【一話】ミエリン証券会社占拠事件・上

 ――――我ながら、バカな事をしたものだ。

 

 誰かが他人と違う特別な力を持った時、その誰かは何をするのだろうか。

 世の為に役立てる正義の味方、私欲を満たす怪物、自己顕示に用いる阿呆、それかまったく別の何か。

 僕は、その中の阿呆だった。

 

 

 

 七月下旬の暑い日である。気温30℃超、セミの声さえ弱々しく、照り付ける紫外線がコンクリートの路面を焼き上げる。

 今年の夏は遅めの到来であった。七月初旬に気温が上がり始め、半ばに入ってようやく例年の夏気温と並んだ。しかしそこからは真夏日が続き、ここ一週間程度は毎日のように猛暑日を記録している。

 

 新宿駅から徒歩五分。

 ORニューロタワー。

 交通の便に優れた駅前立地に建てられた高さ二十一階、敷地面積二十万平方メートルの賃貸オフィスビル。築五年。円柱形の形状で、真新しい外壁は暗褐色で統一され、遠くからは黒い煙突のようにも見える。

 

 仰いでビルを見上げる。てっぺんを視界に入れようと、体を反らせすぎて足元がふらついた。

 僕ことフクユキは、その建物を一通り眺めてから、堂々と正面から入る。

 玄関口の自動ドアを通り、内部にこもったクーラーの冷気にほっと一息つく。なるべく露出を隠すため、あるいは防弾に、いや自分では恰好良いと思って、夏場にも関わらず上着のフードを被り厚手のコートなんか着てしまっているからだ。今すぐにでも脱いでしまいたかったが、それはどうにも間が抜けている。自分を曲げてしまうようで、良い気分がしない。

 建物内も綺麗だ。掃除が行き届いていて、床なんか顔が映りそうなくらいにピカピカ。珈琲店が営業をしているし、いくつか並べられた高そうな調度品も下品さを感じない。ソファーに座ったスーツ姿の二人も朗らかに談笑している。

 

 受付嬢の一人がこちらを見て一瞬だけ怪訝そうに眉を潜め、すぐに薄く笑顔を向けてくる。

 これからやる事を思うと、少し心が痛まないでもない。なるべく巻き込まないようにしよう、等と自分の薄っぺらい偽善に嫌気が差す。

 

 エレベーター前にセキュリティゲートがあり、体格の良い警備員がいる。僕が近づくと、ちらと目くばせしてくる。

 オフィスビルに相応しくない服装を訝しんでいる。当然だ。

 しかしそれでも、こちらは構わない。

 

「ゲートを通るには許可証が必要です。受付で発行するかアポイントメント済みのテナント会社と連絡を取ってください」


 警備員は口調こそ丁寧だが、かなり疑心に満ちた声色である。

 二十歳を過ぎたばかりの、まだ子供とも言える若者がスーツも着用せずに入ろうとすれば嫌な顔もするだろう。

 

「許可証は、ない」


 なるべく嫌みを含んだ口調で返す。

 

「ではお通しできません」


 警備員がうんざりしたように顔を歪ませる。冷やかしだと思われたに違いない。

 

「いや、通る」


 わざといやらしく笑って見せる。

 目の前のセキュリティゲート、警備員、床に意識を照準する。『掴んだ』と感じた瞬間に、薙ぎ倒すようなイメージを頭の中で鮮烈に思い浮かべる。

 直後、凄まじい圧壊する音を鳴らしながら、セキュリティドアが根元から左右の横方向に引っこ抜かれる。それに巻き込まれた警備員が呻き声を上げて弾き飛ばされ尻もちをつき、ゲートの残骸がぶつかったガラスの仕切りが網目状のヒビを走らせながら割れる。

 そこまでしなくても通るに困らなかったのだろうが、これはあくまでパフォーマンスだ。派手な方がいい。

 

「ふぅ……思ったより、きついな」


 念動力の副作用で頭がガンガンする。だが、やってやったと言う達成感と開放感で、ハイになる気分が不快感を打ち消す。

 周囲を見回す。受付嬢を含む建物一階にいた人々が、絶句してこちらを注視している。全員夢でも見ているのかと自分に疑問を投げかけているのだろう。それくらい思ってもみなかった、のだろう。

 

「俺は、今からこの建物を占拠する!」


 反応はない。日常の中に生じた非日常な破壊に認識が追い付かないらしい。今は頭が真っ白になっていても、そのうち我に返って逃げるなり通報するなり行動に移るはずだ。

 

 ズタズタになったセキュリティドアの間を通って、エレベーター前で昇降ボタンを押す。

 先にエレベーター待ちをしていた三十代くらいのOLが、逃げ出すでもなく僕が通ってきた先の破壊跡を凝視している。

 エレベーターが到着し、中に入る。

 もう後戻りはできない。

 計画前から考えていたが、口にしてからやっぱりと思う。俺、は似合わない。

 

