オーランド大陸編

十日目 上陸

 あの悪夢のようなゴミ島を出て十日目。黒船は止まることなく進み続けている。

 周囲の景色は全く変わらない。海面から周りを見られればいいのだが、一度船から離れれば、二度と戻ることは出来ない。せめて確実に陸地があることを確認してからでないと。

 外部タンクの魔素は、もう使い切った。内臓タンクも残りは半分ほどだ。

 思った以上に消費が早く、この調子でいけば、あと約三日で魔素が尽きる計算だ。


――あれ?


 突如、体に当たっていた海水の勢いが弱まる。

 船が減速を始めたのだ。

 同時に、前方左右に何か巨大な壁が現れる。


――港……いや、ドックか?


 やがて船は、その壁沿いに完全に停止する。左右から錨が落ちて来て、なにやら騒がしく会話しているような声が漏れ伝わってくる。

 すぐにでも逃げなければならない。誰かが引っかかっているケーブルをどけようとするかもしれないし、この明るい肌なら、近づかれただけでも気付かれる可能性がある。

 手早くケーブルを解いて抜け出す。まずは深くまで潜水し、その後、壁伝いに船から距離を取る。

 十分に離れたところで、そろりと海面から顔を出して周囲を確認する。

 切り立った崖に、地上にはおよそ手入れのされているとは思えない樹林。

見渡しても、上陸できそうな場所はない。

 少し陸地から離れてみれば、崖をくり抜くような形のドックに、黒船は収まっていた。


――違法投棄に隠しドック……? これ、なんか大きい組織だったりするのか……?


 木っ端の違法投棄業者が、わざわざ専用のドックまで所有してあのゴミ島に? やっぱりあそこには捨てなければならない特別な理由が……いや、今考えることはそんなことじゃないか。

 あんな違法船を隠す場所ということは、ここはよほど人に見つかりにくい場所ということだろう。総合的に見れば、好都合だ。

 船にくっついている間、僕もただぼんやりとしていたわけじゃない。陸地についてからの行動パターンはいくつか考えてきた。

 郊外からのスタートは、考えていた中でもかなり恵まれている方だ。上陸直後、おそらくはタンク残量が一番心もとない時、素早く充填に移れるのは、人のいない郊外のみだ。

 郊外なら整備もされていないだろう。このまま崖沿いに泳いでいったとして、上陸できる場所が近くにあるとは思えない。

 水かきを外して、崖に足をかける。近海に船影はない。周囲を警戒するのが癖になって来てるな、と自嘲しながらさらに崖を上る。

 黒船にしがみついたとき異音を発していた両腕は、特に不審な動きはしていない。


――家に着くまで、壊れなきゃいいけどっ


 崖の上、ゴツゴツとした陸地に手をかける。陸地は、想像通りの光景だった。

 崖際にはフェンスも手すりも見当たらない。ぼうぼうに伸びきった雑草と、乱立する樹木が視界を埋め尽くす。

 少し歩き回ってみるが、周囲には人の気配はない。ここなら安心して充填できるだろう。

 分解していた捕集装置を組み立てて、外部タンクに充填を始める。風当たりのいい場所に放置して、僕は周囲の探索に出た。

 まだ内臓タンクは半分も残っている。一日くらいなら歩き回ることはできるだろう。

 体につけていたビニールやらダクトテープやらをはがしながら、雑木林を進む。小動物などは見当たらない。それほど規模は大きくないのだろう。

 少しづつ、木の間隔が開いて、日差しが多く降り注いでくる。

 内陸の方に町の影でも見えれば、まだ希望はある。ここがどこの大陸か、どの位置にあるのか、町に行きさえすればわかるだろう。

 希望はある。ここに黒船のドックがあるということは、ここにコンテナを運ぶ手段があるということだ。もしかすれば、道路があるかもしれない。いや、なかったとしても、何度も運び入れていれば轍くらいはあるはずだ。それをたどっていけばあるいは……


「――!」


 突然、後ろからかけられた声に、びくつきながら振り返る。

 色黒の男が二人立っている。ぶかぶかシャツを着た奴と、ピチピチのシャツを着た奴だ。男二人はどちらも銃を持っていた。ピチピチは銃を構えて、ぶかぶかは片手にぶら下げている。


「――! ――――!」

「――――!」


 二人して何かを指示されているのは分かるのだが、なにせ言葉がわからない。しかし二人の所属は大体わかる。あの違法投棄業者の見張りだろう。服装にまとまりがないから雇われなのかもしれない。

 とりあえず手をあげて、撃たれないようにする。すると男二人の表情が露骨に変わった。

 その理由は、すぐに思い当たった。


――あっ! 僕、今美少女だった!


