【五話】個室にて
次に目が覚めると、そこはごく一般的な病院の一人部屋のような個室だった。
見上げた先にあの薄青白い電灯はない。ごく普通の壁面照明が頭の上の方に壁から出っ張っていた。天井に幾つかシミがあって、それが人の顔に見えない事もない。
壁はやはり白いが比較的温かみがある。日焼けしてあちこち黄ばんではいるものの、電灯のスイッチもコンセントもクーラーも付いていて大分人間らしい。枕元にナースコールまであった。
少し見回せば小さい冷蔵庫に、衣装箪笥、テーブル、椅子、キャビネットと生活備品は揃っている。少し歩けば洗面台まである。
背中や頭に当たる感触は堅くもない。簡易な診察ベッドから柵の付いた入院用ベッドに変わっていた。固定具など動きを妨げる物は一切なく、掛布団が腰まで掛かっているだけだ。ただ、柔らかいベッドの上に寝ているはずなのに、全身は凝り固まって痛みもある。
なにより、この部屋には窓がある。壁を大きく抜いた厚めの窓ガラスから、昼の陽光が部屋に差し込んでいる。太陽光を浴びるのは久しぶりな気さえして、なんだか無性に有難かった。
上体を起こしてベッドに座る。何か違和感があった。
まず、右手の中指が第二関節辺りからなくなっていた。包帯が巻かれているが、明らかに長さが足りず感覚もない。右耳も半分ほどなかった。まったくではないが、片側の音が聞こえにくい。頬も口を動かすと痛みがある。左足の太腿も意識と感覚に遅延がある。どうもオフィスビルで銃撃され、まったくの無事ではなかったらしい。前に目が覚めた白い部屋では微妙に意識がはっきりせず、感覚の喪失や痛覚は気にならなかったらしい。
やけに涼しい頭を触る。髪もなかった。指でなぞると小さな切開痕が確認できた。ヒゲタバコという男は脳の血管を繋ぎ合わせたと言っていたが、開頭手術したという意味だったのか。
一つ、息をつく。
あれだけの騒ぎを起こし、鉛玉をぶち込まれたにしては、安い代償だったかもしれない。
体の部位を失ったショックより、敗北感の方が強かった。相手が複数人だった事など言い訳にならない。自分が想定していたより遥かに抵抗はできず、速やかに対処されてしまった。おそらくはあのヒゲタバコの思った通りに。
窓から外を見る。
快晴な空の下、真下には緑の並木とそれを縫うように歩道が続いている。看護師服を着た女性が老婆の車椅子をゆっくり押して歩いている。病院を外周するような散歩道になっているのかもしれない。
少し離れた所にビル群があり、都会からそう離れた場所でもなさそうだ。
部屋のドアが開けられたらしく、女性の声が背中を叩いた。
「フクユキさーん、起きられました?」
振り返ると、二十代半ばくらいの看護師服を着た女性が無遠慮に部屋に入ってきていた。あまり特徴のない、丸顔で化粧っ気がなく、ごく普通の看護師然としている。特に警戒している様子もない。やはりここは病院らしい。
「……誰?」
「おはようございます、職員のアユカワです。気分はどうですか? 具合が悪かったりどこか痛かったりしませんか?」
この看護師は僕の事を知っているのだろうか。薄く微笑んだ顔は柔らかく温和な印象を受ける。対超能力者部隊の戦闘員と言った攻撃的な雰囲気はない。
「多少は……ありますが、別に……」
彼女の雰囲気は、ヒゲタバコとは別種な意味で敵愾心を抱かせない。つられて敬語になってしまったのも、彼女に対して攻撃する事も攻撃される事もなさそうだったからである。
「そうですか、それは良かった。体温を計らせてください。自分で出来ますか?」
アユカワと名乗った看護師はベッドの近くまでくると、体温計の電源を入れて手渡してくる。受け取りつつ彼女の瞳を覗き込む。多少の疲労はあるだろうがそれは労働による程度だろう。これだけ接近していても緊張は一欠片も伝わってこない。
「ここはどこ……ですか?」
「AEG本署の生活棟です。生活棟と言っても半分くらいは本棟が入っていますけれど。この部屋はこれからフクユキさんが寝泊まりする場所ですよ」
AEGを知っているという事は、僕についても知っているのだろう。それにも関わらずこれだけ落ち着いているのは、頭のネジが抜けているのかドがつく程の胆力の持ち主なのか。単に迫力がないから危機感を持たないという可能性もあるが。
「寝泊まり……拘留するって事ですか?」
彼女は本”署”と口にした。AEGは警察組織か役所の一部であるらしい。事実上の逮捕と同義なのだろう。僕はやはり犯罪者として扱われるようだ。
体温計が電子音を鳴らし、脇から抜き取ってアユカワに返す。彼女はそれを受け取りつつ、眉を寄せる。
「ここは留置所ではないので、正確には拘留ではありません。しばらく居てもらうでしょうけれど、傷が開きますので激しい運動は控えてください」
平熱か、と呟いて体温計をポケットに仕舞う。
警告、でもなさそうだった。あくまで怪我の容態を気遣った口調だった。
「俺は裁かれるんですか? 死刑とか」
アユカワはカルテに書き込みながら答える。
「さぁ……どうなんでしょう。私はその辺りの事情までは知りませんから。そういう人もいるかもしれませんが、私が担当した限りでは見た事ありません。ここも普通の警察とは少し違いますので」
あのオフィスビルには普通の警官もいた。どう言ったやり取りがされたかは不明だが、後からきたヒゲタバコらが僕の身柄を引き取ったのだろう。AEGと警察は上層が同じでも、一枚岩でない可能性もある。
ん? いや、待て。AEGと言う対超能力者部隊が存在した。そこで生け捕った獲物を連れ帰る場所も事前に準備されていた。僕が第一例なはずはない。
「ここには、他の超能力者もいる……んですか?」
アユカワはあっけらかんと答える。
「いますよ、何人か。この生活棟で暮らしています。超能力者ってエスパーの人達ですよね?」
背筋にゾクッとした寒気が走った。今までインターネットや新聞を通じて同士を見つけ出そうとした事もあった。その試みはいつも裏切られてばかりで、自分以外に本当にいるのか不安になる。こんなところに集められていたのか。
「何人くらい、いるんですか?」
彼女は右に首を少し捻り、視線を右上に向ける。
「えーと……十数人くらい、かな。私も一部しか担当していませんから、詳しい人数まで把握していません」
十数人。多いのか少ないのか。多い、かもしれない。
うつむいて考えを巡らせる僕に、アユカワは顔を覗き込んでくる。
「フクユキさん、お腹減っていますか? 目が覚めた時の為に、今朝の朝食を冷凍してあるのでご用意できますけど。食べられそうですか? 軽い病院食です」
そう言えばどれくらいの時間が経ったのだろうか。長く眠っていたようだが起きた記憶がない。腹の中身はからっぽで、数日何も食べていないのではなかろうか。
彼女の顔を見る。
こちらへの敵意は一切感じられない。僕が何かやらかした事は察しているだろうに、その目には純粋な心配と気遣いが見て取れた。もしこれが堂に入った演技だとしても、今はそれに流されてしまいたかった。
「……はい、食べます。少し」
「わかりました。もし何かあったら、そこのナースコールを押してください」
アユカワが踵を返して部屋から出ていく。その後ろ姿の下の方、揺れる丸くて大きめのお尻に目線が誘導された。脳ではなく別の部位に血流が集まりそうだ。革命だ解放だと非日常だった時間が遠くに感じられた。
やはり生きいて良かった。
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