名探偵 vs PTA

てこ/ひかり

新米探偵・岬岐ちゃん登場!

「田中蓮十郎……傷害致死及び連続殺人容疑で、お前を逮捕する!」

「勘弁してくれェ……!」


 罪状を突きつけた警官の前で、容疑者の田中蓮十郎が声を上ずらせ崩れ落ちた。先ほどまでの覇気がすっかり失くなってしまった犯人を見下ろしながら、探偵・嵯峨峰岬岐さがみねみさきは小さくため息を漏らした。薄汚れた部屋の壁に寄りかかったまま、ずるずると畳の方へずり落ちていく。


 よかった。自分の推理、間違ってなかった……。



 今年四月に探偵事務所に入所したばかりの新米探偵・岬岐が殺人事件を捜査するのは、これが初めてだった。それまで、大掛かりな事件な複雑な謎は、ほぼ全て事務所の先輩の探偵が担当していた。新米である岬岐に回ってくるのは、落し物の捜索だとか、不倫の調査だとか、言ってはなんだが身の回りの”小さな事件”がほとんどだった。

 もちろん、それを承知で入所したんだから不満はない。殺人などの”大事件”を担当するには、それなりの経歴を積んでいかないと無理なことは分かっていた。それでも、子供の頃から憧れだった探偵業……いつの日か新聞の一面をドカドカと飾るような、複雑怪奇なトリックに挑戦してみたいと彼女は密かに夢見ていたのだ。


 そして、嵐で絶海の孤島に閉じ込められていた先輩が、インフルエンザでどうしても抜けなくてはならなくなり回ってきたこのチャンス。”天国島”連続殺人事件。先輩探偵は緊急ヘリで泣く泣く本土に返され、代わりに岬岐が探偵役に抜擢された。他のルーキー探偵たちは、そのほとんどがまだ下で探偵としての体幹作りから鍛えられていて、これほどの大事件に遭遇すらしていない。岬岐が一歩も二歩もリードして、名を上げるにはもってこいの事件だった。

 彼女は興奮と緊張で背中に冷たい汗を滲ませ、東京からヘリでひとっ飛びで件の島へと降り立った。


「大丈夫かあ? こんなヒョロイ探偵で……」

 彼女が島に着くなり、集まっていた関係者の一人にそんな悪口を言われたりもした。

 学生上がりに何ができる。

 気がつくと、全員が岬岐を”子供”のように見つめていた。口元にニヤニヤと蔑みの笑みが浮かぶような、そんな白けた空気に飲まれないように、岬岐はランデブーポイントに足をつけながら大きく息を吸い込んだ。

「皆さん! 私たちは今、殺人鬼と一緒に島に閉じ込められているんですよ!」

「!」

「助けが来るまであと一週間です! 締まっていきましょう!」


 そうして、探偵・嵯峨峰岬岐が担当する初めての殺人事件が幕を開けた。


□□□


「おめでとう、岬岐ちゃん。いや、嵯峨峰探偵」

「おじさん……」


 犯人が警察に連行されて行き、岬岐が現場で一息ついていると、そばにいた中年男性が柔らかな笑みを浮かべ彼女にパックのジュースを差し出した。

「はい、りんごジュース」

「わあ……! ありがとう、茂吉おじさん」


 岬岐は疲れた顔をしつつパックを受け取った。彼は嵯峨峰茂吉。岬岐の叔父だった。岬岐が初めての殺人事件に挑むと聞いて、わざわざ付き添いでやって来てくれたのだ。茂吉は座り込む岬岐のそばに腰をかがめた。

