02 館恵という人間1


 夢を見た。


 内容は、所謂前世の光景。

 誘拐される数日前。お金持ちの女の子と遊んでいた時の事だ。


 あの子は随分と大人しかった。引っ込み思案で、ほんの少しだけ影が薄く、人見知りの強い、友達が私くらいしかいない親友だ。

 お金持ちだからと、最初は近付いてくる事も多かったけど、最終的に私だけになった。


 人との付き合いが上手くはなかった。人混みにはすぐに酔うタイプでもあり、お祭りや初詣など、季節ごとのイベントには全く顔を出さない。


 その代わり、とても広い彼女の家に、私はよく遊びに行った。

 閑散とした印象を受けるお屋敷は、いつも彼女以外、誰もいなかった。親兄弟はおろか、使用人も家政婦も、誰もいなかった。


 突撃訪問的なノリで行った時も、彼女以外の人はいなかった。

 その分ゆっくり遊べたが……思えば、随分とおかしかったのだろう。


 私は、彼女へ「さよなら」を言えなかった事を後悔しつつ―― 目を覚ました。




 目を覚ますと、知らない天井があった。

 天井と言うより天蓋であり、薄緑の薄い布が大きなベッドにトロンと落ちている。


「……そうだった」


 自分は転生したのだ。そう再認識すると、私はゆっくりと身体を起こす。

 別段身体が重いとは感じないが、疲れはまだ取れていなかった。


「恵お嬢様? お目覚めですか?」

「……リリエラ」


 やはりすんなりと出てきた彼女の名前に、私は「この世界の」恵の記憶が自分の中にある事を確信した。もうすぐ11歳だった恵の情報が、一気に押し寄せてきたわけだけど。あの時流れ込んできた静止画が、こちらの私としての記憶だったのだろう。


 後でゆっくり見よう。今はリリエラとの会話が優先だ。


「お早いお目覚めですね」

「早い、のかな」

「それはもう。朝の7時ですから、以前よりもお早いお目覚めです。もっとも、1週間寝込んだあとですから、単純に眠る時間が短くなったのでしょうか?」


 ホッとしたような笑みを浮かべるリリエラ。

 台詞こそからかうものだが、その声には嫌味を全く感じさせない柔らかさがある。


 金髪をフリルの付いたリボンを使って、団子状に纏めてあるリリエラ。彼女の柔らかな笑顔に、私はひどく安心感を覚えた。

 とてもしっかりしているような第一印象を受ける。口調からして私が「私」として起きる前から、お世話係か何かだったのだろう。


 実際その通りで、ふっと出てきた記憶には、今の面影があるリリエラらしき少女の顔がある。私を見下ろして、目を輝かせている光景だ。赤ん坊の頃の記憶だろうか?


「わ、私、一週間も眠っていたの……?」


 ただ、美人を観察するよりも、彼女の台詞に目が行った。一週間も眠っているなど、まるで重い病に罹った人ではないか。


 あああ、思考が悪い方へ突っ走る……!


「あ、昨日のお目覚めはカウントしていませんけれど」


 リリエラは至極楽しそうにそう言ってのける。

 ど、どうやら、深刻ではなさそう?


 私が私として目覚めたのは、昨日の事らしい。それから何時間経ったのか見当もつかないが、とりあえず一日以内に目覚められた事には安堵すべきだ。


 ただ、私は何故1週間も寝込んだのか、分からない。

 記憶も、その一週間眠ってしまう直前の記憶が曖昧なのである。


 私が私として目覚めるショックで寝込んだ、というのも考えた。が、どうもしっくり来ない。何でしっくり来ないかも、分からない。

 うーん、自分だけで考えてもしょうがないか。


 思い切って、リリエラに尋ねてみよう。


「えっと、私、何で寝ちゃったの?」

「覚えておられませんか? いえ、覚えていらっしゃらない方が良いのですが」


 困ったような表情になったが、私はリリエラをじっと見つめる。


 必殺、幼女のウルウル目攻撃である。

 しばらく一生懸命「教えて」オーラを出していると、リリエラは瞳をさまよわせて……観念したかのように、口を開いてくれた。


「お嬢様は、王宮のプールに落ちたのでございます。その後1週間、熱を出してお目覚めになりませんでした」


 んん? 何やら、不吉な単語が聞こえてきたような?


