二十九日目 出航

 関節……よし。

 継ぎ目……よし。

 眼窩……よし。

 口と鼻……よし。

 夜の海岸で、自らの体を目張りする細身の魔人。その周囲には別の魔人が二体と、小さい子供、そしてその子に抱えられた旧式の集積装置があった。

 黄ばみ、色あせたそれから、落ち着いた女性の声が聞こえる。


『……なんだか犯罪みたいな香りがしますね、それ』

「……ンン……」


 頭にテープをぐるぐる巻きにしている僕を見て、マザーが不穏な感想を漏らす。

 返事もできないため、無言でタブレットを起動。マザーが設定してくれた航路を再確認する。


 年が明けて三週ほど。ミニボートは、歪ながらもその性能を取り戻すことが出来た。相変わらず、大陸を渡るには不安げな見てくれではあるが、これを使う以外に道はないのだから、しょうがない。

 しかし万が一のため、全身に浸水の対策はしておきたかった。

 残念ながらダクトテープは発見できなかったが、大量にあったガラクタで何とか体中の穴という穴をふさぐことが出来た。

 ゴミ島を出た時とは違い、体の内部にジェネレーターを仕込んでいるため、今回は防寒の必要はない。予備のタンクをお守り代わりに持っていくだけで良いだろう。


 手持ちのタブレットに示されている航路は蛇のようにのたうち回っている。一直線に行ければ良かったのだが、当然というか、そうもいかない理由があった。


『一応、確認しますね? 当たり前ですが、大陸に向かう途中で左大陸側の領海に入ります。無人のドローンはもちろん、それらを統括する有人船もいて、ミニボートとはいえ、流石にバレずに通り抜けるのは不可能です』


 マザーからその話を聞かされた時は絶望しかけたが、聡い彼女がそこで終わる筈もなかった。


『ですので、いくつかのドローンのカメラをこちらで差し替えます。無論、人の目をごまかすことは出来ないので、有人船だけを避けていくルートになりますね。それでもかなり迂遠な道のりにはなりますが……』


 領海を守る無人機をハッキング出来ることにそら恐ろしさを感じたが、同時に、彼女が味方をしてくれていることにこれ以上ない心強さも感じた。

 口からテープをはがして、マザーに声をかける。


「ありがとう……何から何まで」

『いえいえ、私たちはもう友人でしょう? 遠慮は無しですよ!』

「友人……」


 そう思ってもらっていたのか、と今更ながらに理解する。

 思えば、最初の契約では彼女は船を提供するだけの筈だった。友人とでも思っていなくては、僕にここまでする理由はないだろう。


「……そう、だね。友人……」

『……嫌でしたか?』


 不安そうな彼女の声に、努めて明るく声をかける。


「いや、僕もそう思ってるよ……きっと、元の体を取り戻して、また会いに来る」

『……はい! お待ちしてますね!』


 頷きだけを返してボートに乗る。操縦の仕方は覚えたため、首からコネクタを繋ぐ必要はない。

 ボートに乗り込もうとした僕にマザーが声をかけてくる。


『あっ、ライアット!』

「ん?」

『その……どう言えばいいのか分かりませんが……最後まで、あなたを信じてくださいね?』

「ん……うん……?」


 いまいち意味が理解できなかったが、マザーなりの励ましなのだろうと受け取る。

 月明かりの下、エンジンがうなりを上げて回転しだす。口にテープを貼りなおして、瞬く間に離れていく海岸を横目に船を走らせる。

 時間にすれば二ヶ月もないだろう。だが、彼らと一緒にいたことで僕はまた多くの事を知ることが出来た。魂について、デクスについて……そして、僕の体について。


 僕にこの体を譲ってくれた彼女。想像では、僕の魂が出ていけば、この体に彼女の魂が残るものと思っていた。が、今の知識を踏まえれば、それは不可能だとわかる。

 彼女は、僕にこの体……器を渡すために、自ら消滅したのだ。

 素性も知らないガラクタに対する対応にしては行き過ぎている。もし同じ状況の人間がいたとして、そんな選択を出来るものはいないだろう。

 身勝手な想像になるが、恐らく、彼女はまだ「破綻」していなかったのだ。

 デクスとして「奉仕」を目的として目覚めた彼女は、その思考に従い、目の前の僕を助けた。そう考えるのが一番自然だ。


 改めて、自分の体を確かめる。

 きめ細やかだった肌はところどころささくれ返り、触っただけで傷んでいることがわかる。左腕はまだ綺麗な人の形をしているが、右手のヒュッテバイヤーのごてごてとしたいかつさが、その綺麗さを台無しにしてしまっている。

