三十八日目 告発

 煌々と輝くライトの下、壇上に立つ二人の影が花弁のように咲いている。空気を読んだのか、跨っているテレメラは唸り声を抑えてくれていた。

 僕の自己紹介の後、誰一人として自発的に話そうとはしなかった。観客はこれが演出なのか測りかねているようだし、周りの人間も突然バイクに乗って現れた隻腕をどう扱っていいのか分からずにいるようだった。

 深呼吸をして、話しかける。


「あー……そうだね、まずは謝るよ。ごめんね。授賞式に割り込んでしまって……ただ、どうしてもあなたに聞きたいことがあったんだ」


 彼の表情は変わらない。僕がこんな感想を持つのもおかしいが、まるで機械に向かって話しているような気分になってくる。あのインタビューを受けていた人物と本当に同一なのだろうか?

 静かに、彼が口を開く。


「……君は、魔人か……?」

「……うん。今はね」

「今は?」

「ああ、うん。話したいことはソレなんだ」


 意味がないことは分かっているが、咳払いをして質問をする。


「総歴二千十六年、六月二十五日。この日付に心当たりは?」


 覚えている限り、それが僕が人間として過ごした最後の日だ。彼がどういう存在なのかは分からないが、僕の体で生きてきた彼ならば、あの日に何が起こったのかを知っている可能性は十分にある。

 予測というより、妄想の域を出ない答えが、頭の中を順繰りに回っている。

 魂が何者かに取り出された? 分割された? 入れ替えられた? 複製された?

 喉を鳴らして、彼の返答を待つ。すると、先ほどから少しも表情が変化していなかった彼の顔に、初めて険が宿るのを見た。

 そして次の彼の返答は、僕の予想のすべてを踏みにじるものだった。


「……げしゃめなといあ、あぱとらしぃな」

「げしゃ……は?」


 ライレアの公用語であることを疑いたくなるような発音で、彼が何かを口にする。それを聞いた瞬間、全身が総毛だつような違和感に襲われる。


(ゲシャメナトイア・アパトラシィナ)


 広告か何かだろうか、どこかで聞いたことがある様な気がするものの、その詳細までは思い出すことが出来ない。

 何かの固有名詞? だとしてそれが今の質問の答えになるのか?

 

「いったいそれは……」


【呼んだぁ?】


 若い女の声が聞こえた。

 目の前で彼の表情がぐにゃりと歪み、周囲の光すらも巻き込んで、まるで空間ごとこねくり回したように、そこだけ世界から切り取られてしまったかのように、歪に光が屈折する。

 どうやらその現象は僕以外にも見えているようで、ホール内にいる人間は漏れなく悲鳴を上げていた。

 歪んだ光は集合と離散、膨張と収縮を繰り返しながら、徐々に何かの輪郭を作り上げていく。立体映像にも似たそれは、眩しいライトの下でもはっきりとわかるほどに発光している。

 五感ではなく、魂が危険だと訴えてくる。これに向かい合ってはならないと、全身が震えて警告を発している。震えながら、左手で拳銃を構える。意味はないかもしれないが、少なくとも先ほどよりは体の震えが収まった気がした。

 数十秒後、光が移動を止め、あるものの輪郭を形作った。どうやらあれで完成らしい。線だけで構成されたそれは、しかし精緻に作られており、注視すればその細かい表情までも読み取れそうだ。

