海月ライカボックス2011

 主に小説はファミレスで書く。

 仕事帰り、今日は、近場のガストかココス、それともバーミアンか、ちょっと足を伸ばして湘南辺りのレストランで冬の波の音を聞きながら書こうかと、ハンドルを握りながら考え、今夜はココスに決めた。

 ちなみに湘南辺りのレストランなんて行ったことがない。波の音を聞くって事はオープンテラスだろう、寒くて指がかじかんでキータッチもままならないじゃないか、冗談じゃない。

 奥の喫煙席の窓際の席に座り、毛虫のようなつけまつげをした高校生のウェイトレスにビーフハンバーグトリオAセットを注文し、料理がくるまで、たばこに火を点け、隣の席の夫婦が話している近所の奥さんの不倫疑惑を盗み聞いたり、ツイッターなどを閲覧し、暇を潰す。まだポメラは開かない、執筆中に料理が来て中断する状況は避けたい。

 え、奥さんてば、旦那の弟とヤっちゃってるの!?


 到着したハンバーグをライスと共に平らげて、一服した後、ようやくポメラを開く。僕のポメラはジョイントが破損していて開くにはコツがいる。新しいのを買いたいが、なにせ高価なものだ。友人に値段を言うと、みな信じられないと言った顔で首を傾げるのだ。

「ポメラって文章書くだけでしょ」

「スケジュール管理も出来るよ」

「それだけ?」

「うん、それだけ」

「それで・・・ねえ」

 と言った具合だ。

 まあ、それでいいのだ。僕はこのシンプルなスペックが気に入っているのだ。もし、ネットやらゲームやら出来てしまったら、わざわざ、ファミレスに出向く意味が無くなってしまう。

 僕は誘惑に弱い人間だ。自宅は誘惑の坩堝だ。ネット、マンガ、それにゲーム。僕はそれに悉く弱く。特にゲームなんかは19時くらいにコントローラーを握り、手放した時には既に日が回っていることなんてざらだ。

 だから僕は、ファミレスで数時間ポメラに向かう。店としては迷惑な客だろうが、ドリンクバーだけで居座る訳じゃないのだから、まだマシな部類だろうと自分に言い聞かせている。

 文章を書いては消し、元を取らなきゃという貧乏根性でドリンクバーに向かう。

 数回目のコーヒーを注いで席に戻ると、夏目が当然のように座っていた。

 夏目は、口をぽかりと開ける僕を見上げ「よう」と、あれ、待ち合わせてしてたっけと錯覚するくらいの自然さで僕に手を振った。

「なんだよ、びっくりするなあ」

 にこやかに笑う夏目から目を離さないようにしながら座った。

「1年ぶりかな」

 夏目は、僕の氷が溶けきったお冷やを口に含む。

 相変わらず夏目は全身黒で固めていた。短く切りそろえた髪に楕円のレンズの眼鏡。なにも変わっていない。

 久しぶりに会った友人との空白の時間を早急に埋めたい気持ちが勝り、どうしてここにいるのか、どうして僕がここにいるのが分かったのかという疑問を唱える気にはならなかった。まあ、それをおいおい聞けばいいとその時は思っていた。

「場所を変えるか、最近、いい雰囲気のバーを見つけてね」

 下戸の僕が社会勉強と言う名目で行ったことのあるバーの名前を口にした。

「バカルディのロックでも頼むかね」

 夏目はにやけながら言った。

 しまった、彼にはその話をしていたのかと、僕は照れ隠しで夏目のにやけ顔を真似て見せた。

 その話とは、何度も躊躇しながら意を決してバーに入ったはいいが、メニューを開いてもそこに書かれているそれらは僕にとっては文字の羅列にしか見えず、唯一、知っている「バカルディ」を注文したのだ。説明不要だろうが、バカルディはお笑い芸人のさまぁ~ずの前身のコンビ名であり、つまりはそれで知っていたわけだ。そのバカルディをグラスのロックで頼んだときのバーテンダーの目を丸くした表情は忘れない。

