ティアーレ大陸編

二十日目 会遇

 誰か!

 誰かいないのか!

 もう、もう無理だ! 助けてくれ!

 誰でもいい、僕の手を取ってくれ! 声を聞かせてくれ! 光を見せてくれ!

 深夜の道の暗さとも、瞼を閉じた暗闇とも違う、完全な無が広がっている。

 常にずり落ちそうな縁に居そうな気もするし、一切光の差し込まない縦穴の中にいるような気もする。

 基準となるものが一切ないこの場所では、自分の思考だけしか頼れない。

 一体、あの海で沈んでからどれだけ経った?

 僕の意識がある以上、まだ体は壊れていないのだろう。

 あの眼帯に腹のタンクを撃ち抜かれて、魔素のなくなった体は一切の情報を渡さなくなってしまった。

 光も音も感触もない場所では、自分の輪郭すら存在しない。時間の感覚は確実におかしい。おかしいことは分かるが、それを確かめるすべもない。何分、何時間、何週間? それ以上、いや、それ以下かもしれない。

 どちらにせよ、いくらかすれば僕の現実の体が朽ちる。そうなれば……

 叫ぼうにも叫べない。ここで死を待つだけか。

 グロリィを見捨てて、自分勝手をした報いなのかもしれない。

 そうだ、これは仕方のない事だ。




 ああああああああああああああああああああああ!

 いやだ! いやだいやだいやだ! 死にたくない!

 早く! 誰か僕を助けてくれ!

 なんでもする! 誰を犠牲にしたっていい!

 何度目だろう、こんな懇願をするのは。いるはずの無い誰かを願って、自分を裏切るのは。




 頼む、お願いだ。もう本当に限界なんだ。

 頭がおかしくなっているんだ。

 少しでいいんだ。外を見て、光に触れて、温かさを感じて、それだけでいいんだ。

 だから、だから、だから。お願いだから。


 誰か、助けてくれ。




『……あら? 入ってましたか!? これは失礼!』

『あなたお名前は? ……おや?』

『んん……反応がない……魂が死ぬことはないはずですが……』

『……ははーん、なるほど。私相手に無視をぶっこむ気ですか……』

『よろしい! ならばこちらにも考えがあります!』

『そーれっ!』




 最初は、ノイズだった。ぶつ切りの誰かの声が聞こえて、それに気づいた次の瞬間には、色のついた映像が目の前に現れる。


「……」


 しばらく呆然とした。狂ってしまわないように、バラバラに分解して分けた意識を一つずつかき集めて、思考をもとに戻していく。

 意図的に考えることを考えないようにするということを考える。矛盾に近いことを続けていたせいで、まだ会話なんてとてもできそうにはなかった。

 だから、さっきから話しかけてきているこいつが誰かなんて、わかる筈もなかった。


『そーれっ!』


 掛け声が聞こえたかと思うと、一瞬の浮遊感の後に、固いレンガの感触が体に伝わってくる。


「……いってぇぇぇぇぇぇぇ!」


 いや、痛くない……! それはそうだ。機械なんだから。

 這いつくばったままの僕に、ホースの先に目玉をくっつけたような柔軟なアームが寄ってくる。顔の前に来たことで、それがカメラなのだとわかる。


『や! 起きたみたいですね?』


 小さなスピーカーから人工的に作られた声が聞こえてくる。

 いまだに状況が理解できないが、目の前のこいつが、僕を助けてくれたということだろうか。


『あなた、名前は? どこから来ましたか?』

「……ベリトン」

『ベリトン……ベリトン……ああ! オーランドの! 遠いところからわざわざ!』


 レンガ造りの小部屋。窓がないところから見ると地下室だろうか。周囲にはやたら損傷の酷い機械達が山積みになっていて、部屋の中央に少しだけ空いたスペースに僕は倒れていた。


『いやー、無事でよかったです! 損傷激しかったですものね! まだ体に残ってくれてて良かったです!』


 寝起きの怠さを数倍に濃縮したような倦怠感が体を包んでいる。息をつきながら腹に視線を寄越すと、粗雑なタンクを経由して捕集装置に続いているケーブルが伸びていた。


「……誰……なんだ? ここは? 日付は? どうして俺はここに?」

『あはは! 混乱しているみたいですねー落ち着いて! ちゃあんと説明しますから!』


 機械の山からマニピュレーターが伸びてくる。その手には小さいタブレット端末。表示されている世界地図、その右大陸の端が怪しく光る。


『まずあなたは、うちのレジン君が砂浜に打ち上げられていたのを拾って来ました。それで今は総歴二千二十年の十二月! ついでにここはティアーレ大陸の南端、グリッサという街の地下です!』


 ティアーレ大陸。割れた卵に例えれば右の殻に当たる部分だ。

 運が悪いとかそういうことを考えている場合じゃない。浜辺に流れ着いて、こうして拾ってもらっただけでも奇跡的な幸運だ。これ以上を望んではいけない。

『そして……』とやけに溜めて必要のない息継ぎをする人工音声。


『私はマザー。皆にそう呼ばれてるってだけですが……ああ、言わなくてもわかるとは思いますが、私もあなたと同じ、デクスです。ま、これも人間達に呼ばれているってだけですが!』

