平和と仲間を守るため
「ギイイイイ!」
クモ怪人の背から伸びた四本の肢が先手を取る。
鋭い鉤爪は【魔法剣士EX】の影響か、それぞれが炎・氷・雷・風を纏ってゴブリンナイトに襲いかかった。
どうやら人間の《スキル》と魔物の《アビリティ》を融合させる《クロスフォース》システムが、クモ怪人にも作用しているらしい。しかしその程度は予測の範疇。ゴブリンナイトは動揺も見せずに踏み込んだ。
一本目の鉤爪を、僅かに上体を反らすだけの動きで避ける。鉤爪の発する炎が鬼面の右角を炙った。二本目は、左の手刀で外側に弾く。鉤爪を覆う氷が砕けて散った。三本目は、飛び込むように地面を転がって掻い潜る。薙ぎ払う鉤爪の雷が背中を掠めた。
そして前転の勢いを殺さず、立ち上がりざまアッパー気味に放った右拳が、相手の四本目、風の刃を帯びた鉤爪と正面衝突する。
結果、ゴブリンナイトの拳が、風の刃ごとクモ怪人の鉤爪を粉砕した。
「トオオオオ!」
「グギィ!」
拳は少しも速度を落とさず、ガラス片のように飛び散る鉤爪の残骸を突き抜けて、クモ怪人の顔を悲鳴ごと叩き潰した。
鈍い感触。肉と骨が軋む音。慣れ親しんだ暴力の手応え。
躊躇はなく、脳裏をよぎる自問自答も左の拳に握り込んで、ゴブリンナイトはクモ怪人の横顔を殴り飛ばす。そのまま怯むクモ怪人に手刀、裏拳、肘鉄と立て続けに容赦ないラッシュを浴びせかけた。
両腕でのガードもままならず、クモ怪人は一方的に打ちのめされていく。
「グ、ガ、ギギ……ギイイイイ!」
複眼を光らせ、癇癪めいた絶叫を放つクモ怪人。
伸び切った肢を引き戻し、鉤爪でゴブリンナイトの背中を狙う。
ゴブリンナイトは身を屈めて危なげもなく鉤爪を回避。しかしクモ怪人も自分で自分を刺すような間抜けは晒さなかった。引き戻した肢を振り上げ、ゴブリンナイトを立ち上がるより先に鉤爪で串刺しにしようとする。砕いた一本も既に再生済みだ。
が、ゴブリンナイトの動きの方が速い。
「セエエイ!」
「グッ、ガ!」
ゴブリンナイトは地に着いた手で下半身を跳ね上げ、逆立ち状態から蹴りを繰り出す。右足の蹴りで鉤爪四本をまとめて弾き、左足の蹴りでクモ怪人の頭を打つ。そこで攻撃は終わらない。両手で反動をつけて体を宙に浮かし、回転。追撃の蹴りを左右連続でクモ怪人に浴びせる。そして着地した片手を支点に、【疾風躯】でさらに回転。
全身に纏った風の力で、逆立ちした体をさながら独楽のように回転させ、カポエラじみた動きからの連続キックを見舞った。
「グガガガガ……!」
「オリャアアアア!」
「グギィィ!」
締めに体の上下を入れ替え直し、その際に生じた捻りも余さず威力に上乗せした回し蹴りで、クモ怪人を大きくふっ飛ばす。
屋上の縁まで転がったクモ怪人は何度も血を吐き、起き上がろうとするが果たせない。体毛に覆われた顔から表情は読み取り難いが、ダメージの大きさは明白だ。
浩介が使って京太に勝てたのだから、自分が《スフィアダガー》を使えばもっと強くなれるはず――実彦はそう主張したが、その認識は間違っている。《クロスフォース》システムを成立させるには、スキルとアビリティのパワーを絶妙なバランスで調整・同調させる必要があるからだ。
レベルが低いスキルとアビリティでも、同調率が高ければ爆発的なパワーを得られることはゴブリンナイトが実証済み。
一方でクモ怪人はいくらEXスキルを持っていても、アビリティとの同調が全く成り立っていないため、パワーそのものは大して上昇していない。
むしろ、異形化した体を上手く扱えずに戦闘力は低下していた。重心一つ取っても、背中に四本の肢が生えた分、体を動かす勝手が大きく違うはずだ。技量の未熟を差し引いても、怪人化する前の方がまだマシな動きができただろう。
