の子が、森の奥に住んでいる祖母に届け物をする話だった。

 狼に食べられる所も似ているのだが、驚いたのはそこから色々と話が混ざっていった事。


 何と赤ずきんが大人になった後の話が綴られており、そのせいで他の絵本よりも分厚かったらしいのだ。


 赤ずきんは大人になった後、2人の子供を授かったのだけれど、流行り病に死んでしまう。

 その子供は、前世で言う所のヘンゼルとグレーテルのような子だった。

 最終的に、魔女をかまどに閉じ込めるのではなく、魔女の魔道具を奪って反撃し、宝物を持ち帰ってめでたし、というストーリーである。


 魔法が無い世界の記憶がある私としては、むしろ文字の解読よりそそられる話題だ。


 それにしても、絵本の中の魔女は、どうして魔道具を奪われただけで魔法が使えなくなったのだろうか。魔道具とは、魔法を使うための道具、という意味なのだろうか。

 呪文を唱えれば使う事の出来る魔法とは、また違う法則があるらしい。


「魔法……」

「恵は、魔法に興味があるのかな?」

「うん、とっても!」


 自分でもかわいらしいと思うような笑顔で、お父様に答える。すると、お父様は何やら寂しそうな表情で、私の頭をそっと撫でた。

 ……何で?


「魔法の話はまた今度。もう少し大きくなってからね」

「えー……」


 これまた不満たっぷりの声に、お父様もより複雑な表情を深めた。

 何か、魔法の事を話せない、のっぴきならない事情でもあるのだろうか。


 年齢か、性別か、それとも……私自身の問題か。

 年齢だったなら時が解決してくれる。


 性別だったら、絵本で魔女が使えたのだから、私が使えないとおかしい、はず。

 私自身の問題……たとえば、魔法を使うための、魔力的なものが足りないとか?


 それだったら、やだな。


 数秒の内に悶々と考えたけれど、お父様の微妙な顔の理由は、案外すぐに判明した。


「魔法はね、便利だけど、同時にとても危険な力だ。せめてもう少し大きくなってから、ね?」


 ……ただの、心配性でした。


 うん、えっと。

 それじゃあ、仕方無い、かな?


 私はやや不満げでありつつ、渋々といった様子で、頷いておいた。

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