十九日目 転落
「――、――……」
「――! ――!」
「――……」
アルコールの匂いが充満する地下室。酒蔵のような場所に僕らは連れてこられた。グロリィも僕も後ろで手首を縛られて、身動きができない状態だ。
彼女は先ほどからぶかぶかに向かって話しかけていくが、強い語気で押さえつけられているようだ。
僕が悩んでいる間に、ピチピチも部屋に入ってくる。この大都市に人員を張らせていたのなら、二人だけということもないだろう。時間が経てば経つほど奴らは集まる。そうなったらおしまいだ。
だというのに。
近づいてきたピチピチは、横で叫ぶグロリィを無視して僕の首を掴む。そのまま後ろの操作盤を開け、メインスイッチを落とした。
首を離された僕は崩れるように地面に落ちて、ピクリとも動かない。
転がった僕の頭を蹴り飛ばして、ピチピチとぶかぶかはゲラゲラと笑う。横ではグロリィが僕の名前を叫んでいる。
まだ、まだだ。まだどうにかなる。
ひとしきり笑い終わった彼らは、手元の銃を弄びながら時間をつぶし始めた。誰かを待っているのか。
「ライアット! ねぇ……ねぇ……お、起きてよ……」
震えた彼女の声は、聴いているだけでも心が痛む。這い寄って口でメインスイッチを入れようとしてくれているが、あの二人がそれを許してくれるはずもない。彼女は横腹を蹴られて派手に転がった。
もういいだろう?
いや、駄目だ。使わない。
今この時に使わないで、何の為の力だ?
間違っている。グロリィさえも危険にさらすことになるぞ。
頭の中の会議は紛糾している。僕のお腹の中にあるこの力を使うことは是か非か。迷っている時間なんてないというのに。
苦しそうなうめき声をあげる彼女をただ見つめることしかできない。
簡単な話だ。腹の中に埋め込んだ銃を取って、ここにいる二人を殺して、集まって来た奴らも皆殺しにすればいい。そうすればもう追手は来ない。僕もグロリィも安心して家に帰れる。
だが、それをしてしまえば、もう戻れなくなる。人殺しの咎はいつまでも消えないだろう。家には帰れるかもしれないが、僕の日常にはもう帰れない。
「ライアット……」
小さく聞こえたつぶやきは、僕の母国語だ。奴らには理解できないだろう。
「わ、私がこの人を止めるから……ライアットはそっちの……」
ぼそぼそと呟いていても、この狭い空間ではどうしても声は響く。ぶかぶかがグロリィに近づいていく。
「そっちの人をどうにか……あっ!」
地下室に悲鳴が響く。今すぐ動き出して助けに行きたいが、今助ければ、僕が動けることがバレてしまう。無暗に勝機を捨てるのは避けたい。
だが、なぜグロリィはそんな事を言えるんだ。僕達は後ろ手に縛られていて、満足に走ることさえ出来ないというのに。それにグロリィとぶかぶかではガタイが違いすぎる。一瞬でも食い止めることが出来るとは思えない。
二度も蹴り上げられてもまだ話し続けるグロリィ。僕はすぐに三度目の蹴りを予感したが、現実はそうはならなかった。
「――」
彼女のその声は小さく、短かった。その上、異国語でなんと言っているのか分からなかったが、その言葉の後、変化は起きた。
グロリィを見下ろすぶかぶかの動きが止まっている。背中を向けているためどんな表情をしているのかは分からないが、凍り付いたように微動だにしない。怪訝そうにピチピチが話しかけても、ぶかぶかは動かない。
そのうち、ピチピチはグロリィが何かしていると思い当たったらしく、銃を構えて二人に近づく。足元に転がっている僕には目もくれずに。
飛び起きると同時に自由になった右手でピチピチの喉を鷲掴みにする。グロリィの工房で強化された右腕は、人間の首の骨くらいなら容易に折れてしまう。
ギリギリと徐々に絞める力を上げていく。顔色がピンクから赤になり、そして青色になって、最終的に白くなると、それ以上ピチピチは動かなくなった。
口から泡を吹くそれを地面におろすと、ようやくぶかぶかが動かなくなっていた理由に気付いた。
床に転がっているグロリィ。後ろ手に縛られた手を限界まで曲げて、わき腹から両手を出していた。その手には見覚えのあるハンドガンが握られている。
(僕に近づいた時に取ったのか……)
違法業者の事を話したとたん看板と明かりを回収したり、彼女は変なところで冷静だった。異常事態に対しての耐性……のようなものを持っているのかもしれない。
