二十八日目 岐路
『冗談はやめてください、ライアット』
「冗談なんかじゃない」
彼女にとっての目であるカメラを見つめながら言葉を返す。
「始まりは、本当に唐突だったんだ。一番近い記憶は布団で寝たものだったし、こんな出来事に巻き込まれる心当たりもなかった」
マザーは何も答えず、ただピントを調整するレンズの駆動音だけを返してくる。
「最初に話したゴミ島……僕はそこで目覚めた時、もっと小さな人形だった」
痛いほどの沈黙が場を支配している。
同時に感じるのはいくつもの視線。この場にいる全員が僕を見ている。
「体が破損してもう駄目だと思った時、この体にいた誰かが、僕にこの体を譲ってくれた」
『……譲ってくれた?』
マザーの疑問に首肯を返して続ける。
「ああ、そうだ。僕は一度、別の体からこの体に乗り移っている……だから、多分」
そこまで聞いたマザーが、僕の言葉を遮るようにぽつりと漏らす。
『……空の器が必要……ということですか』
覇気のないその言葉に、僕は奥歯を噛みながら「多分ね」と返すのがやっとだった。
魂は何物にも縛られておらず、だからこそ物理的な肉体に紐づけされた器が必要……と、マザーが話していたのはそういう話だった。
それに倣うなら、体につながれた……自分の体の延長線上にある魔人に自分の魂を移すというのは不可能ではない気もする。
しかし、現実にそれはかなわなかった。
ならば次に取れる方法は限られている。
空の器を発見して、それに魂だけを乗り移らせる。つまり、あらかじめデクスが憑依していたものを探して修理する。
そんなものが都合よく見つかるわけがない……とは思うが、そんなことをしなくてもいいという考えも同時に生まれてくる。
簡単な話だ。この部屋にいるデクス…僕、レジン、カレの誰かから、体を奪えばいい。
勝算というか、この期に及んで、僕は自分の保身を考え続けていた。
もしもあの状態のマザーが誰かから体を奪おうとしたとして、優先順位はどうなるのか。
レジンからは奪わないだろう。当然だ。あれほど仲良く暮らしていたのだから。
次に僕。人間であることを明かしはしたが、マザーには協力的な態度をとって来たつもりだ。特別人間が憎いなら最優先で狙ってくるかもしれない。
最後にカレ。体が完成しているとはいえ、まだ満足に体も動かせないだろう。その上マザーとの関係性も浅い。
間違いなく、最優先で狙われるのは僕だ。なんといってもマザーの言う「可愛らしい体」そのもので、逆に狙われない理由を探す方が難しい。
ただ、もし僕が逃げだした場合はどうなるだろう。
マザーはあの場所から動けない。逃げた僕を追いかけてくるだろうか? それとも……
『なる……ほど……』
両脚に力を込めながら、マザーのアクションを待つ。
『あの……ライアット……もう一度聞きますが、貴方は人間なのですね?』
「僕は……人間だ」
自分に言い聞かせるようにそうつぶやくと、途端に場の空気が変わる。
『ああ、ああ……なるほど、そういうことでしたか』
一人で納得したように頷くマザーに、先ほどの哀愁はもう見えない。
『理解しました、ライアット。まずはお礼を言わなければなりませんね……私が乗り移れない原因を教えてくださってありがとうございます』
「いや……もとはと言えば僕が最初に話してさえいれば……」
うなだれるようにカメラを左右に振るマザー。
『遅かれ早かれ分かっていたことです。ライアットのお蔭で、時間を無駄にせずに済みました……つまり私は、誰かを犠牲にしないと、魔人の体にはなれないということですね』
パイプで作られた足が床を擦る。左足は瞬発力を出すために限界まで内部関節を曲げたままだ。
『それしか方法がないということであれば私は……』
『諦めます!』
「……え?」
思わず間抜けな声を出す僕に向かって、彼女はいつもの調子でまくしたててくる。
『私は誰かを犠牲にしてまで自分の望みを叶えたくはないし、それは私の夢に反します! ですから、もう、いりません! 私にはレジンがいますから! ね、レジン!』
僕の横に立っていたレジンも、コクコクと見たこともない笑顔で頷いている。
『それより今はライアットの事ですよね! 小舟は動かせそうでしたか?』
「えっ、ああ、まぁエンジンが動けば……ガワを修理するだけで行けると思うけど……」
『そうですか! では早速試運転をしなければいけませんね! 私はここで作業があるので、レジンと一緒に行ってきてください!』
「お、おお……」
緊張で張りつめていた思考は、歯車を取り外されたように空回りして意味のある回答を出せない。ただ、呆然としている僕を引っ張っていくレジンの顔が、今までに見たことがない笑顔であることを、珍しそうに眺めることしかできなかった。
***
砂粒を揺らす、テレメラとは少し違うエンジン音。ひっくり返したミニボートのプロペラは扇風機のように元気よく回っている。
無事動いたことに胸をなでおろし、海辺にいるレジンに視線を向ける。
レジンは僕を引っ張ってきたはいいのだが、試運転するだけではやることもなく、波打ち際で黄昏ている。
僕が人間と知っても、マザーもレジンもいつも通りに僕と接してくれた。彼らの中でどんな葛藤があったのかは分からない。しかし、結果として、彼らは僕を受け入れてくれた。
もともと人に好意的だったのか、それとも僕の話を嘘だと思っていたのか、理由は考えても出てこない。ただ、今までのマザーの言動から考えて、あの態度には少し違和感というか、らしくない、という感想がわいてきたことは確かだ。
あの態度の裏には、何かがあるのかもしれない。
「……まぁ、関係ないか」
押し寄せる波の音は、また少し大きくなったような気がする。
ボートのエンジンを止めて、工具をまとめると、視界に見慣れないものがあることに気付く。
僕とレジンが閉じ込められたあの地下室。その入口の近くに、僕の腕ほどもある流木が突き刺さっていた。近くに寄ってみてみると、小さいながらも、文字のようなものが彫られていることがわかる。
鮮烈に広がった血しぶきが、瞼の裏に蘇った。
この倉庫の門番をしていた獣……アルマと言ったか。恐らくそれの墓なのだろう。土葬にしては浅く、穴を掘って埋めたというより、土を上にかぶせただけのように見える。
「……すぐに鳥につつかれるだろ、これじゃあ……」
少し考えた後、砂浜に放置していたシャベルで、墓のすぐ横に新しい穴を掘る。十分な深さが出来たところで、流木の刺さっていた土をどかしていく。
ソレは、すでに生き物としての形をしていなかった。立体的なパズルのようになっていたものを、できるだけ崩さないように新しく掘った穴に移し替えていく。
「……ごめんな」
最近、独り言が多くなってきた気がする。
全ての体を移し終えると、また土をかぶせて、流木を立ててやる。これでもう他の生き物に荒らされることはないだろう。
祈ろうとして合わせた両手は、右手が大きすぎてうまくいかなかった。
この場所で何かやるべきことがあるわけもないのに、僕はそこからしばらく動かずにいた。
波の音は、また少しだけ大きくなった。
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