【二話】ミエリン証券会社占拠事件・中
出入口のドアを弾き飛ばしたのは失敗だった。
演出としては派手で、心行くまで自分の欲求を満たしてくれた。
しかしより開放的になったオフィスと廊下の間を遮蔽物がなくなり、お互いを一望できる様相になっている。これでは間もなく訪れる警官隊か刑事にそのまま雪崩れ込んで来られればひとたまりもない。最悪の事態では壁を盾にされ、一方的に銃撃されるケースも十分考えられる。
まずは一度吹き飛ばしたドアを、乱雑だが元のように壁に食い込ませ貼り付ける。手前に室内の備品を積み上げて補強し、即席のバリケードを作る。デスク十五台、椅子十八個、その他電子部品など。この質量なら、体当たりしても人力では簡単に突破できないはずだ、おそらく。
次に気絶している従業員を男性三人、女性二人を中央まで引き摺って固める。二つ目の保険。仮にドアを突破されて銃口を向けられたとしても、近い位置に人質がいればいきなり射殺される危険性も減るのではないか。こちらの負けが込んだ時に、問答無用で鉛玉をぶち込まれずに済むかもしれない。
もちろん、この『使命』に殉じる覚悟はある。要求へのリスクは承知している。危険な事をしている自覚はある。
……ある、のだが、犬死には本意ではない。本懐を遂げず、ただ凶弾に倒れるだけであれば後に続く者への道を示す事もできない。だから無駄なリスクを避けているに過ぎない。
臆病さとは違う。違う、と思う。
一通りの下準備を終え、ポケットから取り出した鎮痛剤を齧っていると、廊下の方にバタバタと複数人の足音が聞こえた。
警官か。オフィスで大暴れしてから十分くらいが経過していた。これが早いのか遅いのか分からないが、一階でセキュリティゲートの破壊を見た人々か、オフィスから逃げ出した従業員のいずれかが通報したのだろう。
足音はバリケードの前で止まる。一言二言何か交わされた後、体当たりをしているかのような衝撃音が鳴る。二度、三度体当たりが行われたがドアは開かない。
ドア向こうからノックと中年くらいの落ち着いた声。柔らかいもののやや緊張を含んでいる。
「あー……中に誰かいるかね?」
「け警官か?」
腹に力を込めたつもりだったが、やや裏返る。
「そうそう、警察。えーと……さっきオフィスに暴漢が入ったと通報を受けたんだけどね。君は、この会社の従業員の人かな? ちょっとね、中入って調べさせてもらえんかな」
奇妙なイントネーションの喋り方。場慣れしているらしく、敵対心を煽らないが下手に出るつもりもない独特な接し方である。また喉が悪いのか、時折咳をしているようでもある。
「室内には入れられない」
なるべく低めの声で答えた。少しは若さを抑えられただろうか。
警官も何かを悟ったのか、語気を強める。
「このドアは君がやったのかな? ちょっと、ここ開けて話聞かせてもらえないか。こっちもね、中見せてもらえんと無理に入らないとならんのよ、仕事上」
話が平行線になりそうだ。大きく息を吸う。
「俺は! 同胞の解放を求める革命の獅子、西の渡り鳥! ここにいる従業員たちは人質だ! こちらの要求が通らなければ身の安全は保障できない!」
事前に考え練習していた台詞を言い放つ。破壊されたセキュリティゲートや従業員の証言、オフィスのドアの有様からも、ただの不良の殴り込みではないと伝わっただろう。
「要求はなんだ?」
警官からイントネーションが消え、冷たく平坦な声色に変わる。背筋を冷たい汗が伝った。自分は今、公権力相手に大立ち回りを演じようとしている。
一秒、二秒ともったいつける。相手を焦らし、年齢差による口頭の交渉技量の差を僅かでも埋めたかった。
「異能者アマヶサキを解放しろ!」
警官はすぐに応えない。小声で何かを話し合っているようだ。あるいは無線で連絡を取っているのかもしれない。
「誰だって?」
荒々しく怒鳴る。
「とぼけるな! 三年前のコンサートホール占拠事件のアマヶサキだ! 彼は、かの事件を通じ俺たち”特別な”人間に対する迫害、政府による排斥の窮状を訴えた! だが国は彼を拘束し! 檻の中にぶち込み! 自由を奪い去った! 彼を返し、不当な扱いに対する改善を要求する!」
大きな声を出しすぎて蒸せそうになり、それを隠そうとして喉に息がつっかえる。
「……君はテロリスト、アマヶサキの信奉者か。彼の行動は褒められた物ではないぞ。彼や君の言う”特別な”人間なんて存在しない。彼は重度の薬物中毒者で、すべてはアマヶサキの妄想にすぎない。超能力者なんていない」
淀みがなく落ち着いている。この警官は知らないふりをしているのか、本当に知らないのか。仮に知らなかったとしても、別段不自然でもない。それらは一般知識と呼ぶにはいささか胡散臭い、与太話に近しいのが常識である。ただ、警官という職業柄実情を知っていても、やはり不思議ではないはずだ。
どちらにしてもこちらの前提で交渉するつもりはないらしい。
「俺がその超能力者だ! 従業員から話を聞いただろう! このドアの損壊をどう説明するんだ! 人の手でこんな有様には出来ないぞ!」
そうは言いつつ、爆弾で破壊しても似たような状況は作り出せただろうな。せいぜい焦げ跡があるかないかくらいの違いだろう。
警官はさらに何か小声で話し合っているようで、数人がその場から去る様子が伝わった気がした。バリケードに幾らか覗ける隙間を作っておくべきだった。
「わかった。信じがたいが君は超能力者なんだろう。信じなかった私の頭が固かった。すまない。まずは人質の安否が知りたい。中に入れてくれないか?」
「駄目だ。入ってくるな。人質は死んでいない。それは保障する」
「具合を見たいんだ。怪我をしていれば、今は無事でも危険な容態になるかもしれないだろう? 治療が必要なら医者だって呼ばなくちゃならない」
「無事だって言っているだろ! 信用しろ!」
「……君の要求を聞くにあたっても、面と向かった方が細かい話をしやすいんじゃないのかな? そうなら私達が中に入るのも、君にとって得じゃないかね。私達は人質の安否を確かめる、君は緻密な要求の話ができる。お互いに条件をのみ合う事で信用が生まれるじゃあないか」
完全に口で負けていた。端から不公平な条件を突きつけているのはこちらであり、彼の返す理屈は至極真っ当に思える。
わかっている。暴力に訴えた時点で、既にこちらの論理は筋が通らない。しかし元々テロリズムの政治要求は真っ当な話し合いの場で通る物ではないのだから、暴力性のアドバンテージを以て無理やりに同じ目線へと引き上げる。
「いいから黙って言う事を聞け! 警官の立場で出来ないなら、政治家なり高官なりに取り次げ! 人質が心配なら、それだけ早く用件を満たして人質を受け取るのがそちらの筋だろう!」
警官は咳を三度する。
まさか機動隊やら特殊部隊やらを呼んでいるのではなかろうか。強化ガラス製の全面窓張りから外をちらと伺い見る。
「わかった、今上と相談をしている。なるべくそちらに寄せる努力はする」
「努力じゃなく結果を見せろ! あと、逃走用の車かヘリの用意もだ!」
ドア向こうに人の増える足音が聞こえた。
フクユキ二十歳、社会への無謀で孤独な反抗だった。
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