2.My Foolish heart.

「お疲れさん」


 実験室の外に出た僕を出迎えたのは、同僚のYだった。


「水いるか?」

「500mlで頼む」

 

 僕と彼は同じプロジェクトチームに所属している。僕が先ほど取り外して部屋の中においてきた補助脳にインストールされた、あるシステムを開発するためのPJチームだ。

 この装置は、他者のもつ、ある記憶を与えてくれる。

 みせてくれるのではなく、与えてくれる、というのが重要だ。視覚や聴覚を通した情報伝達なら、既存技術で十分に再現できる。僕たちが目指しているのはその先だ。他者と他者の記憶をダイレクトに共有することが、僕たちが目指す研究だった。

 二十一世紀の半ばに入り、人類は脳機能のほぼ全てを把握できるようになった。医学的にはまだまだ課題はあるものの、少なくとも脳のどの部位が、どのように振る舞い、どのような機能を果たしているか、その仕組みを仮想空間上で模倣して再現することすら可能となりつつある。

 記憶には大きく分けて二種類ある。陳述記憶と非陳述記憶だ。陳述記憶は、いわば言語化可能な記憶であり、時間や場所といった事実的事項や、感情という心理的事項を記憶するエピソード記憶と、言葉や事柄に関する意味を記憶する意味記憶に分類される。

 例えば今日の朝、僕は自動調理機が作りだした目玉焼きとトーストを食べ、朝七時に家を出て自動運転車に乗り会社に出勤した――こういった出来事に関する記憶はエピソード記憶だ。人が一般に記憶として認識するものは、この陳述記憶に分類される。反対に意味記憶とは、「目玉焼き」の言葉だったり、その言葉が「卵を割り、溶き混ぜることなくフライパンで焼いたもの。目玉のように見えることからそう呼ばれる」といった風に、辞書のようにその意味を記憶するものだ。そのどちらも、海馬が記憶の貯蔵に関する重要な機能を有していることが判っている。こうした陳述記憶は個人の経験――より正確には、経験によって収斂されたニューラルネットワークの励起パターン――に基づくところが大きく、これを完全に再現し他者と共有することは、現在のところ困難だと考えられている。

 これに対して非陳述記憶とは、手続き記憶Procedural Memoryと呼ばれるもの。身体の動作に関する記憶だ。

 例えば、あなたが子供のころに自転車に乗っていたとしよう。陳述記憶とは、この自転車に関する記憶だ。初めて乗った補助輪付きの自転車、うまく走れず何度もこけた思い出、初めて補助なしで走れるようになった記憶、自転車の色、形――陳述記憶がそういったエピソードとして記憶される。

 一方の手続き記憶は、いわばこの自転車に乗る手続き《プロセス》そのものだ。記憶や思考とは無関係に、体の動かし方に関するもっとも適切な動作を記録し、保存し、必要に応じて使えるようにする。

 自転車に乗るという行為一つをとっても、体軸の位置、重心の移動、足の動きなど、複雑な体の動きが要求されている。けれど僕たちは、これを「自転車に乗る」という意識一つで行うことができる。これは、自転車に関する動作の殆どが、言語化されない無意識の中で行われているからだ。このように動作を意識せずに――言語化せずに――身体で行えるようにするための記憶が、手続き記憶Procedural Memoryと呼ばれている。

 僕たちはこの手続き記憶を記録・保存・再現するプロジェクト――PMI-NEM《経験記憶模倣因子》の開発に取り組んでいる。NEMはナノマシンを指す言葉だから、僕たちは専らPMIと呼んでいた。

 ニューラルネットワークを模倣するナノマシンと、ナノマシンにパターンを教え込む補助脳Lilliputを組み合わせ、他者の手続き記憶をフィードバックする技術。すでに技術の基礎理論は確立しており、残すは実証実験を待つのみとなっていた。実験チームは僕の他にもいくつか存在し、それぞれが異なる技術を研究している。

 僕たちのチームは、主に運動野に関連する部門で、このプロジェクトの主役の一つだった。他には消滅言語や歌唱を保存する文化部門、味覚や嗅覚、美的感覚といったものを研究している部門もある。

 この技術の利点は、ある作業や技術の教育にかかるコストを大幅に短縮できるということだ。基本的な技能から専門的な技能まで幅広く記録・保存できるから、例えば育成に何年もかかるような技術工を即戦力として使用することもできる。そういう可能性が評価され、僕たちの研究所は世界各国の様々なチームと共同でこの開発を進めている。


