3.Yesterday Once More.

 昨日の僕は脳外科医だった。

 そして今日の僕は、時計技師だ。


 僕は塵一つない無菌室の中に座り、一見してとても高級な、機械式腕時計の前に座っている。拡張現実ARを常に装着・起動しておくことが当たり前の世の中となり、デジタル式腕時計の殆どは姿を消し、逆に原始的な動力機構に頼る機械式時計の方が生き残っている。今時時計を身につけようという人間は、時間を知るという用途ではなく、腕時計そのものに何らかのステータスを見出す人間だけということだ。

 したがって、僕の目の前にある機械式時計は、何百年も前から基本的構造が変化していない。歯車とゼンマイを基本機構として動作し、龍頭を巻けば、一番車に収められたゼンマイに力が蓄えられ、一番車から四番車までの歯車に伝達される。伝達された力は、四番車に連接したカンギ車によって、速度とテンポを調整する脱進機に接続され、時計は強すぎるゼンマイの力を抑え、規則正しいリズムを刻むようになる。僕が知識として得た情報はこれくらいだ。全て拡現ARレンズを通して得た知識で、五分程度ネットブラウジングすれば簡単に得られるような一般知識でしかない。勿論、その構造を実際に目にするのは初めてだったし、実際に目にするそれらの部品は知識よりもずっと小さく、とても人の手に扱えるものだとは思えなかった。もっとも、僕の手の中のパーツがあまりに小さく見えるのは、僕が大男であったせいもある。

 僕は呼吸で部品を飛ばしてしまわないようにマスクをして、皮脂がつかないように手袋をした。昨日の僕の姿とそっくりだ。

 けれど僕の意識は、そんな自分の状態よりも、時計の構造の方に注がれている。

 僕の意識は何も理解していなくても、僕の身体は、この時計の機構を感覚として理解している。

 僕は無心のまま、無意識のままにピンセットを動かす。何の知識も持たない僕の手は、染みついた動きをただ反復し、部品一つ一つを分解していく。何をどう動かしているのか僕には理解ができていない。ただ手が勝手に動いて最適な動作を行い、僕はそれを邪魔することがないよう別のことを思考している。無意識が僕の体を操作する。

 ゼンマイに蓄えられた力を開放し、部品が変形してしまわないよう細心の注意を払って取り外し、分解した歯車を規律正しく並べ、そしてその全てを再び組み上げた。機構の意味を完全に理解せずとも、その機構をどのように配置するべきかが肉体に染みついているように感じられた。勿論、僕はまだ二十台で、時計工の職人として修業をしたことは一度としてないし、この知識が付け焼刃でしかないことは先ほども述べたとおりだ。けれど僕は、まるで数十年間も時計に向き合い続けた熟練工のように、驚くほどの速度で部品を解体し、結合し、その歯車一つ一つの動きを細部まで調整していく。

 PMIの実証実験はこれで6回目だが、今回は極めて順調であるように感じた。ここまで、再現がいきなり止まるというような事態は発生していない。再現を行う僕の体調も極めて平常だ。脈拍、心拍数、体温、呼吸数、CO2排気量、すべて異常なし。作業は、すべて順調だった。


 


 どこかから自分のものではない感情が沸き立つ。幻妄が僕の意識をかすめとり、時計以外のものが意識の枠外に追いやられていく。

 僕。

 いや、僕は今や、僕という言葉にすら違和感を抱いている。今まで何十年と使い古した言葉がうまくなじまない。

 僕の意識が浸蝕されていると気づいたときには、僕はもはや僕ではなくなっていた。


 私。

 そう、Ich

 私は、時計職人だ。私はPatek Philippeが認めた時計職人Uchmacherだ。Grand Complication Caliber 49の設計を任され、この世に一つしかない原型Urtypを私一人の手で組み上げた、最高峰の時計技師だ。

