九日目 脱出

 月が見下ろすゴミ島。横になっていた僕のマイクに届いたエンジン音。

 慌てて体を起こす。遠目には真っ黒な船影が、夜の闇に混じって近づいてきているのが見える。壁の内側においていた荷物を携えて、船と反対側の海岸に走り出す。

 海岸にまとめておいた荷物とまとめて、船が来るまでに潜水の準備を整える。

 以前回収した銀色のテープ……ダクトテープは、簡単に言えば、防水機能を備えた粘着テープで、貼ればだいたい何でも直せる……わけではないが、そう言いたくなるくらい便利なものなのだ。

 回収してきたそれで口と鼻を塞ぐ。さらに空気を含ませたビニールを全身に巻き、その両端をダクトテープで留める。

 胸に着けていた布きれを外す。夜の海で白金の髪は目立ってしまうので、この布の中に押し込んで、これまたダクトテープで留める。

 金属部分がむき出しになっている右足は、皮膚の部分をケーブルで結んで、中に浸水しないようにする。魔人版止血帯法だ。

 両脚に、薄い金属板をつける。この体では思った以上に泳げない事がわかったので、そのための水かきだ。

 首の後ろを開いて、操作盤を露出する。手さぐりでプラグを繋いで、魔素タンクとつなげる。浸水対策として首にもテープを貼って固定する。もちろんタンクも体に巻き付ける。

 分解した魔素捕集装置をビニールに入れて背負う。これは濡れても機能するもので、特に浸水は気にしなくてもいい。さらにこのゴミ島からかき集めたケーブル類を結んだ物。これも一緒に背負って持っていく。

 最後に深呼吸。


「フゴッ」


 そうか、すでに口と鼻は塞いでいたのだったか。

 心の中で笑って、海に飛び込む。

 何度か試しに泳いだことはあったが、やはりこの体は泳ぎにくい。水かきがなければまともに進むこともできなかっただろう。

 視界は明瞭だ。眼下にはゴミ島から零れ落ちた残骸が積み重なっている。

 ゴミ島をぐるっと回り込んで、黒船の側面へ。響いてくる音からすると、まだ積み下ろしは終わっていないようだ。今のうちに船底に取りつこう。

 何かとっかかりのようなものを探す。しかし、錨が下りているわけでもない船底には、捕まれるような突起は何もなかった。


――ここまでは想定済みだ……なら……


 船首の下部にある突起に視線をやる。背負っていたケーブルを解きながら、ゆっくりと船に近づいていく。あの突起に上からケーブルを通し、海底で結んで、そこにつかまっていこうという作戦だ。

 海面から恐る恐る顔を出す。船の縁からこちらを覗いているような人間はいない。大丈夫だ。

 腕を上げてケーブルを振り回す。ケーブルの先端にはクズ鉄をくっつけてある。遠心力で向こう側まで飛んで行ってくれるはずだ。


――届け……っ!


 勢いをつけて手を放す。良いコースだ。このまま向こう側へ……


 カァン


 ――っ!


 放られたクズ鉄は、船体に派手な音を立ててぶち当たった。何を考えるより先に、体は潜水を始めていた。暗く、月の光もおぼろげになる深さでようやく足を止める。


――ああ、もう! 畜生!


 失敗した。これ以上ないチャンスだったのに。

 今の音は確実に気付かれただろう。もしかしたらいぶかしげにこちらを眺めている人間もいるかもしれない。今浮上するのは危険だ。


 今回は失敗だ。また次の機会にしよう。


 久しぶりに、脳内会話の相手が出てきた。確かにそちらの方が利口だ。どうせこの船は次も来る。その時までに練習して、また挑戦すればいい。

 わかっている。わかっているんだ。

 それでも、体は動くのを止めてくれない。

 深さを維持しながら、両脚は必死に水をかいている。ケーブルを手繰り寄せて、また挑戦しようとしている。


『誰かに見つかるかもしれない』

「理不尽な目覚めだった」

『見つかったらきっと酷いことになる』

「原因が何かも分からなかった」

『焦る必要はない。今でなくてもいい』

「彼女が力を貸してくれた」

『今までの全てが無駄になるぞ』

「今を逃せば、それこそ無駄になる」

『棒に振るのか』

「賭けるんだよ」

『分が悪すぎる』

「目の前の可能性に飛びつかないで、彼女が救えたか?」

『まだチャンスはある』

「それも同じ賭けだろ。どうせ賭けるなら……」


 勝ちに直結する賭けをしよう。


 ほぼ直角に急浮上。海面に顔を出すと、触れることが出来る距離に突起はあった。しかし。


――動き始めてる!


 船体はゆっくりと後退している。もう時間がない。遥か頭上に向けて、直接クズ鉄を投げる。わずかな沈黙の後、船体の向こう側で何かが落ちる音がした。

 素早く潜水。クズ鉄を回収して、自ら船底にへばりつく。

 このまま後退が終わるまで、ケーブルが突起から落ちなければ、ずっとこの船にくっついていられるはずだ。

 船底に背中を張り付けて、左右からケーブルを力の限り引っ張り続ける。

 関節から聞いたことのない悲鳴が漏れる。きっと異常な量の魔素も同時に使っていることだろう。もう後戻りは出来ない。

 徐々に、徐々に、後退のスピードが落ちる。そして、ついに完全に停止する。

 ぼうっとしている暇はない。水の勢いが強くなる前に、ケーブルを結んで、体を固定する。突起と自分の体を、ケーブルで束ねたような形だ。

 これでもうすっぽ抜けることはない。全身から一気に脱力をする。


――勝った……勝ったぞ! 僕は勝った!


 いるはずのない会話相手に勝利の雄たけびを上げていると、船はゆっくりと回頭を始めた。少しづつ視界から外れていくゴミ島を見て、気付く。ゴミ島の土壌の正体に。

 大量に積みあがっているコンテナ。それが幾重にも重なり、まるで山のように、ゴミ島へとつながっている。月の光だけでは底の方までは見えない。

 ゴミ島、というより、コンテナ捨て場だったのだ。それが積み重なり、いつしか海面まで顔を出すようになった。周囲の島の人間は、これ幸いと様々な機械を捨てるようになり、ゴミ島が形成された……のだろう。

 僕を船首に結び付けたまま、船は回頭を終え、前進を始める。念のためにケーブルをしっかりつかみながら、前を見据える。

 この先に、何があるのかは分からない。だが、たとえ何があったとしても、やることに変わりはない。

 あんなゴミ島で二か月も生き抜いたのだ。自信を持て。

 汽笛は鳴らない。カラフルなテープもバラまかれたりしない。

 黒船は静かに、波の上を滑るように、ゴミ島を出航した。

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