決着はクリティカル。そして――


 そこからは、まさしく激闘だった。


「トオ!」


 ゴブリンナイトの拳が、京太の鎧の腹部装甲を焼き菓子のように砕く。


「おらあ!」


 京太の剣が、でゴブリンナイトの胸当てに肩口から放射状の亀裂を走らせる。


「シッ!」


 ゴブリンナイトが手刀で防御効果付きの羽根飾りを斬り飛ばせば。


「でえい!」


 京太が剣の柄頭で鬼面を殴り飛ばす。


「ぐ!」

「があ!」


 蹴りと剣の切っ先が交差して火花を散らせ、互いの体に突き刺さった。

 共に仰け反るが、浅い。堪え、踏み出し、拳と剣を突き出すまで全くの同時。

 両者一歩も退かない、ノーガードの応酬。互いの体で打撃音を鳴らし、互いの体から破壊音を響かせる。まるで暴力と暴力のセッション。いや、セッションなどと呼べるような洒落たものではない。もっと青くて泥臭い、下手くそな楽曲。

 己の信念で相手の信念を砕かんとする、単純な意地のぶつかり合いだ。


「ケータァァァァ!」

「ゴブリンナイトォォォォ!」

「「「うおおおおおおおお!」」」


 どこか子供じみた激突に、負けず劣らず子供のような歓声が中央広場を満たす。

 八月末の蒸し暑さも吹き飛ぶ熱気。喉を枯らさんばかりの声援は、今や勇者と鬼面の騎士、双方に区別なく捧げられていた。

 冒険者同士の衝突や諍いは珍しくないが、レベル差を持ち出せば喧嘩にもならず終わることが多い世界だ。目に見えて勝てる相手にしか決闘など申し出ず、決闘とは名ばかりの一方的な嬲り殺しになることも少なくない。

 同格の戦士がこうもストレートにぶつかり、互いの肉と魂を削り合うような決闘らしい決闘がこれまであっただろうか。いや、ない!

 ある者は忘れかけ、ある者は枯れ果てた少年心を否応なく擽られ、観客は熱狂する。

 しかし熱狂がどれほど激しく渦を巻こうと、時間に永遠はない。

 それがお祭り騒ぎであれば尚更の話だ。


「ぬう……!」

「ちぃぃ!」


 何度目・何十度目になる交差と衝突から互いに後退りする鬼面騎士と勇者。

 よろめきながらも剣を構え直す京太に対し、ゴブリンナイトがそれまでになかった動きを見せた。

 どこからともなく刀身が結晶製のダガーを取り出し、ベルト横のスロットに装填。


『エンチャント《シールダー・トータス》』

「これで周りを気にする必要はない。それじゃあ――」


 半透明の障壁が現れ、京太とゴブリンナイトを囲むように展開した。

 逃げ場を奪うためではなく、観客を攻撃の余波から守るための壁。裏を返せば、余波で周囲に危害を及ぼしかねない攻撃を放つという合図。

 ゴブリンナイトは仮面の下で小さく笑い声を零し、ベルトのグリップを握った。


「そろそろ、決着をつけようか」

『《グレムリン》《ソルジャー》』『サード=イグニッション!』

「……は! 望む、ところだ!」


 ベルトの発した音声が必殺を告げるものだと理解し、京太も獰猛に笑い返す。

 片や蹴り足に烈風を纏い、片や剣が明光を放つ。必殺の威力を乗せて。

 覇気の激突が観客の呼吸を止め、重苦しい静寂を作り出し――それは瞬時に弾けた。


「【光刃……大斬バスター・フォトンスラッシュ】!」

「旋風の……ストライク・エンド!」


 京太が駆け、ゴブリンナイトが跳ぶ。

 声援を力に変えた輝きは、勇者の剣を巨獣の首も断つ光の大剣に変貌させた。

 元よりあったリーチの差が一層広がる。袈裟懸けに振るう光の大剣が先に届く。

 華麗と言っていい跳躍で宙を舞うゴブリンナイトが、羽虫のごとく叩き潰される未来を誰もが確信した。中には思わず目を逸らす者もいる。

 しかし、ゴブリンナイトを応援する者たちは決して目を背けなかった。

 その信頼を、ゴブリンナイトは裏切らない。


「「――――!」」


 体幹の捻りと、全身から発する風。

 空中で動けないはずの体勢が、その二つで急角度に傾いた。

 光の大剣に鬼面の側頭部を削られながら、しかしゴブリンナイトは潜り抜ける。

 風の力でその身を回転させ、まさに旋風となって横薙ぎの蹴りを叩き込んだ。


「オリャアアアアアアアア!」

「がっ、は……!」


 喰らったのが並の人間であれば、首が千切れかねないほどの威力。命中した顔から、京太の全身は捻じれるように宙で二回転する。そして受け身もできず地面に落下し、仰向けに倒れたままピクリとも動かなかった。