圧倒的な優勢に浮き足立たないよう自分に言い聞かせながら、ゴブリンナイトは油断なく間合いを詰める。
しかし、クモ怪人は予想外の行動に出た。
「ギギイイイイ!」
「なっ!?」
屋上から転げ落ちるように身を投げ、脇目も振らず逃走したのだ。
慌てて縁に駆け寄って下を見れば、クモ怪人は背中の四本の肢で地面に着地。そのまま長い肢で体を持ち上げ、まさしくクモの動きで住宅区の路地裏を疾走する。
「逃がすか――!」
それを追って、ゴブリンナイトも屋上から飛び降りた。落下先には《アイテムボックス》から呼び出した専用バイク――ビーストチェイサー526が。ドンピシャの位置でシートに着地し、即座にハンドルとペダルを操作して走り出す。
石畳による舗装は裏道にまで行き届いているが、表通りに比べて修繕は不十分だ。老朽化から段差が生じ、空の木箱や空き瓶といったゴミが散乱していた。そこをクモ怪人は石畳も刺し貫く四脚で駆け抜け、ゴブリンナイトが巧みなハンドル捌きと高い悪路走破性を誇るバイクの性能で追走。
住宅区を抜け、なお裏道を縫うように逃げ続けるクモ怪人は、どうも人目を避けているようだ。姿が怪人そのものとなった時点で実彦の意識は消失したものと思っていたが、人目につくリスクを判断できるだけの理性は残っているのか。
そう考えた直後、ゴブリンナイトのすぐ傍で突然の爆発が起こった。
「うお!?」
それも一度や二度ではない。
壁や地面、クモ怪人が通った道の至る所から雷や風刃、氷や石の礫が炸裂。ゴブリンナイトは爆風と動揺で乱れたハンドルを慌てて持ち直す。
目を凝らせば、爆発のカラクリは思いの外あっさりと判明した。クモ怪人が通った後の壁や地面に、クモの巣が張りつけられている。それもただの巣ではなく、クモ糸で描かれた魔法陣だ。さらに魔法陣は、クモ糸でクモ怪人本体と繋がっている。
つまり、クモ糸の魔法陣で魔法を壁や地面に設置。そしてクモ糸を伝って魔力を流すことで、遠隔発動する仕掛けなのだ。
「器用な真似を……!」
鳴き声ばかり叫んでいたのは油断させるためのポーズか、あるいは声帯も異形化して人語を喋れないだけか。なんにせよ理性はしっかり保っているらしい。
しかし、タネが割れればなんということはない。
「振り、切るぜ!」
スロットルを吹かし、魔導エンジンが唸りを上げた。
鬼面のバイクは一挙に加速。足元の魔法陣が光を発するが――遅い。魔法陣から炎が放たれた頃には、既にバイクの遥か後方だ。続けざまに発動する魔法も全て置き去りにし、ゴブリンナイトはクモ怪人に追いすがった。
クモの巣魔法陣は自動でなく、あくまでクモ怪人に命令を受けてから発動する。
ビーストチェイサーの最高速度は推定時速三〇〇キロ。クモ怪人が照準をつけて発動するより速く駆け抜けるのは造作もないのだ。
しかし、同じ失敗を懲りずに繰り返すほどクモ怪人も馬鹿ではない。クモの巣魔法陣を今度は一ヵ所に複数固めて設置。ゴブリンナイトが到達するより手前で発動させた。
結果、大量の魔法攻撃が狭い壁に挟まれた路地裏を埋め尽くす。
ビーストチェイサーは減速も急ブレーキする間もなく、魔法攻撃の弾幕に自ら突っ込む形になった。炎と雷と風と氷と石礫の波に、その車体が呑み込まれる。
「ギギギギィィ!」
肢を止め、クモ怪人は歓喜の鳴き声を上げた。拍手喝采の代わりに鉤爪を打ち鳴らす。
あれだけの魔法を喰らえばただでは済むまい――そう考えているのだろう。事実、魔法一発一発の威力は、ゴブリンナイトに痛打を与えた京太の【光刃斬】に匹敵する。それを弾幕でまともに喰らっては、ゴブリンナイトといえど大ダメージは免れない。
ただし、それは当たればの話だ。
「トオオオオ!」
