特別な君たちへ

下妻 憂

【プロローグ】アマヶサキ

 冬の匂いを感じ始めた十一月、天気予報は曇りのち雨。

 都内千代田区の多目的レセプタコンサートホール。

 遠くでサイレンのドップラーが聞こえる以外は、実に静かである。

 時刻は深夜二時。遅い時間帯にも関わらず、ホールのライトは煌々と辺りを照らし出し、人工林から伸びる影をより暗いものにしていた。

 深呼吸をすると、どこか煙の臭いがするそんな夜だ。

 

「俺の願いは、叶えられますか?」


 ホールの玄関前で頼りなげに立ち尽くす青年が、細い声を口から発した。濁音の少ない澄んだ声だが、年配者のような疲れ果てた印象を受ける。俺という一人称にも違和感を覚えるくらい、似合っていない。

 歳の頃は二十歳になるかならないか。体のラインも顔の輪郭線も細く、色白で睫毛が長く女性のようにも見える顔立ちだが男性だ。髪が毛先から白く脱色しており、眉毛より上は地毛の黒。

 原色系の緑の雨合羽を着て、膝下から見える足はインディゴブルーの安っぽいジーンズを履いているのが見て取れる。全身安っぽい出で立ちであるが、スニーカーだけは有名メーカーの高そうな一品だ。

 

「アマヶサキ、投降しろ」


 低く掠れた声が投げかけられる。

 青年から十数メートル離れた場所に、特殊部隊のような恰好をした男がライフル銃を向けて構えている。ただしSATと違うのはアサルトスーツなど全身の色合いが黒に近く、防弾ベストの代わりにアーマー状の装甲を付け、片腕に小さな装甲版を括りつけている。

 男の他にも同様の恰好をした部隊員が8人ほど、青年を取り囲むように一見無秩序に、しかしお互いをカバーできる距離を取って展開していた。

 青年が顔を少し歪めて答える。

 

「……隊長さん、俺の言う通りにしてくれさえすれば、投降します。そうでなければ、諦められません」


 男は動揺のまったくない声色で返す。


「投降しなければ君はとても痛い目にあう。親御さんにも迷惑がかかる。それでも良いのか?」


 青年は泣き出しそうな悲しそうな顔で答える。

 

「ダメなんですよ、それじゃあ。それでは、何も変えられない。間違いがまかり通ってしまう。ずっとずっと、このままなんです……」


 男はライフルの銃口を下げる。

 

「本当に要求をのめば……君は人質を解放し、一切の抵抗をしないか?」


 青年の顔がわずかに緩む。

 

「はい。本当に……?」


 雨が降り始めた。

 男が片手をわずかに揺らす。

 両翼に展開していた隊員が一斉に発砲を開始する。銃声とは思えない小さい射撃音が立て続けに鳴る。銃口から飛び出た弾丸が青年に飛来する。

 青年は唇を横に不満げに伸ばし、体を少し捻りながら両手指を細かく動かす。

 夜闇に、空間が捻じ曲がる。

 弾丸が見えない壁に阻まれたように、彼の一メートル手前で静止する。おかしな形にひん曲がった弾が地面にバラバラ落ちる。

 

「うそつき……」


 男だけが動かず、懐から取り出した新しいタバコに火を付ける。

 

「嘘つきだよ、大人は。ずる賢くて、卑怯で、欲しがりで、だが責任だけは果たそうとする。そんな事、分かっていただろう」


 青年は小さい動きで体を捻りながら、周囲に展開し動き続ける隊員の位置と発砲を確認する。弾道方向に念動力の壁を作り出し、銃弾から身を守る。

 しかし把握しきれない弾道や、たまに照射明滅される隊員のライトや、おそらく遠方で狙いをつけている狙撃手に注意を逸らされ僅かずつ体を弾が掠っていく。それは視界や五感を狂わせ、フェイントや意識外の攻撃を織り交ぜた計算づくの波状戦法だった。彼らは異能と戦い慣れていた。

 

「俺は難しい事なんて言っていません! ただ、”同胞”を檻から出してほしくて! 自由を与えてほしくて! 化け物扱いを止めてほしいだけなんです! なんで、それくらいの事すらしてくれないんだ!」


 雨脚が強まる。

 男は青年に返す。

 

「それは君一個人の事情に過ぎないからだ。いくら暴れてダダをこねても、大勢の意見を捻じ曲げる事は認められない」


 吼える声が悲鳴に聞こえる。


「その大勢とは”俺たち以外の人”の事ですか! 俺たちの辛さなんかまるで鑑みずに、幸せに生きている人達のことですか!」

 

 青年の涙が雨と共に流れ落ちる。

 銃弾が彼の左足に突き刺さる。開いた穴の小ささに反した酷い出血が起こり、青年はそれを力で一瞬にして止血し、注入された麻痺毒を輩出する。

 男は冷徹に返す。


「君が正しいのかもしれない、正しくないのかもしれない。それはわからない。ただ、君が大勢の人達の自由を侵害してまで自分の意見を押し通そうとした事は事実だ。そして俺は政治家じゃあない。ただの役人だ。大した権限もない。仕事として君を捕まえるだけだ。主義主張を通したいなら、こんな暴力的な手段ではなく、署名を集めたり政治家になったりと平和的な方法はあったじゃないか」


 声に涙が混じる。


「そんな……そんなのは……ズルいです! だって、俺たちは弱い存在なんです!」


 男は頭を掻く。

 

「俺だって、そう思うさ。それでも、世の中なんてゆっくりとしか変わっていかない。そう簡単に劇的に変わりはしない。急激な変化には耐えられないんだ。本当は、君だってわかっているんだろう。だから、俺たちをその不思議な力で吹き飛ばそうとしない。迷っているから本気で抵抗しないんだろう」


 青年の顔色は今にも吐きそうなくらい青くなっている。動きは鈍くなり、銃弾は多くが体を掠っている。精神の乱れから、力の操作がおぼつかなくなっている。

 

「だったら、どうすれば良かったんですか……俺たちは息を潜めて生きるしかない……」


 男は視線を逸らせて溜息を吐く。

 

「なんとかするさ、ゆっくりとな。それも大人の義務だ。俺も君も同じ人の子。いつか……わからないが、お互い納得できる妥協点を見つけ出そう。約束する」


 青年は数秒考える。そして少しだけ微笑む。

 

「……わかりました。あなたを信じますよ」


 力を解くと同時に彼はハチの巣になる。倒れ伏した体から路面に流れる血は、紛れもなく赤く、誰とも何とも違っていなかった。

 大粒の雨が降ってくる。

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