 それでも生きているのは無論、最後まで剣を手放さなかったのは称賛に値するだろう。

 とはいえ白目を剥いて気絶しており、完全なノックアウトだ。

 片膝を突く形で着地したゴブリンナイトが、拳を掲げる。

 紛うことなき、勝利宣言。


「「「うわああああああああ!」」」


 人数が三倍になったのかと思うほどの、今宵一番の歓声が爆発する。

 そこには異形の騎士の勝利に対する不満の声も、敗北した勇者を詰る声もない。ただ両者の健闘を讃える喝采で満ちていた。


「コラー! お前たち、そんなところでなにをやっている!」

「申請もしていない決闘はご法度だ! 全員、抵抗せずに大人しくしろ!」

「特にゴブリンナイト! 絶対にそこを動くなよ!」


 夢心地の空気を現実へ叩き起こすがごとき、警備隊の怒号。

 昼間にゴブリンナイトへの挑発を兼ね、散々決闘のことは喧伝していたのだ。今の今まで警備隊が現れなかったのは、京太に協力した一年C組の多くが妨害を行ったため。それもとうとう突破されたらしい。

 ゴブリンナイトはすぐさま退散……の前に、自分を最初に応援してくれた人たちの下へ。身を屈めて子供たちと視線を合わせ、手短に感謝を伝える。


「ありがとう。君たちの応援のおかげで、勝つことができたよ」

「ううん! 助けてもらったんだから当然だもん!」

「ゴブリンナイトは、僕たちにとっての英雄だよ!」

「はははっ。……悪いが、俺は英雄でも勇者でもない。俺のことで《鬼面騎士》以外の呼び方をするなら、そうだな。どうかこう呼んでくれ。――《ヒーロー》と!」


 警備隊が観客の輪を押しのけたところで、ゴブリンナイトは跳躍。

 決闘の疲弊をまるで感じさせない宙返りに、観客も警備隊も目を見張った。

 その不意を突くように轟く鉄の嘶き。蹄ではなく車輪で石畳を蹴る鋼の馬が、その鞍で主を受け止めた。


 鋼の馬に跨ったゴブリンナイトは、その姿を人々の瞳に焼きつけるように親指を立てたサムズアップを見せ、ターンして馬を走らせる。

 警備隊はまだ噂も広がっていない鋼の馬にしばし唖然としていたが、我を取り戻すと大慌てで追撃を始めた。そして警備隊の背中が見えなくなった後も、ぼんやりと立ち尽くす観客たち。その脳裏には、鬼面の騎士の姿がいつまでも焼き付いて離れなかった。





「…………」


 しばらく熱い議論や感想を交し合っていた観客も、すっかり広場から消えた頃。

 霧島立夏も長居はせず広場を後にし、住宅区の自分に与えられた部屋――ではなく、四階建て集合住宅の屋上で一人、空を見上げていた。

 真夜中から夜明けに向かって時計の短針が傾き出す夜更け。暗い夜空には、地球の都会では考えられない数の星が輝く。それを柵に寄りかかってアンニュイな表情で見つめる立夏の姿は、画家がこの場にいれば即座に筆を執ったであろうほど絵になった。

 そこへ無遠慮に踏み込み、隣に座り込む。

 立夏はなにげなく視線を下ろすと、呆れたように皮肉たっぷりの声音で呟いた。


「流石、スーツアクターはサービス精神旺盛ね。喧嘩を売ってきた相手にもわざわざ華を持たせてあげるなんて」

「いやあ、見かけほど余裕があったわけでもないんだぞ?」


 全身を痣だらけにした浩介が苦笑を返すと、立夏は不満そうに鼻を鳴らす。

 この痣は警備隊との約一時間に渡る追いかけっこでついた傷ではない。京太に決闘でやられたものだ。京太の剣には技術的なキレこそなかったが、【勇者EX】の効果により単純な威力で、スーツの下にまでダメージを通していた。

