三十三日目 暴発
黒く、てらてらと光る蛇が体を這い回る、そんな想像が頭をよぎる。
これは「夢」と、僕がそう呼んでいるものだ。
疑似睡眠時、体の感覚はとても鈍い。その曖昧な感覚に外部から刺激が与えられると、現実とは別の現象が想像されるのだ。
きっと今も現実に蛇が巻き付いているわけではない。シートベルトが喰いこんでいるとか、そんなところだろう。
一応、確認のために左目を開ける。
「ん……?」
いつの間にか車は止まっていて、窓からはまだ夜明け前の空が見える。
もう着いた、ということはないだろう。夜も明かさずにつける距離ではなかったはずだ。
(今の時間は……)
タブレットを手に取ろうとして、腕が動かないことに気付く。足も、体もだ。見れば、白い肌には僕の体を縛る縄が喰いこんでいた。
疑似心臓が早鐘を打つ。
「あ、起きた?」
運転席の青年は、出会った時と変わらない表情でこちらを見ている。
「これは……なんですか」
「え……分からない?」
彼の右手には携帯型のカメラ。運転席の周りには僕を縛るために使ったのであろう道具が散乱している。
まぁ、つまり、そういうことだ。
おめでとう。良かったな。
だって、これで……
「……うるさい」
頭の中でまた誰かがしゃべりだす。耳を貸してはいけないと分かっているのに、その言葉は否応なしに僕の心に噛み跡を残していく。
「うるさい? あはは!」
青年は僕の髪を掴むと、そのまま頬を殴りつける。
「こんな寒い日にそんな格好してさ……君が悪いんだよ?」
ああ、そうだな。その通りだよ。
こんな服を着て、そんな事態も想像できなかったなんて、口が裂けても言えない。
きっとそうなんだろう?
「うるさい」と呟いてまた殴られる。
頭の中の声は消えない。
青年も、僕の代わり映えしない反応にしびれを切らしたのか、今度は僕の体をまさぐり始めた。
頭の中は、これ以上ないほどに冷え切っていた。後ろ手に縛られた左手は、殴られている間に縄をねじ切っている。腕だけならいつでも動ける状態だ。
(もう、いいか……)
素早く動かした左手で、下卑た笑顔を浮かべる青年の右手を……正確にはその手に握ったビデオカメラを捉える。
青年の「えっ」という間抜けな声とともに、僕の手の中でカメラは砕け散る。
次いで、青年の首を……というところで、彼は一目散にドアを開けて外へと飛び出す。その手には、
「そんなものまで……」
「く、来るな!」
銃口こそこちらに向けているが、その狙いはブルブルと震え、撃ったところでこちらに当たるかあやしいところだ。
声が、また囁きだす。
完璧、パーフェクトだ!
見ろ! あいつはこちらに銃を向けたぞ!
やったな! これで……
あいつは――してもいい。
「……うるさい」
ゆっくりと縄を解いて、車を降りる。覚悟がないのか、もともと撃つつもりがないのか、奴は僕から距離をとり続けている。
「銃を……下ろしてくれ」
奴はこちらの声が聞こえていないのか、呼吸を荒くしたまま目を見開いて僕を見つめている。
ため息を一つして、引き絞られていた左足の内部関節を開放。彼我の距離を一瞬で詰める。
「ぐげ」とか「ぎょえ」とか、そんな悲鳴と共に彼の喉を掴む。僕の方が背が低いため、彼にぶら下がる形になった。苦しそうにしながら必死に腕を解こうとするが、グロリィに強化してもらった腕に、人間の力で勝てるはずがない。
最後の抵抗なのか、ハンドガンをこちらに向けるが、それもヒュッテバイヤーで右手を殴りつけると、ぺきん、という軽い音とともに地面に落としてしまった。
その後も懸命に抵抗を続けていたが、顔色が真っ白になったことを合図に、泡を吹いて、彼の体は崩れ落ちた。
うまくやったな!
さぁやれ! やるんだ!
そいつは撃っても大丈夫な奴だ!
きっと被害を受けたのもお前だけじゃないはずだ!
そうされて当然の相手だ!
緩慢とした動きで、ハンドガンを拾い上げる。
見れば、すでに安全装置は解除されていた。
こいつは銃を向けたんだ!
なら、覚悟はできていたはずだ!
さあやれ!
今までお前が受けた苦しみも、理不尽も!
全部こいつのせいに違いない!
弾倉を取り出し、中に弾丸が入っていることを確認してスライドを引く。
ゆっくりと、倒れた奴に照準を合わせる。
さぁ撃て! 撃ちさえすればいい!
そうすれば全て楽になる!
撃て! 撃って……
殺せ
***
甲高い金属音と共に、役目をおえた薬莢が道路に転がり、吹き付ける風が加熱された銃身を冷やしていく。その銃身が冷え切らないうちに、次の引き金が引かれる。
二、三、四、五、六、七。
七度それを繰り返すと、銃はスライドが開いたまま戻らなくなる。
細身の魔人はそのままハンドガンを放り投げると、青年の乗っていた車へと戻る。
ゆっくりとアクセルを踏み込むその表情は固く、ハンドルは手形が付きそうなほどに強く握りしめられていた。
車が走り去ったあと、暁月の光に照らし出されるのは、砂利交じりの道路に倒れる一人の青年。
その首には痛々しい手形がつき、横たわる地面には七つの弾痕が刻まれていた。
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