【六話】センダツ・上
自分と同じ異能の人間が近くにいると知ってから、心は落ち着きをなくした。会ってみたい、話してみたい、どういう経緯でAEGに身を寄せているのか、過去に自分と同じ迫害はされなかったろうか、今の状態に満足しているのか。聞きたい事も山ほどある。
だがその日一日は、ついぞ部屋から出る気にはなれなかった。
一つには、怪我が思わしくない。部屋の中を軽く歩きまわってみても、足の銃撃傷が痛んで歩き難い。二回転倒したところで諦めてベッドに戻る。
右手中指の消失は、見た目ほど生活に支障はなさそうだ。握力は低下しているが、小指と親指と人差し指が無事なだけ、物を掴むにあまり困らない。
それに、あの白い部屋程ではないにしろ、思考がぼんやり定まらない時が度々ある。脳血管の損傷が原因なのか別の要因なのか、いざという時に相手ではなく、壁などじっと見つめていたのでは話にならない。
危険、の懸念があった。僕が仲間だと思っていたところで、向こうも友好的とは限らない。挨拶した途端に、念動力で首でも絞められたらたまらない。
邂逅、はもう少し先でいい。せめて体調が戻るまで。
幸い、ここの生活は快適である。アユカワの運んでくる昼・夜飯は、薄味ながらも一般的な病院食で味は悪くない。頬の傷が痛むので、献立はお粥や半固形のおかずをスプーンで飲むように食べるはめになったが不快感もない。
明日、明後日、それかもう少し後か。最低限、力が五分で使えるようになるまでは、無理をすべきではない。
現在の時刻は深夜零時。消灯時間は二十一時、一般的な病院の規則に則っているようだ。施設の一部ではまだ点灯中であるらしく、漏れた灯りが僅かに見て取れた。点灯している部屋が本署の管轄なのだろうか。
消灯されたからと言って、眠る気にはなれない。ぼんやりする頭で、ベッドで寝ながら、遠くの夜景を眺めていた。あのオフィスビルでの数時間が、まるで数年前の事のようだった。
自分と社会が、隔絶されたかのようだ。もう世間では僕の事や起こしたあの一件など、忘れてしまっただろうか。新聞の一面は芸能人の不倫のワイドショーや、企業の汚職といったスキャンダルで塗りつぶされてしまっただろうか。いや、そもそもあれはメディアに載って人の目に触れたのだろうか。
妄想の中で、ヒゲタバコがニヤニヤ薄ら笑いを浮かべながら、新聞記者にいい加減なウソを吐いている光景が浮かぶ。浮かんだだけだ。
「フクユキさん、おこんばんわ」
聞き覚えのない声がして、振り向く。あまりに前兆がなさすぎて、全身が総毛立つ。
「……誰だ、お前ら。どうやって入ってきた」
アユカワではない。女性二人がそこに立っていた。
ドアの開けられた音はしなかった。足音もなかった。何の気配もなく、最初からそこにいたように、ベッドから一メートル半離れて立っている。
「私は解放教団の教祖、センダツと申します。はじめまして。もう一人は側近のMrs.ハッピーバースデー」
背の低い方の女性が答える。自己紹介にしては、これ以上ないくらい胡散臭かった。初対面でよくもそんな信用を失いそうな単語を並べられたものだ。
センダツと名乗る女性、年齢は二十代後半くらいか。身長が百五十にも満たなさそうなくらい小柄で、一見すると子供のように見えたが、顔立ちや肩幅の比は大人のそれであり、少なくとも成人はしていそうである。全身真っ黒で、薄闇に溶け込んでしまいそうな服を着ている。よくよく見れば、教会のシスターが着ているような修道着に近しい。
比べてもう一人のMrs.ハッピーバースデーと紹介された女性は、ヒョロヒョロと縦に長く、ヒゲタバコに勝るとも劣らない長身。肩の出た薄茶色のロングワンピースを着ていて、腕と足の露出しているところにはびっしりと包帯が巻かれていた。顔もマスクをしており、前髪が目元にかかりストレートのロングヘアーは腰まで伸びている。一昔前のホラー映画から抜け出てきたかの如き様相で、見つめているだけで吐きそうな程不安になってくる。