「見事な推理だったね。よくやった」

「そんな、まだまだです! 一度、犯人間違えちゃったし……」

 労いの笑みを浮かべる茂吉に、岬岐は慌てて首を振った。

「それでも、二度目の指名できっちり真犯人を上げただろう。一度の失敗くらい、誰にでもあるさ。さすがだよ」

「もっと精進します……」


 岬岐は頬を薄紅色に染めながら、パタパタと右手で顔を仰いだ。茂吉はその様子をほほ笑ましげに見つめながらも、やがてその表情を引き締めた。

「だけど、これで満足しちゃいけないよ」

「ええ。分かってます。一流の探偵になるために……新聞に名前が載って、これからが勝負ですよね」

「それもだけど……もう一つ」

「え?」


 まるで獲物を探す捕食者のように、周囲に鋭い視線を向ける茂吉に、岬岐は首をかしげた。すると、茂吉の視線の先に、現場に向かって来る大勢の人影が見えた。

「ああ……ホラ。来たよ」

「……マスコミ? ですか?」

「いいや」

 茂吉が少し苦々しげに言葉を吐き捨てた。

「PTAだ」

「はい?」

 PTA。

 凄惨な事件現場に、なぜPTAが来るのだろう。訳が分からず、岬岐がさらに口を開こうとした、その時だった。

「ちょっと!」

 ドカドカと土足で現場に踏み込んで来た中年女性が、血まみれの畳を見るなり金切り声を上げた。


「どうなってるのよッ!? なにこの血ッ!」

「あれは……?」

 岬岐は驚いて、その場に固まったままやって来た四、五名の集団を見上げた。

「人を続けざまに殺すだなんて……全く最近の老いた者はッ!」

「こんなの恥ずかしくって、他所様に見せられないわ!」

「担当者は誰なの!?」

「気をつけろ、岬岐ちゃん。あいつらに目をつけられたら、下手したら新聞デビューさえ怪しくなるぞ……」

「え……ええッ!?」

 茂吉が岬岐に顔を寄せこっそり耳打ちした。驚いて目を丸くする彼女を、集団の影が颯爽と取り囲んだ。逃げ場を失った彼女は、思わず肩を竦め体を縮こまらせた。


「あなたね!?」

「あ……あの……」

「あなたが担当者ねッ!?」

「あなたが担当の探偵さんねッ!?」

「あの……えっと……」

「あらやだ! まだお若いのね」

「まだお若いのに殺人事件の担当だなんて!」

「あらやだ!」

「あらやだ!」

「…………」


 その勢いに、岬岐は思わず閉口した。ケバケバしいスーツをビシッと身に纏ったおばちゃんたちが、四方八方から矢継ぎ早に金切り声を飛ばして来る。岬岐が一言喋る間に、四、五人が一斉にがなり立てるものだから、会話のキャッチボールと言うよりガトリングショットを浴びているようだった。岬岐の右にいたパンチパーマが叫んだ。


