メダルのような表舞台の裏側で


「この子を手当てしてやってくれ。――頼んだぞ?」

「は、はひ!」


 努めて平静な声のつもりだったが、怒気を抑え切れていなかったらしい。

 怯えた顔でカクカク頷きを繰り返すクラスメイト二人に、ゴブリンナイトこと浩介は頭の熱を吐き出すように鬼面の下で深いため息をついた。

 立夏に戦いを押しつけてなにもしなかったらしい二人を罵倒したいのは山々だが、今の自分は立夏の幼馴染ではなくヒーローだ。やるべきことは他にある。

 抱きかかえて後方に運んだ立夏を、治癒魔法を使えるはずのクラスメイトに任せ、自分はヘビとサソリの合体魔物……ヴァイパースコーピオン(仮称)と対峙した。


「SHAAAA!」

「あいつ、首を落としたのに!?」

「見ろ。あいつの胴体だ」


 蛇頭を失った首から血を噴きながらも、魔物は崩れ落ちることなく健在だった。そもそも地面に転がる頭は確かに息絶えているのに、どこから鳴き声を発しているのか。

 その答えは、魔物の胴体部分。首の付け根であり、サソリ本来の頭部である箇所に、ヘビのそれとは別物の眼と口が蠢いていた。


「サソリの顔が!?」

「どうやらヘビの分とサソリの分、両方の脳を持って復活した魔物らしいな」


 だからヘビの頭が斬り落とされても残るサソリの頭で動いているのだ。

 サソリの頭部からヘビの首が生えているので、一見サソリの顔はなくなっているものと早合点してしまう。立夏が不覚を取ったのもそれが一因だろう。ピット器官もそうだが、ヘビの眼を潰してもサソリの眼が残っていたのだ。

 片方の頭を失っても、ヴァイパースコーピオンの敵意は消えるどころか圧を増す。

 それに呼応したかのごとく、そこら中に撒き散らされた血から、毒々しい紫の煙が噴き出し始めた。明らかに吸っていいものではない。その証拠にわずかばかり生えていた雑草が、煙に触れた途端真っ黒に腐蝕する。


「毒液が気化して……!」

「まさかこれ、毒ガス!?」

「長引かせるとまずいわね。これ以上、毒を撒き散らされる前に仕留めないと!」

「それなら――一撃必殺だな」


 そう呟くゴブリンナイトの声音は、微量ながらも熱を帯びていた。

 幼馴染が怪我を追っているこの状況で不謹慎と知りつつ、昂揚を禁じ得ない。

 相手が魔物なら加減は要らない。「とっておき」を使うにはおあつらえむきだ。


「観客は少ないが、真・必殺キックのお披露目といこうか!」


 バックルに刺さったスフィアダガーのグリップを握り、三度回す。

 バックルのゴブリンマークが三回、中央の宝玉に噛みつくようにして開閉を繰り返す。


『《グレムリン》《ソルジャー》』『サード=イグニッション!』


 バックルが機械音声を発し、宝玉から魔法陣が展開。

 魔法陣に描かれた風車が高速で回転し、エネルギーが風となって迸る。

《スキル》と《アビリティ》の融合によって生まれる力。専用の手順を踏んだことでその出力が一五〇パーセント……システムに負荷をかけない安全圏の最大値である、一〇〇パーセントを超えた領域にまで引き上げられたのだ。

