十七日目 出立

「ここは……これで……閉じて……繋いで……戻して……よし」


 時刻は既に深夜。休みもせずに僕の喉を修理していた彼女の腕が、ついに止まる。


「い、いい……と、思う。し、喋れる?」


 緊張しつつも、口を開けて息を吸い込む。


「あ」


 鈴を転がしたような声。高くはあるが媚びているような感じはなく、可愛らしく凛とした十代の声だ。


「あ……ああー……あいうえお」

「だ、大丈夫? い、違和感とか……ない?」

「……う、うおおおおおおおおおおおお! 話せる! 話せるぞおおおお!」


「ひっ!」と怯えた声を出すグロリィに思わず抱き着いてしまう。


「ああああああありがとう! ありがとう! ほんっとうにありがとう!」

「あわ、わわわわわあわわわ」


 抱きしめたまま部屋の真ん中でぐるぐる回ったところで、やっと喜びは落ち着いた。


「……ふぅ、落ち着いた」

「あ、あ、そう……よ、良かった……」


 ぐるぐると目を回すグロリィの後ろでは、廃材で作られたらしい置き時計が深夜を示していた。


「もう、こんな時間か……夜遅いし眠ったほうがいいんじゃない?」

「え、で、でもまだう、腕とか、足とか……」

「少なくとも足は自分で弄れるし、僕は寝る必要ないからさ」

「あ……そっか」


 グロリィは少しためらっていたが、修理がひと段落したことで眠気がやって来たのか、瞼をこすっていた。眠気を忘れるほど集中し続けていたのだ。


「んー……うん。じ、じゃあ一旦寝る……ね? 起きたら、ま、また続きやるから……」


 ふらふらしながら裏口から表の店に戻っていった。自宅兼店舗なのだろう。

「ふー……」とため息をついて作業台の上に転がる。彼女を起こさないように「あ、あ、あ」と声を出してみる。

 声だ。正確には僕の声ではないが、これで意思疎通における最大の問題は解決した。

 声が出せれば、話が出来る。話が出来ればとりあえず人間だと認めてもらえる。ただ発声機構を修理して、声を出せるようになっただけではない。僕の人間としての尊厳も修理されたのだ。 


「んー……ストリングが切れてる……と、これ……クッション……? まぁ通電してる素材じゃないしゴムでいっか……うーん、これで別に支え作ってやって……あーでも……ていうかなにこの部品……?」


 右足を観察しながら、壊れている部品と無事な部品をより分けていく。高級品ということもあって、やはり内部も堅牢に作られている……なんてことはなかった。そもそも寝室用に作られた人形に頑強さを求める方がおかしいのは承知の上だが、じゃあこんなに独自部品ばかり使わなくたって良いじゃないか、と的外れな文句の一つも言いたくなる。

 ぶつくさ言いながら内部を弄っていると、だんだんとスイッチが入ってくる。

 どの部品がどの動きに干渉して、どういう役割を果たすためにそこにいるのか。思考が製作者の気持ちに同調してくるのだ。

 考えずとも手が動いていく。そのうちに、はたと気付いた。


(もしかしてこれ、独自規格とかじゃなくて、四年後の世界では一般的な規格とか?)


 僕が人間だったころ、魔人ゴーレムといえば、受付に置いたり、警備として置いたり、家事手伝いとして置いたり、とした使い方が一般的だった。

 一部ではより強い魔人を開発して、速さを競ったり、最大出力を競ったりといったスポーツ的な使い方もされていたみたいだけど、それはとんでもないお金を持った人たちだけが出来るお遊びで、僕ら庶民が触れるような魔人には、そんな高等技術が使われるはずもなかった。

