三十七日目 挨拶

「さぁ、見ていただいているのは野次馬の集うホールの前! すごい人だかりですね! 現在、ホールの中では授賞式がとり行われています!」


 ネット中継も含め、ほとんどの放送局がこの一大イベントをリアルタイムで放送している。ホール内に入ったカメラからは、歓声とやや明るすぎなスポットライトに迎えられて、数人の受賞者が登壇している様子が見て取れた。

 ホール裏手の街路樹に身を寄せ、フニール賞の授賞式が目前に迫ったことを確認した僕は、インカムのマイクを口に寄せる。


「作戦……はじめるよ」


『いつでもどうぞ。タイマーはこちらで持ちますので!』


 明るいマザーの返事と共に、僕はトップスピードで裏口へと駆け出した。



***



 話は、ディストロへ向かう寝台列車までさかのぼる。


「ぜ、絶対、無理……!」

「馬鹿じゃないんですか?」

『えーと……無理です。ごめんなさい』


 画面の向こうの友人を含めた三人に一斉に否定され、僕は口ごもってしまう。

 僕の体を持つ彼に会うのには、一週間以内という厳しい条件があった。ディストロに着くまでに、最短で六日と半日。着いたその日には授賞式が行われている、ギリギリの日程だった。

 だからこそ僕はこう提案したのだ。

『授賞式に突撃して衆目の前で僕の由来を証明しよう』と。

 言うまでもない事ではあるが、この授賞式、結構な大イベントである。当然、警備はこれ以上ないほどに厳重であるし、最近導入された警察仕様の魔人も出張ってくるらしい。その上、統率の取れた動きで組織立てて警備しているのだ。一人や二人がテロを企てたところで、一瞬で制圧されるのは目に見えている。

 しかし、そんなことは百も承知だ。

 僕にしか出来ない、僕でなければできない方法でなら、突破の可能性はあった。

 一つずつ、慎重に作戦を説明していく。すると、皆の反応も、先ほどとは別物になっていった。

 まずはマザー。


「んー……おすすめはしないですけど……可能性はありますね。多分、警官の魔人に使われてる通信はクローズドでしょうし……や、でもおすすめはしませんよ?」


 次にグロリィ。


「……と、途中までは、上手くいくと……思う……多分……。で、でも、その、バランスが……難しいような……」


 サフィエさんは何も答えず、黙って肩をすくめただけだったが、そもそも役割を振っていないので、同意してもらう必要はない。止められたりしないだけマシだった。


「全員で力を合わせれば、成功率は上がると思う……それに、もし失敗しても、裁かれるのは僕だけだ……だから……」


「協力、してほしい」



***



 紫紺のドレスを翻し、裏口の一つを守る警官魔人へと接近する。僕を認識しているのだろう、緩慢な動作でこちらに振り向こうとしている。

 その顔が振り向く前に、その顔面――カメラに向かって全力で身に着けていたマフラーを投げつける。同時に尻尾で地面を叩き、魔人の背後に跳躍、着地する。

 魔人の首の後ろにある操作盤を、改造された右手でこじ開け、尻尾の先端を突っ込む。

 懐かしい感覚とともに、警官魔人の体の主導権が僕に移る。同時に、閉鎖されていた回路を通して配置されている警官の様子が手に取るようにわかる。


「成功した。予想より数は多いけど……いけそうだと思う」

『了解しました。猶予は八百秒です。手早く済ませましょう』


 深呼吸を一つすると、僕は自分の体を抱きかかえて、ホールの中へと駆け出した。



***



「必要なのは、自在に動かせるコネクタと綺麗な手足なんだ」


 首の後ろを叩きながら、グロリィに僕の体の説明をする。


「まず……この作戦では、僕を人間だと勘違いしてもらう必要があるのと、もう一つ……やっぱり警官相手に丸腰っていうのが心細いっていうのもある」

「う、うーん……」


 僕の話を聞いたグロリィは、しかし納得がいかないという様子で首をひねっている。


「え、ええと……その、騒ぎが大きくなっちゃうと……バランスが……」

「うん。だからエスコートは一体だけ。あくまで単独の暴走ってことにしたいんだ」

「んんー……」


 少しの沈黙の後、彼女は小さく頷いてくれた。



***



(やっぱり急ごしらえだと操りにくいな……)