 長時間この状態を維持すれば、負荷に耐えられずベルトが自壊するだろう。しかし、ごく短時間だけ使用する分には問題ない。

 たとえば、そう――必殺の一撃を放つ間だけなら。


「トウ!」


 跳ぶ。敵の巨体も飛び越え、天井の穴に届くほど高く。

 廻る。前方宙返りした身体に風が渦巻き、全てのエネルギーが右足に集束する。

 奔る。右足を突き出した体勢から、風の推進力を受けて一直線に急降下した。


《グレムリン》の【疾風躯】+《戦士》の格闘系戦技【飛蹴脚】の融合技。

 これこそが、ゴブリンナイトの《戦技》にして真の必殺キック。

 名付けて、


「疾風の……ストライク・エンド――――!」


 風を纏い、鳥より疾く、まさしく疾風と化した鬼面の騎士が魔物に激突。

 迎撃に繰り出された毒針付きの尾を砕き。

 十字に重ねて防御した鋏を砕き。

 最期まで敵意の叫びを止めなかったサソリの顔面を砕く。

 キックの着弾点から、解放された威力が嵐となって吹き荒ぶ。ヴァイパースコーピオンの巨躯が、まるで木の葉のごとくふっ飛んだ。

 壁に激突し、崩れた壁の瓦礫に埋もれたヴァイパースコーピオン。脚一本ピクリとも動かず、やがて幻素に霧散して今度こそダンジョンに還った。



「なんなのよ、あいつ」

「あいつの方がバケモノじゃない……!」


 特別な力を与えられた自分たちでも苦戦した魔物を、あまりにもあっけなく屠った圧倒的な強さ。あの異形の騎士の方がよっぽど怪物ではないか。

 驚愕より安堵より憧憬よりも、恐怖がクラスメイト二人の心を占めていた。

 慄く二人に、しかし立夏は首を横に振ってキッパリと否定する。


「バケモノじゃないわ。《ヒーロー》よ」


 誇らしげにさえ聞こえる立夏の声は、ゴブリンナイトの背中に温かく染み入った。





「…………」

「あのー、立夏さーん?」


 ご立腹です不機嫌です、と雄弁に語る立夏の仏頂面。浩介はどうしたもんかと悩む。

 ここは王都で一番大きく酒も美味い――アンダーヘイムでは十六歳で成人扱いのため、飲酒も合法だ――酒場……の、裏口。浩介と立夏はその階段に並んで腰かけていた。店の中からは一年C組のどんちゃん騒ぎする声がここまで届いてくる。

 浩介はともかく、宴の主役の一人である立夏がなぜこんなところにいるのか。

 もう傷痕一つ残っていない立夏の足に目をやりながら、浩介はポツリと呟く。


「その、悪かったよ。助けに行くのが遅れちまって」

「馬鹿ね。そんなことで怒ってるんじゃないわよ。浩介ならきっと大丈夫だってわかってたのに、無茶やって飛び込んだ挙句、逆に助けられた私が馬鹿だったんだし」

「いや、無茶はしないで欲しいが、俺を心配してくれたのは素直に嬉しいし……」


 プールから《亀裂》で浩介が落ちた先は、立夏がいた場所より数段下の階層だった。しかし他に人の姿がないのを幸い、ゴブリンナイトに変身して魔物を蹴散らした。そしてグレムリンのアビリティに含まれる【気配察知】で強力な魔物の存在を感知し、立夏の危機に駆けつけた次第だ。

 浩介たちはクラスメイトも含めて無事に地上へ生還。地上でも魔物が出たそうだが、そちらも駆けつけた警備隊が大きな怪我人を出さずに撃退した。加えて、一度は苦渋を味わわった魔物が討伐された祝いに一年C組は飲めや歌えの大騒ぎだ。

 しかし立夏は早々に宴を抜け出し、こうして不機嫌な顔で裏口に座り込んでいた。

 気づいて後を追ってきた浩介は、不機嫌の理由がわからず首を傾げる。


「じゃあ、なんでそんなに不機嫌なんだよ?」

「そんなの、魔物を倒した手柄が草薙のものになってることに決まってるでしょ! なんで今回なにもしてないあいつがヒーローみたいに扱われてるのよ!」


 表向き《リベンジャー》を倒したのは、ゴブリンナイトでなく草薙京太だということになっている。京太も立夏を助けるべく、ダンジョンに潜っていたのだ。《亀裂》が閉じてしまったため、入り口から駆け下りしらみつぶしに探し回ったらしい。

 京太が駆けつけたときには全て終わっていたわけだが、《リベンジャー》は京太が討伐したことにするよう、立夏たちはファムから口止めされた。彼女の苦々しい表情から察するに、騎士団……あるいはもっと『上』からの命令だったのだろう。


「まあ、騎士団としては散々手を焼かされてるゴブリンナイトに、魔物討伐の手柄まで上げられちゃ面子に関わるって話なんだろうがな。草薙だって、そんな事情で他人の手柄を押しつけられていい顔はしてなかっただろ? 周りにチヤホヤされてどうでもよくなったみたいだが」

「結局同じことでしょうが。他人の手柄で飲むお酒がそんなに美味しいのかしらね」


 唾を吐き捨てんばかりの顔で、立夏はギリッと奥歯を噛み締める。

 ちなみに、浩介は魔物からヒイコラ逃げ回った末に、立夏たちと合流した京太に拾われた体になっていた。

 おかげさまでお荷物になっただけの役立たずと、宴の席ではクラスメイトから白い目を向けられる羽目に。京太も自分のありもしない活躍をアピールしようとしてか、自分と比較して如何に浩介が情けない有様だったか言いふらした。真にお荷物だった女子二人も自分の醜態を隠そうと便乗する始末。

 それらのことも怒りに油を注いでいる様子で、立夏はますます口調を荒げた。


「第一、自分が浩介を《亀裂》に突き落としといてあいつ、よくもヌケヌケと私の前に顔を出せたものよね。馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、あんな真似するヤツだとは思ってなかったわ……!」

「…………」


 浩介を亀裂に落とした雷の斬撃。アレは【剣術】スキルと【魔法】スキルの両方を所持する者だけが使える【魔法剣】の戦技だ。通常の【剣術】スキルにも炎や雷を纏う戦技はあるが、浩介を襲った技は魔法特有の発光を帯びていたためにわかった。