 パイプの刺さった右足は今にも折れてしまいそうにその光沢を失い、光を一切取り込まなくなった右目にはぽっかりと穴が開いてしまっている。

 唯一、月光をはね返し白銀に煌めくその髪だけは、目覚めた時から何一つ変わらずにその艶を保っていた。


 ゴミ島を出た時とはずいぶん変わってしまったな、と感傷的になりながらギチギチと金属音を出す右手を握りしめる。


 下弦の月が夜空に眩い海原。周囲には一切の障害物がなく、目を凝らせば、今でも出発した海岸が見えるだろう。

 エンジンの様子を気にかけながら、タブレットで道行を確認する。無論、ミニボートで、しかも数時間で移動できる距離なんてたかが知れている。衛星から送られてきた位置情報は、先ほどと数ドットしか変わっていない。

 ため息をついて画面を閉じようとしたとき、タブレットの内部で別のプログラムが走っていることに気付いた。


『dear friend.txt』


 そう銘打たれたファイルは、編集状態のまま放置されていた。


 ――マザーが作業途中だったのか?


 彼女がそんなミスをするだろうか……それに「親愛なる友人へ」なんて、まるで僕に宛てたみたいじゃないか?

 逡巡した後、ファイルを開いて中身を確認する。

 それは、想像通りの手紙だった。マザーからだけではない。レジン、子供、カレからも、まるで寄せ書きのように別れの言葉がつづられていた。


「なんだこれ……」


 レジン、子供の分と読み進めていく(子供からはレジンに言われたから書いたと正直に書いてあった)と、カレの手紙に行きついた。

 そこに書いてあったのは、定型的な別れの言葉。そして……


『私は、こんなことしか知りません。それでも、何かお役に立てればと思います』


 少し不自由な文章とともに、テキスト郡の中に現れる画像データ。何かのマニュアルなのか、図示してある人物はみな一様に銃を構えている。

 ティアーレの言葉で書かれているため、全てが読み解けるわけでないが、どうやらそれは銃の撃ち方について記したものらしかった。

 頭の中の歯車が、音を立てて回り始める。

 出会ったとき半壊していたカレ、周りで転がっていた魔人、レジスタンスの武器庫……そして、カレがどうして「破綻」したのか。

 そのすべてが繋がって、ドクンと疑似心臓が早鐘を打つ。


 ――これ、もしかして、僕はめちゃくちゃ危険な橋を渡っていたのでは?


 原則的に、魔人は人を攻撃できない。それは魔人が魔人であるために必要な枷であり、だからこそ人と共存できるのだと、誰もが口をそろえて言う。

 だが、原則がある以上、例外も当然存在する。

 人を殺すことを目的に作られた魔人……戦争で前線を走る、兵士型魔人などにその枷は存在しない。

 そう、カレのように。

 兵士型として作られたカレは、銃の扱いと人を殺す意思をインストールされ、文字通りの兵士として働き続けたのだろう。そして、破損したカレは修理されることなく終戦を迎え「殺戮」という目的を奪われたカレは、デクスとして目覚めた。

 もし、もしも僕がカレに出会うのがもう少し早ければ、新たな体を手に入れたカレは、また殺戮を始めていたのかもしれない。

 背筋に寒気を感じたような気がして、体を縮こめる。

 ……まぁ、結果論ではあるが、カレは自由な意思を手に入れて、マザーという教育者も近くにいる。これからは、平和な生活を送ることができるだろう。


 気を取り直して、手紙を読み進める。

 最後は、マザーからだった。

 いつもの軽口から始まったその手紙をスクロールしていく。



***



 白く輝く朝焼けの眩しさで我に返る。日が昇ってくる方角と、エンジンに問題ないことを確認して……

 僕の思考は再び止まる。

 何かをして気を紛らわそうとしても、数秒ごとにその言葉が浮かんで、そのたびに歯車に異物が挟まったように考えが止まってしまう。

 起動したままのタブレットには、マザーからの手紙が表示されたままだ。エンジンに付属したジェネレーターから絶えず魔素を供給しているため、その画面が消えることはない。

 手紙の終盤、穴が開くほど見つめたテキストが、また僕の視界に入り込む。



『あなたは、人間ではないのかもしれません』

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