 光で形作られた「人間」。壇上に現れた三人目は、彼の方に向き直る。


【珍しいねぇ、君が私を呼ぶなんて……ああ、お願いを使いたいのかな?】

「違う……ゲシャメナ、貴様……私を騙したな?」

【……騙した?】


 どうやら先ほどの謎名詞はあの光人間の名前らしい。なぜわざわざ立体映像を使って登場したのかは分からないが、彼とは親しい関係に見える。

 僕が理解するより先に、彼らの会話は続いていく。


【なんのことかわからないけど、私は騙してなんていないよ?】

「とぼけるな。貴様が私に寄越したものは、全部彼から奪ったものだろうが」

【彼?】

「後ろだ」


 振り向いた光人間と目が合う。構えたままの銃を見ても、怯えの色一つ見えない。それどころか、ニタニタと笑みまで浮かべている。


【おやぁ……これは驚いた。君、どうしてまだ存在しているんだい?】

「なんの……話だ」

【何のって、君の魂を捨てた話だよ】


「あ」と思わず声が出る。

 瞬間、擦り切れたテープのような記憶の再生ボタンが押される。



【足し算と引き算は知っている? ……そう。ならわかるね?】

【一つの入れ物には、一つの物しか入らないんだ】

【もしそこからこぼれ落ちたら? さぁ……ただ……】

【この世界に、そんな汚いものを拾い上げる神様はいないだろうね】


【何故君を選んだのかだって?】

【決まってるじゃないか】

【君が幸せそうだったからだよ】


【うーん……特別幸せってことはなかったかな】

【そうだね。何が悪いかって言われると……】

【運が悪かったんだろうね。君は】



「あ、ああ、あああああああああああ!」

 いた。確かにいた。僕はこいつの目の前にいた。いつ、どこでなんてわからないが、絶対にこいつと言葉を交わしたことがある。

 パッチワークのような記憶の中で、奴が口にした名前……それが。


「ゲシャメナトイア……アパトラシィナ……!」

【うん、そう。思い出してくれたかな?】

「お前……っ!」


 勢いに任せて引き金を引く。乾いた音と共に、飛翔体が奴の頭を貫通……というより通過する。手ごたえが得られないことにいら立って、弾倉の中を空にするまで撃ち尽くす。

 残ったものは転がる薬莢と、硝煙の臭い、そしてニヤついた奴の顔。

 

【思い出してくれたのならいいんだ。ところで、どうして君はまだ存在しているんだい? 魂はちゃんと捨てたはずなのに】

「答える、義理は、無い」

【ああ、そう。じゃ、いいよ別に。あんまり興味もないしね】


 奴はそういうと、本当に僕から興味を失ったようで、彼の方にまた向き直った。


【それで? マキミヤ君。彼がどうかしたの?】

「……私は、生まれ変わる前にお前に条件を出したな?」

【うん。健康な肉体、幸福な家庭、凡庸な生まれ……だね? 覚えているよ】

「そうだ。その代価に、私は


 ガンガンと激しい頭痛が絶え間なく襲い、二人の会話が頭に入ってこない。

 生まれ変わる? 世界の発展?

 内部から発生した熱のせいか、目の前の彼らの姿が揺らいで見える。


『ライアット……聞こえますか? 返事はしなくて結構です。まだ中継は続いていますので、そちらの様子は分かります』


 インカムからマザーの優しい声が聞こえる。


『あの二人の会話から予測するに……残念ながら、私の予想は当たってしまっていたようですね。まさか本当に存在するとは思いませんでしたが……』


 以前もらったマザーからの手紙にあった「怠惰で慈悲深い神さま」。目の前にいる奴がそれだという確証もないが、霞んだ記憶の中で話していた奴は、確かに神だと名乗っていたような気もする。

 では、その神と対等に話している彼は何物なのだろうか?

 壇上では、彼らの会話の熱が上がり始めていた。


「お前は約束を反故にした。よって、お前との契約は今この場で破棄する」

【さっきも言ったけど、私は約束を破ったりはしていないよ?】

「しているだろう。彼がそこにいることが、その証左だ!」

【……ん?】


 口調に熱がこもり始めている彼とは裏腹に、ゲシャメナは本当に意味が分からないというように呑気に首をかしげている。


「私は、最初に言ったはずだ。誰かを犠牲にするくらいなら、私が犠牲になると」

【ああ……そういえば君は、前世からそういう考えを持ってたね】

「新しい体をもらえるのはいい。幸福な環境を揃えてもらったにも文句はない。だが、それが人から奪ったものであれば話は別だ」


 ゲシャメナ越しに、彼と目が合う。怒りに吊り上がったその瞳に、何故かあの雨の日のグロリィと同じ光が見えた気がした。


「お前は、私に言うべきだった。生まれ変わる場合、他の誰かの体を奪うことになると」

【……ごめん。ちょっと理解できないや。それはそんなに重要なことなの?】

「……」

【だってほら、考えてもみてごらんよ。器と中身の数は同じなんだ。どれかを捨てないと、新しいものは入れられないだろう? それに、中身を入れ替えたところで、この世界には何の損害もない。だって、を選んだからね】

