イーハトーブ幻想テロ海月
午後の太陽に照らされて海面がキラキラと揺らぐ。波の音は重低音を奏でる。
「潮臭いわね。」
【七尾琳子】は片手でハンドルを握り、片手でhopeを吸う。助手席の【副島浩介】は禁煙社会に向かう現代の刑事にあるまじき女上司の姿に頭を抱えた。仕事終わりにスルメを噛りながらワンカップを飲む。そんな一面もある女なのだ。七尾琳子という女は。
二人はある捜査のために新興経済特区神代区にやって来たのだ。
赤いアルファロメオ159は海岸線を走る。そもそも目立たずに捜査すべき刑事がこんな派手な車に好んで乗ることは通常あり得ない事だった。
「・・・西武警察じゃないんだぜ。」
副島は愚痴を吐息の様に吐き出した。
「副島ー。西武警察がなんだって?」
煙草を吸い終えてウィンドウを閉じた七尾は風でバサバサになったロングの髪を整えながら時代遅れの丸眼鏡越しに副島を一瞥した。
「琳子さん。こんな派手な車じゃなくてもいいじゃないですかって話ですよ。」
「可愛いからいーの!」
「はいはい。わかりましたよ。匿名捜査課じゃなかったら許可おりませんよ。全く。」
膨れっ面をする七尾。
(可愛いくねーんだよババァ。)
まだ27になったばかりの副島は絶対に口に出来ない台詞を頭の中で呟いた。
(32歳独身の女刑事じゃ貰い手もねーか。)
七尾琳子は狐目ではあるが日本的美人だと本人は言っている。しかし、煙草はプカプカ吸うわ。ワンカップにスルメをしゃぶりつくわ。警察官という職の性質上どうしても男勝りな性格が祟り。独身を貫いていた。
副島は高校時代から柔道に打ち込んできた。185cmの長身で体格はがっしりしており、警察官になってからは機動隊に配属されていた。その後、身辺調査での適格性を認められ荒事要員として匿名捜査課に引き抜かれた。
「見えてきたわね。あれがホワイトベース?」
「ですね。岬の上の真っ白な公団住宅。神代区民からはそう呼ばれてるみたいっスね。」
「この区画近辺で5件連続で起きてる爆殺事件の容疑者の一人が潜伏か。なんでうちに回ってきたの?」
「米国で頻発する爆殺テロ。あれが日本にも輸入されたって話ですよ。」
「ふーん。じゃあ通報者は見たってわけ?海月。」
七尾は頭の上を指差しながら人差し指をクルクル回した。
「そうらしいです。ホワイトベースに住む主婦からの通報ですが。米国の爆殺テロ犯は総じて頭上に海月が浮遊していたと。ニュースで見たんでしょうね。」
「あるわけないじゃないの。そんなの。パラノイアよ。集団パラノイア。現代の闇が産んだ精神病よ。」
神代区は東京24区。都市再生計画の一貫として電子部品製造工場を誘致して大規模な区画整理が行われた大規模埋め立て地だ。ホワイトベースと呼ばれる公団住宅もその流れで建設された。
アルファロメオは岬の坂を登り公団住宅に進入した。
18棟の団地があり、3棟づつ段々畑の様に6列続く規則正しい構造をしていた。まだ新興の団地群は清潔感のある佇まいを見せる。
山をくり貫いたような真っ白い団地群が某ロボットアニメに登場する鎮座する戦艦の様に見える。
その姿から近隣の住民からホワイトベースと呼ばれていた。しかし、当の公団の住民はその呼ばれかたを好ましく思ってはいないらしい。
「10号棟の305号室。【蛭間ケンゾー】。当たりかしらね。」
七尾は車を停めると腰のホルスターに納めた軍用モーゼル拳銃を取り出し弾装内の実砲を確認した。
副島も背広に手を入れホルスターからワルサーPPKを取り出し弾装を確認した。
彼等の所属する【匿名捜査課】は政治的、宗教的に不可侵な者への捜査力を持ち凶悪犯罪に特化した警視庁内の非公然組織だ。彼等はあえて旧式の拳銃を使用する。匿名捜査課は幽霊だ。武器の使用を行った場合、所轄の鑑識が現場確認する時に、匿名捜査課の登録する拳銃が使用されていれば記録から抹消される。それだけの権限を有していた。
「じゃあ聞き込みから入りますか。」
副島はアルファロメオのドアを閉めて大きく背伸びした。
初夏の入道雲が青空を貫く。ゆっくりと夏の空気を吸い込んだ。
ホワイトベースには管理人が二人いる。手前側の1~9号棟と後ろ側の10~18号棟で分かれていた。
容疑者の該当する10号棟の管理人【桑島洋造】。年齢は67。定年後に第2の人生として管理人業についたそうだ。少し猫背ではあるがまだまだ足腰は強そうな人の良さそうな老人だった。
副島は軽い世間話の後に本題に入る。
「10号棟305号室の住人蛭間ケンゾーについて何か知ってますか?」
「あー。あの暗そうな青年か。なんでも親が神代区総合病院の院長をしてるらしくてね。働きもせず親の金でプラプラしとるみたいですわ。何かやらかしたんですか!?」
「捜査上明かせないがそれを確かめる。」
七尾は細い狐眼を10号棟へ向けた。
波の音。子供達の遊ぶ声。鳥の囀ずりが公団を包んでいる。二人は10号棟へ進入した。
階段を昇る。薄暗いコンクリートの壁はひんやりとしている。
この無機質なコンクリートが人の心を変質させるのだろうか?