「なんだよ、教団って。その教祖が俺に何の用だ。AEGの関係者なのか」
完全に虚を突かれ、碌な返答もできない。こんな夜中に、ノックもせずに侵入するくらいだ。許可を得ているとは思えない。不審者だ。
センダツは大仰な所作で、両手をバッと上へ広げて叫ぶ。
「あなたの行いは素晴らしい! 世俗の中で怯える我が同胞達の為の起立! 社会に反旗を翻すパラダイムシフト! 感動しました! あなたこそ真に世を憂える真実の伝道者!」
妙だった。隣の部屋にも聞こえそうな大音量で声を上げたにも関わらず、部屋の外で何かの動く気配がない。たまたまだろうか。看護師も一切の異常を感じ取れないくらい、ナースステーションは遠いのか。
「なんだって……?」
彼女は芝居がかった口調で、答えになっているのかいないのかも分からない演説を返す。
「我々解放教団は、先人達を国や大衆による弾圧から救い出し、共に戦う同士を募る正義の信徒! 国家は保身と自己利益の為に先人を捕らえ、虐殺しています! 古い人類は怯えているのです! 我々神に選ばれし先々へと進みつつある人類を! 変革による新たなセカイを! 旧体制による劣等種の存続で昼夜を覆い、この歪な現実を維持しようとしているのです!」
彼女は目は何かに酔っぱらっていた。自分か、あるいはその思想に。声もやや裏返り、素面とは言い難い。
ただ、要約すればその主張は僕の考えに近しい物ではなかろうか。
「新興宗教か」
彼女はやや目つきを鋭く、睨み返してくる。
「そんな低俗な物ではありません。私達の掲げる理想はもっと、遥か未来を見据えています。来たる新しいセカイ。より優れた人類による統治。先人を中心とした本来あるべき理想的な社会構造。言うなれば、一つ上の次元へ進んだ社会の未来です」
なんだかよく分からない。特異な思想性の下に現在の社会へ反抗しているという事だろうか。その為の仲間を超能力者から集めている、とか。
「さっきから言っている先人とは何だ?」
「もちろん、私達やあなたや同胞達の事です。一般的に超能力者とかエスパー、あるいは異能者等と卑しい呼ばれ方をしているそうですね。違います。私達は古い人間の中より進化した人類。より優れた種なのです。特別な力を持っているのも、現在の何の力もない古い種より生物として進んだ位置にいる為です。これは運命であり必然であり宿命なのです。先へ進んだ種として、人類を導く義務と使命がある」
そう言う考え方もあるのか。
超能力者が一般的な人間より進化した人種。進化論でアメーバから魚になったように、猿から人類になったように、脳が発達して道具を使うようになった。人間という生物が、何らかの理由で必要としているなら、突然変異ではなく先んじて進化した個体が超能力者であると。
「何故そう思うんだ? 自分達が優れた人間であると」
センダツがニコリと笑う。喜びの感情を感じさせない不気味な笑い方だ。
「当然でしょう。私達は大なり小なり、ただの人間に出来ない事が出来る。念動力で暴力に優位に立てる、精神感応で交渉に有利になる、予知で知り得ない未来を知り得る。これは紛いもなく、天が我らに与えた恵み。人の上に立てと。劣等感なんて感じる必要はありません。私達の優れた素質を誇れば良いのです」
「神だと言ったり進化論を語ったり素質だと言い出したり、なんだか一貫性がないな」
「いずれも同じ物です。世の理に影響をもたらす目に見えない大いなる意思、あるいは流れ、それらを私達は便宜上で神と呼んでいるに過ぎません。それが生物であるのか構造であるのか、そこに大きな意味はありません。重要なのは、いわゆる社会が私達の存在を認めす理解せず、排斥してその流れに逆らおうとしている。川の水流は自然のままに流れるのが正しい在り方なのです。石を置いてせき止めれば歪みが生じる。その結果に同胞への不当な殺戮があるのであれば、これを捨ておく事こそ悪魔の所業。あなたはどうです? そうした現状に不満を持つからこそ行動に移ったのでしょう? 幼い頃に周りは理解を示してくれましたか?」
