第3話 双鏡面
僕らの乗る列車は、太陽(おそらくは。この銀河で最も巨大な恒星であることは確かだ)を中心にして、巨大な渦を巻いて回転していた。もし自分の眼の役割を未だ信じることができるのなら、ここでの太陽はそれ一個でおそらく太陽系全体ほどの大きさに匹敵するのではないか。
しかし考えても埒が明かなそうなのでやめる。列車は途中で止まらない、ここでの摩訶不思議な原理を受け入れるしかあるまい。
水源からいくつもの川が派生するように、太陽から無数の腕が伸びている。縞模様の海岸線を見渡すかのように、渦の列は延々とキリがない。
渦状銀河を構成する数多の腕は、ヒトデというよりかはイソギンチャクのそれに近いといえよう。各各が独自の色や構成を持っている様子で、見た感じ中心となる太陽以外には天の川を結びつける要素はない。
すべてを見ることはできないので、僕はすぐ隣の腕を見る。そこではまだ列車は走っていなかった。代わりに粒子とも思しき星々が、所々で高い飛沫をあげている。川の勢いで生じた波が、元の流れとぶつかり合い、圧し合って、空中に逃げ場を求めるような感じだ。
そしてある一定の高さまで達した飛沫は、そこから宙に浮かぶきらめきの一つとなった。まだ不安定な輝きであり、事実そのいくつかはすぐ川に逆戻りする。それでもそのうちの何個かは、浮かび上がって浮遊する点となり、一層強いきらめきを放つ。
そしてそのほとんどが、一つではまた堕ちてしまわんとばかりに、小さく微振動を繰り返しては、角度を変えて光り方を変える。僕はそれらの星々が、やがて星座になる日を待ちわびているのだと思った。
そこではじめて目を高くすると、遥か高みに星座の連なりが見えた。この宇宙は高さがはっきりとしているらしい。
「さっき言っていた、大鰐座っていうのはどれだい」
僕は小さな感動から、隣の子供に質問した。闊達で、どこか眼に知的な響きを含んだ少年が、振り返って答える。
「ずっとついてきているよ。あの辺りを泳いでいるだろう」
指し示す場所が、僕には分からない。そこには滝の下よりはやや薄い暗黒が広がっているに過ぎないように見える。
「おじさんには、難しくってよく見えないんだね。ほらごらん。時々鼻息をつくだろう」
辛抱強く目を凝らしていると、確かに時々、白っぽい星間ガスが何もないところから噴き出ることに気付く。しかしやはり、子供のいう大鰐座とやらの姿は見えない。
「先生のたまわく。」少年が言った。「あれは潜水型星座っていうそうだよ。星座になれたのはいいけど、城域への謁見が許されるまでは光をもらえず、暗黒のなかに隠れたように暗い色で泳ぎ続けなければならないんだって。それでも誰かが見てくれるほど、光をもらえる期待が高まるって信じて……ほら、また鼻息をついた! ここにいるよって、言わんばかりにね!」
白いガスが吹き上がる。そしてすぐに流星と飛沫のなかに掻き消えていく。間を置いて吹き上がるそれは、気のせいかゆっくりと遠のいていくように見える。あるいは星座ならば、銀河の腕と腕を行き来できるのかもしれない。
そのような主旨のことを僕が訊ねると、その答えは少年の代わりに別の方から返ってきた。
「定住の地を探しているのよ。宇宙の流民……大天格たちはそう呼んでるわ」
傍らに、座席の端に腰を下ろした少女がいた。金糸で織り込まれた
「泳ぎ続けることは、時に地獄を刺繍することにも等しい。永遠という名の、まぁるいフレームのなかからずっとずっと出られないんだもの。だからね、私も羨ましいと思うときもあるけれど、でもこれでいいの」
彼女の手のなかには、一つの不透明なガラスの小箱があった。白い指がそれを開くと、今度は縫物に使われる円形の枠が出てきて、これもやはりガラス製だ。その枠のなかの白生地の上に、ちょこんと小さな花が一輪のっかっている。
「ご覧なさい。ずっとコスモスばかり縫い続けてきたのよ。だから誰も愛せないの」
「まぁ、
「私には、その理想の殿方とやらの絵を縫い上げるほうが、まだ健全なように思えるけどね。子供っぽさを通り越して、あなた痛々しいわ。まったくもう、いつだってあなたとセットで扱われる私の身にもなってよ」
二人によって成立する会話。その声があまりに似通っているので、僕は最初その少女が一人二役で独り言をつぶやいているのではないかと思った。
しかしすぐに、彼女の向こうに人影を見出すと、二人の対面へと移動する。
そこでまた言葉を失った。
並んで座っていたのは、似た姿の少女ではなく、しわがれた老女だった。歳を感じさせない、上品な恰好とピンと伸びた背こそ印象的ではあるものの、とてもじゃないが少女と同じ声をした人物とは思えず、僕はまた盛大な勘違いをしたのではないかと気を揉んだくらいだった。
「びっくりしたでしょう?」老女が言った。「こう見えて、双子なのよ。でもこの子はずっと針仕事。私は今では二千人の従業員を束ねる大企業の取締役。月とスッポンとはこのことね。双子だけれど、宇宙列車にでも乗らない限り、私たちはもう会って話すこともないのよ」
僕はなんといったらいいのか分からなかった。それで双子の若い方をみると、さっきまでは大胆かつ自在ささえ感じさせた様子はぴたりとなりを潜め、代わりにその表情や自己の成果物をなぞる指先には、それとなく恥じらいが浮かんでいるようであった。
大事そうに抱えて持っているくらいだから、そのコスモスも自慢の一品なのだろう。その恥じらいは少女らしい(少なくとも見かけ上は)年相応のものではなく、どこか大人びた憂いを含んでいた。
少女が言った。
「私だって、こうしてあなたと銀河で再会でもしない限り、針を持つ指先が震えることはないのよ。それでも、やっぱりまた、会いたくなってしまう。あなたは疲れ、私も疲れる。仕方のないものね、双子って……」
そうして、ほぅと小さく温かそうな溜め息をつき、微かに震える指先を、別の手でいつくしむようにきゅっと握り締めるのだった。
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