 人と話すことが久しぶりすぎて、すっかり自分の風体を忘れていた。いまからでもおっぱいを隠した方がいいのだろうか? いや、今更だな。

 あくまで堂々と、半裸の美少女は諸手を上げて見せた。


「――――?」

「――!」


 ぶかぶかとピチピチの口調は先ほどよりややフランクになったような気がする。まあ武器を隠す場所もないような女性に、警戒し続けろという方が難しいのかもしれないが。

 残念ながら僕は彼らほど頭が茹ってはいないため、この状況を打開する策をすでに考え出していた。

 刺激しないようにゆっくりと、喉をトントンと叩いてしゃべれませんのアピールをしてみる。ついでに細かく腕と足を震わせてもみた。

 みるからに二人の表情に変化があった。

 客観的に見てみよう。今の僕は、周囲に誰もいない森で、ほぼ全裸に近い状態で、右足が義足で素早く動けず、叫ぶこともできない絶世の美少女(びしょ濡れ状態)だ。

 若い男にとって、これほどのエサはないだろう。


――さぁ来い! 釣れろ!


 ピチピチがニタニタと気色の悪い笑顔をしながら構えを解く。ぶかぶかが片手でベルトを外しながら近づいてくる。


 さて、ここで突然だが魔人についても豆知識を披露しよう。魔人が人体と違う点は多々あるが、その中でも特異なものが姿勢制御機能だ。これは魔人が人体に勝っている数少ない点であり、地味だが魔人完成になくてはならなかった機能でもある。機能としては『姿勢制御』それ以上でもそれ以下でもないのだが、なんとこれは、精度においては人間をはるかに超える数値を出す。これを可能にしているのが、内部骨格に存在する大小無数のジョイント、そしてそれらを統括して最適に働かせるOS(オペレーティングシステム)だ。

 彼女の体の場合、OSではなく、僕が体を動かしている。従って、僕が意図的にジョイントを動かすことにより、人が操りながら、人体には不可能な動きも出来るのだ! 以上、豆知識おわり!


 ぶかぶかが僕の目の前に立つ。彼女の体からすれば頭二つ分は大きく、近くで見れば、見た目以上の威圧感がある。その左手が体に触れようとする寸前、ぶかぶかが最も油断したであろうタイミング。

 僕はノーモーションから金的を蹴り上げた。

 人工皮膚に守られた左足ではなく、厳つく鈍色に光る金属むき出しの右足で、だ。

 状況を理解したピチピチが銃を構え直すが、もう遅い。小さい彼女の体は、泡を吹いて失神しているぶかぶかの体にすっぽり隠れて、おまけに持っていた銃まで拾った。

 状況は逆転だ。肉の盾と銃。二つを手に入れた僕に、ピチピチはもう手を出せないだろう。ぶかぶかの脇の下を抱えながら、じりじりと間合いを詰めていく。

 ピチピチは逃げ腰だ。構えてはいるが、ぶかぶかを撃つことはできないのだろう。

 少し、悩んだ後に、僕は思い切って引き金を引いた。

 静かだった雑木林に銃声がいくつか響く。今までどこにいたのか、鳥たちの羽ばたきが一斉に聞こえてきた。

 想像通り、ピチピチは逃げ出した。もともと雇われなら、そこまで執着しないだろうと考えたが、予想が当たってよかった。

 問題はここからだ。ピチピチの気配が無くなったことを確認し、ぶかぶかの身ぐるみを剥ぎながら考える。

 さっきの状況では、ピチピチを逃げ返させることしかできなかった。殺すまではしたくなかったし、ぶかぶかを抱えたまま無力化させるのも難しかった。銃を撃ったのは、ピチピチに逃げてほしかったというのと、僕が銃を持って逃げたと想定させるためだ。ピチピチはきっとそのように仲間に伝えるだろう。

 銃を持った敵が森に潜んでいる。その事実だけで、捜索の進行はかなり遅らせられる……だろう。多分。そうでないと困る。

 ぶかぶか……いや、すでにぶかぶかではない。全裸だ。僕は全裸をその場に放って、銃をもって走る。悪いがこれからは僕がぶかぶかだ。

 崖際で充填中のタンクを回収して、銃を海に投げ捨てる。タンクはろくに充填できていないだろうが、しょうがない。

 一瞬、獣のうめき声のようなものが聞こえた。すぐに何かのエンジン音だと気づく。続いて、いくつかの小さな破裂音。


――増援!? いくら何でも早すぎ……


 緊張が走ったが、体を止めて耳を澄ますと、エンジン音は徐々に遠ざかっていく。

 ……そうか、こんな人が来そうにないところに、いちいち傭兵を配置させてたらキリがない。数人でいくつかの場所を巡回していると考えた方が自然だ。

 今遠ざかっていったのはピチピチが乗っていた何かだ。だとすれば……


――残ってるんじゃないか? ぶかぶかの分の乗り物が!