 が、技術というのは常に進化し続けるものだ。

 この足は僕の知っている量産型の魔人とは全く違う。別物と言ってもいいだろう。もしかしたら今の世界ではこれが魔人のスタンダードな骨格なのかもしれない。


「四年……か」


 喉を手術されている間、彼女に少しだけこの世界の事を教えてもらった。聞いた限りでは、四年という短い時間では、世界はあまり変化していなかった。

 でも、人にとって四年はとても長い時間だ。

 幼馴染も、同じように年を取っているはずだ。学校なんてとっくに卒業しているだろうし、もしかしたら働いているのかもしれない。なら別の場所に移り住んでいるのか、結婚していたら姓も変わってしまっているだろう。

 幼馴染だけではない。母も、学校の友達も、同じように年を取っているはずだ。

 僕だけを置き去りにして。

 舌打ちをして、作業に集中する。

 僕をこの体にした元凶は誰なのかとか、そういうことは今考えるだけ無駄なのだ。まして、体を取り戻した後どうするかなんて、そんなものは終わった後に考えればいいことだ。

 希望はある。グロリィは僕を覚えていてくれた。変わらずに接してくれた。僕の事を信じてくれた。今はそれでいいじゃないか。

 深夜の路地裏は暗く、時折、思い出したように風の音が聞こえてくるだけだ。

 弱弱しいランタンの明かりは、何も触れていないのに揺らいで、僕の影の形を不規則に変化させ続けていた。


***


「お、おはよぉー……ふわぁーっ……」


 日も高く上がり始めたころ、あくびをしながら作業スペースに入ってくるグロリィに「おはよう」と作業台に座りながら返事を返す。


「……ん、何、やってるの?」

「ん、裾上げ」


 昨日の時点で「足は自分で直しておくから」と言った人間が、作業台から足をぶら下げて、チクチクと縫物をしていればそういう反応にもなるのだろう。

「足はもう直した」と右足を揺らしてみせる。

 人工皮膚のスペアはなかったし、移植するわけにもいかなかったので、可動する部品をリペア、メンテして、より義足に見えるようなガワを被せた……という感じだ。少なくとも、強い衝撃が加わったりしない限り、歩き続けることは出来るだろう。

 思いの他作業の量が少なく、日が昇ってくるころには完成してしまったので、暇を持て余してズボンの裾上げ作業に従事していた。

 グロリィはそんな僕をしばらくぼーっと見ていたが、彼女の腹の虫がなかなかの声量で叫び出したので、あわてて裏口に戻って早めの昼食らしきものを持ってきた。


「そ、そういえば……なんだけど」

「ん?」


 ほとんど球形に近いパンのようなものをほおばりながら、グロリィが訪ねてくる。


「き、昨日言ってた、じ、住所について何とかする、っていうのは……」

「……あー」


 あからさまに目が泳いでしまう。おっぱいで頭がいっぱいだった時の話だ。具体的には何も考えていない。


「と、とりあえずあっちに着きさえすれば、なんとかなるさ」

「えぇー……」


 グロリィは乳白色の飲み物で髭をつけながら、胡乱げな顔をつくる。

 引っ越し……といっても僕の住んでいた家は持ち家だったので、実際にはその可能性は低いと踏んでいる。万が一引っ越していた場合でも、他に頼れる親戚が居ないわけでもない。まさか家系が全滅でもしていない限り家族に連絡を取ることは出来るだろう。