一理ある。彼女の言葉はめちゃくちゃな宗教観に満ちた大言壮語な妄言に聞こえる一方、妙な説得力があった。
僕も含め暴力的な手段を用いる超能力者もいるからこそ、国はAEGを組織した。鉄砲や爆弾を持ち出すのも、力と言う手段に訴えかける立場ならお互い様だ。
その一方で、メディアを含めて異能の人間を隠蔽する意図はなんだ。社会的混乱等を想定してなのだろうか。だが認知されないからこそ、見えない場所での理解されずに起こる迫害はどう説明するのか。そこには弱者切り捨てのような無情ささえ感じる。
「そうか、つまりあんたらもアマヶサキの支持者って事なんだな。そうなら、やはり俺達はどこか通じるところがあるのかもしれない。多少の違いはあるが、彼の英雄性を認めるなら求めるところは同じ方向の……」
そこまで言って、センダツから表情が失せている事に気づく。顔色が青くなったかと思うと、薄暗がりでもわかるくらいに、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
激昂した。
「アマヶサキぃぃぃぃ!? アァマガサァキですってぇぇ!? あんな邪教徒と一緒にするなぁ!!!!」
始終冷静で温和ささえあった彼女は、髪を振り乱して地団太を踏み叫び散らす。むしろ身長に見合った子供っぽい怒り方に見えた。
「ふざけんな! ふざけんな! 奴は国に下った下衆だ! 政府に尻尾を振っている! あんな卑劣漢と崇高な天命を抱く私達を同じ目線の高さで見るな! ふざけんな! 私達は思想に殉じる聖なる徒だ! あんな先人の面汚しとは違う! ふざけんな! いや! 奴は先人ですらなかった! ただの異分子だ! 何が英雄だ! ふざけんな! ふざけんな!」
怒り狂い過ぎて、まるで踊っているかのような動きで地団太を踏む。ふざけんな!という言葉が悲鳴のように部屋中に響き渡る。
「いいか! 奴は所詮英雄気取りのただの目立ちたがり屋だ! 力を持っているだけの頭の中はスッカラカンのパッパラパーだ! 何一つとしてわかっちゃいない! ふざけんな! 何が英雄だ! どいつもこいつもアマヶサキ! アマヶサキ! 畜生! 社会の汚れを見通す頭もないくせに! 自分の事しか考えられない低俗なくせに! 穢らわしい! あぁ! 穢らわしい! 原始時代の蛮族にも劣る! いいか! いいか! 奴と私達は違う! ふざけんな!」
凄まじい怒りっぷりだった。冷蔵庫を蹴飛ばし、椅子を壁に投げつけ、キャビネットに拳を叩き込む。
端からも、彼女がアマヶサキに対して強いコンプレックスと怒りを覚えているのは明白だった。修道着で隠しきれない下品な暴力さが露見している。
「はぁ……はぁ……クソっ! 糞ったれ! アマヶサキぃぃぃ……」
「アマヶサキが嫌いなのか?」
一つ深呼吸をして息を整える。咳払いをして姿勢を正す。
「……彼の思想は私達のそれとはやや異なります。彼は私達に同調しないでしょうし、また私達が彼を受け入れる事も金輪際一切ないでしょう。永劫に」
少し、彼女の底が見えた気がした。最初語っていた理想論と静謐さはどこに行ったのだろうか。その辺に落ちているのではないかと思って探してみるが、やはりない。
「俺の中でアマヶサキは特別な存在だ。彼の考えと異なるなら、俺とあんたらが分かり合うのも難しいだろうな」
センダツが一つ鼻息を軽く吐く。まるでそれは予想していたと言うような、呆れ気味の薄い笑顔をしていた。
「そうですか。では、感情論と思想のぶつけ合いはおしまい。ここからはビジネスの話をしましょうか」
彼女は肩まで左手を上げると、指パッチンをする。
思いがけず大きな音がした。しかも残響が部屋を幾度も跳ね返り、いつまでも耳に残り、脳の内側まで響いてくるようだった。
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