「何が原因だと思う?」

 Yの言葉に、僕は少し考え込む。

 ――僕たちの最終目標は、PMIを使って技術者や専門家の技巧を永久に記録・保存することだ。

 時代の趨勢によって失われていく技術は、この世に何千何万とある。特にこの日本では、日本古来の伝統芸能を守り、伝承する後継者の確保が社会問題となっていた。国家による技術者の保護が行われても、高齢化と人口減少は多くの後継者不在問題を生み、多くの技術が引き継がれることなく失われていった。技術が属人的で、手続き的で、言語化することが極めて困難だったからだ。

 一人の師に弟子入りし、

 その元で手の動きをみて盗み、

 何度も何度も同じ動作を繰り返し、

 そうして一人前を名乗れるようになるまで、数年から十数年。

 何もかもが情報化され、あらゆる情報が毎秒数TBの速度で効率的にやりとりされるようになった時代に、その継承方法はあまりに非効率的過ぎた。

 技術が感覚的で、手続き記憶によるしかない以上、情報化できない膨大な量の技術が、技術書も映像記録も残されないまま消え去ろうとしていた。

 だから僕たちは、そうなってしまう前に、技術者や芸能者達のニューロンを、そのシナプスの発火パターンを保存しようとしている。

 脳のあらゆる電気信号のパターンを保存することができなくても、手続き記憶だけ記録し保存することができれば、あらゆる技術を生きた技術として保存できる。

 さらにそれを他者に再現できたとすれば、あらゆる技能の後継者問題を解決できる筈だった。知識として継承することができない手続きを、当人の記憶そのままに保存し、誰かに再現する。それはあらゆる技術が陳腐化し、忘却されようとしている僕たちの国で、生きた技術を後世に残すもっとも確実な手段のはずだ。

 けれど、そのプロジェクトはあと一歩のところで進んでいなかった。技術記憶を転写するPMIの精度に問題があるのか、それとも何か重大な見落としがあるのか。いずれにせよ、PMIの一番の利点と思われた僕たちの研究がこうして躓いている状況は、あまり望ましい状況ではなかった。


「記憶の再現が途中で止まるのは、これで三回目か」

「そうだな。前回と同じところで止まった」

「何が原因だ……提供者ドナーと体格が違うからか……」

「いや、身体感覚のギャップは、実際に体を動かしているうちに調整されるはずだ。もし体格が原因なら、子供の体格で覚えたことは大人になったらできないことになる」


 そもそも、そうでなければ手続き記憶の移植に意味がなくなる。身体要素が絶対条件となる技術――例えば、祖父のピアノがそうだ――であればともかく、腕や指先の細かな動きであれば再現することに問題はないはずだった。

 脊椎動物の運動は、無意識下で身体を制御する大脳基底核、小脳皮質、運動前野、第一次運動野、第一次体性感覚野、脊髄小脳などで構成される運動領野ネットワークと、より自動的なシステムである腱や脊髄の間で行われる情報伝達の結果行われるものだ。しばらく運動をしていなくて久しぶりに体を動かしたとき、イメージと実際の動きにギャップが生じるのは、この相互フィードバックが十分に行われていない結果生じる。しかしそれも、数回同じ動作を繰り返すうちに、しっくりくるように調整される。これは脳と脊椎神経のネットワークが双方向的であるためだ。そこに余計な意識さえ挟まなければ、相互フィードバックの結果として、最適な動作が導き出されるはずだった。

 僕はペットボトルをまるっと飲み干して(体が大きいとこの量でも物足りない)、僕は先ほどの実験を思い返す。

 あの時、僕の執刀には問題がなかった筈だ。全てがぼくの記憶している通りの手順で進んだ。手術の方法もその手順も、事前に調査した方法の通りだった。

 なのに、最後まで進むことができなかった。

 ある程度までは再現できている。手術はすべてスムーズに進み、僕が自ら考えたり、思い出したりしながら体を動かす場面はゼロだったはずだ。なのに、この先へ進むことができない。縫合手術の段階で手が止まるのは、果たして僕のせいなのだろうか。それとも、この記憶のもとになったぼくのせいなのだろうか。


「……僕は、手術に本来必要な手続き記憶を抽出しきれていないんじゃないかと思っている」

「だが、今回はわざわざ同じ拡現AR医療シミュレータを使って、まったく同じ執刀をしてもらったんだ。脳活動電位はもちろん、ニューロンパターンだって抽出は完全にできていたはずだ。それで抽出できないってことがあるか?」

「わからない。ただ、この感覚は前回までと全く同じなんだ。僕たちは、何か重大な見落としをしているんじゃないか?」


 僕の言葉に、Yは肩をすくめる。

 Yも理解している。PMIは普遍性を持っているはずだ。普遍性を持っているなら、途中で狙った効果が失われるという現象は起こりえない。僕たちはPMIが完全なものに、普遍的に使えるようになるまで、何度でも検証を重ねるしかない。


