怒りはHeatして、Lunaはただ見守るのみ


「くっそがああああああああ!」


 のしかかる馬車の残骸を力任せに振り払う。

 どうにか這い出したコッゾは、喉が枯れんばかりに天を仰いで叫んだ。

 不愉快なこと続きで溜まったストレスをようやく解消できると思った矢先、わけのわからない存在に襲われてこの有様。なぜ俺がこんな目に!? ――と自身の行いは何一つ顧みることなく頭を掻き毟った。

 カツン、とすぐ傍で足音。

 顔を上げれば、ゴブリンの格好などしているくせに、妙に堂々とした佇まいで立ちはだかる鬼面の騎士が。


「この騒ぎで直に警備隊がやってくる。大人しくお縄についた方が身のためだぞ」

「なに勝った気になっていやがる! てめえを瞬殺してから、女を連れてとっととずらかれば済む話だろうがよお!」


 殺気を込めて睨みつけながら、コッゾは残骸の下敷きになっても手放さなかった槍を構える。村を出たときから修繕と強化を重ねて共に戦ってきた、長年の相棒。強盗や略奪で数多の上等な武器を手にしてきたが、これより手に馴染む得物は他にない。


 そうとも、最後に頼れるのは常に自分一人だ。

 手下など最初からアテにはしていない。所詮はおこぼれに預かろうと群がるハイエナ。面倒を減らす使い捨ての駒として、同行を許してやっただけの雑魚どもだ。

 選ばれた者である《烈槍のコッゾ》はいつだってこの身一つ、相棒の槍と【鋼牙烈槍】であらゆる我儘を押し通してきたのだ。


「ゴブリンモドキの仮装野郎が、王都の雑魚どもをあしらった程度でいい気になってんじゃねえぞ! 世の中、上には上がいるんだよ! 自分が水桶の中で粋がってるアメンボだってことを、今からたっぷり思い知らせてやるぜ!」


 地を這うように低く、獲物に飛びかかる寸前の獣を思わせる姿勢。

 警備隊に駆けつけられては面倒だ。コッゾは自信過剰で自意識過剰だが、女一人を抱えて警備隊の包囲から逃げ切れると思うほどの馬鹿ではない。

 故に狙うは一撃必殺。

 出し惜しみなどせず、自分が持つ最速最強の手札を切った。


「冥土の土産だ! レベルⅦの力を拝んで死ね! 【螺旋烈槍】!」


 先端に螺旋状の回転エネルギーを纏った槍が、コッゾの手より自身の目でも捉え切れない音速で撃ち出される。

 これこそ【鋼牙烈槍】の中でも最強の戦技。竜巻がごとき勢いで回る螺旋の回転は、鉄どころか鋼鉄製の分厚い壁を突き破る。下位ながらもドラゴンの竜鱗さえ、激しい衝突の末に貫いた一撃だ。コッゾが全幅の信頼を置く、まさに必殺の技。

 身の程知らずなゴブリンモドキの胸に大きな風穴が空き、自分の愚かさを後悔しながら血の海に沈むと、コッゾは欠片も疑わなかった。


 しかし――

 ゴブリンナイトが無造作に前方へかざした右手。

 その平手に螺旋の槍が激突し……壁とも呼べない厚みを貫くこともできず、なんでもないように受け止められた。


「ば、馬鹿な!?」

「――弱いな、お前」


 期待外れだと言わんばかりの落胆した声。

 カッと全身を熱くしてコッゾは槍を押し込む。槍の先端とグローブの間で激しい火花が散るが、まるでビクともしない。城壁にでも突き刺しているかのような手応えだ。


 やがて螺旋の回転も勢いが衰えていき、エネルギーが完全に霧散する。

 ゴブリンナイトが軽く槍を押し返す。その手のひらは、目を凝らさなければわからないほど小さく、一点だけへこんでいた。また、へこみの部分が回転との摩擦でか、ほんの少しだけ焦げついている。