305号室に到着した。表札には何も書かれていない。
副島がインターホンを押す。
反応はない。
「ふぅん。居留守かね。蛭間さぁーん。いるんでしょー。蛭間ケンゾーさぁーん。」
七尾は無遠慮にドアをドカドカ
叩く。
「あんたって人は・・・」
副島はまた頭を抱えた。その時305号室の扉が空いた。ドアチェーンの遮る隙間から男が顔を出す。顔色には生気がなく。幽霊の様に青白い。髪は無造作に延び髭も同じく手入れされていない。
「何ですかあんた達は。御近所に迷惑でしょうが。」
「あなたが蛭間ケンゾーさん?」
「加速する人生の川。その潮流に飲み込まれまいと自我を強く意識する・・・。」
男は訳のわからない事を口にした。眼をつむり小刻みに震えるように見えた。
「え?」
「失礼。私が蛭間ケンゾーですが。あなた方は・・・。警察?」
「そうよ。話が早いわね。少しお話いいかしら?」
七尾は警察手帳を蛭間に見せた。蛭間は鉄の扉を一旦閉めると、チェーンロックを外し扉を解放した。
「近所の目もあります。中へどうぞ。」
男のあっさりとした態度に七尾は拍子抜けしつつも男の部屋へ侵入した。
そこは簡素な部屋であった。コンクリート打ちっぱなしのひんやりとした部屋。リビングの真ん中に溢れるキャンバスの群れを除けば無駄なものを排除した部屋だった。
「やっぱり頭の上に海月なんていないじゃないの。」
七尾は副島の耳元で呟いた。
キャンバスを覗き込む副島。顎のあたりに手を添えて体を斜めにしたりして蛭間が描いたであろう絵を見ている。
「海月・・・ですね?」
副島の視線は鋭く蛭間を捉えた。数多くのキャンバスに描かれる様々な海月。青い海を漂う優雅な海月もあれば禍々しく真っ赤な血を噴き出したような海月もある。エロチシズムさえ感じさせる海月の絵画郡は蛭間ケンゾーの狂気を匂わせる。
「好きなんですよ。海月。で、刑事さんが私に何の用です?」
男の無機質な黒い瞳は闇の地下室へ通じているかのようだ。
「この公団で起きてる連続爆殺事件の聞き込みをしていてね。一件一件回ってるの。ここ最近何か変わったことはないかしら?」
「さぁ。テロなんて珍しくないでしょ。今時」
無表情で喋る蛭間の顔はマネキンの様に見えた。
「そんな事よりハビタブルゾーンって知ってます?」
「は?何それ?」
七尾は聞き慣れない単語に眉をひそめた。
「太陽系外の遠い銀河。恒星と惑星の距離が絶妙で生命体が存在可能なエリアの事です。」
「興味ないね宇宙人には。」
七尾は頭を掻いた。
「もしそこに生命体がいるならきっと海月の様な生命体でしょうね。」
コンクリートルームの中で七尾と蛭間は煙草に火を付けプカプカと吸いだした。2つの銘柄の煙が海月の様にゆらゆら漂う。副島は苦しそうだ。
主婦の悲鳴が聴こえた。続けて爆発音。コンクリートの建造物が振動した。
「副島!」
七尾は叫ぶとベランダに駆け寄り広場に視線を向ける。
恐らくミンチになって吹き飛んだであろう人間の成れの果てを中心に黒煙が上がっている。
悲鳴の主は尻餅をついて怯えていた。2人の刑事は蛭間の部屋を出て現場に向かった。2人は周辺を監視しつつ所轄に救援を要請し、主婦を避難させた。
公団の脇にあるガス管理室の錆びた扉がゆっくり閉まるのを副島は見逃さなかった。
2人はフェンスで囲われたガス管理室に接近しホルスターから拳銃を抜いた。
副島が周辺を監視しつつ七尾がドアの前でモーゼル拳銃を保持しながらしゃがみこむ。
副島はドアノブに手をかける。七尾は副島にアイコンタクトを送った。
副島はドアを勢いよく開ける。七尾は拳銃を構え動くなと叫ぶ。
薄暗い部屋の奥に中年の男が1人。よれたブラウンのスーツを着たリリー・フランキーみたいなおっさんがいた。酷く怯えている。
「違うんや。わいやないんや!」
フランキーは両手でスーツを開いた。腹回りに爆弾らしきものを多数巻き付けていた。
「ちゃう!わいやない!ねぇちゃんまってーや!」
「動くなと言ってるだろ!」
七尾の制止を無視するかの様に起爆装置と思われるものを握るフランキー。その瞬間七尾はモーゼル拳銃の引き金を2回引いた。
フランキーは崩れ落ちた。
七尾の弾丸はフランキーの脳天と心臓を確かに射ぬいていた。
2つの穴からトクトクと鮮血が流れ出している。
所轄のパトカーが数台と消防車、救急車が到着し、野次馬も相まって祭の様な騒ぎになっていた。
蛭間と事件との繋がりとなるものが見受けられなかったため所轄に後を任せ七尾達は車に乗り込み本部に戻ることにした。
七尾は運転席から蛭間の部屋を見上げた。ベランダの入り口に半身を晒す男の表情が幽かに嗤っている様に見えた。
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