1-3 【13番街のアナコンダ】



10月13日 東京某所



学校に行くといったきょうを送り出したナナは、家事をあらかた済ませ、キャバクラに出勤した。昨日はオフだったので、いつもなら反動でだるくなる出勤日でも、今朝の恭の「行ってきます」を思い出せば苦ではなかった。


早めについたナナは、続々と出勤するキャバ嬢たちに軽く挨拶をしながら、昨日の出来事を思い出し、ニヤニヤしながら髪を巻いていた。


「お疲れ様です~。っあ!ナナ‼昨日どうだった!?爽やか王子!」

キャバ嬢同期の一人が挨拶するや否やナナの元に駆け寄る。爽やか王子というのは恭のことだ。恭はこの界隈で働くお姉さんたちにも有名なのだ。


「もー、最高だった。あんな完璧な男居ない。食べちゃいたいくらい可愛い」

「キャハハ、ナナって爽やか王子に対する感想いつもそんな感じだよねぇ。いいなぁー。爽やか王子とデートできて。でも高校生なのがネックだわ」

ふぅ~とわざとらしいため息をつきながらナナの隣に座る。

「何言ってるの。まだ高校生なんだから成長の余地しかないじゃない。これからどんどんアタシ好みのイケメンになるの」

「キャハハ、何それ~かっこいい~!あ、そういえば食べるで思い出したんだけど」


急に声を潜めて、身を寄せてくる同期にナナは眉をひそめる。同期はコソコソ話で続ける。

「食べるで思い出すって…なにを?」


「ナナ知ってる…?13番街のアナコンダの話」

「アナコンダ?13番街?大きなアナコンダって蛇よね?」

頷く同期と、キョトンとするナナ。


13番街というのはナナの住む街のはずれにある路地のことで、キラキラと輝くメインのネオン通りとは少し離れた位置にある。全体的に暗く、路地裏といった感じだ。治安もいいわけではない。それとアナコンダ、何の関係があるのか。誰かの飼ったアナコンダが逃げ出したのか。


「まぁ、都市伝説みたいなものなんだけど…」といって同期は話を始めた。



先週の午前4時頃に、出勤終わりのキャバ嬢が13番街を歩いていた。薄気味悪い雰囲気の13番街ではあるが、そこを横断するのが一番の近道だったらしい。キャバ嬢が歩いていると、ゴリッ、ボキッと音がした。音のする方を見ると、遠くで誰かが人間らしきものを貪っている様子が見えた。まるで、人を丸呑みするアナコンダのようだった。

キャバ嬢は腰を抜かしながらも走って逃げ、警察に通報。警察が現場に向かったが、そこには誰もおらず、血痕も残っていなかった。当初はキャバ嬢が酒に酔っていた、もしくは薬物でも使用していたと嘲笑されたが、その日彼女はたまたま酒を飲んでおらず、薬物も検出されなかった。また、幻覚を見るような精神疾患も無かったという。