「ギ!?」
ゴブリンナイトはシートから跳躍し、高々と宙を舞って魔法攻撃の波を飛び越えていた。空中で一回転し、風の後押しを受けながらキックの構えで急降下する。
当然、クモ怪人はゴブリンナイトを空中で叩き落とすべく攻撃しようとした。
しかし攻撃の動作は、魔法攻撃の波から飛び出してきた影に遮られる。
『エンチャント《グリフォン》』
『ブオオオオン!』
「ギギ!?」
影の正体はビーストチェイサー526。その車体に纏う風の爪で、魔法攻撃の波を引き裂き突破したのだ。
ビーストチェイサーには鬼面のフロントカウル後部にコントロールパネルがあり、そこには《エンチャントダガー》を差し込めるスロットもある。つまりビーストチェイサー自体に魔物の能力を付与することが可能なのだ。
頭上から急降下キックを放つゴブリンナイト。正面から遠隔操縦で突進するビーストチェイサー。どちらを先に迎撃するべきか、対処に迷ったクモ怪人の硬直は致命的だった。
回避も防御もできず、ビーストチェイサーの突進がクモ怪人を直撃。フロントカウルの鬼面から伸びる二本角が腹を抉り、勢いよく跳ね飛ばされた。
「ギ、ガ!」
「ゴブリンキーック!」
「ギェ!」
仰向けに宙を舞う体に、ゴブリンナイトのキックが突き刺さる。
蹴りは抉られた腹の傷を正確に捉え、骨を砕き内蔵を潰した。数多くの悪漢を沈めた際に幾度も感じた手応えに、決着を半ば確信するゴブリンナイト。
――が、その慢心が命取りとなった。
「ギ、ゲ、ゲ……シャアアアア!」
「なあ――!?」
それはやぶれかぶれか、あるいは腹を蹴られたことによる生理的な嘔吐感からか。
ともかくクモ怪人が口から血と共に吐き出した大量のクモ糸が、思わぬ反撃となってゴブリンナイトを襲った。渾身の蹴りを喰らわせた直後の至近距離、身の躱しようもなくクモ糸を浴びてしまう。
粘着質の糸に全身を絡め取られ、地面を転がるゴブリンナイト。右手で糸を引き千切ろうとするが、立夏がそうだったように強力な弾性を前に果たせない。
「しまった……!」
なまじクモ怪人が魔法と組み合わせる器用な芸当を見せたために、失念していた。獲物を絡め取るクモ糸は、それ単体でも十分に凶悪な武器なのだ。
クモ怪人自身、この展開は予想外だったと見えて、しばし呆けた様子で立ち尽くす。
しかしやがて理解が追いつくと、体毛に覆われ異形と化した顔でもよくわかる、嗜虐的な笑みでその口元を歪めた。
「ギギギギィィ!」
「ぬあ――がは!」
クモ怪人が手元の糸を掴み、力任せに横へ振り回す。当然糸に縛られたゴブリンナイトの体も引っ張られ、受け身もままならず壁に叩きつけられた。
場所が狭い路地のため、それほど勢いがつかず衝撃は弱い。しかし二度、三度と左右に繰り返し振られ、徐々に加速がついて衝撃が増大していく。
「ギギイイ!」
「う、お、おおおおおおおお!?」
興が乗ったように鳴きながら、クモ怪人は屋根に飛び乗ると、力一杯に糸を引き寄せた。糸と一緒に、ゴブリンナイトも天高く放り投げられる。
一瞬の浮遊感の後、ゴブリンナイトの体は重力とクモ怪人の腕力に引きずられ、綺麗な放物線を描きながら落下。三階建て家屋の屋根を突き破り、三階の床にめり込んだ。幸い落ちた先の部屋は無人だったが、音を聞きつけた住人が、惨状を前に卒倒。
肺からほとんどの酸素を叩き出され、全身に痺れたような鈍い痛みが走る中、ゴブリンナイトは掠れた呻き声を漏らす。
「ぐうう……くそっ。糸を、どうにかしねえ、と」
このままでは簀巻きにされたまま、一方的にタコ殴りだ。
クモ怪人を相手に糸への警戒を怠るとはなんたる迂闊か。己の慢心を詰りながら、芋虫のようにもがいた。しかし、やはり力技ではクモ糸の弾性に全て吸収されてしまう。