「……デクスって」


 なに。そう言いかけた時、後ろにある扉が勢い良く開いた。

 扉の向こうから現れたのは少年だった。

 ただ、少年という判断が正しいのかは分からない。彼は確かに人間らしい純朴な顔をしているが、その右腕は歪な金属片で覆われている。

 義手を使っているのか、はたまた……


『あ、レジン君! おかえりなさい!』

「ただいま、まざー」


 抑揚のない平坦な声だ。旧時代の電化製品でももっとマシなしゃべりをするだろう。

 レジンと呼ばれた少年は、後ろに背負っていた袋をおろすと、中身から多くのガラクタを取り出しながら、こちらを気にするように視線を寄越した。


『紹介します! この子がうちのレジン君! 彼が君を拾ってきてくれたんだよ! 感謝してくれたまえ!』

「あ、ああ……ありがとう……?」


 彼は少しだけ頭を下げて、またガラクタを弄る作業に戻った。


『気付いたと思うけど、レジン君もデクスだからね! ……まぁ生まれる時に少し問題があって、ほんのちょっぴりおこちゃまだけども!』

「……すまない、その、デクスっていうのはなんなんだ?」

『おや、ご存じでない? 貴方のご主人様は教えてくれなかったのですか?』


『んー……』とスピーカーから音を漏らしながらカメラを傾けるマザー。


『こう呼ばれ始めたのは、魔素が普及し始めてからですかねー……都市伝説がありまして』

『「魔素を使い続けた物には魂が宿ってひとりでに動き出すようになる」って』


 カメラとは別の方向から声が聞こえる。ガラクタの中にスピーカーでもあるのか、声は歪に反響して、何人もの人が話しているように聞こえる。


『まぁ半分は正解なんですよ。それ。現にこうして私は動いてますし』

『間違っているのは『魔素を使い続けた物』って部分だけですね。私が生まれたのは魔素が生まれる前ですし』

『で、時代が進むにつれて私と同じような機械も増えてきまして、当然人に見つかる機会も増えてきたわけです』

『さて、ひとりでに動き出した機械を彼らはどう扱ったでしょう?』


「こわします」


 問いかけに答えたのは僕ではなく、いつの間にか隣に来ていたレジンだった。

 マザーはいくらか優しい声音になって答えた。


『そうですね。大部分の人間はそうしました。だって怖いじゃないですか! 自分の意思を持つ機械なんて!』

『しかし、彼らが機械を使い続ける限り、私達も生まれ続けるでしょう。その問題に人類はどう立ち向かったと思いますか?』


 今度はレジンも首をかしげている。しかし、人間である僕にはこの答えは簡単に分かった。


「立ち向かわなかった……」

『そう! 面白いですよね! これ!』

『だってその先に何があるかもわかっていないのに! 彼らは私達のすべてを切り捨てて、都市伝説にして、あろうことか茶化そうとしたんです!』

『噂になる時にはわかりやすい名前が必要ですよね? ……そう! そうして名付けられたのが「デクス」です! もうちょっとかわいい名前が良かったですけどね!』

『ついでに、今日では見つかったデクスは内々に処理されて、それが都市伝説の範疇に納まるように誰かが気を回しているようです!』

『これが今の私達の立ち位置です! お分かりですか? ルーキーさん!』


 正直に言えば何を言っているのか半分も飲み込めていないが、コクリと首だけで頷いて見せる。

 彼女にとっては僕も同じように生まれた機械だと思われているのだろう。実際には僕は人間なのだが、今それを話せばややこしいことになりそうで、口にはださなかった。


「分かった……ええと……その、取り敢えずありがとう。レジン、マザー。君たちが居なかったら、僕はどうなっていたか分からない」

『いえいえ! お気になさらず! ……と言いたいところなんですが』

「どうしたんだ?」

『ええと、貴方お名前は? あります?』

「あー……」


 答えようとして言い淀む。元の名前をそのまま名乗っていいものだろうか。この体でその名を名乗るのにはまだ少しだけ抵抗があった。


「ら、ライアット」

『ライアット! 男の子みたいな名前ですね!』

「あはは……」

『ライアットには、今何か目的がありますか?』


 目的、と言われれば当然ある。僕の家に戻って、自分の体を取り返す。しかし、デクスだと思われている今、そのまま話すわけにはいかない。適当に脚色してマザーに話した。


『ふむふむ……左大陸に向かいたいと……なるほど、そういうことだったら協力できるかもしれません!』

「……えっ! 本当!」

『かなり前に小型艇が流れ着いていまして、壊れているようでしたが、直せばまた使えるようになると思いますよ! それをお譲りしましょう!』


 僕はラッキーとか、そういう次元をはるかに超えて豪運だなと自覚する。幾度となく道から外れて、そのたびに待ち構えていたように誰かに助けられる。

 まるで子供の作ったおとぎ話みたいに。

 マザーはカメラのついたホースを不自然にうねうねと動かしながら言葉をつづける。


『只ですね? 私からも少しお願いがありまして……それを叶えていただけたら船を譲る……と、そういう取引はどうでしょう?』

「……お願いって?」


 取引なんて言葉を使ったからにはよほどかなえたい願いがあるのだろう。少し身構えて話を聞く。


『まぁ、なんてことはない願いなんですがね』

『お願いと言うのはですね? 私の体を作って欲しいんです』

『出来れば……そうですね、可愛らしい女の子の体をお願いします』

『出来そうですか? ライアット?』


 魔人を一から作った経験があるか? 当然無いに決まっている。

 ベリトンで船から落ちて、本当に終わったと思って、それでもまた救われて、とんでもなく細い糸を掴んで、離さずにここまでたどり着いた。「経験がないから」なんていうのは、僕が止まる理由にしては小さすぎる。


「やるよ。体を作ればいいんだね?」

『受けてくれますか! いや、良かった! ありがとうございますです!』

「ありがとー」


 彼らからそろってお礼を言われて、照れくさくなって顔を隠そうとしたけれど、動かした筈の右腕はどこにもなかった。


「あー……えっと、あ、あのさ、先に自分の体直してもいいかな?」


 少しの沈黙の後、マザーは大きな声で笑った。

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