第4話 プラットフォーム

 車内にオルゴールの音が響き渡った。透き通った音色ではあるが、妙に膜が張ったような遠さがこもっている。

 僕はやや間を置いて、それが車内放送の一種であることに思い至った。


「次はペンオドロディだったかしら」

 双子の老いた方が、手のひらサイズの鏡らしきものを開く。するとその上に球体型のホログラムが浮かび上がった。

「あなた、どちらを遊覧するかもうお決めになって?」

「どこかに停まるんですか」

「α星にはだいたい停まるのよ。次のところはちょっとした都会のようなものね。ちゃんと行く場所を決めていないと、迷子になるから用心しなさい」

「でもずっと電車にいるとつらいものよ。いつまで経っても発車しないんだから……」

 双子の幼い方が、口に手を当てくすくすと笑う。

「そんなに長く停まるんですか?」

「その人次第よね。当てのない人には、時間の流れ方があまりに違う星なんだもの」

「当ては当てでも、物や事では難しいのよ。あくまで人でないといけないの」


 それを聞いて、僕はすっかり困ってしまった。

 僕にはそもそも、職場以外にさしたる友人もおらず、この人たちみたいに連れや話し相手がいるわけでもない。ここではせいぜい傍らにいる少年くらいのものだが、彼は今ではもう僕への興味をすっかり失ってしまい、顔半分が平らになるほど窓にぴったりと頬を貼り付け、必死な様子で外界の観察に励んでいる。


 停車先で見知らぬ人と知り合いになれるだろうかと、少々考え込む。

 僕には年相応の娯楽があるわけでもない。旅に出ることはなく、往復路以外に電車に乗ることもない。稀に出張で知らない土地を訪れることがあっても、何もせずにホテルに留まっていることが多い性質だ。

 正直、行きたい場所を見つけるのは苦手だった。どこにも行かなければ、確かに人と出会うこともあるまい。


 何か関心を抱けるものが見つかればいいけれど、と淡い期待を抱きつつ、幾ばくかの不安を募らせていると、気分が伝染したのか、双子の少女の方が困ったように眉をひそめた。

「決めるのは、いつだってできるわ」

 何か助言をしようとして、結局なにも言えずに戸惑っていた彼女の代わりに、老婦人がきっぱりと言った。厳しそうな佇まいに反し、その声には意外なほどに温厚さがにじんでいた。

「楽しいも、つまらないも関係ないの。帰れない時は、永久に帰れなくなる。道を忘れたものを迷子っていうのよ。地図が描けないのなら、せめてその星にいる間は都度つど、次の行き場所を宣言することね」

「宣言って、誰にですか?」

「誰だっていいのよ。あなたがどっちに行ったか、周りの人たちが知っていれば、それが勝手に道になるでしょうに」


 その時、窓の外にいくらか大きな影がちらつきはじめた。列車が天の川に沈み込むように、ゆっくりと高度を下げつつあった。

 窓外から差し込む陰影の濃度が増していく。いつの間にか、流れ去る星々の直径が、次第に膨らみつつあった。気が付くと車内は、明暗だけで作られたフィルムのように、全体がチカチカと明滅するようにまでなっていた。

 きっと星を隅々まで満喫できるよう、目的の星の大きさに合わせて、あえて列車がどんどん小さく縮んでいるのだろう――この時には僕もすでにそんな風にまで考えるようになっていた。


 明るく赤茶けた星がぐんぐんと大きくなり、突然ぱっとフラッシュしたかと思うと、次にまばたきをした時には、列車は真っ白いホームに停車していた。

 扉が開き、列車から乗客たちが次々と自分勝手な方角へと散っていく。連結していたはずの列車は、一車両だけになっていた。

 人々がホームを離れどこかへと向かうその光景を、僕はそれほど長いあいだ見守っていたわけでもなかったように思うのだが、気付けばあっという間に自分一人だけになっていた。

 なんとなく、あの双子の言ったことが分かるような気がした。案の定、例の子供の姿もなかった。


 ホームは半分に切り取られた楕円形のような、真っ白い台座型をしていた。その真ん中にもみの木にも似た銅色のオブジェクトがぽつんと寂しく立っている。彫像の表面には、見たことも無い文字がでかでかと刻まれていた。きっとこの駅の名が記されているのだろう。


 空を見上げると、青白い星々が煌々と輝き、深い紺を薄めていた。見守っているというよりかは、見張られているかのように、あまり心の休まらない光り方である。

《目的が欲しい》との思いが、ひしひしと自分のなかで強まってくるのを感じる。


 周囲を見渡せば、プラットフォームを出た先に、赤茶けた大地が延々と広がっているばかりだった。凹凸は皆無に等しく、ポリゴン世界に舞い降りた気分である。


 少なくとも十数人はいたはずの乗客は、一体どこに向かったのだろう。そう思い、一歩踏み出すと、足元に何かが当たった。

 拾ってみると、それは小さなボールだった。野球ボールくらいのサイズだが、手に取ってみると軟らかく、お手玉のように形が崩れる。

 手でそれを弄びながら、転がってきた方を見ると、いつの間にか白い道が伸びて、その先に町らしきものが現れていた。小粒の黄色い宝石を散りばめたように、あちこちで硬質な明かりが灯り、町の上では同色の巨大な輪がくるくると回っていた。

 まるで天使の輪だ。巨大な輪の中心には、いくつかの高層建造物が高々と伸びているのが分かる。


 ここからそれほど遠くもなさそうに思われたため、僕はまずボールを手にその町に行ってみることに決める。そしてすぐに、あの双子の一人による助言を思い出した。

 それで、誰かに自分の行き場所を伝えようとしたが、周りには誰もいなかった。それでも独り、呟いてみると、乾いた空気のなかで言葉は行き場所を失い、発したかどうかも不明瞭な、風の一部となり果てて消えてしまった。


 早く人を見付けなくては――僕は無人のホームを後にした。


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