「プール? というか、王宮って?」

「そちらも覚えておりませんか? 王女殿下の誕生日に、10歳以下の貴族の子供が集められたのですよ。5歳のお嬢様も招待されましたから」

「そ、そうだったかな」


 正直に言います。

 全く覚えていません。


 どうやら5歳までに残っている記憶で閲覧できるのは、以前の私が、特別興味を持ったものだけのようです。リリエラの姿は、とても印象的だったという事だろう。


「ともかく、数日はお静かにお過ごしくださいませ。旦那様や奥様、兄君様や姉君様が急いでこちらへお向かいになられておりますから」

「お父様と、お母様、お兄様達とお姉様が来るの? やったぁ!」


 おっと、また自然と身体が、口が動く!


 今、お兄様「達」って言ったよね? という事は、2人以上いるのだろうか。どうもこの身体は、私に残る記憶とは別に、覚えている事が多いらしい。

 二重人格になったわけではない。でも咄嗟の行動は、前の私のように振舞えると思う。


 本能的に行動していれば、子供っぽく振舞う事になるね。


 私としては恥ずかしいけど……5歳くらいの子が、ペラペラとわけの分からない話をするよりは、うん。マシだと思いたい。


 自分より年下の子が、自分より口が達者とか。気味が悪い。

 天才児ならともかく、私は普通の子だもん。むしろ普通以外無い子だもん。


 いっそ言っていて悲しくなるほど、普通で平均的だもん……。


「お、お嬢様?」

「大丈夫。嬉しいだけだから」

「ああ、それほどまでに嬉しいのですね。出張でご家族のいない一ヶ月は、お寂しかったでしょう。早ければ明日にもご到着されるようですよ」

「……!」


 身体の内側が、ぽかぽかと熱を帯びる。

 それまで、まるで血が通っていなかったかのように。全身に血が巡るのを感じた。


 嬉しいのだ。


 私としては、家族と会えるのがこんなに嬉しいものなのだろうかと、少し理解出来ない。心と身体が乖離している気分だ。


 ただ、一ヶ月も両親と兄妹がいなかったら、寂しいだろうな、とは思う。

 実際、寂しかったのだ。


 ……あぁ。そうだ。


 こっちの私は、まだ5歳。親から離れたがらない、甘えん坊な時期なのだ。

 そんな時期に、一ヶ月も両親と離れていた。それは寂しいに決まっているし、何度も泣いた。記憶が無くとも、こみ上げてくる感情に、心と身体が重なる。


 会いたい。


 今すぐにでも。


 けど、帰ってくるのは明日。


 ……寂しい。


「お迎え、したい」

「いたしましょう! では、ドレスは何色にいたします? お嬢様がお気に召されたピンクも、旦那様のお好きな紫も、用意してございますよ」


 リリエラが、唐突にツヤツヤし始めた。

 その張り切りようは妙に恐怖心を仰ぐ物で、思わず笑顔が引き攣る。加えて妙に身体が硬直してしまい、上手く動けない。


「ぴ、ピンクでお願い」

「かしこまりました! あ、準備をいたしますので、その間に湯浴みでもいたしましょうか?」

「そうだね」


 身体がべとべとする。今の私は体温の高い子供であり、ベッドはぬくぬくと温かいため、どうしてもたくさん汗をかいてしまうらしい。

 意識すると、汗特有の臭いが感じ取れる。


「えっと、ベッドはお願いして良い……?」

「もちろんです。さ、参りましょう」


 仕事だからだろうけど、無理していないよね? リリエラの屈託の無い笑顔に甘えて、私は抱きかかえられる。

 今の私は、髪も肌もべとべとで、気持ち悪い。加えて、5歳児は重い。保険の授業で赤ん坊と同じ重さの人形を抱かせてもらったけど、あれは重い。あれよりずっと重いはずだ。


 よく、こうも軽々と抱っこできるなぁ。

 と思いつつ、リリエラと一緒に裸になった私は、お風呂に来た。


 そういえば、ここって騎士の家だよね。つまり、貴族の家だよね。

 前世の親友は、ちょっと大きいお風呂で泳げたけれど、ここはどうだろう?


 リリエラは成長途中でも分かる豊満な胸を下半身丸ごとタオルで包み、私にも同様にタオルを巻いてくれる。

 女性2人だけみたいだし、隠す必要は無いと思うし、お風呂にタオルで入ったら怒られるよ? あれ、これって銭湯だっけ。あれ? あぅ、思い出せない。


 うーん、文化の差だろうか?


 前世ではお風呂で水着を着る所もあったし、変じゃないか。うん。


「さ、入りましょうか、恵お嬢様」


 木で出来た扉を外側に開けて、私達は浴場に足を踏み入れた。

 記憶には浴場のものが無かったのだけれど、どのくらいの広さなのだろうか?


