二十四日目 反撃
暗闇の中、昼も夜もわからないまま動き続けるのは、楽なことではないと思っていた。
が、実際はそれほど辛くはなかった。なぜならここには匂いも感触も音も寒さもある。何もないあの真の暗闇を体験した後では、むしろ賑やかに感じるほどだった。
「レジン、次充填しておいて」
あまり前が見えていないのか、僕の声だけを頼りに近づいてくるレジンを抱きとめる。首の後ろの操作盤を露出して、生成器からコネクタを差し込んであげた。
あれから……恐らく三日経っている。普通の人間なら、生きていたとしても衰弱してまともに動けないだろう。そろそろ飼い主が来てもおかしくない。
そう思っていた矢先、地上からゴトゴトと何やら物音が響いてきた。
首の後ろに別のコネクタを差し込む。
「じゃあレジンはそこから動かないでくれ」
暗闇の中、輪郭の薄いレジンが頷いたのを確認して、僕も彼の足元に横たわる。
この倉庫は出入り口が一つしかない。地上から続く階段から入ると、正方形にくり抜かれたこの一室があるだけだ。階段の角度もかなり急だから、扉から中を覗いてもほとんど中の様子は分からないだろう。
つまり、僕達の状態を確認するには、直接この一室に入って確かめるしかないのだ。
足音が聞こえる。恐らく一人。ゆっくりと階段を下りてきている。
部屋に入ってすぐ見えるのは、生成器にもたれかかっているレジンと僕。きっと死んでいるものと思うだろう。僕達がこの倉庫に入るのを見て扉を閉めたのなら、きっとこの時点で油断してくれるはずだ。
階段を下りた足音が止まって、入り口付近にばらまいておいたスプリングやボルトが転がる音が聞こえる。
――部屋に入ったな?
そう分かった瞬間、奴の横にいた僕がとびかかる。銃を持っていた腕を拘束し、叫ぶより前にのしかかって身動きが取れないようにする。
「よし、レジン! 縛れ!」
「こわします」
「こわすなこわすな!」
一瞬危うさを感じたが、レジンと二人がかりで抑えて何とか奴を縛り上げた。
入口の横に立っていたのは、倉庫にあったパーツで組み上げた魔人だ。僕の体とコネクタでつないでみると、テレメラと同じく、ある程度意のままに動かすことが出来た。自分の体と同じように動かすにはもっと練習がいるだろうが、今回は上手くいった。
「……」
床に転がされたのは嫌味を前面に押し出した表情の少年……少女?
いずれにしても年若いことは確かだ。人を監禁しておいて悪びれる様子もないらしく、いたずらがバレた子供のように拗ねている。
服装はこの地域に住んでいる人間とそう変わらないが、驚くほど薄着だ。上半身には色あせたオーバーサイズのパーカーを着ていて、下は裾がボロボロになったズボン。切りそろえられていない伸びっぱなしの髪は全体的に不潔感がある。
露出度の高いうえに腹の部分がシースルーの服を着ている僕が言えたことではないかもしれないが、今の季節にその恰好はかなり寒いのではないだろうか。
「えっと、そうだな……君、名前は?」
「……――」
――あっ、言語違った……
この体になってから言葉の壁を感じるのは何度目だろうか。元の体に戻れたらきっと語学を学ぼう。
あれ、と思い立つ。そういえばレジンとは最初から普通に話せていた。
「レジン、もしかしてこの子の言っていることわかるか?」
首肯を返すレジン。やっぱりそうだ。
ティアーレ大陸に居ながら僕の母国の言葉を話せたのも、恐らく彼とマザーがこの世界のすべての言語に精通しているからだろう。魔素が生まれる前からずっと生きてきたマザーはもちろん、一緒に暮らしていた彼も言葉を覚えていたのだ。
「さっきこの子はなんて言ったんだ?」
「くそやろう」
……ほう。
パーカーのフードを引っ張って、子供を地下室から引きずり出す。砂浜に放り投げ、垂れ下がった右手で水平線の向こうへ向ける。
一瞬の閃光の後、耳を劈く轟音が響きわたり、くり抜かれた海面からは水蒸気が昇った。その軌跡は見渡す限りの水平線まで届き、しかしすぐに風に流されてしまう。
無事撃てたことに安堵しながら、右腕の弾倉を回転させる。甲高い金属音と共に、役目を終えた薬莢が排出され、煙を上げながら砂浜に落ちる。
僕は小刻みに震えている子供に視線を移した。
「レジン、こいつの家を聞いてくれ」
「なんで?」
「そうすると、マザーの体が早く作れる」
レジンは表情こそ変えなかったが、しぶしぶと言った様子で子供に話しかけ始めた。僕の威嚇射撃は効果があったらしく、従順にレジンと会話をしている。やはり敵と味方が居た方が人は口を割りやすいのだ。
「おしえたくないって」
いくらか言葉を交わしたレジンがそう伝えてくる。
僕は「そうか」とだけ答えて、まだ煙を上げている右腕を子供に向けた。
「っ! ワ! ワ! ワ!」
首を振りながら逃げようとするが、手足を縛られた状態で逃げられるわけもない。再度捕まえて、胸倉を掴みながら指示をする。
「レジン! もう一度聞いてくれ!」
僕と目を合わせた子供の顔は、先ほどまでとは打って変わって恐怖に歪んでいた。やりすぎたかもしれないという思考が擦過するが、あちらは僕達を三日閉じ込めた上に銃まで持って現れたのだ。これで反撃されないつもりだったという方がおかしいだろう。
続くレジンの質問に、子供は力なく首肯した。
