【三話】ミエリン証券会社占拠事件・下

 オフィス占拠から三時間。事態は進退窮まった。

 ドア向こうの警官は絶えずこちらに話しかけてくる。これが一番堪えた。警官の話術はこちらの警戒心を和らげたかと思えば、冷たく威嚇してくる事もあり、その都度翻弄された。

 要求の詳細の話し合いの他、世間話の中に混じる問答でこちらの情報を聞き出そうとしてくる。うっかり自分が大学生である旨まで伝えてしまった事を死ぬほど後悔した。監視カメラは破壊してあるし、成りから戸籍は特定できない、と思う。

 

 またガラス張りの窓はブラインドを下ろした。室内の蛍光灯すべてを割ってしまったのでオフィス内は薄暗い。警官はオフィスの様子について、やや知っているような口ぶりであった。もしかしたら別の建物から望遠鏡でこちらを覗いているのかもしれない。

 ここは地上480メートル程である。下から外壁を登るのは難しいだろう。しかし映画で観た記憶がある。特殊部隊がワイヤーで別の階層から吊るし降り窓を破壊して突入する様を、ヘリコプターが窓から銃撃する様を、隣のビルからスナイパーが犯人の頭を狙撃する様を。

 外からサーモグラフィーカメラで、ぼーっと立っている自分を舐めるように観られるのではないか。ブラインドを下ろしただけでどの程度それらの危機を防げるのかは不明だが、ないよりはマシなはずである。

 そして警官隊の体当たり。向こうはこちらが人質に危害を加えるような真似ができないと察したのか、力づくで突破しようとしてきた。バリケードごと衝撃に揺れ、咄嗟に念動力で押しとどめる。それが計三度あった。


 消耗は想定していた以上に大きく速かった。度重なる力の使用が、脳に負担を与えている。突入時に内出血したようであるし、視界にかかる暗さと眩暈と吐き気は中々治まらない。ゲロは二回吐いた。立っているのも辛い。

 十分な休息と時間をかければ、ここまでの消耗はしなかっただろう。短時間の連続な力の行使と、なにより慣れない場での緊張がストレスとなって副作用を増やしている。

 

「おい! まだ話は通らないのか! もう三時間だぞ!」


 数分待つ。

 返事がない。ドア向こうに大勢の気配はあるように感じる。たまたまいないだけだろうか。

 自分の中で焦りが大きくなる。沈黙が与えてくる圧迫感に息が詰まりそうになる。

 

「聞こえているのか! こっちは待たされているんだ! いつまでも冷静でいられるかは自分でもわかんねぇぞ!」


 強気に迫る。

 数分。

 やはり返事がない。

 無言なだけでドアの前に固まっている複数人の気配が、闇の中で蠢く不気味な虫の群れのように思えて、ゾッとする。

 まさか本当にやる気か。

 

「おい! あと三つ数える間に良い返事を聞かせろ! ひとーつ……ふたーつ……」


 三つ、を数える前にセキュリティドア三つのうち二つが吹き飛ぶ。

 爆薬か。特殊部隊か。

 オフィスになだれ込んでくる黒色の影が6つ。どれも大柄で素早く、獰猛な獣か何かに見えた。

 「A-1goRip!」「B-3cHead!」そんな理解のできない言葉が飛び交った。混乱し意味を分析する暇もなく、「殺す!」そんな敵意にしか受け取れない。

 

「うわああぁあぁああああぁぁ!」


 恐怖が頭の中を支配した。

 死ぬ、死ぬかもしれない、死ぬだろうか。死ぬ、という単語が一瞬の内に、脳内で何十回も反芻される。ピリピリした感覚が肌に痛い。

 自分の行いにとてつもない後悔をし、その中でも体を動かせたのは勇気なんて上等な代物ではなく、本能的な衝動に近かった。


 力を振り絞って右側の二人を吹き飛ばす。ろくな照準も出来ず、彼らの奇妙な展開の仕方と、何人かがチラつかせたライトの光で頭がクラっとする。後から考えれば、こちらの弱点を知っていたのかもしれない。意識を逸らす。それだけで僕の力は削がれる。

 ひどく小さい銃声と火花が散る。弾丸が僕の右耳と頬の肉を削ぎ落とし太股に突き刺さる。既に翻弄されていて、避けようとする動きさえできなかった。あるいは、どう動いたところで避けられない弾道であったのかもしれない。

 左側に放射状に力の幕を張って防御する。銃弾が見えない力で叩き落される。四方から撃たれ、一側面の守りに大した意味などなかった。

 こんな事なら障害物を配置し、もっと後方に陣取っていればクロスファイアなどされなかっただろう。

 頭のどこかから何かが噴き出す水音がした。そうであってほしくなかったが、血管なのだろう。破裂したらしい。脳障害を心配する暇さえなかった。

 視界が赤黒く染まる。急激に眠くなってきた。今すぐ倒れてしまいたかった。

 踏ん張ろうとして、世界が回る。グルグルする。赤と黒のコントラストが、コーヒーにミルクをかき混ぜたように混ざり合っていく。


 一発の小さい銃声。

 意識が暗がりへ落ちていく最中、右側の扉の後ろからライフルを撃った誰かが見えた気がした。

 タバコ?

 次に目覚めた時、自分は墓の中だろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る