「無知とは怖いものだ」

 夏目はそう言って、僕のたばこをくわえた。

「たばこは止めたんじゃないのか」

 禁煙した途端、煙たがり健康の大切さを朗々と彼に説かれた時の居心地の悪さを思いだしたのと残り少ないたばこを取られたことでチョットむすりとした。

「ああ、まあ、もういいんだ」

 気持ちよさそうに煙を照明に吹きかけながら夏目は本当にどうでもいいように言った。

「で、なにを書いているんだ」

 夏目は、ポメラをのぞき込んだ。

 今書いているのは、タイガー&バニーの二次創作だ。ピクシブのランキング見るとタイバニの二次で埋め尽くされていて、「じゃあ」と言う軽い気持ちで書き始めたのだが、二次創作をしたことがないのでどうにもうまくいかない。まず、既存のキャラクターをどこまで改変してもいいのか分からない。わざわざ、完成されたものを崩してもお釣りは来ないだろう。なので、登場人物を全てオリジナルにして世界観だけを拝借する形にしたのだが、そうなると、果たしてこれは二次創作として成立するのだろうかという問題にぶち当たった。悩みは文章にも出てくる。だらだらといらないエピソードと登場人物の紹介を書き連ね、5,000文字以下で終わるような内容を引き延ばしだるい構成になってしまう。オリジナルよりも閲覧数も少ないし、正直、モチベーションは失せていた。そもそも、タイバニをジェイク騒動までしか見ていない僕に問題があるのだ。

 という愚痴といいわけをこれまたダラダラと述べている僕を興味なさげに見つめる夏目に気づいたので、僕は愚痴といいわけを止めた。

「ま、何にせよ完結はさせなきゃな」

 夏目はお決まりの事をさらっと言い、半分しか吸っていないタバコをもみ消すと、ポケットから黒い金属製の箱をテーブルに置いた。

「ロシア製」だと夏目は言った。

 もしこれが「ドイツ製」だったら、僕は「ほほう、さすがドイツ製は精巧ですな」と知ったような口をきくかもしれない。しかし、「ロシア製」というとどういう反応をすべきか悩む。ロシア製と言ったらピロシキ、テトリス、カラシニコフ・・・「はあ」と僕は曖昧な反応しか示せなかった。

「ロシアは本場だから」

 その反応に不満だったのか夏目はそんな事を言った。

「俺は、こいつと旅をしている」

 続けて、夏目はそう言った。僕としては、彼の近況よりも先に箱の説明をして欲しかったが、夏目はその箱を僕が知っているとして話を進めたいらしかったので僕はそれに従った。

「旅ね、いいね、有給とったんだ、うらやましいね」

 茶化す僕を夏目はじっと見つめている。俺は真剣だとアピールされた。

「仕事は・・・辞めた、意味がないのでね」

「辞めたって・・・いつ!?」

 必死で資格勉強していた昔の彼の姿が頭に浮かんで、僕は少し大きな声が出てしまったかもしれない。

「宇宙に初めて行った犬は何を見たというのか」

 遮って夏目は言った。

「スプートニクのライカ犬の事か」

「ああ、初めて宇宙に行ったという事になっている人間は地球は青かっただなんて感想を言ったら後世に残っちまう名言に仕立てあげられちまったが、ライカ犬は宇宙から見る地球にどんな思いを馳せたのだろうな、間違っても青かったなんて思わないだろうな」

 ライカ犬が見た地球はモノクロだったろうから当然だろうな。闇が広がる宇宙に溶け込んで地球すら判別できなかったのかもしれない。もしかしたら、窮屈で安全性も保証されない宇宙船に閉じこめられ否応無く冷戦の代理戦争ともいえる宇宙開発の片棒を担がされた事を恨みながら地球を見下ろしていたのかもしれないなとロマンチックに浸っていたら、現実的な疑問がフッと沸いた。

「なあ、ライカ犬の乗った宇宙船に覗き窓ってあったの?」

 その疑問を、夏目にぶつけると、彼はしょうがない奴だと言うかの如く眉をひそめた。

「お前の方が詳しいはずだろ、お前から聞いた話だもの」

 僕はお前に言った覚えはない。あれかな、年取ったのかな、僕。

「まあ、つまりロシア製が本場だって事だ」

 つまり、ライカ犬の話が本場の証明と言うことらしい。なんだね、その箱には小さなライカ犬が入っているとでも言いたいのかね

「で、お前が聞きたそうな話をしようか・・・俺がここに来たのはお前に会いに来た訳じゃない、偶然だ」

 ちがう、僕が聞きたいのは仕事を辞めた理由だ。分厚い参考書をめくってノートに計算式をびっしりと書いていた在りし日の夏目がヒッピーに憧れる大学生(高円寺在住)が中退してインドに行くような感じで退職するとはどうしても信じられない。しかし、ここにいる理由も知りたいのは確かだ。