 

 

 エレベーター内はシトラス系の消臭剤の匂いに、僅かにニコチン臭が混じる。

 十五階を押す。

 目的はこの建物にテナントとして入っているミエリン証券会社だ。受付の階層リストでもちらと確認したが、十四階、十五階、十六階にオフィスを構えているので間違いない。

 この証券会社は上場中の中堅会社である。近年非常な急成長を遂げている。支社や従業員数も全国に増やし事業は拡大を続けている。来月下旬には十三階にもオフィスレンタルが入るそうだ。

 何故、ここなのかと言えば、ここがその企業利益の追求で違法に近い悪質な業務形態を取っているからである。顧客契約で年配者を狙い撃ちし、強引に契約を結ばせているとか。

 と、言うのがインターネットで流布されている情報だ。知られている話ではあるが、真偽は不明である。そこは大きな要点ではない。

 あるいは、自分の行動に対するただの正当化であったのかも。正義と悪の分かりやすい図式に自分を組み込み、罪悪感から逃れたかったのかもしれない。

 エレベーターが十五階に到着する。ポケットから鎮痛剤を取り出して口に入れる。PTP包装の中で砕けてしまっていた錠剤は粉っぽい。

 

「浄化してやるぞ……」


 口にしてからバカみたいだなと。しかし火照った頭は、状況に酔うに十分な英雄症候群を伴っていた。僕は今の状況に酔っていた。

 オフィスに通じるドアは三つ。どれも頑丈そうで電子ロックが掛かっている。

 問題にならない。

 意識をドアに集中する。吹き飛ぶイメージを思い描く。かなり重い手ごたえ。

 鉄の弾ける音。ドアが前方五メートルすっ飛んだ。室内のデスク、パソコン、書類、人を巻き込んで転がっていく。

 堂々とオフィスに踏み入っていく。十五階が四分割されたその一室。やはりオフィス内の従業員も、一階にいた人々のように開いた眼と半開きの口でこちらに注意を向けているだけだ。逃げ出そうとも悲鳴を上げようともしなかった。

 叫ぶ。やや引きつって裏声になりながら。

 

「腐った社会のゴミに制裁する!」


 オフィスの端から端に向かって、意識を照準する。津波のように薙ぎ倒す光景をイメージし、発動させる。突然の事に誰一人して動けやしなかった。

 吹き飛ぶ人、人、人、物。

 デスクや椅子が弾け飛び、蛍光灯のガラスが破裂し、書類が中空を舞い、誰かが引き出しに隠していたチョコ菓子が粉々になる。

 見えない力が直径一メートルの塊になって巻き込みながら、また弾き飛ばしながら、オフィスを横断していく。ここにきてようやく悲鳴が起こり、判断が早ければその場から逃げ出そうとする。向かってくる者はいなかった。

 力の手ごたえが重い。ほぼフルパワーで行っている。数秒で激しい頭痛と眩暈が襲ってきた。揺れる視界と崩れそうになる足を抑えつつ、操舵を失わないように意識は力へ優先する。

 力を一通りオフィス内で縦断させたところで消失させる。時間ではおよそ十秒程だった。突風でも吹いたように備品が部屋の隅に固められる。その中には人もいるが、負傷か気絶はしているだろうが死んではいない、おそらく。

 

「はぁ……はぁ……やったな……やっちまった……」

 

 その場で膝をついてへたり込む僕を無視して、動ける従業員たちが蜘蛛の子を散らすように出入口から逃げ出す。倒れている同僚を助けようとする人はいなかった。薄情だと思う反面、そんなものだろうなと。あるいはもしかしたら、緊急時のマニュアルにでもそう行動するように書かれているのかもしれない。

 数十秒でオフィス内で動ける人間は僕以外にはいなくなる。

 仮に今、後ろから椅子か何かで殴り掛かられたら抵抗できなかったろうな。そんな考えが頭の片隅をよぎる。

 

「ははは……はは……やってやったぞ! ざまぁみろ!」


 悪を倒した。自分を誇示してやった。世界の中で自分は何かの存在になれたんだ。それはきっととても価値のある何かに違いない。

 アルコール酔いにも勝る強烈な高揚感と充実感が体を支配する。すっきりした開放感の中で、吐き気や眩暈さえ心地よかった。脳血管がどくどく脈打って体が内から熱を持っている。わずかな罪悪感と後悔など些細であった。

 そんな自分勝手な思い上がりでも、紛れもなく自分が世界の中心だと実感した。

 切れた血管から流れた鼻血が口の中に入っても、気にならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る