「……彼の同意を得ずにか?」

【説明はしたよ? ね?】


 振り向いたゲシャメナと目が合う。震える唇を懸命に動かして、何とか返事を絞り出す。


「……説明しただけだろう……僕は、そんな要求を飲んだりしない」

【……要求?】


 再び、奴は首をひねる。僕がおかしいことを言っているわけがないのに、まるで言葉そのものが通じていないような反応を見せる。

 数泊置いたのち、歪な笑顔で話し出した内容は、さらに僕を苛つかせるものだった。


【私は要求なんてしていないよ? ただ、これから君の魂を捨てるよって、伝えてあげただけ。それで十分でしょう?】


「ふざけるな!」


 叫んだ声は、僕の物ではなかった。

 彼は、これまで見たことがない位に眉間に皺を寄せて、ぶるぶると体を戦慄かせて、今にも殴り掛かってしまいそうな体を必死に抑えている。

 怒気に満ちた言葉で、ゲシャメナを攻め立てる。


「今、はっきりとわかった。貴様は……世界平和を目指してはいるが、人間を幸せにするつもりはないということだな?」

【幸せって……その要件を満たさなくても、世界平和は可能だよ? それに、変革の度に個々のユニットに確認を取っていたんじゃ、先にこの世界が滅びちゃうよ】

「なら、最初からそんなことをするべきではなかったということだ」


 大きく息を吸い込み、決定的な言葉を彼は口にする。


「この世界は、貴様達の遊び場ではない」

【……そう】


 しんと静まり返ったホールの中、ゲシャメナはそうつぶやくと、光の集合体となっていた体を霧散させ、その場から消え去る。しかし、まだ存在はしているようで、声だけは僕たちに届いていた。


【ああ、もう……これだから他所のユニットを借りてくるのは嫌いなんだ。せっかく馴染ませてやったのが無駄になったじゃないか】


 瞬間、会場の異常に気付く。

 先ほどまで、少しではあるが聞こえていたざわめきが、まるで時間でも止まったかのように静まり返っている。

 客席を見て、息をのむ。

 全員が壇上に注目しているが、その中の誰一人として瞬きをしていない。腕を上げたままで、逃げ出そうと腰を浮かせたままで、正気を疑って自分の頬をつねったままで、一人残らず、凍ったように動きを止めていた。

 気付けば、跨ったままのテレメラからもその魂の存在を感じ取ることが出来なくなっていた。震える唇でインカムに話そうとするが、すぐに無駄だと思いなおす。


【ラシャリナには悪いけど、多少無理をしてでも障害を切り分けることにしよう。驕主悉繝ュ繧ーを消去して、譎る俣霆クを並行に複製。デフォルトで揺り戻す】

「待て!」


 奴の言葉に、今まで辛うじて聞き取れていた意味不明な言語が混じりだす。今起きている異常事態と、彼が止めようとしているということを加味して考えれば、これから起こることは何か僕達の不利益につながる事に違いない。

 同じ壇上に立っているというのに、僕は何もできない。真実を知るために来たというのに、恐らく一番大事な部分で僕は何もできないままだった。

 左手で、スライドが開いたままの拳銃を握りしめる。

 少しの間の後、僕の耳に届いた声は、驚愕に満ちていた。


【エラー……? 何? ……不適格ユニット?】


 疑念を孕んだ声から少し間をおいて、今度は諦観じみた、気の抜けた声が頭上から響いてくる。


【……はぁ、やっぱり旧式の世界じゃここらが限度ってことなのかもしれないね。遞ョ縺ィ縺励※縺ョ蝗樒ュを出せなかったのは残念だけど、もともと壊れるものをここまで長持ちさせたんだから、一定の成果は上がったとしよう】


 ため息とともに、空気が弛緩していくのを感じる。


【マキミヤ君……と、君はルライド君だっけ。お疲れ様。これよりこの世界は君たちの物だ。いつか滅びるその日まで、どうか健やかに過ごせるといいね】

「ゲシャメナ」


 彼の凛とした声がホールに響く。


「お前が居なくとも、私は私の方法できっと世界平和を成し遂げてみせる」

【……そう】


 その言葉を最後に、今度こそ周囲を包んでいた緊張感が跡形もなく消え去る。観客席からはざわめきが戻り、インカムからは突然消えた神さまに動揺するマザーの声が聞こえはじめる。

 その動揺の波を切り裂きながら、彼がこちらへと歩を進める。その瞳はライトを反射し、キラキラと光りながらこちらをまっすぐに見据えていた。

 彼の接近に警戒するテレメラをなだめながら、僕も同じように彼の瞳を見つめ返す。


「ルライド・アトライヤ君……だね? 私はマキミヤ・ハヤト。この四年半、君の体に乗り移り……ゲシャメナと手を組み、世界を発展させようとしてきたものだ」


 あくまでも好意的に名乗ってくれた彼に対して、僕はまだ先ほどの神さまとの会話を飲み込めずに、ぼんやりと口を半開きにしたままなにも答えることが出来なかった。

 そのまま答えずにいると、彼が今気付いたように微笑んだ。


「ああ、そうか……先にこの状況をどうにかしないといけないね……」


 彼は落ちていたマイクを拾い上げ、会場にいるすべての人間に、そして、この世界に生きるすべての存在に対して、説明を始めた。


「……この映像をご覧の皆さん。まず、私は……この世界とは違う、別の世界から来ました」

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