 見かけほど痛みはないのだが、立夏のぐっと涙を堪えるような目が胸に刺さる。立夏は屈んで浩介の頬に手を伸ばすと、黒ずんだ肌を労わるように撫でた。


「あんなノーガード戦法に付き合ってあげる必要なんてなかったでしょ? 浩介なら一発ももらわないで、パーフェクトノックアウトできたはずよ」

「そう言うなよ。負けるわけにいかなくなった以上、ああするのが一番丸く収まると思ったんだ。これで俺も草薙も、お互いに面子は守られただろ」


 完封勝ちできたことは否定しない。

 しかしそんな勝利ではなんの解決にもならないことは、先に述べた通りだ。

 それに……京太は決闘の間、ハイドラゴンを屠った一撃のような、周囲に余計な被害を出しかねない規模の戦技は決して使わなかった。

 クラスメイトの三馬鹿の件で、あれから思うところがあったのか。なんにせよ、力に溺れず周りにきちんと配慮できた京太になら、表舞台は任せても良いと思えたのだ。

 その辺りは立夏も理解しているのだろうが、納得はいかない様子で肩を怒らせる。


「そりゃ、これであいつの評判はうなぎ登りでしょうよ。でも、ゴブリンナイトが得体の知れない存在だっていう世間の扱いはきっと変わらない。どう考えたって、浩介の方が圧倒的に割を食ってるじゃないのよ」

「それは最初から承知の上で好き勝手やってるからなあ。世間の評価が欲しけりゃ英雄なり勇者なりを目指してたさ。でも俺がなりたいのは《ヒーロー》で、俺にとってのヒーローは評価欲しさに戦うモンじゃない。俺は、俺を信じてくれた人たちに誇れる戦いをして、勝った。俺はそれで十分満足だよ」

「……そうね。それが浩介よね。でも――」


 立夏のもう一方の手も、浩介の頬に添えられる。

 両手で顔を固定された浩介の視界は、近づいてくる立夏の顔で一杯になって。


「勝者にご褒美くらい、あってもいいでしょ?」


 頬に触れる、柔らかで温かな、ちょっと湿った感触。

 それが立夏の唇だと気づくのに、体感では年単位の時間を要した。


「か、勘違いしないでよね!? こんなこと、浩介にしかしないんだから!」


 リンゴのように真っ赤な顔で指を突きつけ、素直なんだか素直じゃないんだか、よくわからない台詞を叫ぶ立夏。

 彼女が発しているのにも負けない熱が、頬から浩介の全身を駆け巡り。


「~~~~~~~~っ!」

「ちょ、ま……っ!? こ、この流れで普通逃げるか、バカァァァァ!」


 ヘタレなことに浩介は、全てを振り切る勢いで屋上から逃走してしまった。







「やっべえ……ショックのあまり、つい逃げ出しちまったぜ」


 足がもつれたところで我に返った浩介は、猛烈な自己嫌悪に蹲る。

 おそらく精一杯の勇気を出してくれたであろう少女を、置き去りにしての逃走。控え目に言って最低の対応だ。

 しかし、どう応えるべきだったのか、今も全くわからない。


「立夏のヤツ、ご褒美だのからかいだのであんなことできる性格じゃないだろ……これ、だと受け取っていいのかよ?」


 頬にキスまでされてなにを今更、と傍から見れば呆れるような笑い話だろう。

 それでも浩介は確信を持てなかった。もし違ったら、ただの思い上がりだったらと怖くなる。今の関係が壊れるのを恐れて躊躇してしまう。


 中学時代、如何に自分と立夏の間にある隔たりが大きいかを思い知った。自分はたまたま幸運で幼馴染になっただけ。本来なら声もかけられない遠い存在なのだ。だから関係がいつ途切れたっておかしくないと、馬鹿な期待をしないよう言い聞かせてきた。

