日常はエンドを告げる


 思いの外素早い相手を、途中からゴブリンナイトに変身して追いかけること数分。


「なんだよ、これは……」


 たどり着いた場所は王都の郊外に位置する、古びてはいるが清掃の行き届いた小奇麗な屋敷だった。コの字型の造りで、内側の中庭は方角的に日当たりも良く、庭園で花を育てれば実に優雅な憩いの空間となっただろう。

 しかし……その中庭には今、外側からは想像もできないような、おぞましい『巣』が出来上がっていた。


「アアアア」「ギギギギ」「グゥゥエェェェェ」

「クルシイ……」「タスケテェェ」「アニキィィ……」


 屋敷内側の壁一杯に白い糸が張り巡らされて出来た、巨大なクモの巣。

 神経質に糸で織り込まれた模様は、芸術と呼べなくもない。しかし、そこにオブジェクトのごとく張り付いているのは、苦悶の顔でもがく十数人の男たちだ。


 それもグルグルの簀巻きなどという生易しい拘束ではない。顔や全身の肌にクモ糸が癒着し、中には糸が口の中にまで侵入している者までいた。まともな言葉にならない呻き声が糸を伝わって響き合い、怖気の走る合唱を奏でている。


 男たちの顔には、いくつか見覚えがあった。コッゾとその手下たちだ。おそらくだが覚えのない他の男たちも、ゴブリンナイトが退治した際には別行動だったコッゾの手下。捕まえ損ねた彼らの手引きで、コッゾたちは牢屋から脱獄したのだろう。

 そして逃げ出した先で「ナニカ」に遭遇し、こうして捕まった。

 とにかく、助け出してなにがあったか問い質すべきだろう。

 そう判断したゴブリンナイトが巣に一歩近づいた、そのとき。


「ヒッ、ヒギィィ!?」「ギェェアアアア!」「グェ、ゲ……!」

「っ!」


 ある者は炎に焼かれ。ある者は雷に貫かれ。ある者は氷漬けになって砕け。

 次々と男たちが死体に変わっていく。ゴブリンナイトが助けに入る間もなく、コッゾを含む全員が屍となってしまった。


「くそ……っ。待て!」

『《グレムリン》パワー』『ファースト=アタック』


 しかし、ゴブリンナイトの強化された五感は攻撃の出処を捉えている。

 攻撃は全て糸を伝って男たちを襲った。そして糸を辿った先は、屋敷の屋根の一点。

 跳躍一つで屋根の上に回り、犯人に飛び蹴りの先制攻撃を喰らわせる。

 ……はずだったが。


「な――っ!?」


 コッゾたちを殺した正体不明の「ナニカ」。

 その姿をハッキリ目にしたゴブリンナイトは、驚愕のあまり思考が止まった。

【疾風躯】による急降下も停止した結果、敵の眼前で無防備な姿を晒す。

 それを相手が見逃すはずもない。


「ギギギィィ!」

「ぐは!」


 敵の背中から生えた四本の『肢』によって、地面に叩き落とされてしまった。

 しかも落ちた先はクモの巣。クモ糸が体に絡みつき、動きを封じられる。

 このまま攻撃されたら、とゴブリンナイトは焦るが、そうはならなかった。


「ギ? ギギ!? ぎぃぃああああ!」


 突然、屋根の上で敵が苦しみ始め、そのままどこかへと逃げ去ってしまったのだ。

 ゴブリンナイトはエンチャントダガーの効果で、風の刃を帯びた手刀を振るい、どうにか糸を切断して脱出。

 しかし屋根に戻った頃には、敵は気配も追えないほど遠くに行った後だ。


「しまった……!」


 焦る気持ちと裏腹に、ゴブリンナイトの足は屋根とくっついたように動かなかった。

 心臓の鼓動が頭蓋の中に鳴り響いて煩い。そのくせ全身が凍ったように血の気が引いている。不吉な胸騒ぎは、胸の内でどんどん肥大化していた。

 背中の肢と合わせて八本の手足。全身を覆う針金のような金属質の体毛。その体毛に埋もれた顔から覗く八つの複眼。そしてクモの糸。


 ――この異世界アンダーヘイムには、いわゆる『ヒト型の怪物』が存在しない。

 エルフや獣人といった亜人は存在するが、彼らは耳や肌といった肉体のごく一部分が、人間と異なる特徴を持っているに過ぎない。ゴブリンやギガースのように、人間に近い二足歩行の魔物もいるにはいるが、頭身や骨格は明らかに人間と違う。


