【四話】白い部屋

 自分に、他人の持っていない超能力があると自覚したのは、物心ついた頃だった。

 物を浮かせる念動力だったり、少し未来の事が分かったり、少し他人の考えが読めたりした。

 ひどくありきたりな、しかし自分以外よりほんの少し特別な人間、そんな風に幼いながらも誇らしかった。

 テレビアニメのヒーローのような、映画の正義の味方のように、誰かを助けて褒めてもらえる、そう成れるのではないかと。

 しかし、儚い期待が溶けてなくなるのは、そう遠い先でもなかった。

 気心の知れた友人に、気になる異性に、自分の特別をこっそり見せた。

 彼ら彼女らの反応は、酷く冷たかった。普通とは異なる、異質な力は不気味で危険に映ったのだろう。距離を取られ、僕は自分の力を認めて貰おうとする度に、孤立と孤独を深めていった。両親も、理解を示さずどこか壁を作っていた。

 

 きっと、この力は忌まわしい物だったのだ。テレビ画面の向こう側にある、輝いて見えたヒーローの超人性とは違う、どちらかと言えば悪い性質の。良くない力だったのだ。

 だから、滅多に人前に晒さなくなった。中学・高校・大学と、その特別な力を悪戯に見せなくなった。一人で、静かに力について調べて過ごした。

 しかし、ある日観た映像が、僕の中でその価値観を再び変えた。あれが、転換期だったのだ。

 

 

 

 まぶしい。

 めをさまひたぼくは、つおいひかりにてらされぇた。

 ん? あたまがまわらなひ、しかいがゆがみしろいなにかがまじゃりあっていた。とてもしろいへやだ。


「おぅい、みえへいるのかぁ?」


 だれかのこえがする。ぐねぐねとゆがんだかおがふたつ。

 ぼくはうちうぢんにさらわれただりょうか。

 

「〇×%〈。おきへはいるみたいよ」


 ああ、そうか。

 きっとあたまがおかひくなってしまつたのだろう。

 やはり、ちからをつかってはいけなかったのだ。

 

「うぉえるおぅく?」


 くちもうまくまわらなひ。

 これはいよいよだぁな。

 

「しやべれないみたいだぁぞ?」


「すこしぢかんをおいたほうがよさそうね。薬がききすぎているのかも」


 薬、そのひとことだけめいりょうにきこえた。

 またねむくなっていく。

 

 

 

 次に目覚めた時、自分が窓のない白い部屋に寝ているのだと分かった。前に見た時は目映いばかりの真っ白な部屋だとばかり思っていたが、よくよく見れば所々くすんだ汚れが付いているし、天井も建材が剥げかかっている所があった。

 窓がないせいで薄暗く感じる。灯りはあっても今が昼なのか夜なのかもわからない。空気が薄いような錯覚が起き、息苦しさの他に圧迫感もある。その電灯ですら、天井に食い込むように備え付けられた奇妙な形状をしていて、やや青の入った気味の悪い発色をしていた。

 息を吸うと、オキシフルのような消毒液の臭いが鼻孔から入ってくる。病院なのだろうか。病院らしいと言えばらしく、そうでないと言われれば違う。

 

 広さは四畳半ほど。中心に僕が寝ているベッドがある。ベッドマットも枕も、やはり病院の診察室に置いてあるような簡易で堅めで安っぽい。

 隣にステンレスボウルの付いた四脚があった。ボウルの中にはコップが二つと綿棒、それに注射器が置いてある。何に使うものだろうか。

 他には簡単な椅子が一脚あるだけ。こちらは年季が入っていて綿が飛び出ている。

 体を動かそうとしたが、身動きできない。全身あちこちに触感がない箇所があり、麻痺しているのではないだろうか。

 ただ、首・胸・腰・膝・足首に圧迫感があり、ベルトか何かで固定されているようであった。動こうとしても僅かに軋んだ音がするだけだ。

 いずれにしろ、ベッドから起き上がれない。頭頂部の辺りが痒いのだが、誰か掻いてくれないだろうか。

 

「お、起きたか?」


 部屋のドアを開けて中年の男が入ってくる。声からして、立て籠もっていた時の警官ではない。

 見覚えのない、三十後半くらい。ガッチリした体つきで、身長は180を僅かに超えるくらいか。比べて、頬骨の出た不健康そうな顔がアンバランスである。肌は健康的に焼けているが乾燥気味で、目元は数年寝ていないのではと勘繰るくらい隈が深い色で、ヒゲは伸ばしているのではなく無精ヒゲ。服装だけが洗濯されノリの効いた白シャツと、迷彩柄のズボンに高そうな軍隊ブーツ。

 自衛隊員か警察だろうか。いや、正規の役人がこんなだらしない不健康なツラをしているはずはない。健康第一の仕事である。

 それに何だか、タバコ臭い。

 

「……あんた、誰?」


 声が掠れる。今になって口の中に殆ど水分がない事に気づく。

 

