二十七日目 告白
数時間前とまったく表情を変えない波間から、光で形作られた球体が顔を出す。
「……結局、朝までかかったな」
「……」
僕のつぶやきは誰にも拾われずにさざめきに流されていく。
目の前にあるのは砂にまみれたミニボート。後部についているエンジンは魔素を使用している物ではないようで、もし使うなら変換器をかませなければいけないだろう。
全体的に錆びや汚れがひどく、誰かがこれで海を渡るといったなら、鼻で笑うところだ。
最も、今の僕にはそれ以外の選択肢はないわけだが。
一緒に船を掘り起こしてくれたレジンを見ると、服には大量の汚れが付き、スラム出身の青年のようになっていた。顔がいいだけにより不憫さが際立ってみえる。汗をかかない体の僕達は、そこまで匂いを気にする必要はないだろうが、やはり知性ある存在として、身なりはちゃんとしておくべきだろう。
「レジン、その服脱いだ方がいいかも……」
言い切る前に、レジンは服を脱ぎだした。しかも下から。
少し強めの海風が、僕の前髪とソレを揺らした。
男性にとっては当たり前についているモノ。しかし機械にとっては絶対に必要のないモノ。
それは決して大きいサイズではなかったが、なぜか視界から出すことができず、しばらくの間、呆然とそれを見つめ続けていた。
上着まで脱ぎ、人工皮膚で覆われたその全身を惜しげなく晒しながら砂浜を歩くレジン。その姿は一種の芸術作品のようで、手元にカメラがあればついシャッターを切っていたかもしれない。
「いや、違う違う……レジン! せめて秘密基地までは下を穿こう!」
そう叫んで追いかける僕の声は、いくらか弾んでいたように思う。
実は、この時僕は少しだけ嬉しかったのだ。自分と同じ目的で作られた誰かがいるという事実が、目覚めてからずっと拭い切れなかった孤独感を和らげてくれたのかもしれない。それにミニボートを手に入れた高揚感も相まって、僕は速足で砂浜を駆けた。
***
秘密基地に帰った瞬間、体が冷蔵庫に入ったような感覚に包まれる。
皮膚のセンサーを確認しても、外とそこまで違いはない。というよりここはマザーの体の発熱で、普段は外よりも暖かいはずなのだ。
感じた理由は、気温ではなかった。
帰ってきたら必ず挨拶を欠かさないマザーが黙っていて、レジンに飛びついてくるはずの子供は部屋の隅で泣いていて、すで体が完成しているらしいカレは、眠ったように動かない。
何があったかは分からないが、何かがあったことだけは明白だった。
『……ああ、おかえりなさい二人とも。ずいぶん遅かったですね』
「いや……そりゃあんな大きなもの掘り起こすのは時間かかるよ」
『……ああ、そうか。そうでしたね』
マザーの声には覇気がなく、いつもような軽口が飛んでくる気配もない。隣に立つレジンも困惑するように僕に視線を向けている。
「なぁマザー……何かあったのか?」
心当たりがまるでないため、直接マザーに聞くしかない。
少しの沈黙のあと、弱弱しい声が部屋の各所から聞こえてくる。
『何かあったというより、何も起こらなかったんです』
『いえ……もともと無理だったのかもしれませんね』
『だって私はこうあるのだから。そうなれないことくらいわかって然るべきでした』
『本当に……本当に無駄な時間を過ごしまいました』
呟くマザーのセリフは、やけに抽象的で話がつかめない。しかし、次にマザーから発せられた言葉で僕は全てを理解した。
『ああ、一度でいいから、自分の足で歩いてみたかった……』
室内は再び静寂に包まれる。
部屋の中央辺りに寝かされている魔人。その首元には既にケーブルが繋がっていた。もう一端は、ジャンクの山に隠れて見えないが、きっとマザーの体につながっているのだろう。
あの声音からして、恐らくマザーは新しい体に乗り移ることが出来なかったのだ。
確かに、どうしてその可能性を考えなかったのかと思う。
僕はあの小さいおもちゃの体から、この魔人の体に乗り移ることが出来た。だからなのだろう、存在すら不確かな魂なんてものに、そういうシステムがあるものだと思い込んでしまっていた。
僕の場合は、この体の持ち主である彼女が譲ってくれたから成功したと、そういう理由なのかもしれない。
そもそもがイレギュラーで、例外で、偶然で、まぐれで起きた奇跡に近い現象。
僕はそれを知っていたはずだった。僕の体験してきたこと全てをマザーに話していれば、十分に予測できたはずだった。
今、マザーが絶望している原因をたどれば、それは僕に行きつくのではないか?
視線の先では、半分ジャンクの山に埋もれたマザーが、弱弱しくアクセスランプを光らせている。
これは多分、自己満足だ。言ったところで許されるわけではないし、何が元通りになるわけでもない。
それでも、言わなければ後悔するという、勘でしかない予感があった。
「マザー、聞いてくれ」
『……はい?』
「僕は……もともと人間だった」
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