 僕のドレスの股ぐらから生えている長いケーブル。人工筋肉で包まれたしなやかなそれは、まだ体の一部として馴染んではいなかった。操作性を追い求めた結果、腰からケーブル生やすことになったのだが、人間にもともとない部位であるため、まだ思うようには動いてくれない。


(ま、今はそんなことより……)


 自分の目を閉じて、別のカメラからの情報に専念する。

 僕の体を抱きかかえて廊下を走る警官魔人。その視界を奪い取って、脳内の警備図と照らし合わせる。

 さっきからひっきりなしに頭痛がするのは、きっとこの体に停止命令が出ているからだろう。ホールの警備担当者は、この異常事態にはとっくに気付いているらしかった。

 だが、まだ騒ぎにはなっていない。

 グロリィの言葉を借りれば、今はバランスが取れている状態だ。


 警察への魔人の大量配備。そこに至るまでには民意の強い反感があった。何かから何かを守るという単純な判断ではなく、善と悪とを判断する立場の警察に魔人を導入するのには、やはりというべきか多くの人々が嫌悪感をもった。

 しかし、幾重にも施されたプロテクトや、最新式のAIによって確立された安全性、内部トラブルを未然に防ぐセキュリティ体制など……開発側の努力によって、徐々にその有用性を示していき、ついに今年、ディストロの警察に配備されることとなったのだ。

 総数で何千体という小さい数。だがしかし、ここでその有用性が認められれば、それは一気に世界中に普及しうる。需要は何倍にも膨れ上がるだろう。

 そしておあつらえ向きに、全世界に中継される大イベントの開催。ここでその有用性をしっかりとアピールしたいと、製造側の人間ならだれもが考えるだろう。

 僕の作戦は、その隙をついたものだった。


「ストップだ! 止まれD-45!」


 声紋認証なのか、その声が聞こえた瞬間、激しい頭痛と共に足の動きが鈍る。歯を食いしばって、目の前の警官へスライディング。鈍い音を立てて彼が転がるのを横目に、廊下を駆け抜ける。

 転がった警官は振り向きざまに腰の拳銃を抜くが、眉に皺を寄せ、撃つことはしない。

 当然だろう。彼から見れば今の状態は「暴走した警官魔人が一般人を拉致して疾走」している状況に他ならない。もし発砲をして抱えられている少女にかすりでもすれば大変なことになる。


(……まぁ、実際には違うんだけどね)


 単独でのテロは必ず失敗する。

 で、あれば、テロだと認識させなければいい。

 つまり、不祥事だ。ここまでして普及させようとしている警官魔人に、製造企業との癒着や利権のあれやこれやが存在していない筈はないのだ。

「暴走した警官魔人が一般人を拉致して疾走」している状況は、彼らにとって危機的状況ではあるが、少なくともテロとしては認識されないし、できるだけ秘密裏に処理したいと考えるだろう。彼らがそう考えているうちに……「まだ隠し通せる」と思っているうちに、何とか彼のところまでたどり着く、というのが僕の考えた作戦だった。

 初動はうまくいった。この時点でまだ警報もなっていないということは、授賞式も中止されてはいないということだ。彼らはまだ、この事態を隠そうとしている。


『残り六百秒です。まだ会場に変化はありません……が』

「ん……? あっ!」


 目の前でけたたましい音を立てて、防火シャッターが降りる。周囲に火気があるわけもないし、これは僕を足止めしようと操作されたものだろう。


「マザー、この先にあと何枚ある?」

『全て操作されたとして……四枚ですね』


「足りるな」と呟いて、ドレスの内側に手を突っ込む。護拳のついたトンファーに似た道具をそこから取り出し、魔人の右腕に装着。腰を据え、防火シャッターの床面近くに狙いを定める。