 しかし、今しがたゴブリンナイトが目撃した敵は。

 人間と全く同じ頭身と骨格を持ち、それでいて決して人間ならざる異形が肉体の大半を占めた、まるで人間に別の生物を混ぜ合わせたかのような姿で。

 まさしくとしか表現しようのない異形だった。


「まさ、か」


 この世界に存在するはずのない姿。それを存在させる力を、自分は知っている。

 竦む足を屋根から引き剥がし、ゴブリンナイトは駆けた。

 向かう先は王宮地下――特殊魔導研究室。







 研究室に駆けつけた浩介が目にしたモノ。

 それは破壊された室内の真ん中で、血溜まりに横たわるローザの姿だった。


「ローザ!? どうして、なにがあったんだよ!?」

「コースケ……は、ははっ。ローザとしたことが、ドジを踏んでしまったデスよ」


 抱き起こすと、ローザは血に汚れた口元で強張った笑みを浮かべる。

 左胸、心臓の位置に刺さった刃の分厚いナイフ。そこから夥しい量の出血がドレスを濡らし、触れた肌は氷のように冷たかった。


 まだ生きていることが不思議なほどの重傷に、浩介は絶句する。敵を半殺しにしたことはあっても、人の死……ましてや親しい人が死にかけているのを前にした経験など、浩介には今まで一度もなかった。

 半分パニックに陥り、効果があるかもわからないまま、出血を止めようと胸の辺りを手で押さえる。


「思えば、最初から、怪しかったんデス。とローザは初対面も同然なのに、あんな……。甘い顔にすっかり騙されて……秘密にしなければいけない《クロスフォース》システムのことを、訊かれるがままペラペラと」


 彼。甘い顔。ローザの口ぶりから、浩介の脳裏に浮かび上がった犯人は思いもよらぬ人物だった。しかし、彼ならばローザがみすみす騙されたのも納得がいく。ローザは年齢に見合わぬ聡い女の子だが、それでも女の子に違いはないのだ。

 しかし、彼がなぜ、こんなことを?


「背中から抱きつかれて、いつチキュー人の言う『フラグ』が立ったのかと思ったら、実際に心臓に突き立てられたのはナイフとか、笑えないオチなのデスよ。挙句に……開発途中のスフィアダガーを、奪われて」

「もういい、無理に喋るな! 今、今すぐになんとか……」


 どうやってなんとかするというのか。戦い、敵を叩き潰す術は熟知していても、傷を癒し命を救うような術を浩介はまるで知らない。

 日頃からヒーローなどと嘯いて置きながら、戦い壊すことしか能がないのか。

 思考が纏まらず、自分をせせら笑う声ばかりが浩介の脳に響く中、ローザが力のない手で浩介の手を掴む。


「速く、彼を追ってくださいデス……ローザは、大丈夫デス、から」

「どこか大丈夫なんだよ!? なにか、治癒の薬とか、あ……!?」


 混乱する浩介の目に、信じ難い光景が飛び込む。

 ローザの胸に刺さったナイフが、内側からの力で手も触れずに抜け落ちた。そしてドレスの破けた隙間から覗く傷口の肉が蠢き、徐々にだが確実に傷を塞ぎ始める。

 治癒の魔法や薬でこうはならない。自己再生力が高い魔物に見られる現象だった。


「ローザ、お前……」

「別に、隠してたわけでも、ないんデスけどね。ローザ……いえ、ブラッドパールを始めとする四大公爵家は、特異なスキルを生まれ持った、人であって人でない一族なのデス。ご覧の通り、再生力も高いので命の危険はない、デスよ。とはいえ、流石に心臓をやられると、再生にも時間がかかって、身動き一つ取れないデスが……」


 浩介の手を掴む手に、ローザは弱々しくも力を込めた。


「彼が持ち出したのは……未完成のスフィアダガーと、実験用のスロット……コースケの《ゴブリンドライバー》と違ってアレにはなんのもないんデス。装備も介さず、生身でアレを使えばなにが起きるか、ローザにも予測できないデスよ。だから早く、取り返しのつかないことになる前に……」