 だけど立夏は、中学の間も週一で互いの家に通い合う習慣だけはやめず、今こうしてさらに一歩を踏み込んできた。

 自分も、それに目を逸らさず応えなければならない。


「やっぱ戻らないと駄目だよな。でも、どんな顔して会えってんだ……かといって一晩明けてからじゃ余計に気まずくなるだろうし……ん? そもそも、ここどこだ?」


 ふと周囲を見回すと、そこは見覚えのない裏路地だった。少なくとも住宅区の近くではない。一体どこまで走ってきてしまったのやら。

 次いで腹部の違和感……と言うには慣れ親しんだ重みに視線を下ろすと、そこには留め具にしてはやけに大きく、短剣が刺さったゴブリンマーク付きのバックルが。


「しまった。うっかりベルトを装着しちまってたのか。そりゃ、来た道がわからなくなるほどの距離にもなるよな。つーか、どんだけ逃走に必死だったんだよ俺……」


 ゴブリンナイトへの変身アイテムである《ゴブリンドライバー》は、装着した時点で浩介に【気配察知】【直感】【身体強化】などのスキルを与える。特に【気配察知】と【直感】は助けを求める声、誰かを害そうとする悪意を察知するのに活用していた。

 自分に呆れながらシャツを被せてドライバーを隠し、改めて周りを見回す。


「んー。どっか見覚えのある、道標になるような看板かなにか――ん?」

「…………れぇぇぇぇ」


 遠くから、声が近づいてくる。

 星明かりも届かず暗い裏道の向こうに、浩介は目を凝らした。まさか立夏が追いかけて来たのかと一瞬思ったが、声は男のものだ。

 呆れるほど長く、次第に大きくなる声は、どうも悲鳴のようで。

 やがて暗闇から現れた人物に、浩介はギョッとなった。


 肘から先が欠損した両腕を振り回し、何度も壁に当たったり転がったりしながら走ってくる、逆立てた赤茶の髪の青年――牢屋で裁判を待っているはずのコッゾだ。

 浩介ことゴブリンナイトに復讐に来た、という様子では明らかにない。目が合うとコッゾは、もう起き上がる時間も惜しいとばかりに浩介の足元まで這い寄って来た。


「た、助けてくれぇ! 土下座でもなんでもする! 罪があるっていうなら一生かけて償う! 心を入れ替えて真人間になる! だから、だから助けてええええ!」


 涙と鼻水で顔をグチャグチャにしながら、浩介の足にしがみつくコッゾ。縋りついている相手が浩介であることにも気づいていないようだ。

 あまりの変わりように気味悪さと困惑を抱きながら、浩介はひとまずコッゾを宥める。


「お、落ち着けよ! 一体なにがあったって言うんだ?」

「バケモノ! バケモノだ! バケモノがあ!」


 バケモノ……と言うと《亀裂》から地上に迷い出た魔物にでも襲われたのか。

 いや、それにしてはおかしい。亀裂が発生したなら事前に次震が起きているはずだし、魔物が暴れていればとっくに警報がなっているはずだ。

 それに、両腕を失って抵抗の術がないことを差し引いても、コッゾのこの怯え様は尋常じゃない。魔物に対するものとは到底思えなかった。むしろ自分――ゴブリンナイトを前にしたとき、瞳に見え隠れしていた恐怖の色に近い。

 つまりは理解を超えた、未知の存在と遭遇したときのような……


 ――ベチャ。


「ひ!?」

「な!?」


 上から滴るように落ちてきたなにかが、コッゾの肩にへばりつく。

 白く、粘着質な音がするそれは、細長い見かけからは信じ難い力で、勢いよくコッゾの体を引っ張り上げた。


「助けて! 助け、あっ、アアアアアアアアァァァァ……!」


 ジタバタと全身でもがいても拘束から逃れられず、コッゾの姿はあっという間に夜の闇の中に呑み込まれてしまう。後には痛いほどの静けさが残り、最初から何事もなかったのではないかと錯覚しそうになる。

 いや、今のは現実だ。《クロスフォース》システムによってレベルⅧ相当にまで強化された【気配察知】は、コッゾを連れ去った下手人の気配をハッキリ捉えていた。

 グレムリン・アビリティの【暗視】で、連れ去るのに使った白いなにかの正体も。


「クモの、糸?」


 敵が幽霊や怪異の類でない、実体ある存在であることは割れている。

 そもそもここは異世界。オカルト的なモンスターがいたところで不思議はない。

 そう頭で言い聞かせても、浩介は嫌な汗と体の震えを抑えられなかった。

 相手の気配が人でも魔物でもない、初めて感じる異質なモノであったために。


「く……!」


 酷く胸騒ぎがする。不吉な予感がある。それに急き立てられるようにして浩介は、屋根伝いに移動を始めた気配を追って走り出した。


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