 また、【剣術】と【魔法】を両方とも持っている者は非常に希少で、歴史上の大英雄とされるレベルⅨにも数人しか確認されていない。

 そして勇者である京太は、当然のごとくその両方を持っている。

 それに混乱の最中とはいえ、周りが気づく間もなく戦技で攻撃するなど、アイテムボックスと高レベルのスキルを与えられた地球人でなければ不可能な芸当だ。

 立夏に執着し、立夏の幼馴染である浩介を敵視している点でも、京太には十分な動機と状況証拠があった。


「それなのに、さも草薙がヒーローで私がヒロインみたいに、二人で魔物を倒して仲間を救った美談に話が捏造されてるし……本当、むかつくったらないわ」

「草薙のヤツはともかく、立夏がクラスメイトを助けたのは本当だろ? リベンジャーを相手にたった一人、クラスメイトも当てにならない状態でよくやったモンだと思うぞ」


 浩介の言葉に、しかし立夏は自嘲の混じった苦笑いを返す。


「そうでもないわよ。途中、二人を見捨てて逃げようかなんて考えちゃってたし。浩介が教えてくれた『変身』がなかったら、きっとそうしてた」

「変身って、ヒーローの?」

「そ。私を今まで何度も助けてくれた、秘密のおまじない」


 体育座りした膝に顎を乗せながら、立夏は目を閉じて微笑む。

 尋ねなくたって、なにを思い浮かべているかはすぐわかる。ここはテレビも漫画もフィギュアもない異世界だが、自分たちの瞼の裏にはいつだって、風にマフラーをなびかせた背中が鮮明に映っているのだから。


「人間は弱い。生きていると苦しいことや辛いことばかりで、どんなに頑張ってても理不尽な目に遭って。だからすぐ楽な方に逃げたり、他人のせいにしたり、自分さえ良ければ他はどうもでいいって弱い心が顔を出す。正しくいたいと願っても、自分の中の悪い心が消えないから、苦しんで悩んでばっかりで」

「きっと俺たちが大好きな《ヒーロー》もそうだった。子供の手も握り潰しかねない異形の身体に悩んで。同族とも呼べる怪人との戦いに苦しんで。あのヒーローの孤独な戦いは、その苦悩は、俺たちの人生と同じだったんだ」


 このやり取りは中学の頃にも一度交わした会話だった。

 なぜ数多のヒーローがいる中で、あの仮面の戦士が自分たちにとって特別なのか。

 小さい頃には明確に言葉にできなかった答えを、二人で見つけた。


「だからヒーローは『変身』する。自分の中の悪い心と戦って、弱い自分から今より強い自分に変わるために。ヒーローの変身は、自分の弱さを乗り越えて強さに変える『成長』の象徴なんだ。そうやって俺たち人間は生きていくんだって、ヒーローはひとりぼっちでも力強い、あの背中で俺たちに教えてくれた」

「だから私たちは憧れた。あんな風に生きられたらって。どれだけ自分の中に弱くて悪い心が巣食っていても、何度だってそれに打ち勝って。助けを必要とする誰かに手を差し伸べられる強い人になりたいって思った」


 これはあくまで浩介と立夏二人の解釈だ。公式にそういう意図があったわけではない。

 しかし二人で見つけたこの解答が、浩介と立夏の生き方に於いて大きな指針であり、魂の芯に真っ直ぐ通る一本の支柱となった。


「辛いとき、逃げ出したくなったとき、悪い心に負けそうになったとき、いつだって浩介が教えてくれたヒーローの背中を思い出す。それがいつも私の弱い心を支えてくれた。今より少しだけ強い私に『変身』することができた。今の私があるのは、浩介のおかげ」

「それは、ヒーローのおかげであって、俺がなにかしたわけじゃねえだろ。俺が立夏にしてやれたのは、せいぜい愚痴の聞き役くらいのモンだ」

「それだって十分助かってるんだけど……。それに、今のあんたは本物のヒーローじゃない、ゴブリンナイトさん?」


 からかうように悪戯っぽく、それでいて嬉しそうに立夏が笑う。

 他ならぬ彼女にそう言われるのはなんともむず痒く、顔もにやけそうになるが、同時にバツが悪い感じもあって浩介は乱暴に頭を掻いた。


「ゴブリンナイトは、ただのヒーローごっこだ。やってることも見かけた酔っ払いや小悪党をぶちのめしてるだけだしな。世界の危機を救うことも、人類の平和を守ることもしない、自分のための自己満足だ。本物のヒーローには程遠い」

「馬鹿ね。ここまでの話の流れはなんだったのよ? 世界を救わなくたっていい。人類を守らなくたっていい。自分の弱さに負けないで、誰かの助けになってあげられる強い生き方。そんな強い自分に変身する勇気を与えてくれる背中。それが私たちが信じる、私たちにとっての《ヒーロー》でしょ?」


 コツン、と浩介の肩に心地よい重みがかかる。

 元々数センチもなかった距離をゼロにして、立夏がこちらにもたれかかってきた。


「ゴブリンナイトになる前、この世界に召喚されるよりずっとずっと前からあんたは……浩介は私のヒーローなのよ」


 こちらの肩に頭を預けながら、蕩かすような熱を帯びた声で立夏は密やかに囁く。

 浩介はなにも言葉を返せず、しかし無意識に動いた手が、彼女の手に重なった。

 キュッ、とどちらからともなく手を握り合う。

 寄り添う二つの影を、微笑むように弧を描く三日月だけが見ていた。


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