僕の腕を縛っていたロープで動けなくなったぶかぶかを縛ると、グロリィのロープを使ってピチピチも縛っておく。
「う、上手くいった……ね?」
「グロリィのお陰でね……お腹大丈夫?」
「う、うん……ま、まだ痛いけど……」
「早く出よう」と地上への階段を上る。恐る恐る扉を開けると、薄暗い路地裏に出た。誰かが待ち伏せているような気配はない。まだ奴らの仲間は到着していないようだ。
「あ、あのバイクは……?」
「置いていくよ。しょうがない」
とはいっても、このまま僕が荷物として船に乗るのを眺めているほど穏健な奴らでもない。安心安全の船旅は捨てるべきだろう。
「グロリィ、ここで別れよう」
「えっ……」
「多分、正規の手続きじゃもう船には乗れない。他の方法を探してみるよ」
「ぎゃ、逆だと思う……」
「……逆?」
言葉の意味が分からずに聞き返すと、グロリィは親指の爪を噛みながら呟いている。
「は、話聞く限り、あいつら、徹底して表に出てこないでしょ……? 荷物として扱われれば、一人で行くより、よ、よっぽど安全に守ってもらえると思う……よ?」
「でも、そんな簡単に乗せてくれるかなぁ?」
「い、いい案があるけど……」
そうつぶやいたグロリィの頬は、心なしか赤かった。
***
ざわざわと雑踏が割れる。先ほどより幾分か歩きやすくなった人混みを優雅に歩きながら、少しだけ扇情的な服の裾を握りしめる。
グロリィが僕に提案したのは実に滑稽と言うか「嘘だろ?」と言いたくなるようなもの……というか実際に言ってしまうほど斜め上の作戦だった。
「す、すっごくおしゃれして目立てば、多分、大丈夫……」
やってみると、これがすこぶる気持ちがいい。意識しなくても人が道を開けてくれるし、時折聞こえてくるカメラのシャッター音は僕の気持ちを高揚させてくれる。
代償は、男として重要な何かを失ってしまうことだろうか。先ほど行ったアパレルショップのゴミ箱にはきっと僕のプライドが捨ててあるはずだ。
「やっぱスカート短くないかなぁ……?」
「うえぇぇぇぇ……」
僕の後ろに隠れるグロリィは実は僕より死にそうだ。あまり注目されることになれていないのだろう。
周りに監視の目があることで、誰も僕達に近づく人間はいない。もし近づく人間が居たとしても、この衆人環視の中ではへたな行動は起こせないだろう。美少女万歳だ。
難なく発送所までたどり着いて、先ほどの受付さんに身柄を引き渡される。
「はい、確かにお受け取りしました……あと、バイクがあるというお話でしたが……?」
「ば、バイクはキャンセルです、ご、ごめんなさい……」
「はい、かしこまりました……ではそちらの魔人はこちらへ」
奥の扉へ案内される。ここでグロリィとはお別れだ。
「ではマスター……また後で」
「う、うん。また……」
扉が閉まってスキャナーを経由。梱包材が敷き詰めてある木箱に膝を折って入る。木箱の蓋が固定されて釘が打ち付けられ、完全に暗闇になった視界を瞼で覆う。
僕の腹の魔素タンクはグロリィにもらった
ガタゴトとかなり乱雑に運ばれて、コンテナの中に入って、汽笛が聞こえて、そしてゆっくりと希望の船は動き出した。
やることがないと、どうしても考えてしまう。グロリィの事だ。
彼女はあれからどうするつもりなのだろうか。僕が近くにいる時は良かったが、彼女だって奴らに顔を知られているから、狙われたっておかしくはないはずだ。
僕の服を選んでいる時、彼女ははにかんで僕に言った。
「わ、わたしの想像通りなら、た、多分平気……だと……思う」
もしかしたら、彼女には奴らに対して思い当たる節があって、自分が大丈夫だという自信があったのかもしれない。
普通なら、そのまま置いてきたりなんかしない。一緒に行くか、ほとぼりが冷めるまで大陸を出ないか、少なくとも彼女一人を置いて自分だけ船に乗るなんて、そんな発想をしていいはずはない。たとえ彼女が大丈夫と言っても。
それでも僕は船に乗った。どうやら僕は、目の前にぶら下がった糸を掴まずにはいられない性格らしい。
これでグロリィになにかあっても、僕に悲しむ権利なんてないだろう。自分で引き金を引いておいて「まさか死ぬとは思わなかった」なんて言えるほど非道でもない。
金属がこすれ合う音が聞こえる。重たい錠をこじ開けて、ギイギイと扉のヒンジが軋んで呻く。
(荷物のチェックとかか? 陸を離れてから?)