「信じられないわッ!!」

「そうよ! 信じられない!」

「信じられなァい!!」

「え!? え……っと、何が……」

「はあ!? だったらあなたは信じられるの!?」

「だから何が……」

「それこそ信じられないわ!」

 岬岐の左にいたお団子が大げさに天井を仰いだ。

「殺人事件だなんてッ! 【子供に悪影響】でしょうッ!!」

「こ、子供……?」

 ぽかんと口を開ける岬岐の周りで、他のPTAのみなさんがそうよそうよ、と騒ぎ立てた。

「こんなに血を流して……」

「【危ない】ったらありゃしない」

「うちの子が【真似】したらどうするの!?」

「そしたら誰が【責任】取るのよ!? 少なくとも、私たちじゃないわ!」

「そうよね!?」

「ね〜え!?」

「…………」

 PTA全員が顔を合わせて頷き合った。会話の集中砲火を浴び、岬岐は次第に頭がクラクラとし始めた。 

「今すぐ殺人事件を中止してちょうだいッ!」

「そんな無茶な……」

「できないなら一刻も早く、この事件を隠蔽すべきよ」

「ええ!?」

 岬岐は顔面を蒼白にした。このままでは、自分の解決した初めての殺人事件が誰にも知られることなく潰されてしまう。

「そんな……!」

「だってそうでしょう!? 内容が悲惨すぎるんですもの! こんなのがお茶の間に流れたら、悪影響にもほどがあるわ!」

「おい、もうやめないか」

 なおもエスカレートしていくPTAに、岬岐の隣にいた茂吉が助け舟を出した。

「この子の初陣なんだ。せっかくの船出を祝ってやれよ」

「あらやだ! 誰このオッサン!?」

 すると、PTAは鋭い視線を茂吉に飛ばし、今度は彼に噛み付いた。茂吉がガクッと肩を落とした。


「オッサ……あんたらだって、いい歳したオバさんじゃないか!」

「きゃあああ! 聞いた!? 聞いた!?」

「セクハラよオオオオ!! セクハラ!!」

「リアルタイムセクシャルハラスメントッ!!」

「最ッ低!! 自分だってオッサンのくせに、人をオバさん呼ばわりだなんて!」

「きゃああああああ!!」

「逮捕してえ! 誰かこのオッサンを逮捕してぇ!!」

「いい加減にしろッ!」

「うるさいわねッ!!」


 般若の形相で怒鳴る茂吉に、負けない勢いで、眼鏡の中年女性が顔の皺をブルドッグのように歪ませて叫んだ。

「何が船出よ!! 人の生き死にを面白おかしく商売にして、恥ずかしくないのかしら!?」

 その勢いに、さすがに茂吉も押し黙ってしまった。

「全く、これだから探偵ってやつは……」 

「万が一こんな事件を報道して、うちの子が探偵になりたいとか言いだしたら、一体どう責任取ってくれるのかしら」

「悪影響ね」

「即刻潰すべきね」

「それがいいわ」

「待ってください」

 会話の雨を遮るように、岬岐が静かに立ち上がった。PTAたちが怪訝な表情を見せた。


「何? 何か文句でもあるわけ? 探偵ごときが……」

「確かに、私たちは事件を解決してお金をもらっています。それに、おじさんはちょっとセクハラだったかもしれません」

「岬岐ちゃん……」

 真っ直ぐな目を見せる岬岐に、茂吉が少し悲しげな顔を浮かべた。

「でも、決して面白おかしく事件に向かっているわけではありません。被害者の無念を晴らすため……裏でほくそ笑んでいる真犯人を捕まえるために、一所懸命事件を解いているんです」

「あらやだ」

「口では上手いこと言って。どうせあなたも新聞にデカデカと載って、有名になってお金がたっぷり欲しいだけでしょう!?」

「そんなの、もういらないです!」

「え!?」

「私だって……まだまだ未熟だけど……。それでも事件を憎む気持ちはあなた方と変わらないんです。だから……!!」

「…………」


 自分の憧れた探偵を、悪く言わないで欲しい。


 だけどそれ以上、岬岐の口から言葉は出てこなかった。黙って俯く彼女のその姿に、現場はしばらくシン……と静まり返った。PTAの集団も、茂吉も、黙って岬岐を見つめた。さっきから白いテープの中で寝っ転がっていた死体も、気まずそうにその場でじっとしていた。


「わかったわ」


 やがて、PTAの一人がポツリと言葉をこぼした。

「え!?」

 岬岐は思わず顔を上げた。PTAが、少し罰が悪そうに岬岐を見つめた。

「悪かったわ……ちょっと私たちも、過激になりすぎたかも」

「そうね」

「やりすぎだったわ」

「反省するわ」

「そうね。事件をきちんと報道することで、少しでも抑止につながるかもしれないわね。そして、それを必死に解決しようとしていた人が、ちゃんと裏にいたことも……」

「皆さん……!」

「フフ。私にも、ちょうどあなたと同じくらいの娘がいるの。だから、ね? もう泣かないで、探偵さん」

「……!」

 慈愛の笑みを浮かべるPTAに、茂吉が渋い表情で割って入った。

「じゃあ、この事件はきちんと報道させてもらえるんだな?」

「……ええ。良いわよ」

 仕方ないわね、と言った顔でPTAの一人が頷いた。茂吉が岬岐を振り返って叫んだ。

「良かったな、岬岐ちゃん!」

「うん……ありがとう、おじさん!」


 岬岐が、事件を解決してからようやく笑みを溢した。こうして、探偵・嵯峨峰岬岐が担当する初めての殺人事件が幕を閉じた。翌日の新聞には、岬岐の顔写真付きで解決した事件の詳細と、茂吉おじさんがセクハラで逮捕されたと言う記事がきちんと載っていた。

 

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