「偶然にしては出来過ぎじゃないか」

「ああ、俺もそう思って笑っちまったよ、けどな、こいつが導いたんだもしかしたら必然かもな」

 と、夏目は本場ロシア製の黒い金属製の箱を指さした。

「ごめん、必然も何も、そもそも、その箱はなんだよ」

「なんだ、ゲームばっかしてたら現実から取り残されるぞ、待ってろ」

 夏目は、箱を持ち上げ、かちゃかちゃといじり始めた。スイッチを押すような音、つまみを回すような音、そんなにゴテゴテついていたかしら、ゲームばっかしてて目が悪くなっているのかな、高橋名人の言うことを守ればよかった。

「よし」と夏目は箱を慎重にテーブルに置いた。

「いま、計測してる」

「なにを」

「もう、お前ゲーム禁止」

 それは困る、酒飲まない、女いない、僕からゲームを取ったら永く辛い毎日をどう解消すればいいのだ。

 ピッと箱から電子音が鳴った。

 一拍おいてピッ、ピッ、ピッと箱は鳴き、それは徐々に音量を増していき、ビー、ビーと赤ん坊の泣き声のように箱は大音量で電子音を鳴らす。

「なっ」

 夏目は深刻な顔で僕をのぞき込むように首を傾げる。

「バカ、なっ、じゃないよ、場所わきまえろよ!」

 僕は耳を塞ぎ、電子音に負けないよう大声で夏目の耳元で言った。

 しかし、夏目は表情を変えず、僕から目を逸らし横を向いた。

「それ、ロシア製ですか」

 夏目は、隣の夫婦に話しかけていた。大きな声を出すわけなく、むしろいつもより低いトーンだ。聞こえるわけないだろと僕は怒鳴るのだが、夫婦は「いや、フランス製です」とこれまた静かに答えた。

夫婦のテーブルには夏目の箱より一回り小さな黒い箱が置かれている。

「ああ、いいですねえ、本場だ」

「本場ってどこでもあるんだな!やっすい本場な!」

「うるさいよ」

 夏目が僕を睨む。

「俺とお隣の声、聞こえるんだろ、だったらそんな大声出す必要ないだろ」

 駄々こねる子供を諭すような口調で言われた。

 納得しないぞ、ぼかあ納得できないぞ。

「落ち着けよ、もう当然のことなんだから」

 夏目は僕の肩を押して、乗り出した上半身を背もたれに預けるよう促すと、僕から視線を離し、うるさい箱を見つめた。

 夫婦の箱も鳴き始め、電子音がかえるのうたよろしく重なって聞こえる。

 ビー、ビー、ビー、ビー

 電子音はどんどん数を増す、他のテーブルから、トイレから、厨房から、窓を伝って外からも、僕は耳を塞いでそれを遮ろうとするが無駄な行為だった。

 僕は諦め、その電子音を受け入れた。そして理解した。この電子音が極めて不快なのは、プロパンガスに腐った玉葱のにおいをわざわざ着けているのと同じ意味だって事だ。

 視界がぼやける。水の中から空を見上げるような感じだ。

 ほらやっぱりそうだ。今日はいい天気だな、沈むにはちょうどいい青空じゃないか。

 僕はライカ犬の乗る宇宙船を探した。ライカ犬よ、そっちだったら黒い箱はもっとけたたましく泣き続けるだろうね。

 君を暗闇に飛ばした人類はまるで君のように今侵され続けているよ。どうだい、あざ笑えばいいと思うよ、いや笑えないのなら遠吠えの一発でもかませばいい。

 雲の合間に小さな黒い陰を見つけたが、海月が視界を遮ってそれが宇宙船かどうかなんてわかりゃしなかった。

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