幕間 彼と彼女と誰かの記憶 その二

 彼のもとを離れて、一週間がたった。彼は僕の事をもう忘れてしまっているのだろう。

 でも、それでいい。彼が今幸せになってくれているのなら、僕は他に何も望まない。

 今僕の体をいじくりまわしているこの子は、あまり丁寧に僕を扱ってはくれないけれど、彼に補強されたおかげで、僕はまだ壊れずにいる。

 僕は何も望まない。そのままでいい。

 でも、もし君とまた出会えて、その時まで僕が残っていたのなら、また一緒に遊んでほしい。

 そのくらいの我儘は良いだろう?

 目を閉じれば彼との思い出がよみがえる。

 本当は分かっている。飽きたおもちゃが売られて、それがまた持ち主のところに帰ってくるなんて、そんな偶然は起こりっこない。

 僕を握っていた手が離れて、あの子は母親に呼ばれてどこかに行ってしまう。

 寂しい、とはこういう気持ちなのかもしれない。

 白一色の空を見上げながら、僕は瞼を閉じた。


――――――――――


 両手の拳を解けない私を乗せた乗り物は、どこかへ向かっている。

 大きな水たまりの上を進む乗り物が方向を変えるたびに、ごわごわした布にくるまって私も一緒に転がる。

 ご主人様は何故私を捨てたのでしょう。

 いうことを聞かなかったから?

 粗相をしてしまったから?

 体が壊れてしまったから?

 伽が出来なくなってしまったから?

 怖いくらいに冷たくて、泣きたいくらいに寂しいのに、私にはそれをどうすることもできなくて、この箱に入れられてからずっと握った拳を解けずにいた。

 あの骨ばった手が恋しい。優しく抱き留めてくれた腕が恋しい。

 そんなことばかりが頭の中でぐるぐる回って、もういっそ目覚めなければ良かったと、そう思ったりもした。

 長い道のりを超えて、私は……正確には私が詰め込まれた箱は、どこかに捨てられた。

 ガタンガタンと大きい音がして、横倒しになった箱の扉が開く。

(……誰?)

 誰かが、私の体を転がしている。ご主人様みたいに大きい人じゃない。

 子供……?

 私の布を剥ぎ取っていた誰かは、私の右腕が布から零れ落ちると、それっきり何もしてこなかった。

 ここはどこで、誰が私を転がして、どうやってここまで来たのか。

 何も分からない暗闇の中で、ただべたついた風の冷たさだけが私のそばにあった。


――――――――――


「……失敗だな」

 目の前で煙を上げる機器を前に、私はあごに手を当てる。

 それとほぼ同時に、ガレージの扉が勢いよく開いて、怒り顔の女が飛び込んでくる。

「……うるさい!」

「すまん……」

「『すまん……』じゃない! 私言ったよね? 爆発だけはさせないでって!」

 たいそう皺を寄せた彼女は「まったく……」と言いながら手に持っていた消火器を床に置いた。

「で? 出来たの?」

「いや、失敗だな」

「ふーん……」

 興味があるんだか無いんだか、曖昧な返事を寄越す女。もっとも、本当に興味がないのならこんなガレージにまで乗り込んでこないのだろうが。

「間に合うの?」

「次の発表会には間に合わせるさ」

 失敗作を分解して中身を検める。

 ……なるほど、単純に部品の強度が足りていなかっただけか。

 リュックを背負ってガレージを出ようとすると、女がついてくる。

「どこ行くの?」

「買い出しだ」

「私もいく」

 意味があるんだかないんだか分からない話に付き合わされながら、並んで道を歩く。

「そういえばさぁ」と女が口を開く。

「あんたって結局何になりたいの? 研究者?」

 私は少し考えて答えた。

「……世界平和……だな」

「答えになってないし」そういって女は笑った。

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