 私が初めて時計を組み上げたのはまだ年端もいかない少年の頃だった。主権というものがまだ絶対にして不可侵の権限として捉えられ、その主権のために国家が互いを食らいあう時代を私は生きた。クォーツ式時計がまだ高級品であった時代に、私は父から与えられた腕時計を分解し、また組み上げるという遊びに没頭していた。やがて父が戦場から帰らぬ人となってから、私はいっそう傾注していった。

 私は時計に関わる全てを識っている。機械仕掛けの刻時機構の全てを理解している。それらはすべて父から教わった。何十回と分解と結合を繰り返した機械式時計だけが唯一父から譲り受けたもの。私の人生の全て。

 今でもよく覚えている。技師として修業を重ね、Patek Phillipeの門を叩いたあの日の夜を。

 私は。

 私は。

 わたし。


 いや。いや。いや。

 は頭を振る。幻妄を振り払おうと深く深呼吸する。

 何かがおかしかった。僕の意識に僕以外の何かが浸透していく感覚がある。明らかに僕のものではない記憶が、明確なイメージとともに浮かび上がってくる。

 けれどそんなハズはない。PMIは誰かの意識をフィードバックすることはない。手続き記憶は無意識や深層意識から抽出されたもので、個人のエピソード記憶を結像するには複雑さが足りないからだ。

 エピソード記憶は、その人間が経験した視覚、味覚、聴覚、触覚、嗅覚、温覚、圧覚、空間覚、あらゆる感覚が統合されることにより一つのイメージを結ぶ。その中でも特に重要といわれるのが嗅覚と視覚で、パーペッツらの研究により情動と長期記憶を司る大脳辺縁系と嗅覚・視覚が重要であることが明らかになっている。だが、僕たちは嗅覚に関連する記憶はもちろん、視覚に関する記憶も再現していない。再現しているのはせいぜいが眼球運動程度のものだ。

 手続き記憶では、ここまで明確なビジョンを結べるはずがない。

 意識に浮かび上がるほど濃い記憶は、もはや手続き記憶ではないのだ。

 なのに、幻覚が浮かぶ。

 見たはずのない風景がフラッシュバックする。

 街を囲むアルプスの尾根。嗅いだことのない煙草の香り。馴染みのない空の色。理解できないのになぜか耳に馴染む言葉。9月の長い雨。花絢爛の春の宵。4月に雪の舞い。8月に麦穂の満ち垂れる。

 回る、回る。季節が巡る。

 その中で私は、いつも時計を弄っている。

 断片的な記憶がフラッシュバックする。あるいは、僕の考えすぎなのかもしれない。ただの妄想かもしれない。提供者のプロフィールを目にした瞬間に僕が無意識下で連想したイメージが、意識の表層に浮かび上がっているだけなのかもしれない。人は麻酔を受けると意識が混濁し、妄想と事実を区別して記憶することができなくなる――記憶の移植という前人未到の実験に挑む以上、そういった異常が表出する可能性は、ゼロではない。

 実験を中止するべきかもしれなかった。

 けれど僕の手の動きは極めて順調だ。あらぬ虚像を結ぶ僕の思考とは裏腹に、私の手は留まることなく時計の結合と分解を繰り返している。この程度の時計では手慰みにもならない、といいたげだ。

 実験は過去最高にうまくいっている。再現だけで言えば最高の出来だ。最悪なのは僕の胸焼けだけだ。

 記憶が混濁する。

 意識が白濁する。

 感覚が濁流と化す。

 そしては、意識を失った。



 

 僕が意識を取り戻したのは、補助脳が強制停止させられ、実験室から運び出された直後のことだ。無駄に図体ばかりが大きい僕の体を運び出すのは大変だっただろう。

 実験は、ある程度成功したというべきだろう。今回の実験は今までとは明らかに違っていた。僕は実験間の生体記録を共有フォルダにアップロードする。

 生体記録上の脳波には明らかな混濁が認められ、心拍数・呼吸量ともに増大。記録用映像データには、振り子のように体を大きく揺さぶりながら、まるで何かに取り憑かれたかのように一点を見つめ一心不乱に手を動かす僕の姿が映っている。