 私は、真っ白な湯気で見えない視界を、こする。

 そして段々と、それが見えてきた。


 ……。


 私は、湯気の温かさとは裏腹に、身体を凍りつかせた。




 何が起こったのだろう。

 肌に湯気が当たり、呼吸する度にしっとりとした空気が肺に潜り込む。


 仄かに甘い花の香りが漂うそこには、とても広いお風呂があった。

 まるで温泉にでも来たかのようだ。黒に白に斑点が混じる、ツルツルとした石の低い壁。その向こう側に、とても温かそうなお湯が張られていた。

 ドラゴンの像の口部分からお湯が流れているそこは、とても、とても広かった。


「お嬢様」

「っ、だ、大丈夫」


 私の手を握っていたリリエラが、心配そうにこちらを見ていた。


 当然だ。


 自分でも分かるくらい、手が小刻みに震えているのだから。


 これはきっと、トラウマ。

 水に入る、という行為に、恐怖を抱いているのだ。


 プールを筆頭に、おそらく河や海も、もしかすると見るだけでこうなるかもしれない。

 これ以上近付きたくない。


 近付いてしまえば、また……っ!


「ご無理はなさらない方が」


 ……リリエラは優しい声で話しかけてくれる。


 それだけで、不思議と少し、身体が軽くなった。

 不思議。トラウマって、こうもすんなり安心できないようなイメージが強いのに。


「ううん。私、入りたい。だから、連れて行って。多分、入れば、何とかなる、と思う。……温かいだろうし」


 湯気。温かい湯気が、見える。肩まで浸かれば気持ち良いに違いない。


「リリエラ、お願い」

「……は、はい」


 心も、身体も、そこに行く事を否定していた。


 ―― 当然だ。


 あっちでは水槽に閉じ込められて死んだのだ。

 加えてこちらでは……溺れて、死に掛けたのだから。


 心のほんの一部だけが、他人事のように私の口を動かしていた。

 子供らしからぬ理性が働いてしまったらしい。声は結構強気で、私じゃないみたい。


 リリエラも少々戸惑っていたけれど、何やら手に力が込められる。

 彼女は小さな私の身体を抱き上げて、足早にお風呂に入った。


 彼女が私を抱き上げ、入浴に移るまで、僅か1秒。


 ……仕事がお早いね?!


 え、何で水しぶきが無いの? 変じゃない!?


「どうでしょう、お嬢様?」


 あまりに行動が早いので、私はポカンとしてしまう。

 え、何がどうでしょう?


 ……あ、お風呂。

 あったかくてきもちいいね。うん。


 ……おおおぉお?!


「入れたー!」

「はい。お風呂は大丈夫そうですね!」

「うん!」


 どことなく釈然としないけど……お風呂には入れた! やった!


 やっぱり、日本人はお風呂に入らなきゃ。

 肩まで浸かって、うん、ぽかぽか~。


 どうやら、トラウマは軽度だったようだね。じゃ、このまま泳いで……。

 ……は、やめておこう。


「お嬢様、どうなさいました?」

「何でも無いの。うん。何でも無い」


 5歳の私でも入れる浅さの段が、お風呂の中にあった。その段と、リリエラも肩まで浸かれる深さの段。加えて大人の男性でも足が付きそうにない深さの段。

 この内、私はリリエラが肩まで浸かれる深さの段に腰掛けているのだけれど、そこから先へ身体を動かせない。


 むしろ、後ろにも動けない。


 ……。


 トラウマは、やっぱり確実に残っているようです。


 その後、私がお風呂の中で動けなくなった事を悟ったリリエラが、お湯から出してくれました。

 業務なのだろうけど、優しいよ、リリエラさん!


 あと、自分で出来るけど、髪とか身体も洗われてしまった。

 ふぅ、さっぱり。

 自分で出来ないのがもどかしいし、恥ずかしい。けれど、自分じゃ手が届かないような細かいところまで徹底的にやってくれたので、全身さっぱりである。


 あれだよね。美容室で洗髪してくれるサービスのあれに似た気持ちよさ。

 しかも、この場合専属のような人がやってくれたからか、本当に気持ち良い。かゆい所は無いかを聞くより先に、かゆかった所を搔いてくれるのだ。


 お風呂から出た後も、コーヒー牛乳っぽいものを出してくれた。

 至れり尽くせり。まぁ、5歳児がコーヒー牛乳を飲んで良いのかはわからないけど。

 汗がたくさん出たはずなので、水分補給はとても大事なのです。


 個人的には、部屋に戻った後の紅茶の方が美味しかったけどね。


 さて。と。

 お風呂のおかげで落ち着いてきた。物理的にも精神的にも動けなかったけど、癒されてサッパリした事に違いは無い。


 私は入浴後の休みと称して、頭の中を整理する事にしました。

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