三十四日目 真実
パーキングに車を止めて、深いため息をつく。
必要な時、必要な場所でのみ力を使うべきだと、そう決めていたはずだった。確かにあのままでは僕の体は傷つけられていたかもしれないが、それでは、気絶した彼に銃を向けたことの説明がつかない。
あの瞬間、銃口を彼のすぐ横に逸らせたのは偶然だったのか、僕の意志によるものなのか、自分でもよくわからない。
悪人であれば傷つけてもいいから。力を振るうのは気持ちいいから。
そんな汚れた考えが、あの時自分の中に無かったとは言い切れなかった。
「ふぅー……」
再び深いため息をついて、頬を叩く。
後ろを振り返っているばかりでは駄目だ。今は前に進まなければ。
過去はもう取り戻せない。変えられるのは未来だけなのだから。
頭を振って邪念を払うと、ダッシュボードに乗っていた財布を掴んで車を降りる。窃盗罪という言葉が頭をちらついたが、何故か罪悪感というものはちっとも浮かんでこなかった。
ルルリエに来たのは初めてだが、情報だけで想像したものより、若干閑散としているような印象を受けた。
交通網に入り込めると言っても、寂れた駅が一つあるだけで、お世辞にも活気のある町とは言えない。個人経営らしい雑貨屋や、開店休業状態の書店などが窮屈そうに軒を連ねている。
その中に一つ、薄暗いブティックの店を見つける。ろくに店名も見ずに中に入ると、しわくちゃの顔をした老婆が驚いたようにこちらを見つめていた。
「……いらっしゃい」
最初に眼帯と目が合うと、次に右腕のヒュッテバイヤー、そして右足のパイプに視線を寄越して、最後にまた僕の顔を見つめてくる。
人の視線というのは意外とわかりやすいものなのだと、僕は少し感心しながら、近くにかけられていた焦げ茶のロングコートを手に取る。
「これ、ください」
「ええ、でもお客様……」
「これ、ください」
「あの……」
「ください」
話が通じないと思ったのか、老婆は難しそうに眉根を寄せながら、手早く清算を済ませてくれた。
タグを切って、コートをそのまま僕に渡す。
「着ていかれるんでしょう?」
この時、微笑を浮かべる老婆の顔に、どんな感情があったのかは分からない。だが、僕は今まで犯してきた罪の数々をこの老婆に見透かされたような気がして、途端に居心地が悪くなってしまった。
ひったくるようにコートを受け取り、店を出る。歩きながらコートに袖を通すと、思惑通り、右手のヒュッテバイヤーを完全に隠すことが出来た。サイズが大きすぎたらしく、コートの下はくるぶしにまで届きそうだが、もともと体を隠すために買ったものであるので、役割は十分に果たせていると言えた。
駅舎に着いたとほぼ同時に、聞き覚えのある警告音が響いてくる。ちょうど魔動列車が到着したところだった。
切符を買い、先んじて列車に乗り込むと、タブレットで時刻表を呼び出す。乗る列車が決まったことで、これから先乗り換える車両も決められるようになったのだ。
日付と時刻を確認しつつ、最短ルートを設定する。
「……十日か」
計算結果をつぶやくと同時に、列車の発車ベルが喧しく響く。
僕以外誰も乗っていない車両を引っ張って、魔動列車は静かに動き出した。
***
「ご乗車ありがとうございました。ヴィルト駅、ヴィルト駅でございます。お忘れ物のございませんよう……」
雑多な足音と共に、僕もまたホームへと降り立つ。すれ違う人々は、一瞬僕のパイプの足を怪訝そうに見るが、しかし声をかけてくるような人はいない。
悪目立ちしていないことに胸をなでおろし、駅を出る。
外では、ベリトンで見たようなボットの最新型が、大量に空を飛びまわっていた。ニュースや広告を垂れ流すそれは、人混みにぶつからないよう器用に回遊を続けている。
ヴィルト駅。僕がまだ人間だったころ、何度も聞いた最寄り駅の名前だ。それは大陸屈指の都市の名前でもあり、この大陸にもう一つある巨大都市と並んで「ライレア二大都市」と呼ばれている。
時刻は昼前。オフィス街の中心に近いこの駅では、この時間帯が最も混む。休みの日、パーツを見に行くときはいつもこうやって人混みの中を歩いたものだ。
懐かしいことを思い出しながら、駅に併設されているバス乗り場からバスに乗る。町から帰る時は、いつもこのバスを使っていた。今更時刻表など見なくとも、始発から最終便まで暗記している。
見覚えのある景色が、車窓から流れていく。体感にしてみれば一年も離れていないが、数十年ぶりに帰ってきたような充足感が、乾いた心にしみわたっていく。
僕の住んでいた街には、そう時間もかからず着いた。ヴィルト周辺のベッドタウンとして利用されているだけあって、画一的な一軒家が等間隔に並んでいる平凡な町だ。記憶に残っている景色とほとんど同じではあるが、四年の月日の中で劣化した部分もあり、それは今が四年後の世界だということを僕に突き付けてくる。
バス停から見て、僕の家は角を二つ曲がったところにある。
一歩一歩、踏みしめながら歩く。
皆、どうしているのだろう。
父も母も、僕の知らない四年間を過ごしているはずだ。僕のいない世界で二人はどんな気持ちで過ごしてきたのだろう。
幼馴染はどうだろう。気の強いところはあったけど、彼女も家族同然に育ってきた親友だ。きっと、動揺したことだろう。
歩くほどに、住んでいたころの思い出がよみがえっていく。子供の頃走り回った道路。傷をつけて怒られたポスト。落書きまみれのガレージのシャッター。
一つ目の角を曲がる。
心臓はうるさいほどに高鳴って、肌のセンサーは、興奮からか異常な数値を示している。
飲み込むものもないのに、喉を鳴らして嚥下の真似事をする。
二つ目の角を曲がる。
もしや、家に誰もいないのではないか。と、そう考えると怖くて、下を向いて歩いた。何十年も通いなれた道だ。前なんて見えなくても歩幅で分かる。
六十七歩目で、足を止める。
ゆっくりと、秒針よりも遅く、首を持ち上げる。
どこにでもある玄関と、錆びついたポスト。ガレージのシャッターはきれいに塗装されていて、外壁も手入れの生き届いたようにきれいなままだ。
それは、僕の最後の記憶とほぼ同じ姿のまま、そこに存在していた。
ほぼ、というのは、錆が浮いているとか、朽ちた建材が取り換えられているとか塗装が塗りなおされているとかドアの取っ手が変わっているとか草木の成長度合いだとかそういうことでは無くて……玄関の前に見知らぬ看板が追加されていたからだ。
『For Sale』
「――ッッ!」
後ろから誰かに押さえつけられたように腰が折れる。コートがちぎれそうなほどに胸を握りしめて、必死に自分に言い聞かせる。
――折れるな折れるな折れるな折れるな!