「とりあえず、明日までにデータをまとめてくれ。前回と同じなら、共通事項と差異だけをまとめたサマリーでいい。それが終わったら今日の仕事は終わりだ」


 僕はうなずき、拡張現実ARレンズ上にデータ編集アプリを起動させる。今回の実験間のPMIの活動状況、脳波パターン、ニューロン発火パターンから、呼吸、瞳孔の動きといった記録まで、生体記録バイオローグは実験間の身体活動の全てを記述している。補助脳に前回と今回の実験データを読み込ませてデータの差異を特徴化させた。そのうち、第Ⅰ脳神経系と第Ⅵ神経系の神経細胞に著名な変化が認められたので、このニューロン部位に関する論文を数点データベースから索引して関連付け、データを共有サーバ上にアップロードした。

 今や、これまで多くの研究者を悩ませてきた「実験」と「分析」のデータ化は、指一つ動かさず、ただ意識するだけで事足りる。ブローカ野から言語を判読して思考を出力するとともに、拡張現実と瞳孔挙動の組み合わせから、使用者が意識する情報を読み取り、データとしてまとめ上げる。

 これもまた、人類が積み重ねてきた脳科学が可能としたものだ。


「アップロードした。念のため査読してくれ」


 Yは少し顔を顰めさせながら虚空に目線を泳がせる。何もない虚空に視線を走らせる様子は少し不気味だが、これも拡張現実が一般化したからこそみられるようになった光景だ。その昔、携帯型端末を手で操作することが一般的だった時代は、小さな端末を食い入るようにして見つめながら歩く人が街にあふれていたという。

 その一昔前は?

 新聞、そして本だ。


「……よし、このサマリーとデータは分析班に回しておく。お疲れさん。あとで飲みに行くか」


 僕は断った。おそらく、僕の表情がすぐれないのをみて気を使ってくれたのだろうが、今はどうしてもそういう気分にはなれない。

 僕は配車サービスを通じて自動運転車を1台手配し、そのまま研究所を後にした。




◇◆◇◆◇




 私も、男になりたかった。


 僕が姉さんのことを久しぶりに思いだしたのは、祖父の入院の報せと無関係ではないだろう。僕と姉さんにとって、祖父の存在はそれだけ偉大だった。例えアルツハイマー症が祖父を蝕んでしまったとしても、その事実に変わりはない。

 あの言葉は、多分、僕に向けられた呪詛だった。

 僕は、姉さんが男として生まれたら得られただろう全てを持って生まれてきた。

 僕の年齢が十代半ば《ティーンエイジャー》になる頃には、丸くなり始めた祖父の背丈をも追い抜いて、2mの大台に届くほどになっていた。僕の腕はグランドピアノの鍵盤の端から端まで容易く届いたし、手のひらを広げれば131オクターヴ半の鍵盤を同時に抑えることだってできた。

 けれど僕は音楽の道を選ばなかった。僕は音楽を聴く事はとても好きだったけど、それを自分の手で奏でたいと思うことはなかったし、憧れていた祖父が日に日に曖昧になっていくことに耐えられなかった。

 だからきっと、姉さんは僕を恨んでいただろう。

 祖父の音楽を受け継ぐだけの体格に恵まれながら、音楽の道を求めなかった僕を。

 僕は祖父の大きな背中、大きな掌を思いだす。幼い頃に仰ぎ見た祖父の背中は、当時はもう随分と年老いていたはずなのになお壮健で、頭上から五指を広げて頭を撫でられると、僕の頭はすっぽりと祖父の掌に包まれてしまった。

 祖父の手はまるで帽子のようだった。掌を広げて被せるだけで、僕の頭をすっぽりと覆い隠したからだ。祖父がそうして頭をなでてくれた回数は数えるほどしかなかったけれど、その掌の感触は今でもよく覚えている。偉大なジャズピアニストだった祖父はこの掌を使って、沢山の曲を弾いてくれた。太い指が鍵盤の上を縦横無尽に跳ね回り、悪魔のようにオクターヴを繰り返す超絶技巧の楽曲を難なく演奏しきってみせた。子供の指ではとても叩けないようなあまりに硬いピアノも、祖父が演奏すれば音色が奏でられた。