「……おらぁ!」


 掛け声とともに、炸裂音と閃光が廊下に迸る。残光の後、防火シャッターの裾にはちょうど人間が一人通れそうなほどのスペースが生まれていた。

 右手につけられたトンファー……かつてヒュッテバイヤーであったそれは、弾倉の中身が取り換えられ、簡易的なマスターキーと化していた。


 脳内に響くアラートのテンポがあがる。今しがた見せた破壊行為によるものか、僕に対する警戒度はまた一段引き上げられたらしい。


「避難とかは始まってないよね?」

『ええ、会場に変化はありませんし、彼の登壇もまだです。残り五百八十秒』


 二人してドアを潜り抜け、また長い廊下を疾駆しようとした矢先。再び眼前で白く艶めくシャッターが降りる。


「……クソっ」


 呟いて、右腕を振りかぶる。



***



「ね、ねぇ、ライアット……」

「ん?」


 寝台列車での事だ。壁に寄りかかって疑似睡眠を取っていた僕に、布団に包まっていたグロリィが突然話しかけてきた。

 肩まで伸びた髪を枝垂れさせながらこちらを見つめる瞳には妙な色があった。


「そ、その……もしバランスが崩れたりしたら…ど、どうする……の?」

「どうするって……」


 死ぬ。

 そう口に出せるほど、人の情緒が分からない僕ではない。


「うーん……まぁテレメラもいるからね。いざとなったら人質でも取って逃げるよ……あ、勿論傷つけたりはしないけどね」

「そう……」


 暗闇の中、僕のカメラの絞りは開ききっている。薄暗い闇の中では、彼女自身より鮮明に、彼女の表情が分かってしまう。


「……あの」

「うん」


 静謐な闇の中、グロリィと視線を交わす。


「……し、死にたいの?」


 返事をするために口を開けたはずなのに、肝心の言葉が出てこない。ただ一つの疑問だけが頭の中を走り回っている。


 ――どうしてそこまで知っているんだ?


 死にたいわけじゃない。でも、この作戦を達成できなければ死ぬしかない。

 目の前に唐突に現れた選択肢にとらわれている感覚は確かにあった。だが、それに逆らったところで、まともな選択が残されているわけはないのだ。第三の道を探すことは、最初から眼中になかった。

 勝算の低い賭けで、負ければ死。そんなものに挑む奴がいれば、自殺志願者と思われても仕方がないだろう。


「出来れば……生きたいかな……」


 偽りのない本心で、彼女の質問に答える。

 列車の風切り音が子守歌のように優しく、車内の沈黙を包み込む。

 ぽつり、と湖面に落ちた水滴のように、彼女の言葉が響く。


「……わ、わたしね……ら、ライアットの事……」



***



「四枚目ぇ!」


 怒声と共に防火シャッターを殴りつけると、付け焼刃で改造しただけのヒュッテバイヤーがたまらず砕け散る。


 ――まだ一発残ってたのに!


 舌打ちをして、なおも前に進む。この先にある扉を開けば、舞台裏の通路まで駆け抜けられるはずだ。

 扉を視界に収めると同時に、両足の内部関節を引き絞る。僕の体より頑丈な警察魔人が全力でタックルすれば、扉の一つや二つ、苦も無く開けられるだろう。

 扉に近づいたことを確認して、僕は自分の体を後ろに放り投げる。眼下では勢いよくタックルした魔人と、勢い良く開く扉が、


 見える、はずだった。


 骨格の折れる甲高い音と、人工筋肉が圧縮されて千切れる鈍い音とが混ざり合って、断末魔のような破砕音が作られる。傷一つついていない扉の前では半壊した警官魔人がうずくまり、その破損状態から、もうまともに動けないことを物語っていた。


『残り四百秒……ってああ! 動いちゃダメですって!』


 焦ったようなマザーの声がインカムから発せられる。


「動いちゃダメって何が?」

『ライアットではありません! 彼です!』



***



 同時刻。

 ホール前の受付は閑散としていた。すでに授賞式は始まっており、あらかたの人間は既にホール内に入ってしまっている。外に出待ちの見物客はいるが、内部にまで入ってくることは出来ない。

 外のざわめきと隔絶されたラウンジは、足音すらもよく響く。幾人かのスタッフらしき人物がカツカツと高い靴音を鳴らして歩き回っている。

 そのうち、一人が足を止めた。見つめる先はガラス戸で隔絶された見物客の海。雑談や叫び声で構成されたそのノイズに、いくらかの悲鳴が混じっていることに気付いたのだ。

 獣のような爆音が響く。副次的なものではなく、明らかに誰かに聞かせようとしていると分かる、恣意的な音。

 悲鳴と混ざり合ったそれは、だんだんとホールの入り口に近づいてくる。

 直近の警備員たちが警戒して連絡を取り合うが、ほんの少しだけ遅かった。

 いや、遅かったというより、侵入者が速すぎたのだ。

 ラウンジ前に敷かれたレッドカーペット。それを盛大に汚しながら、鈍色の獣が駆ける。


 ヴルルルルルルルルル


 ガラス戸を勢いよく破って突撃したのは無人のバイク。しかし、その様相は異常の一言だった。

 ホイールまですっぽりと隠された鋼の鱗と、ハンドルからテールまで、上着のように羽織っている防弾繊維のマント。まず普通のバイクではありえない装い。しかし、そんなことすらどうでもいいと思えるほどに異常なのは、それがバイクであるというのに、誰も背に乗せていないということだった。