「めっちゃ怖くない!?」

眼を輝かせて話す同期。彼女はオカルトや都市伝説の類が大好きなのだ。ナナはそんな彼女とは対照的に無表情だ。

「こんな話、信じられない。非現実的。本当にアナコンダが逃げ出したんじゃないの?」

「ナナってば~。この前の摩天楼に浮かぶUFOも信じてくれなかったよね。でも冷静にアナコンダがこの街にいる方がヤバいか」

「そうそう。早く捜索してもらいなさい。」

「ちぇ。ナナの周りに最近変な人とかいないの~?」

「そんな人いるわけ…あ」


変な人と聞いて、昨日の隣人を思い出した。スウェットでボサボサ頭のヘラヘラメガネが頭をよぎる。

「アタシのマンションにいかにもヒモ男そうな奴が引っ越してきた。」

「え~!!ナナのマンションって結構高級じゃん!金持ち!?」

「いやでも、服装もだらしないし、本当に似合わないのよ。マンションに」

ため息をつきながら話すナナと対照的にニヤつく同期。

「あのマンション高かったもんね~。まあパパ活の力だけど」


実はあのマンションはナナがお客にせがんで買ってもらったものだ。某有名企業の社長で、オトすのに1年かかった。ナナの努力のたまものである。

「うるさい。過去の話よ。今は恭クン一筋なの」


ナナはそう言い捨て、シャンデリアが輝く店内へ続くカーテンを開けた。






午前4時。


ナナはあらかた接客をこなし、2時に閉店する店の片づけを手伝った後、同期とバーに寄って帰った。軽く飲んだだけなので、外はまだ暗かった。平日と言うこともあり、この時間帯は歩いている少なく、ナナは急ぎ足で帰宅する。強がっていたが、先ほどの話が怖くないわけではない。しかしナナの住んでる場所は13番街からは遠いし、「大丈夫」と自分に言い聞かせた。しかし…



―――コツコツコツ

―――――タッタッタッ


「…!」


ナナのヒールの音とは別に、後ろから足音が聞こえる。スニーカーのようだ。まるで、ナナに歩幅を合わせているようなテンポの良さに、ナナは心臓がドクドク鳴っているのが分かった。


―――――つけられている?


ナナは急ぎ足で歩いた。しかし、後ろから聞こえてくる音は一向に遠くなる気配がない。同じテンポでついてきている。びっしゃりとかいた手汗が気持ち悪い。しかし、そんなこと気にせず、きつくかばんを握り、ナナは走った。どうしよう、たすけて、怖い、恭クン!



はぁはぁと息を整えながら、エレベーターのボタンを押す。ナナが走ったので、少しは巻けたのだろうか。足音はもうしなくなっていた。ふぅーっと息を吐き、エレベーターの閉ボタンを押そうとしたその時…


ガンッ

「ヒッ」


誰かが、ドア目掛けて走ってきた。とっさにナナはさっきの足音の犯人だと思った。殺される!ナナは閉ボタンを連打し、犯人は閉まりかけたドアにぶつかった。


「ちょっと…!まって…足早…」

「え」

聞き覚えのある声。ヨレヨレのスウェットが目の前にいた。ナナを追いかけた犯人はスウェットの隣人、だった。



「いや〜ごめんなさい!見かけたから声かけようと思ったんだけど、足めっちゃ早いから慌てて追いかけたよ」

「……」

いや、お前かよ。とナナはケラケラ笑う杉山千歳すぎやまちとせを睨んだ。こんな時間に後ろから足音が聞こえたらみんな怖いだろうが。コイツは絶対デリカシーがない。ナナは確信した。


「……いま4時12分ですけど。何してるんですか…こんな時間に。」

ナナは完全に杉山千歳を怪しんでる。

「いや、肉じゃが作ろうかと思って!材料買ってきたんです」

「は?こんな時間に?明日で良くない?」

「いや、思い立ったが吉日って言うでしょ?どうしても食べたくて」

「ありえねぇー…」

思わず悪態をつく。こんな奴のせいでナナは怖い思いをしたのか。肉じゃがのせいで怖い思いをしたのか。ふざけんな。デリカシー無し男め。ナナは苛立った。


エレベーターが5階に到着した。ナナはズカズカとエレベーターを出て、自宅の鍵を開けた。


「おやすみなさい〜」

呑気な杉山千歳を一瞥し、ナナは自室に入った。




***


グツグツ


肉じゃがのいい香りが部屋に広がる。杉山千歳は部屋に帰り、宣言通り肉じゃがを作っていた。


「うーん、塩がいるかなぁ」

味見をして、ちょっと甘いことに気がつく。杉山千歳は塩を探した。しかし、どこを探しても塩は見当たらない。


「塩どこ〜〜、塩さ〜〜ん」

呼んでみても塩が出てくるわけない。塩くらい絶対どこかにあるはずだ。なのに見当たらない。



「あー…やっぱり分かるわけないか。

……ここ。」


杉山千歳は頭をかいた。

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