「喉、乾いてないか?」


 男は四脚のボウルにあるコップを摘み上げる。中身は水だろうか。自白剤か毒ではなかろうか。


「乾いてない」


 嘘丸出しの掠れ声で答える。例え縛られて抵抗できない現状だとしても、油断ならない。

 

「そうか。俺はAEG一班リーダーの……えっと、ヒゲタバコだ」


 ヒゲタバコと自称する男は椅子に座る。立派なガタイのケツがどかりと乗ると、椅子は頼りなく小さく今にも壊れそうだ。

 

「AEG? なんだそりゃ?」


 ヒゲタバコは唇の端を少し吊り上げて笑う。

 

「お前らみたいな、はみ出し者を捕まえる番犬だよ」


 合点がいく。意識の消失する一瞬、後ろの方でトドメの一発を放った、タバコを咥えた男がこいつだ。

 それと同時に、感情が爆発しそうになる。

 

「はみ出し者だと。やっぱり政府は俺たちを狩っているんじゃないか……俺以外にも、超能力者がいるんじゃないか。何が薬物中毒者の妄言だ」


「お前、アマヶサキの模倣犯か」


「模倣犯じゃない。革命の同志だ」


「青臭いな。そんなもん、テレビ画面や新聞で見聞きしただけの奴らに取ったら、アマヶサキはラリパッパでお前は狂人の真似事をしているようにしか映らんさ」


 怒りがこみ上げてくる。彼の行為はやはり弱者救済に他ならない。世間に疎まれた忌み子へのメッセージだった。

 この男はそれを知りながらも、なお彼を肯定しないのだ。

 意識を集中する。この男の脳を内側から弾けさせてやろうとした。頭の中で血が巡る音が聞こえた。

 しかし照準しようとした途端、頭痛が走り目玉が意思に反してグルンと回る。

 

「やめとけよ、安静にしてろ。繋ぎ合わせたが、オツムの血管が切れてる」


 少しでも力を使うのは無理そうだ。それに何だか酷く注意が散漫になる。男の顔を見続けようとしても、視線が落ち着かずあちらこちらを彷徨う。

 

「俺に何かしたな……」


 薬物の類だろうか。念動力には強い集中力と鮮烈なイメージ力が必要になる。現実を認識し、脳の中で描いた破壊や移動の光景を引き寄せる。現実と妄想の境界が曖昧になるくらいの意思が、発生しないはずの物理を引き起こす。認識能力が阻害されれば小石一つ浮かせる事もできない。実のところアルコールですら、力を使うだけの集中力を掻き乱すには十分である。

 ヒゲタバコは、さてなと肩を竦める。大柄な成りをしていて、わざとらしい子供っぽい仕草だ。

 

「もう肩肘張るなよ。普段は俺、なんて言わないんだろう? それもアマヶサキの真似か?」


 ヒゲタバコは手帳を胸ポケットから取り出す。

 

「大学生なんだってな。へぇ、結構良い大学じゃないか。行き過ぎた学生運動で棒に振るにはもったいない。俺なんか中卒だ。中野区大和町の大学生寮に一人暮らし。実家は母親と、父親は単身赴任で長期出張か。裕福だからって非行に走るなら、万引きくらいにしときゃ良いのに」


 出がけに交通費と立て籠もり用の缶詰以外は身に着けていなかった。身分証の類はなかったはずだが、それでも戸籍照会はできるのか。

 

「嫌みを言いに来たのかよ」


「ただの挨拶だよ。それと釘差しかな。ここにいる間は大人しくしといた方が、お互いの得だ。フクユキ君がどういう思想を持とうとな」


 政府は異能の人間を狩っている。それは間違いない。その一方で、のべつまくなし殺して回っている訳でもないのかもしれない。

 事実、僕はこうして生きている。あのビルのオフィスで銃殺された可能性、眠っている間に首を切られた可能性、そうされなかったのは少なくともお目こぼしされたか生かす理由があるのどちらかだ。目先の命の危険がなくなって、心の端っこで安堵する。


「あとは……ここも、そう悪いところじゃない。テロリストごっこするよりは充実感が得られるかもな」


 彼の瞳の奥で、揺らぐ光が見えた。まるで真意の読めない中年男の、人生を諦め受け入れた中にある一つの野心に近い何かだったのか。

 ヒゲタバコはイスから立ち上がって背を向け、そのまま部屋を出ていく。軽く振る片手が軽薄だった。

 

「とりあえずもう寝ろ。若さに任せて無理をしてたら本当に死んじまうぞ。これから同じ屋根の下で暮らすんだ。仲良くしようじゃあないか」


 どんな屋根なんだか。この建物だって、カタギなシノギで建てられた物かもわからない。

 先ほど起きたばかりで、僕はもう眠たくなっていた。強制されるような強い睡魔。抵抗する間もなく、瞼が閉じていく。深く淀んだ沼に沈んでいくように、全身が酷く重かった。

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