箱の中に入っている僕は外の様子は全く分からない。ただ、危害を加えられることは……
ないだろう。そう思った瞬間。
「っっっっアッ!」
全力で木箱を突き破って外に出る。開けっ放しのコンテナの扉から差し込む日光が眩しい。
なんだ、なんだ一体、何が起こった?
腹の部分が突然、異常に熱くなったのだ。
そっと自分の腹を触ってみれば、そこにあるはずの人工皮膚の感触がない、吹き飛ばされたのか、いや、それどころじゃない。
「お前……が撃ったのか……!」
目の前でショットガンを持つ眼帯の男。僕が次の言葉を発するより先に、次の引き金を引いた。
バンッと小気味いい破裂音と共に、とっさに顔を庇った右腕が肩ごとえぐり取られる。
「ッッッ!」
破れかぶれ、突進して動きを止めようとするが、あっさりと動きを止められてコンテナの外へ放り投げられる。
船縁に捕まって立ち上がり、甲板に向かって走る。すぐに後ろから破裂音が聞こえて、撃たれた右足が動かなくなる。
残った左手足で這いながら後ろを振り向くと、あの眼帯はすぐそばに来ていた。僕がもう動けないものとみて、ゆっくりと近づいて狙いを定める。
――考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ!
悔やむのは後だ。こんな状況になってしまった以上、生き残ることを最優先に。
僕は小さな歩幅で近づいてくる眼帯に向かって、不敵に微笑みかける。
『ありがとう』
彼らの言葉で伝えた台詞は、眼帯の気を少しは引けたらしい。一瞬だけ彼の筋肉が硬直するのがわかった。
足のジョイントを回転させ、左手で甲板を思いっきり叩くと、僕の体が一瞬宙に浮く。出来るだけ素早く動いたつもりだったが、眼帯が放った散弾によって右目のカメラが破壊される。
僕の体は勢いをそのままに船縁から放り出され、海面に小さな水しぶきを上げた。
そのまま潜行しながら船から離れる。
――くそ、くそ、くそ、どうして、どうしてこうもうまくいかない!
何で奴らが船に乗り込んできているんだ? どうやって僕の隠れている箱を特定したんだ?
考えても答えは出ない。今はただ、奴が追ってこないように深くにもぐるだけだ。
そのうちに、視界に妙なノイズが混じりだす。
――左目もやられてたのか!?
ノイズは消えない。ただ壊れただけではこんなことにならないだろう。
少しの落胆の後、気付く。
これが見覚えのあるノイズだということに。
海水に交じって、黒い液体が流れている。
それは、僕の腹から滾々と湧き出ている。
まず、嗅覚が消える。
次に触覚が消える。
視界が消える。
タンクの穴を塞ごうとした左手が動かなくなる。
皮膚からの情報が途絶える。
聴覚が消える。
闇に、落ちる。
***
電話を持つ手が震える。お父さんから教えてもらったナンバーを二十回くらい確認して打ち込んで、カサカサになった口元に運ぶ。
短い呼び出し音の後、相手が通話に出る。
「……誰だ?」
「……あ、あなた達が必死に追っている魔人の……と、友達……です」
「……そうか」
低い男の人の声。私の話を聞いても動揺一つしない。唇をかんで話を続ける。
「か……彼を追うのは、や、やめてください……」
「それは無理な相談だな」
冷たく言い放った男の人は、電話をこのまま切ってしまいそうで、私は思わず叫んだ。
「彼は! デクスじゃないんです!」
浅い呼吸を繰り返して落ち着こうとする。電話はまだ切れていない。
しばらくして、さらに低くなった男の人の声が帰ってくる。
「……詳しく聞かせてもらおうか」
乗ってきた!
ここから、ここからだ。必ず彼を救ってみせる。
輸送船が旅立った水平線を見つめて、私は汗でぐっしょりの手を握りしめた。
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