 その訴えは、自分を刺してスフィアダガーを奪った『彼』の身も案じたものだった。

 自分が目撃した『クモ怪人』のことを口にしかけ、浩介は思い留まる。叶うなら、ローザに知られることなく事態を解決したかった。

 おそらくそれが不可能であると予感しながら。


「彼の、目的はきっと……」

「――――っ!」


 ローザの言葉を聞いた瞬間、バラバラだったパズルのピースが一つになる。

 そこから導き出される答えは、浩介にとって考えられる中でも最悪の展開だった。





「立夏!」


 安静にしていれば大丈夫だというローザの言葉を信じ、住宅区に駆け戻った浩介。

 浩介を追って外に出ている可能性もあったが、立夏の姿は集合住宅の屋上ですぐに発見できた。しかし扉を半ば蹴破るように開けた先、屋上の光景は浩介が逃げ出したときと大きく様変わりしている。

 柵を利用して四方に張り巡らされたクモの巣。浩介の背丈を軽く超える高さの白い壁は、獲物を捕らえて離さない虫籠のようでもあった。


「浩介……!」


 そして浩介から見て正面の壁に、立夏は半分埋まるように糸で縛りつけられていた。

 必死に身を捩るが、糸にはゴムのような伸縮性があって、力ずくで引き千切るのは容易ではなさそうだ。麻痺毒かなにかにやられているのか、戦技も使えない様子。


 そして立夏のすぐ傍らに立つのは、郊外の屋敷で遭遇したクモ怪人で間違いない。

 ただ、その姿は右半身が人間のそれに戻っていた。自分では肉体の変化をコントロールできないらしく、今も苦しげに荒い呼吸を繰り返し、服が破けて半裸の上半身は滝のような汗でビッショリだ。

 知らぬ顔ではない怪人の素顔を、浩介は険しい顔で睨みつける。


「……なんだ。思ったより驚いてない感じですね。ぜーんぶ予想通りだったってわけですか? 正体がだってことも、僕がこうなることも……!」

「まさか。お前がこんなことしでかすようなヤツだったなんて驚きだよ。ただ、クイズや謎解きにありがちな話だが、答えを知ればああなるほど、って感じで納得もしてる」


 憎々しげに声を震わす相手に対して、浩介は煮え滾る感情を押し殺しながら努めて冷静に返す。立夏を助け出すための機を窺い、すり足で慎重に間合いを測った。


「そもそもプールの一件から違和感はあった。俺を攻撃した戦技が【魔法剣】のモノだったから、立夏は草薙を疑った。でもどう見たってあいつ、いくら目障りな相手だからって、あんな不意打ちで亡き者にしようだなんて考えるキャラじゃねえだろ。立夏を賭けて決闘だー、とか言い出す方がよっぽど『らしい』」


 そこで戦闘職が非戦闘職に決闘を挑む不公平さについては、全く考えが及ばないであろう辺りが、京太が立夏やファムから白い目で見られる原因だ。


「あの馬鹿っぷりが演技だとは思えないし、そんな狡猾な性格なら、尚更おかしい点がある。――なんで【魔法剣】なんだ? 戦闘職でもない俺を《亀裂》に突き落とすなんて、普通の【剣術】戦技で十分だろ。なんでわざわざ使い手が限られる【魔法剣】で、ただでさえ動機のある自分に容疑が絞られるような真似をする?」


 私が使いましたと自分で喧伝するも同然の技を、暗殺に使うなど間抜けにも程がある。それがわからない大間抜けに、そもそも暗殺なんて手段は思いつくまい


「だがそれも真の目的が、草薙に俺を殺した濡れ衣を着せるためだったなら説明もつく。同時に、そんなことができるヤツの見当もな。草薙が俺を目の敵にしているとよく知り、草薙と同じ【魔法剣】を使える人間……」


 相手の端正で線の細い顔立ちが、屈辱と憎悪で醜く歪む。

 草薙を始めとした彼を知る人々は、こんな顔をするなど想像もできないだろう。

 この四ヶ月間、あるいはそれ以前からずっと、こいつは巧妙に隠してきたのだ。王子様のような微笑みの下に、狡猾で陰湿な本性を。


「そんなの、一年C組の中でも草薙の親友で【魔法剣士EX】のスキルを持つお前しかいないよな――新川実彦!」

「気安く僕の名前を呼ぶなよ、僕の立夏さんに纏わりつく害虫が……!」


 半身が怪物に変わり果てた灰髪の美少年は、悪意と敵意を剥き出しにして吠える。

 王都が夜明けを迎えるまでほんの数時間。

 八代浩介の運命を決定的に、そして致命的に変える戦いが始まろうとしていた。


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