***
子供が僕達を案内した(させた)のは、街から少し離れた林の中だった。
天井も梁も朽ちかけの廃工場。破れた壁の隙間から差し込む夕日がやけに眩しく感じる。周囲には植物と小動物が競うように這い回っており、ここが彼らにとっての家でもあるのだと思わせる。
僕が人間の体を持っていたとしたら、写真映えしそうとか、ここでスクラップを弄れば楽しいだろうなとか、そういう感情を持っただろう。だが現実、今の僕の心にあるものは哀愁だ。
半ば植物に浸食されている魔人。作業台に寝かされて、眠るように腕を組む魔人。壁に背中を預け、黄昏れている魔人。けだるそうに、一切の力を抜いて床に横たわる魔人。
その誰もが動かない。
今の僕から見れば、ここは墓場そのものだった。
廃工場に着くや否や、子供は駆け出してどこかに隠れてしまった。見張りを怠ったというわけではなく、案内された時点でもう子供に用はなかったので、逃げようが何しようがどうでもよかったというのが本音だ。
ある程度の予測は立てていた。あの倉庫にいる間、放置してあったパーツに関してはつぶさに調べる時間があったからだ。
あの場所に放置してあったパーツは正規のものではない。しかしあの武器たちからは、違法に改悪されたというより、大雑把な構造だけしか知らずに似たような武器を作った、というような印象を受けた。
そして新たに見つかった武器、これがあの場所が誰のものであったかを確信させた。
僕のポケットに入っている握りこぶしほどの金属球。恐らく中には三次元的な魔法陣が彫られているのだろう。
これの通称は
榴弾、なんて名前がついている割には実は威力はそこまで強くない。車の下に置けばひっくり返せるくらいのエネルギーはあるが、至近距離で人間に当たってもせいぜい骨が一本か二本か、その程度だ。噴出する魔素の形態にもよるが、よほど当たり所が悪くなければ死んだりはしない。
少し話が逸れたが、そう。こんな不確実なものを実際の軍が採用するかと言えば、そんなはずはないのだ。つまりここはレジスタンスの武器庫。管理していた組織が滅んだのか、はたまた戦後の安寧の中で忘れられてしまったのか、それは分からない。
ただ、あの子供の姿を見て、僕は既にこの倉庫は誰のものでもないと判断した。もしまだ倉庫として利用されているのなら、あんな子供を見張りとして置いておくわけがない。つまり、あの子供はパーツを盗みに来ているだけの盗人。だとすれば、まだガラクタを溜めこんでいる可能性があった。
貴重なものがあれば持って帰るつもりで廃工場を歩き回ってみるが、思うようには見つからない。どうやらあの子供はものの価値が分かる人間だったようだ。めぼしい物はすぐに売り払ったのだろう。
錆びた工具箱をひっくり返していると、キィンと別の金属音がマイクに届いた。
目の前の工具が落ちた音ではない。工場内の一室、窓の割れた部屋からだ。一応レジンの位置を確認すると、座り込んだ魔人の横でじっと膝を折っていた。
――あの子供、まだ居たのか?
割れた窓からのぞくと、灰のフードが跳ねているのが見える。ついで小さな話し声。
――電話……いや、誰かいるな。
盗人には盗人のコミュニティがあったりするのだろうか。この工場に住んでいたのはあの子供だけではなかったらしい。
ヒュッテバイヤーを左手で触ってみると、まだほんのりと温かいが十分に冷えていた。もう一発くらいは撃っても問題ないだろう。無論、撃つつもりなどないが。
武器はある。ならばとりあえずの交渉は出来る。盗人相手にどこまで出来るか分からないが、三日も閉じ込められて収穫もなしにマザーのもとに帰るのは少しバツが悪かった。
考えているうち、部屋の中で二人が動く音が聞こえてくる。
――逃げられる……!
交渉にはレジンの翻訳が必要だ。だがここでレジンに呼びかければ、中の二人は僕の存在に気付いて逃げ出すだろう。入り組んだ工場内、しかもその構造を知り尽くしている相手に鬼ごっこで勝てるわけがない。
深呼吸を一つ。
ドアを蹴り破ってありったけの声量で「動くなぁぁぁ!」と叫ぶ。言葉が通じなくても勢いで理解してくれたりしないだろうかと期待しての事だ。
結果として、動けなくなったのは僕の方だった。
部屋の中には、僕を除いて二人居た。
一人は先ほどの子供。そして、もう一人は……
「――」
視線をこちらへ向けて挨拶らしきものをする彼。その体は動かない。いや、見ればわかる。動けないのだ。こちらに視線を向けられているだけでも奇跡的だろう。
ベッドに横たわる彼の前には子供が立ちはだかっている。その眼には、数分前に刻まれた恐怖が確かに色濃くあった。しかし同時に「どんなことをしてでも彼には触らせない」という強い意志も見える。人生で初めて見る、不思議な瞳だった。
僕は彼らに向けていた右腕を静かに下ろす。そうする必要が無くなったからだ。
そのまま自分の腹に巻かれていたボロ布を外す。そこから覗くのは白い人工皮膚ではなく、粗末なタンクを付けられた機械仕掛けの内臓。
「取引しようか」
ぽかんと口を開けている子供と、ベッドに横になっている上半身だけの半壊した魔人に向かって、僕は取引を持ち掛けた。
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