 楽観的と言われるほど低い確率でもない。実はそれほど心配していなかった。


「と、とにかく、大丈夫だと思うからさ。その港までの道、案内お願いできる?」

「……んんー……ち、ちょっと遠いから……い、行くなら泊りがけで三日くらい……」

「三日!」

「こ、ここ僻地だから……あ、でも途中までは、お、お父さんに送ってもらえるかも……」


 そういえば彼女の父親は今日帰ってくるといっていたような……ていうか僻地って自分で言うんだ……

 そう考えていると、併設された店舗の方からエンジン音が響いてくる。


「あ、ち、ちょうど帰って来たみたい……ちょっと、い、行ってくるね」


 そう言い残し、彼女は裏口から出ていく。僕はその間に裾上げしたズボンを履いておいた。

 少しして裏口から現れたのは、なんと見覚えのある顔。彼もこちらを見て驚いているようだ。


「おじさん!」

「――!」


 相変わらず汚れたツナギを着て、皺だらけの目を細めている偉丈夫。そう。この町まで僕を送り届けて来てくれたおじさんだ。


「あれ……し、知り合い?」


 後ろからひょっこり顔を出したグロリィが、不思議そうに僕を見ている。


「この町まで僕を送ってくれたおじさんの話したでしょ? この人がそうだよ」

「へ、へぇー……」


 彼がグロリィの父親だったことには驚いたが、一方で納得も出来た。彼のような人が父親なら、これほどまでに友達思いな娘が育つのも頷ける。

 忙しなく視線を動かすグロリィは、なにやら悩んだ後、父親と二人で話し始めた。異国の言語なので僕にはわからないが、恐らく僕の事を説明しているのだろう。

 やがて会話が終わったのか、グロリィがこちらに向き直る。


「……え、ええとね、い、一週間後にちょうど向こうの……クウィル、って町があって、そこまでは送ってもらえるから、そ、そこからは私達……二人だけで、ベリトンまで行くことになると思う……」

「それはありがたい……けど、そのクウィルって町からベリトンまではどれくらいかかるの?」

「えっと、あのバイクなら、ふ、二日……と、は、半日くらい?」

「二日半か……」


 頭の中で、充填しながらテレメラを走らせてみる。だいたい二日を過ぎたあたりでどうやっても走れなくなる計算だ。しかも僕ひとりではなく、グロリィも一緒に運ぶことになるだろうから、実際はもっと魔素の消費は大きくなるだろう。捕集装置の改良は必須だ。


「ね、眠らずに進めるなら、多分一日と少しで着くと思う……」

「うーん、それでも魔素がなぁ……」

「う、うん……バ、バイクに、一番大きい複合型魔包ハイパケ、つ、つけてあげれば……」

「……ハイパケ?」

「……あっ、そっか……」


 彼女は複合型魔包というのものがどんなものであるのか説明してくれた。体積比で言えば、従来の魔包の数十倍もの魔素を貯め込める代物らしい。


「えっと……三年? くらい前に発明されて、ね、値段もそこまでしないから……い、今は結構普及してる、かな……」


「ほー」と感嘆のため息が漏れる。すごい発明家がいたものだ。

 この発明によって、人類はなんと海上にまでその生息域を広げる。『魔動生活船』と呼ばれるそれは、港に寄ることなく都市一つ分の人口を半年も維持できるらしい。


「なんかもう……なんでもありだな」

「う、うん……私もそう思う……」


 多少の雑談を交えつつ、僕たちは海越えの計画を練った。グロリィは時々父親に確認をとりながら、最大限に僕の手助けをしてくれるよう便宜を図ってくれているようだった。

 日が傾き始めたころ、ようやく僕の帰宅計画に目途がついた。

 決行は一週間後。やることは多くある。両腕のメンテ、テレメラの改良、高容量の外部タンクの調達、捕集装置の効率化と軽量化。

 おじさんにもグロリィにも、とんでもない協力を強いることになるだろう。

 たとえ友人でも、いや、友人だからこそ、この協力には報いなければならない。


(また、帰らなきゃいけない理由が増えたな)


 元の体に戻れたら、今度は自分自身の体でグロリィに会いに行こう。そして今度こそ、初めましてと伝えるのだ。

 かりそめの脈が高鳴る。体内の魔素変換機が熱を持つ。輪郭のない魂が震えて、基盤の上を巡っている。

 瞼を閉じても、夢でも見る事ができない我が家を、いつかこのカメラで捉える日まで、僕に止まることは許されない。

 握りしめた拳は、僕の固い決意とは裏腹に柔らかい皮膚の感触しか返してこなかった。

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