 大きかった祖父の手。

 何もかも包み込むかのような優しさと、何もかも跳ね返すかのような威圧に満ちた手。

 指先はハンマーのように硬く、テーブルを叩けばいつだってノックのような音が響いた。

 姉さんがほしがったのは、つまるところその手だった。

 男として生まれた僕が、祖父から受け継いだ掌。

 祖父のようになるという夢を抱いた姉さんが、ついに得られなかった祖父の技術、その全て。

 そのことを自覚するにつれて、僕は次第に祖父や姉と疎遠になっていった。ピアノを聴くこともやめて、何かほかの事に没頭するよう努めた。

 その対象は何でもよかった。

 サッカー、

 バスケ、

 野球、

 読書、

 執筆、

 機械いじり、

 プログラミング。

 なんでもいいから、僕にピアノを忘れさせてくれる何かを求めた。

 姉さんがどこか遠くの世界に消えてしまったのは、その頃だ。

 姉さんは疲れてしまったのだろうと思った。祖父の跡を追うことに。夢を追い求めることに。

 僕は嘆息する。道路はPMI実験に反対する人々の集会が行われている。実験結果を社会に公表してからというもの、ANMTEC先進脳医学技術研究センターの前では連日のように集会が開かれている。

 集会に集まる人々の主張はまちまちだった。

 PMIがもたらす手続き記憶の保存が、失われる数多の伝統芸能を存続させると主張する人々。

 PMIは、これまで人々が連綿と受け継いできた修行や様式、文化伝統を破壊するものであると主張する人々。

 PMIは属人的だった技術を万人化すると主張する人々。

 PMIは技術と文化の強奪だと主張する人々。

 PMIは、音楽を、技芸を、芸能を、真に万人が楽しめるものにすると主張する人々。

 街頭を埋める彼らの出で立ちは様々だ。日本は今や多様な国籍・人種が集う国家で、彼らの服装が彼らの主張を体現している。着物に翁の仮面を被り傾く人、オルトゥという、弦が一弦しかない三味線のような楽器に弓を当て引き鳴らすアジア系の男性、尺八を吹くアングロサクソン系の女性。あるいは、厳めしい顔をして、箏や琴を奏でる日本人の伎芸者達。技術に対する占有権を主張する運動家。様々な人々の主張が喧騒となって道を埋めている。


「私達にください」「機械翻訳でない本当の言語を」「NO NEED BARRIER FOR LANGUAGE!(言葉に壁はいらない)」


フリップを掲げて歩く人々は、純粋な日本語話者や英語話者のPMIに期待している移民労働者達だ。PMIは言葉の壁を取り払う。多様な人種の人々が、それが差別の抑制に繋がることを期待している。


 だが、不思議なことに衝突はない。PMIを憎む人々も望む人々も、その行動は穏やかだった。技術を守れという人々も技術を望む人々も、他者から尊敬されうる努力と挫折を経験してきた人々だ。彼らが真に憎むのはフリーライダーであって、都心から離れた|ANMTECまで足を運ぶような熱心な人々にそういう人種は存在しないようだった。拡現レンズに投影される数多の信用度プロファイルが、彼らが主張するに足る人々だと伝えてくる。

 僕はスモークガラス越しに彼らを眺めている。彼らの言葉は遠く、音楽は僅かに響いてくるのみだが、彼らの主張はいやでも耳に入ってくる。

 彼らの主張はどれも道理にかなっている。PMIはたしかに、何かを得たい、成し遂げたいと思う人々の夢を叶えるだろう。そのための障害の多くを取り払うだろう。

 母語話者の壁を。

 文化の壁を。

 時間の壁を。

 男女の壁を。

 だが僕たちがやろうとしているのは、その技術を獲得するために人々が費やしてきたものを否定することだ。その過程を否定し、成果だけをかっさらうものだ。

 僕は祖父の話を思い出す。

 祖父は生涯にわたりピアノを弾き続けた。

 まだ体格を伴わない幼い頃からピアノに触れ、音楽を奏でない日はなかった。単身ジャズの本場であるマンハッタンに乗り込み、毎日毎日悪態をつかれながらも弾き続けた。師を持たなかったためにクラシックの世界で冷遇され数多のコンクールで門前払いされながらも、一つ一つ実績を重ね、ついには偉大ヴィルトゥオーゾと呼ばれるに至ったのだと。祖父のピアノはそうして磨かれた。PMIは、その経験を経ることなく、誰かに祖父のピアノを引き渡すだろう。それは本当に正しいことなのか。

 けれど一方で、僕はそれを求める人々を否定できない。夢を追いすらしなかった人間に、夢に挫折した人間の気持ちがわかる筈がない。僕にはきっと、姉さんの気持ちを理解することはできない。

 自動運転車の操縦に任せて、僕は目を瞑る。なぜか瞳の裏に、祖父の背中がちらついた。あれほど音楽を忘れようとしていたのに、祖父の音楽が耳にこびりついて離れなかった。

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