 無人のバイクは、黒煙を吐き出しながらラウンジを手当たり次第に蹂躙すると、メインホールへと続く通路に向かって駆け出した。



***



『テレメラさんがそっちに向かってます! あと三百秒そこで待機してください!』

「さんっ……!」


 返事を終える前に、今しがたぶち破って来た防火シャッターが徐々に上がり始める。同時に、複数人の足音と、金属のこすれ合うがちゃがちゃとした不快音。

 覚悟を決め、魔人警官の腰から銃を拾う。ドレスの下から黒光りする球状の物体を取り出し、反対側の通路へ放る。数瞬後、空気が抜けるような音と共に球体が爆散。吐き出された黒い霧が、通路に立ち込める。

 半壊した魔人の声帯を借りて、力の限り叫ぶ。


! 撃てば引火するぞ!」


 魔素榴弾マナボムは、作ったものにしかその効能が分からない。引火すれば自分もまきこまれてしまこの状況で、果たして可燃性であることを信じてもらえるのかは分からなかったが、少なくとも警戒はしてもらえたらしい。発砲の音はいつまでたっても聞こえてこなかった。

 まだ、彼らはこれを暴走だと思ってくれているだろうか。

 眼前の防火シャッターをくぐって、魔人警官が僕に殺到する。正面から取りつき、操作盤を開け、尻尾をねじ込む。体が壊れるまで殴り続け、動けなくなったら他の魔人に乗り換える。

 殴り、千切って、指が飛ぶ。唯一膂力で勝る右腕で、大柄な魔人の手を打ち払い続ける。

 人間の警官は誰一人こないということは、きっと彼らは捨て駒なのだ。

 耳鳴りにも似た金属音の後に、僕の右腕が中空へと放られる。骨格の剥き出しになったその腕で、手近な魔人の頭蓋を貫く。

 その瞬間だった。僕のマイクに、獣の咆哮が届いたのは。


 ヴゥルルルルルルルルル!


 人間の悲鳴と風切り音を引き連れて、二輪の獣が廊下を駆ける。半開きの防火シャッターを器用にスライディングして潜り抜けると、加速しながら僕のもとに近づいてくる。


「テレメラ! 扉をぶち抜け!」


 ヴゥン!


 もう一段階加速したのを見て、床に伏せる。魔人の残骸を蹴り上げて、テレメラは一瞬浮き上がり……

 行く手を塞いでいた両開きの扉が、勢いよく開いた。


「良し!」

『残り時間……ってもう関係ないですね! ダッシュですテレメラ、ライアット!』


 走り続けるテレメラの後部座席にしがみついて、ステージの裏手を縫うように進む。裏で準備をしていたスタッフらしき人や、すでに登壇したのか、どこかで見たことがある人が慌てた顔で道を空ける。数人の警備員が、それでも僕らを止めようと向かってくるが、威嚇射撃をして追い払う。

 ステージへの階段を、文字通り駆け上がる。光に照らされたその場所は、絞りを開ききってもまだまだ眩しかった。

 爆音でエンジンを吹かしながら、ホールを睥睨する。動揺している司会者。唖然としている観客。このハプニングを逃すまいとカメラを向けるテレビ局。そして――

 感情の見えない瞳で、こちらを見つめる「彼」。

 言いたいことはたくさんある。聞きたいことはもっとある。でも、とりあえず初対面なんだから、まず最初にやることはあれだろう。

 声帯を切り替えて、ゲインを最大に。良く聞こえるように、ゆっくりと話す。


「初めまして、ルライド・アトライヤ。僕の名前は……ルライド・アトライヤです」


 目の前で、彼が眉間の皺を一つ増やすのが分かった。

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