 傷一つ、血の一滴という以前の話。グローブに残った僅かなへこみと焦げつきだけが、ゴブリンナイトに与えられたダメージの全て。

 理解を拒んだコッゾの思考は真っ白に染まった。脳に理解が追いつくより先に、次なる戦技を発動する。


「これならどうだ! 【槍烈百景】!」


 繰り出すは、相手の視界を埋め尽くす刺突の雨。

 槍がいくつにも分裂して見えるほどの連撃で、敵を滅多刺しにする。

 堅牢で知られた《シールダー・トータス》だろうが、魔力障壁ごと甲羅を穴だらけにされる苛烈な猛襲だ。


 しかし、これも届かない。

 あたかも磁力で吸いついているかのように、ゴブリンナイトの手がことごとく槍を阻んでしまうのだ。元より連撃である分、一撃の威力は【螺旋烈槍】に劣る。全て受け止められては、攻撃の通る道理がなかった。


「そんな……嘘だ! こんな馬鹿なことが、なんで!?」

「別に大した理由はない。ただ、お前の技がお粗末なだけだ」


 半狂乱になって叫ぶコッゾに、ゴブリンナイトは呆れた様子で答える。


「お前は戦技をただ『使っている』だけだ。全く使いこなせていない。戦技を使うとき、体の動きが完全にスキルのアシスト任せなのがいい証拠だ」


 俺もまだ、他人に威張れるほど扱えてはいないがな――というゴブリンナイトの呟きは、鬼面の下に留まってコッゾまでは届かなかった。

 屈辱と恐怖のせめぎ合いで顔を青白くさせたコッゾに、ゴブリンナイトの講釈が続く。


「《戦技》は発動するとスキルが体の動きをアシストして、誰でもそれらしい動きで技を放てる。だがスキルのアシストに頼り切った動きはワンパターンなんだ。百回放てば百回、必ず同じ動き、同じ軌道になる。だから読むのも避けるのも受けるのも簡単だ」

「ふざけんな! 【鋼牙烈槍】は俺だけに与えられたスキルだ! 俺の他に使えるヤツがいるはずがねえ! それに【螺旋烈槍】はまだしも、【槍烈百景】の軌道がなんで完璧にわかるんだよ!?」 

「確かにお前の戦技は初めて見る。だが、どっちも要するに【槍術】スキルで身につく戦技の上位互換だろう? 威力は格段に上がっていても、攻撃の動きや軌道は全く変わっていないんだよ。だから一目で対処できた」


 ――実際はそれ以前にレベル差の壁があり、無防備に直撃を喰らったところで通じなかったわけだが、そこまで説明する義理もない。それに、仮にレベルが同じか下であったとしても、前述の弱点を突いて勝てる確信がゴブリンナイトにはあった。

 コッゾと同じレベルⅦでありながら圧倒的に実力で勝る、ダークエルフの女騎士と戦ってきた彼だからわかる。コッゾの力が、如何に中身の伴わないハリボテであるか。


「ここの警備隊長ならこうはいかない。彼女は戦技をアシストに頼らず使いこなすことで、その動きや軌道を自分の意志でコントロールできる。同じレベルⅦでも、彼女とお前じゃ技のキレも威力も比較にならない。水桶の中で得意になっていたのはお前の方だ」

「て、めええええ!」


 まるで聞き分けのない子供でも窘めるような口調に、衝動的な殺意に駆られるまま再度【螺旋烈槍】を放つ。

 しかし螺旋の刺突は、蹴りの一撃で槍ごと粉砕されてしまった。


「ゴブリンキック――察しの通り、今のは戦技じゃない。身体強化されただけの、ただの蹴りだ。戦技に頼らなくても、鍛え上げればこれくらいの力は身につく。レベルに胡坐をかいた戦技を粉砕できる程度には、な」