 僕は自分の体験を可能な限り正確な言葉でチームに伝えた。

 まずは、実験を開始する前の僕の知識。

 再現を開始して以降の感覚。

 驚くほどに順調な行程。

 淀み一つなく指は動き、分解と再結合は難なく行われた。

 そこに訪れた正体不明の幻聴、幻覚。

 譫妄状態ともとれる酩酊感。

 自らの意志を離れ動き続ける指。

 目的とした記憶の再現に関しては完璧であったという客観的な証拠。


「記憶酔いだね」


 プロジェクトリーダーの言葉に僕はうなずく。

 他人の記憶と自分の記憶が混ざり合う現象を、僕たちは便宜的に記憶酔いと呼んでいる。本来であれば手続き記憶を抽出する際に取り除かれるはずのエピソード記憶が、何らかの原因で混雑してしまった場合に発生するものだ。自らの脳が本来記憶していない情報は、脳にとって負荷となりうる。特に意識と身体動作が乖離するPMIにおいては、その過負荷を最小限にすることが重要であると考えられていた。

 しかし、記憶酔いは過去の実験のなかで最小限の範囲に押さえ込めていたはずだ。何十何百という試行と反証で、手続き記憶とエピソード記憶を分離して観測する技術が確立したはずだった。今回のデータだって、エピソード記憶が混ざらないように細心の注意が払われたはずだ。なのに、なぜエピソード記憶が再現されたのか。

 そして何より、

 なぜ今回の再現は成功したのか。


「なにか見落としがあったのかもしれない」「もう一度データを精査しましょう。」

「おそらく記憶の分離がまだ完璧じゃないんだ。バグ取りを進めればうまくいくかも」

「エピソード記憶が手続き記憶の再現に一部関わっている可能性もあります。試験的に、エピソード記憶のニューロンパターン混在率を引き上げたモデルを数パターン作るのはどうでしょうか」

 

 仲間たちはようやく突破口を見つけたと沸き立っている。再現実験そのものはうまくいった。あとはこのバグさえ解決できれば、実用化の目途が立つ。研究の突破口が垣間見えたのだ。浮き足立つ方が当然の反応だった。

 にも拘わらず、僕の心は沈んでいる。

 僕は何か良心の呵責のようなものを感じている。

 僕たちはいわば、誰かがその人生を賭して体得してきた商売道具を借りて商売しようとしている。技術の保存といえば聞こえはいいが、扱いを一つ間違えば産業泥棒と同じになる。

 そんな僕たちが、技術に結びついていたであろう誰かの記憶をバグと呼ぶのは、あまりに身勝手な物言いではないのか。


「考えすぎるな」


 そんな僕の心情を察したのか、Yは僕に声をかけてきた。


「俺たちはただの研究者だ。研究者はただできることはできる、できないことはできないと証明することが仕事だ、そうだろう?」つくづくその通りだと、僕は思う。「深く考えるな。俺たちがやってることが正しいか間違ってるかは、俺たちが決めることじゃない。それはいくら考えたって答えがでない」


 そうだ。そんなことはわかっている。

 ゴダートが液体燃料ロケットを打ち上げたように、フォン・ブラウンがV2ロケットを実用化したように、ノーベルがダイナマイトを開発したように、オッペンハイマーがトリニティ実験を成功させたように、技術そのものに善悪を問うことはできない。善悪という概念を生じさせるのは、その技術を使う人間だけだ。

 それでも僕は知りたかった。この技術によって生活や価値観が大きく変わるであろう人々に問いたかった。この技術を提供するであろう偉大な人々に、僕たちのやっていることが正しいのか、間違っているのか、はっきりと教えてほしかった。

 誰か、教えてほしい。

 ここには、虹がない。

 ここには、耳をつんざくような無音があるだけなんだ。

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