二十二日目 就眠
肩を回して肘を曲げる。指の関節を動かしてみる。ギトついたグリースのお蔭か、急ごしらえの右腕はうまく動いてくれた。
新たにくっつけたのは工業用機械のアームだ。尖った指が三本。それぞれが中心を向いていて、かろうじて物を掴むことが出来る程度の物。あのショットガンで右肩ごとえぐり取られていたため、首の後ろから直接つないで右肩に縛り付けている。
『かっこいい……ですね?』
「無理に褒めなくていいよ、マザー」
お世辞でもかっこいいなんて言えないような不細工な腕だ。
ただ使えさえすればいい。この大陸に来てから、僕はまた少しストイックになってしまったような気がする。
右足も動かない部分を切り捨てて、パイプを突っ込んで固定しただけだ。今誰かに見られたとして、僕を人間として見てもらえるかいよいよ怪しくなってきた。グロリィの選んでくれた服のお蔭で、かろうじてマネキンになれる程度だろう。
「取り敢えず足も作ったし、レジンと一緒に外に行ってくるよ」
『もう夜ですよ? 休みませんか?』
「……休む? 僕が? なんで?」
『何でって……疲れませんか?』
「ハッ」と鼻で笑って僕は答える。
「デクスが疲れるわけないでしょ」
『? 疲れますよ?』
マザーは不思議そうに首をかしげて見せる。表情は分からないが、その声音からは純粋な疑念が感じられた。
「だって……機械なんだろう? 疲れるわけ……」
『ああ、なるほど……ライアット、少しお話ししましょう。あなたの体について教えますので』
時間を取られそうだと思いながら、レジンの方を確認する。彼は部屋の隅に居たが、マザーが『待て』と言えば、僕にはついてこないだろう。さすがにこの足で一人でスクラップ集めは出来ない。
「……分かったよ、マザー」
『ありがとうございます! ……では、そうですね……初めに魂のお話しからしましょうか!』
「……魂?」
ぶんぶんとカメラを縦に振って見せるマザー。
『魂というのは、私達の自我そのもの……そうですね、卵に例えましょうか。この魂、という名の卵は、もともとはどこにも存在しません。勝手に生まれて、勝手に消えるものです』
『人間が持っているようなもの、私達がもっているもの、そのどちらにも違いはありません。ただ、殻と中身の形が違うだけですね』
ありえないような話だがこの魂の話が本当でなければ、今僕がここに存在している説明がつかない。
いつの間にか隣に来ていたレジンと共にマザーの声に耳を傾ける。
『魂が生まれる時、まずは「殻」から出来上がります。この殻は物理的な体に紐づけされて、その体が壊れてしまうと殻も壊れてしまいます』
『殻の次に生まれるのが「黄身」の部分ですね。これが私たちの意識そのもの。何物に縛られていない、自由な意志です。しかし、何も縛られていないということは、何にも支えられていないということでもあるので、殻がなければ黄身は存在できないんですね』
手慰みに動かしていた右手のアクチュエーターがギシギシと嫌な音を立てる。
『魂の基本的なことはここまでです。次は魂の性質ですね』
『ライアットは、機械の体に疲労は存在しないと思っているようですが、実はそれに関しては間違っていません!』
僕は「ならどうして」と言葉を遮ろうとした。
『ただし、魂の疲労は別です。思考や、体を動かすための意志を発するのには、体力が必要になります。人の体であれば肉体が睡眠をとる時に魂も一緒に休むので、普通に生きていてもさして問題はありません』
『しかし、私達の体は疲れません。だからこそ積極的に休息をとらないといけないのです。魂の疲れは自覚しにくいので……気が付いた時には自我が崩壊している……なんてことになりかねません』
少しの沈黙が落ちる。先に耐え切れなくなったのは僕の方だった。
「僕は……ゴミ島で目覚めてから休まずに動き続けているけど、そんな事態にはなってないし、それほど気を付けなくていいんじゃないか?」
『自覚が難しいといったじゃないですか!』とマザーは叫ぶ。
『自我が崩壊するとどうなるかわかりますか? 殻が壊れるんですよ! 殻の無くなった黄身は、どこにも留まれずに消えるんです!』
『それは一瞬です。何も考える間もなく、その瞬間は訪れます』
『だから……だから休んでください。ライアット。少なくとも三日に一回、何も考えずにぼーっとする時間をつくってください。今まで休んでいなかったのならなおさら多く取ってください。あなたが焦る気持ちは分かります。でも、だからこそ、貴方はしっかり休んでください。ね?』
嘆願するカメラに見つめられ、僕は思わず視線をそらした。
自分の魂が疲労するだなんて考えたこともなかった。そこまでいうのなら、きっとマザーは見たことがあるのだろう。壊れてしまったデクスを。
僕は、僕がまだ彼の体にいた頃に見た、死んだように動かない彼女の姿を思い出した。
『取り敢えず朝までは休んでください。それまでこの部屋からは出しません!』
いうが早いか、ガラクタの中から飛び出した柔軟なアームが僕の体に巻き付く。声を出す間もなく目や耳をふさがれて、いよいよ締め付けられる皮膚の感触しかなくなった。
『朝になったら起こしますから、それまではぼーっとしておいてください。何も考えちゃだめですよ?』
口を塞がれているため、返事も出来なかったが、もうマザーに逆らって動き出そうとは思っていなかった。
おかしいとは思っていた。だってそうだ。人間の脳は糖を消費してニューロンを働かせて、思考が出来て、ホルモンに影響を受けて、そしてやっと意志が完成する。脳がないくせに意志だけがあって、しかもそれが使い放題だなんて、そんな都合のいい話があるわけはないのだ。
まだ、あるのかもしれない。僕の知らないこの体の秘密が。
『あ、駄目ですよ! ちゃんとぼーっとしないと!』
何も見えていないというのに、マザーから注意を受ける。
『ぼーっとする時はですね、何か合図を決めておくといいですよ。ライアットは知っているかもしれませんが、人間たちはこう言いますね』
『おやすみなさい』
久しぶりに聞いたその言葉は、驚くほど簡単に僕の心に沁み込んで、固くこびりついていた何かにそっと触れていった。
長い間働き続けてきた意識は中々思考を手放そうとはしなかったが、僕は言われた通りに左目を閉じて、心の中にぽっかりと空いた暗闇の中に意識を放り込んだ。何も感じられない暗闇ではない。誰かの腕に抱かれて、存在を感じながら見る暗闇は心なしか明るく見えた。
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