「あ、あ、あぎ、ぎ……!」


 半ばから先が弾け飛んだ槍を手に、コッゾは腰を抜かして尻餅をつく。

 鬼面の赤い眼に見下ろされ、喉が強張って反論一つ口にできず。蚊の鳴くような呻き声しか吐き出せない自分の無様な姿に、気が狂わんばかりの思いで身悶えする。

 技量の低さを上から目線で指摘されるなど、コッゾにとって最大級の屈辱だった。


 レベル差によって生じるスキルの性能の開きは、努力や経験では埋めようがないほど大きい。だからアンダーヘイムの住人、特に冒険者には技術・技量が重要視されず、どこまでレベルが上がるかの才能こそ全ての世界だというのが大多数にとっての常識だ。

 努力だの技術だのという言葉は、才能がない弱者の見苦しい悪足掻きに過ぎない。そして才能に恵まれた自分は絶対的強者なのだ。

 ……強者の、はず、だったのに。

 弱者をいたぶり続けることで築き上げたコッゾの自信が、ガラガラと崩れていく。


 ――ここで素直に折れていたなら、コッゾにも更生と再起の道があっただろう。

 自分の弱さと愚かさを認め、一から真剣に研鑽を積み直し、やがて真に英雄と讃えられるに足る冒険者へと成長する……才能は確かなのだ。心を入れ替えたなら、そういう未来も十分にありえた。

 しかしコッゾは、ギリギリで踏みとどまった。踏みとどまってしまった。

 恐怖に屈するより、上っ面だけでも自尊心を保つことを優先したのだ。

 それが鬼面の騎士の逆鱗に触れると気づかずに。


「こつ、これ、これで勝ったと思うなよ! こっちはなあ、伯爵家がバックについているんだよ! 牢屋にぶち込まれようが三日で釈放されるさ! そしたらまたあの女を狙って、今度こそなにもかもをグチャグチャにぶっ壊してやる! てめえが四六時中ガードでもするかい? そしたら別の女をグチャグチャにして、広場にでも晒してやるよ! 『ゴブリンナイトが助けてくれなかったせいでこうなりました』って看板も付けてなあ!」

「…………」

「は、ははは! ひゃはははは! そうさ! てめえごときに俺を止められやしない! てめえが何度俺を捕まえようが何度だって、お前が助けた連中を全員滅茶苦茶にしてやる! お前のやってることなんか、全部ぜーんぶ無駄なんだよ! 無駄無駄無駄――」


 ザン。


「あ?」


 一瞬風が吹いたかと思うと、鈍い音に続いてなにかが二つ、高く宙を舞った。

 月明かりで影になって見え難いが、どこか見覚えがあるような?

 よくわからないまま視線を戻すと、そこにあったはずのモノが消えていた。具体的には、ゴブリンナイトに突きつけていた指が、ない。

 指というか、肘の辺りから先が全部なくなっていた。


「ゴブリン……チョップ」

「あ? あ、あ、ああああああああ!? 腕、腕ぇ! 俺の腕ガアアアア!」


 支えを失った上体が倒れ、ようやく両腕が切断されたことに気づいたコッゾは絶叫を上げる。遅れてやってきた痛覚が、鉄も溶かすような熱で肘の切断面を焼いた。


 切り飛ばされた両腕は放物線を描いて落下し、それをゴブリンナイトがキャッチ。するとなにを思ったか手のひらに風の刃を発生させ、念入りにコッゾの両腕を切り刻んだ。

 肉塊がゲル状になるまで磨り潰され、ここまでされては治癒魔法でも治しようがないだろう。尤も切断された腕を繋ぎ直すなど、それこそ英雄級、レベルⅧの治癒魔法でなければ難しい。生やすとなればそれ以上のレベルが必要で、事実上不可能だ。


 転がり回り、切り口から出る血の噴水で全身を汚すコッゾ。それを鬼面の騎士は、標本の虫けらを眺めるかのように熱のない眼差しで見下ろす。


「槍を持つ手がなければ、お前は二度と戦技を使えない。魔物を倒すことも、力ずくで他人から奪うことも、弱い者を痛めつけることも、手下を恐怖で支配することもできない。そんな無力になったお前を、果たして手下たちは助けてくれるのか?」