奥歯を噛み絞めて、呼吸を整える。膝に手をついて、笑いそうになる足を力づくで抑える。
まだ、まだだ。たかが引っ越していた程度。どうとでもなる。
そう頭ではわかっていても、視界の中には売り出し中を意味する看板が、僕をあざ笑うように佇んでいる。
犬のように浅い息を連続して吐き出す。
とにかく、前に進まなければ。
このくらい、想像できていたはずだろう?
誰もお前の事なんか覚えていないさ。
じゃなきゃ家を売り払ったりしない。
お前はもう、忘れられたんだよ。
「うるさい!」
閑静な住宅街に、その声は大きく響いた。
隣の家に視線を向ける。幼馴染の住んでいた家だ。そこには売り出し中の看板は刺さっていなかった。
呼吸が落ち着くまで待って、チャイムを鳴らそうとする。が、しかし、表札にあるその名前は、僕の記憶にあるものと違っていた。
(もう……出ていった後か……)
諦めてバス停への道へ戻るが、落胆を隠すことは出来ず、うなだれたままゾンビのように体を揺らしながら歩いていく。
……ヴィルトまで戻ろう。そして、また他の親戚の家を回ってみよう。きっと、誰かは僕の事をおぼえてくれている。
今はそう信じることしかできない。
足取りは依然重く、向こうの空からは重量感のある雲が波のように迫ってきていた。
小一時間バスに揺られ、ヴィルトまで戻ってくると、太陽はすでに半分ほど覆われていて、街並みは少しだけ薄暗かった。
だが、そんなことはお構いなしとばかりに、ボットは自由に空を舞う。垂れ流す広告とニュースが街の喧騒と混ざり合って、都市特有の空気感を形成している。
駅へと向かいながら、タブレットで親戚の家までの道のりを調べる。正確な住所を覚えていたわけではなかったので、悩みながらタイムスケジュールを設定していく。
『……で、……ん……よ……』
喧騒の中、前を飛ぶボットから聞こえてきた声に、タブレットから視線を上げる。
頭の片隅、どこかにあった記憶が呼び覚まされる。しかし、いつ、どこの記憶かは定かではない。だが、確かに聞いたことのある声。
(なんだ……これ、いつ……誰の声だ?)
必死に頭の中の記憶を漁るとともに、ボットを追いかけて止める。人間であれば声をかければ止まるのだが、魔人相手ではボットも止まってくれない。少し乱暴ではあるが、ボットのフレームを掴んで捉え、その声の正体を確認する。
サークル状のボットの中心にある投影装置。淡い
その姿を見て、目が、手が、足が、思考が、一斉に凍り付く。
思考のエンジンとブレーキが同時に働いて、ただ目の前の光景を眺めることしかできなくなる。
聞いたことがある、見たことがある……なんてものじゃない。
彼は、インタビュアーの質問ににこやかな笑顔で答えていく。
『……ではまず、受賞おめでとうございます』
『はは、ありがとうございます』
は? いや、なんだこれ違う。
『魔素研究に興味を持ったきっかけというのはありますか?』
『そうですね。子供のころから機械を弄るのが好きで……』
そんなはずはない。そうじゃない。違う。
『代表的な発明品である複合型魔包について、あの機構はどのようにして考え付いたものでしょうか?』
『あれは他の分野からインスピレーションを受けまして……』
違う。違う。ちがう。
『お話を聞かせていただいてありがとうございました』
『いえいえ』
ふざけるな。
何を、笑っているんだ。お前は。
『以上、今年のフニール賞受賞者、ルライド・アトライヤさん――』
息を引き取るように、ボットが急速にその熱を失っていく。握りしめたフレームはひしゃげ、その内部には僕の指が喰いこんでいた。
ゆっくりと、その名前を呟く。
十七年間名乗り続けてきた、かつて僕の物だった名前。
僕の記憶より少しだけ大人びていて、顔つきも変わっていたが、それでも、声だけは変わらない。
聞き覚えがなくて当然だ。だって、僕はその声をずっと自分の耳で聞いてきたのだから。
「お前は……誰だ」
遠い空の向こうで、傾き始めた太陽を
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