打開を模索して高速回転するゴブリンナイトの脳裏に、ふと立夏の拘束を解いたときのことが蘇る。
あのとき、足から引き抜いたクモ怪人の鉤爪で、クモ糸はあっさり切断できた。
つまり、刃物だ。このクモ糸はゴムと同じで引っ張る力に対して強い一方、鋭利な刃物による切断に弱いはず。
「なにか、なにか刃物は……っ」
スフィアダガーやエンチャントダガーでは駄目だ。元々どちらも武器として使うことは想定していないため、刃のナマクラ具合は子供向け玩具そのもの。素手で握っても傷一つつかず、ましてやクモ糸の切断など不可能だ。
魔物の能力付与を使おうにも、エンチャントダガー用のスロットはクモ糸が巻きつき覆い隠されてしまっている。バックル部分とスフィアダガーは糸から逃れているが、【疾風躯】単体では風の刃を形成することもできない。
と、そこでゴブリンナイトは電撃的に思い出した。
ローザとの別れ際、重傷の彼女から託されたモノを。
『前々から、ご希望だったアイテム……ようやく完成、したのデス。ぶっつけ本番になるデスが……きっと、役に立つデスよ』
「有難く使わせてもらうぞ、ローザ……!」
感傷を妨げるように糸が体を引っ張り始める中、ゴブリンナイトは誓う。
ローザが精一杯の不敵な笑みで託した、この新しい力でクモ怪人に勝利すると。
《アイテムボックス》から取り出した『それ』は、一言で表すと手のひら大の盾だった。
形状は逆三角の円盤型。鋼の鈍い銀色に擬似回路の紋様が刻み込まれ、下部には騎士兜のマークが。記念品や
それを横向きにしてバックルの左側、スフィアダガーのグリップが伸びる方とは逆サイドにあてがう。カシャンと軽い音を鳴らして、盾はバックルに装着された。
すると本来の向きで上部に当たる部分のパーツが変形。上下に分かれてバックルの中央、丁度ゴブリンマークの部分を覆う追加装甲となった。
追加装甲によってバックルは一段豪華さを増し、ゴブリンマークも騎士兜を被ったゴブリンマークに変化する。
糸に抗って強引にスフィアダガーのグリップを掴む。そしてグリップを回すと同時、ゴブリンナイトはさらなる昇華の意志を込めて叫んだ。
「――転身!」
『《グレムリン》《エスクワイア》』『クロスアップ!』
家屋から引きずり出されたゴブリンナイトの体が、上空で光り輝く。
光が幾度か閃いたかと思うと、ゴブリンナイトを縛り上げていた糸が細切れになって四散。突然糸からの抵抗を失ったクモ怪人は勢い余ってひっくり返った。
何事かと起き上がったクモ怪人の眼前に、ゴブリンナイトが降り立つ。
しかしその姿は、ほんの一瞬前までと大きく様変わりしていた。
深緑の革鎧が、軽装でありながら重厚な輝きを放つ鋼色の金属鎧に。手足のグローブとブーツも、流線型の手甲と足甲が覆っている。
兜も鬼面の異形はそのままに、騎士の意匠が加わって変化。特に前面にはアイレンズを覆い隠すようなバイザーが追加され、鬼面に騎士らしさを与えていた。
洗練されたフォルムの騎士鎧を身に纏い、されど二本角を生やしバイザーの下で赤い眼が輝く姿は、正しく異形の騎士。
「ギギギ……なんだ、それはぁ……なんなんだよ、その姿は!?」
「知らないのか? ヒーローの逆転劇といえば、フォームチェンジがお約束だ」
苛立たしげに喚くクモ怪人に、ゴブリンナイトは笑みを滲ませた声でその手に持った、鍔元の装飾がやけに目立つ長剣を突きつける。
これこそ新たなる力。ヒーローには付き物の強化変身形態。
その名も、
「《
名乗りは高らかに、されど強い決意を秘めて、鬼面の騎士は剣を構えた。
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