 全力で走り出す。走りというより飛び駆けるように、歩幅を広げてトップスピードで雑木林を抜ける。

 太陽がさんさんと照らす草原。見渡す限りに町や道路は見当たらない。

 だが、その時一番欲しいものはあった。


――魔動マナバイク!


 正直に言えば、陸地について初めて泣きそうになった。それくらいうれしかったのだ。装飾も何もついていない武骨なそれは、草原にポツンと佇んでいた。

 嬉々として向かったが、近づいて車両を確認するととんでもないことに気が付いた。

 メーター系、メインスイッチなどが置かれているはずの操作盤がめちゃくちゃに壊されていたのだ。

 周囲に弾痕のようなものがある。ピチピチの仕業か。


――これじゃあ使えない……


 なら、他の場所に逃げる? 魔動バイクから? 走って? 無理だ。

 速度とか距離以前に、タンクがもたない。

 ああ、くそ、モタモタしてたら追っ手が来るっていうのに!

 やっぱり銃なんて撃たなきゃよかったんだ! あの時おとなしく犯されておいて、隙をついてついて逃げ出せば……いやでもこれは彼女の体だし、できるだけ傷つけたくなくて、でもこの体が破壊されるような事態を招いてしまったのも事実で、こんなことになるなら先に充填を完了させておけば良かったとか、いや、今は過去の事考えてる場合じゃなくて、違う、バイクを動かしさえすれば。


『そういう時はね、一回深呼吸するの。たくさん空気を吸って、その空気が体全体に行き渡るのをイメージするの。それから、次の一歩の事だけを考えるの』


 暴走を始めた思考に、冷や水を入れるような言葉が浮かぶ。今はまさに『そういう時』なのかもしれない。

 大きく息を吸って、取り込んだ空気が体を循環して、肺に集まって、そして、吐き出される。ただ体を流れる空気だけをイメージして、それを繰り返す。


――うん


 四、五回、それを繰り返した後、僕はようやく落ち着くことができた。

 考えるのは次の一歩だ。

 まず、本当にこのバイクは使えないのか? 

 操作盤は壊されているが、どうも弾丸は内部まで貫通していないように見えるし、タンクもタイヤも無事だ。システムの起動さえ出来れば乗れるんじゃないか?

 ひしゃげた板金を外して、内部を晒してみる。小型の機械ならともかく、バイクなんていじったことがない。どれがどんな機能を持っているのかすらわからない。

 舌打ちをして、中身を戻す。そもそも起動したとして、僕はバイクの運転をしたことがない。前に進むことができるかどうかも怪しい。バイクはただタイヤを回すだけの機械ではないのだ。それに右足がこんな有様では、操作も……

 体に電流が走る。もちろん比喩だが。一体何度思い出せばいいのだろうか。自分が人間のつもりでいただなんて。

 バイクはタイヤを回すだけの機械ではない? それはそうだろう。だが思い出せ。彼女も無人島で生活できるように作られた機械じゃないんだ。だが、僕が中に入って操作すれば、それはになる。

 前輪と後輪の間にある魔素タンクを開ける。すると補充用のコネクタが顔を出す。外部タンクに繋いでいたものを外して接続し、さらに反対側を自分の首の後ろに接続。タイヤに巻き込まれないために、余分なコードを右足に巻く。

 目を閉じて、イメージする。

 このバイクは、体だ。魔素をエネルギーに変えてタイヤを動かすという機能が残っているなら、この体と同じように動かせるに違いない。

 バイクに感覚を這わせる。車体全体を把握して、タイヤを回すイメージをする。

 バイクは何の反応も返さない。もっと詳しく想像してみよう。

 二輪車の構造くらいは知っている……が、魔素を利用した二輪車の構造は詳しく知らない。あてずっぽうになる。だがどんな構造だろうと、エンジンを使っているのなら、その工程は吸気、圧縮、燃焼、排気になるはずだ。


 シリンダーとピストンが動いて、魔素を圧縮。点火され爆発したそれはピストンを押し下げて……


 グルルルルルルルルルルルルル


――うぉっ!


 突然の衝撃に驚いたが、ウィリー走行で何とか走り続ける。

 

――よし、よーしよし! 次だ! 次の一歩!


 バイクは動いた。次の一歩は町だ。服も手に入れたし、人間らしく振舞えば十分情報収集は可能だろう。問題は解決していないし、なんだったら増えているが、魔動バイクという乗り物を手に入れられたことは大きい。

 光沢のない、くすんだバイクは、僕の心配を笑い飛ばすかのように小気味良い音をたてて草原を走る。

 ハンドルを握りしめて、前を見据える。きっとあの先に日常があると信じて。

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