01 私、転生
「私」は咳き込みながら、勢い良く身を起こした。
肺が水で満ちる感覚が。
どこまでも続く水を搔く感覚が。
手首や足をこする縄の感覚が。
消えずに、残っている。
何度深呼吸をしても、頭がふわふわとした不快感を得るだけ。まだ空気が水なのではないかと錯覚して、幾ら深呼吸しても、し足りない。
心臓はドクドクと激しい鼓動を繰り返し、一向に落ち着いてくれない。
しかしあの、水の中にいるような浮遊感が無い事に、ふと、気が付く。その瞬間に、心の中で騒々しかった何かが、解けて、消えた。
この場所には、空気がある。
肌に服が纏わり付く不快感はあるが、水の中のように、あの浮遊感があるわけではない。
何より、手足が自由に動く。
「―― 恵○%&#?!」
「……えっ?」
バタン! 勢いよく開かれる扉に、私はビクついた。
入ってきた人物の声が、私の名前と、聞き覚えの無い言語が混ざって聞こえてくる。
直感で自分が呼ばれたらしいと理解し、私は振り向いた。
するとそこには、美しい金髪の女性がいた。金髪碧眼で、鼻が高い外国人だ。彼女の使う言語は、少なくとも英語ではないため、それ以外の国の人だろう。
そう考えている内にも、女性は焦った様子で、自分が走ってきた方向へ叫んでいる。
ずっと、聞き覚えの無い言語を話しっぱなしだ。
「……恵$%&%@? &%3?」
時折私にも話しかけてくる。叫んでいる時とは打って変わり、とても優しげな声で。それが、私を心配する言葉だと、すぐに分かった。
この人は、敵じゃない。
そう、明確に理解した途端。
私の脳が、思い切り殴られたかのような激痛を訴え始めた。
「~~~ッ!」
声にならない叫びを上げて、蹲る。
激痛が、脈動を打つかのように何度も、何度も襲ってきたのだ。
割鐘を叩いたような、異物が直接叩き込まれるような、未だかつて感じた事の無い激痛。
私という人間を一瞬で書き換えてしまいそうな勢いで、それは流れ込んできた。
それは、2種類の記憶だ。1つは私のもの。もう1つは、誰だろう。かなりぼやけた写真のような静止画ばかりで、ほとんどが私の中に入って、すぐに消えてしまった。
……どのくらい経っただろう。激痛に耐え、ようやく収まってくると、身体中が疲れてしまっていた。ずっと強張らせていた身体が弛緩し、段々目の前が真っ白になっていく。
「……恵様! 聞こえますか!? あぁ、どうしましょう……!」
しかし突如として聞こえてきた声に、私の意識は再度ゆっくりと浮上する。
その声は、先程まで意味不明の言語を使っていた女性のものだったのだ。
「恵様、大丈夫ですか! 聞こえますか!?」
なおも心配し続ける彼女に、私は力無く微笑んだ。
「大丈夫だよ……リリエラ。目覚めたばかりで申し訳ないけれど、もう一度寝かせてくれる?」
疲れきった脳に、リリエラという、彼女の名らしき単語が浮かぶ。
それを自然と口に出すと、女性……リリエラは、安堵したように口元を緩めた。
「っ、恵お嬢様……! 承知いたしました。その服ではご不快でしょう、今、綺麗にいたしますので、どうか姿勢を楽に」
「? う、うん。分かった」
私がそう答えると、リリエラは再び安堵したような表情になった。
それから、傍にいるらしい誰かに声を掛けていく。……私にはその内容を把握するだけの力も残っていなかったけど。
……リリエラ。彼女の名前が、すんなりと出てきた。
その不可解な現象に、私は疲れきっている脳を働かせて考える。
彼女の名前はリリエラ=ファルビエーリ。今年16歳か17歳になる、使用人見習いの1人。
掃除は得意だが、料理は苦手。恵とは11歳も年齢が離れており、恵が生まれた頃から彼女に仕えている。
と、そこまで記憶を引っ張り出して、私は再び違和感を覚えた。
今年16歳か17歳ならば、5歳くらい離れている事になる。簡単な算数でも習っていれば、11歳もの差を間違えないはず。
では、何故11歳差だと思ったのか?