 問いかけが意味するところに気づいたコッゾは、両腕を失った痛みも一瞬忘れた。

 理解が及ぶにつれ、今度こそ絶望に心がへし折られる。

 祈るように、縋るように、涙と鼻水で顔をグチャグチャにしながら言葉にならない声で許しを請うた。


「あ、ああ、あああっ」

「殺しはしない。だがお前はその身体で、世の中の無情と人の情けの有難味を、残りの一生をかけて思い知るがいい」


 今更すぎる懇願は、手遅れだと一瞥で切って捨てられる。

 自分の血の海でのた打ち回るコッゾを置き去りにし、ゴブリンナイトはその場を去った。





「…………」

「…………」


 互いに無言のまま、浩介と立夏は並んで歩いていた。

 あの後、住民からの通報で駆けつけた警備隊にコッゾ一味は捕縛。と言ってもほぼ全員が重傷のため、治療院送りになったそうだ。


 浩介と立夏は被害者として一応の事情聴取を受け、《鬼面騎士》に助けられたと証言。住民の目撃情報もあったので、事情聴取そのものはすんなりと終わった。しかしその間に夜も更け、夕食は警備隊の本部で頂いた。

 ちなみに地球人の誰かが入れ知恵したらしく、出されたのはカツ丼だった。

 しかしそれを話題に上げる気にもなれず、重苦しい沈黙が続く。


「……俺、さ」

「うん」

「あの槍使い。コッゾ、だっけか。あいつの両腕、切り落としたんだ。槍も壊して、もう抵抗する力もあいつにはなかったけど」

「そう」

「あいつには、反省の色なんて欠片ほどもなくて。あのまま後を警備隊に任せても、また同じことを繰り返すと思った。立夏や、見えないところで他の誰かがまた危険に晒されると思ったんだ。だからっ」

「そっか」


 どこか言い訳じみた浩介の言葉に、立夏はただ短い相槌を返すのみ。

 殴って鼻血を出させるくらいは日常茶飯事で、骨を折るのも珍しくない。しかし両腕を切断・欠損させるという行為は、悪党退治の範疇を些か逸しているようにも思えた。


 口から零れた言葉に嘘はない。コッゾは反省や更生などせず、何度でも立夏や他の誰かに悪意の手を及ぼす。その危険を排除するには、ああする他ないと判断したのだ。しかし……そこに個人的な憎しみや、復讐心といった感情がなかったと言えば嘘になるだろう。


 自分のやったことは立夏を言い訳にした、ただの私的な制裁ではないのか。

 私情は殺し、無力化と捕縛までに留め、後は法の裁きに委ねるべきではなかったか。

 あるいは逆に、両腕の切断などという半端な真似ではなく、いっそ――


「俺の判断は、本当に、ヒーローとして正しかったのか……?」


 ただ肯定を返して欲しいだけの言葉だと自分でもわかっていて、情けなさに浩介は拳を固く握りしめる。返り血もつかなかった手は、それでも赤黒く薄汚れているように思えてならなかった。

 しかし、隣から触れる手が、浩介の拳を優しく解きほぐす。


「私は弁護士でも検事でもないし、法律がどうこうなんて言ったら、あんたのヒーロー活動は元々無法でしょ。かといって私の立場としては、あの下衆男に同情する気なんてこれっぽっちも起きないし。あんたの判断が正しいのか間違っているのかなんて、私には判断できないわよ。――だから、私があんたに言うことは一つだけ」


 反射的に振り払おうとしたが、立夏の手は浩介の手を掴んで離さなかった。

 開いていた間隔を詰め、肩を触れ合わせながら、立夏は静かに、穏やかに告げる。


「助けてくれてありがとう、ヒーロー」

「……っ」


 胸がつっかえて言葉に詰まる。涙はないが、目尻が熱くなる。

 許されたわけではない。明確に答えが出たわけでもない。

 それでもその一言だけで、こちらの方が酷く、救われた気がした。

 今だけはと自分に言い訳しながら、縋りつくように立夏の手を握り返す。言葉もなく並んで歩く二人の間にもう重苦しさはなく、静かで温かな沈黙だけがあった。

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