私は疲れて動かし難い腕を持ち上げ、何とか視界に入れる。
そこには、いつも見ていたものより、小さな手があった。
5本の指があり、肌は少し白い。そして小さい。そんな手だ。
心なしかふっくらしているように見えるその手を、自分の好きなように形を変えてみる。
……やはり、自分の手だ。
思えば、私の家に使用人などいない。
生まれたのはごく一般家庭であり、その家の一人娘だったはず。
ただ、自分の家庭事情を振り返っていると、別の思考が邪魔をしてきた。
館恵。王族近衛騎士を両親に持つ、2人の兄と1人の姉、1人の弟を持つ少女。兄も姉も、魔法か剣術に秀でた才能に恵まれている。
こんな感じで、客観的に見たような、自分の説明文が頭の中へ流れ込んでくるのだ。
館恵。それは、自分の名前だ。
しかし、自分の中に2つ分の記憶があり、混ざり合う。
おまけに日本人としての恵は、10年分の記憶の最後で、死んだ。
……死んだ、のだ。
「っ……あ」
「どうかなさいましたか?」
「えっ、あ。ううん。大丈夫」
「そうですか? すぐに終わりますので、もう少しだけじっとしていてください。……【ファスト・ウォッシュ】!」
リリエラは、白いエプロンのポケットから何かを取り出してから、何かを叫ぶ。
すると、彼女の握った何かから、大量のシャボン玉が出てきて……!?
「っ!?」
真っ白な泡が私を包み込む。けど、咄嗟に止めた一呼吸の内に、泡の大群は私から離れていった。後に残った私は、妙なサッパリ感がある。
「さぞお疲れでしょう? ゆっくりお休みください。私はこれで失礼いたしますが、御用の際は扉の向こうに控えております、護衛にお声掛けくださいませ」
「……ありがとう」
にっこりと微笑んだリリエラが立ち上がった。なるほど、すぐに終わるというのは、こういうことだったのか。
………………。
今の、魔法、だったよね?
呪文を唱えて、不可思議な現象を起こす、あの魔法だよね!?
目の前で起こった事が信じられなくて、私は言葉少なに返した。するとリリエラが何か察したように、静かに、それでいて迅速に部屋から出て行った。
……動きが洗練されているけど、あれも魔法なのかな?
この世界には、魔法がある。
じゃあ、私は……。
誰もいなくなった部屋で、天井に向けて、手を伸ばす。
やはり小さく身近な手が、天井に向けられるだけ。
そっと、瞳を閉じた。
「……死んだ、のかな」
それは、誰に向けた問いでもない。
ただ、確信してしまったのだ。
知らない言語、知らない天井、そして魔法。
私の知らない、私の知っている人達。
―― 私は一度、死んだのだ。
そう理解し、ベッドから降りる。
疲れているが、どうしても確かめたい事があった。
床一面がカーペットになっている部屋で、私はドレッサーの前に到着した。ベッドからはよく見えない位置にあったけど、不思議と何の迷いも無くそこに辿り着く。
そして、鏡に映った自分を、見る。
顔立ちは、過去の写真でよく見た、5歳頃の自分に似ていた。
リリエラのような、外国人じみた特徴は無い。鼻は低く、のっぺりとした印象を受ける、いわゆるアジア系の日本人顔だ。
手の様子から察していたが、やはり、身体も小さかった。5歳くらいである。
そして……髪と、瞳。
覚えているのは、黒髪黒目の自分。染める事も無かった黒髪には、白髪が一本も無かった。カラコンなんて、普通のコンタクトすら使った事が無い。
黒髪で、黒目、だったのだ。
それが今はどうだろう。
染めた記憶はないし、染めたような様子も無い。
なのに。
鏡に映った私の髪は、薄緑色だった。
ペリドットやエメラルドのような、強い緑ではない。
プレナイトのような、透き通った薄緑の髪。
ずっと寝ていたから当然だが、緩やかなカーブを描く髪はおろされた状態で、肩に掛かるか掛からないかといった長さに揃えられている。
瞳の方も、薄い水色。直接触って確かめる……のはやめたが、感覚的にカラコンを入れているわけではない。
髪も、目も、淡い色合いの少女だ。顔色は疲れているために青ざめているが、元々肌は白いのだろう。全体的に色素が薄い印象を受ける。
「や、やっぱり」
こんな髪色は、見た事が無い。
こんな目の色を、見た事が無い。
加えて、先程の尋常ではない痛みが、私に確信を抱かせる。
ここは死後の世界。
ただし、死後と言うより、転生後の世界なのだ。
何故なら、転生する前の記憶が、今、恵の中にあるのだから。
「転生、しちゃったみたい。だね」
私はそれを理解すると、身体から一気に力が抜けるのを感じた。
正直、そこから先は覚えていない。
翌朝目が覚めた時、リリエラが全て話してくれたけど、やはりそのまま気絶してしまったらしい。彼女がベッドに戻してくれたそうだ。
うぅ、色々考えたい事はあるけど、疲れすぎてもう頭が働かないので、今は素直に休もう。
こうして、私、恵の転生は果たされたのであった。
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