バッタ怪人と仮面のヒーローを分かつモノ
《ヒーロー》と一口に言っても、地球でその称号を冠する存在は大勢いる。
宇宙の彼方よりやってきた銀色の巨人。五人一組の五色の戦士。未完成の心に苦悩する人造人間。雷の超能力を操る新人類。エトセトラエトセトラ。海外まで目をやれば、その姿も能力も信念も、まさに千差万別だ。
しかし、浩介と立夏が《ヒーロー》と聞いて思い浮かぶのは、決まって一人。
バイクを駆って悪の組織と戦う、孤独な仮面の戦士だった。
数多のヒーローがいる中で、なぜ仮面の戦士だけが二人にとって特別なのか。
――それを思い返せば、立夏の記憶は浩介との出会いまで遡る。
悪目立ちする容姿のためにいじめられていた立夏は、自衛のためにと近所の怖くて美人な師匠から格闘技を学んだ。才能があったようで、立夏は瞬く間に戦う力を身につけた。
しかし戦う力を得ても戦う心が、勇気が立夏には欠けていた。
いじめっ子を前にすると足が竦み、手は震えて拳を握ることもできず。
結局なにもやり返せずに泣いてばかりいたある日、立夏は浩介と出会った。
『なあなあ! お前、ヒーロー好きか!?』
隣同士の家を隔てる生垣を突き破って現れた男の子は、そう無邪気に笑った。
周りが「ヒーローなんて子供騙し」と馬鹿にするマセた男子ばかりだったらしい。
同じ趣味を共有できる仲間が欲しかった浩介の熱意に押し負け、立夏は一緒にその番組を見た。異形となった哀しみと孤独に苦しみながら、それでも人々を守るために戦う仮面の戦士の物語を。
それは当時小学校に上がって間もない立夏には、どうにも話が暗いし難しいしで、内容をほとんど理解できなかった。
それでもヒーローの戦う力強い姿が、バイクで走り去る寂しげな背中が、心の奥深くに焼きついていた。
彼らのように強くなりたい。そう憧れたのだ。
『強くなりたい? じゃあ「変身」だな!』
『でも私、ヒーローみたいに強くないし……』
『なに言ってんだ? ヒーローは強いから変身するんじゃないし、変身するから強いわけでもない。強くなって変身するんだよ』
『えと、つまりどういうこと?』
『うーん、俺もよくわかんない!』
『えぇ……』
そういえば、そんな締まらない会話もあったか。
しかし浩介から教わった『変身』が、立夏に勇気を与えてくれた。
いじめっ子を撃退し、歓声を上げて抱きついてきた浩介の笑顔を今でも覚えている。
やがて大きくなるにつれて、《ヒーロー》と『変身』は二人にとって非常に大きな意味を持つ言葉になった。
信念、性分、正義……心根に刻み込んだ生き方の原点として――
「全く……こんなときに走馬燈? 冗談じゃないわよ」
「SSSSSHAAAAAAAAAAAAAAAA!」
ガンガン痛む頭に追い打ちをかけるかのごとく、響き渡る怪物の鳴き声。
簡潔に言って、立夏は窮地に立たされていた。
浩介を追って《亀裂》に飛び込んだ先は、岩肌に覆われた洞窟の中。壁自体が仄かに発光し、魔物が湧いて襲いかかってくる他は特筆すべき点がない、洞窟らしい眺め。それらはここが、ダンジョンのごく浅い上層部であることを示していた。
ダンジョンは深くなるほど環境がデタラメさを増し、中には地下であるにも関わらず海や空が広がる階層まであるほどだ。
深層に落ちなかったのは行幸だったが、一緒に落ちたはずの浩介の姿がない。どうやら同じに亀裂に落ちても、同じ場所に行き着くとは限らないらしい。
一刻も早く浩介を見つけたい立夏だったが、その前に最悪な状況に遭遇してしまった。
「SHAAAA!」
立夏の前に立ちはだかるのは、先日一年C組に損害を与えた《リベンジャー》……その外見から仮に《ヴァイパースコーピオン》とでも呼ぼうか。
サソリの体からヘビの首が生えたような姿で、しかしそのサイズは恐竜並み。ヘビとサソリの魔物がダンジョンに還らず、ただ復活するのではなく合体・巨大化した変異種だというのが、ローザとは別の魔導学者の見解だ。
蛇頭の潰れた左眼に京太がつけた傷痕がある。どうやら先日の敵と同個体らしい。
巨体に似合わぬ機敏な六本脚、強靭な鋏、レベルⅥの戦技も弾く鱗と甲殻。元が下位魔物の合体・復活したモノとは信じ難い、中層のドラゴン並みのステータスだ。
しかしなにより厄介なのは、ヘビとサソリが混ざったことで化学反応でも起こしたかのように強力な猛毒。体内で成分の配合を調整できるのか、麻痺に幻覚に魔力阻害、溶解液まで吐いてくる。
なまじ下位魔物の毒では大した痛手にならなかったため、一年C組は状態異常への対策を怠っていた。解毒の魔法が使えるヒーラーも、次々と毒にやられる仲間に手が回らず、混乱したところを一気に蹴散らされてしまったのだ。高レベルスキルの恩恵がなければ死人が出ていたことだろう。
幸い王宮から地球人に支給される魔法道具《アイテムボックス》のおかげで、異空間に収納していた武器・防具で武装することはできた。しかしこのヴァイパースコーピオンを単独で倒すには時間がかかりすぎる。こちらが毒で力尽きる方が早いだろう。
それでもただ逃げる分には問題ないはずだったが、逃走を妨げる『お荷物』が二つ。
「イヤアアアア! ちょっと! 早くそいつなんとかしてよ!」
「こういうときのための戦闘職でしょ!? いつも偉そうにしてるんだから、さっさとやっつけなさいよ!」
岩陰に隠れることもせず座り込んで、互いに抱き合いながら立夏の後方で喚き散らしているのは、同じ一年C組の少女たちだ。
二人は立夏と同じく、プールから亀裂に呑み込まれてここに落ちたようだ。二人とも支援系のスキル持ちなので、せめて援護してくれればいいのに、座り込んで叫ぶばかり。どうも先日クラスメイトがやられたショックから立ち直っていないらしかった。
このお荷物二人を庇ったせいで、立夏は数回毒液を浴びてしまっていた。先程から頭痛と嘔吐感に苛まれ、意識が朦朧としてくる。溶解液に焼かれた片足が痛い。
「最悪……」
ああ、本当に最悪だ。
浩介を探していたのに、見つかったのは特に親しくもないこの二人。泣き喚いてうるさいから仕方なく先に地上まで送り届けようとしたら、この魔物に遭遇して。挙句に文句ばかりで役に立たないお荷物のせいで、こっちは命が危うくなっている。
これが貰い物のチートで調子に乗った地球人に対する報いだとでもいうのか。だとしたら自分がそれを被るのはお門違いではないか。表通りで暴れた三馬鹿や他のクラスメイトと違い、自分は力を無闇に振り回したりせず己を律してきたはずだ。
罰が必要なら後ろの二人の方が受けるべきだろう。「イケメン二人に挟まれて調子に乗ってる」などと陰口を叩いていたのは知っているのだ。見当違いのひがみも甚だしい。自分は京太にも実彦にも異性としての興味はない。自分がそういう意味で関心を抱く、気を引きたい相手はずっと一人だけ。
なのに、なんで自分はこんなところで、友達と呼べるほど仲良くもない、キャンキャン喚くだけで手伝いもしないような役立たずのクラスメイトを庇って、怪我までしなければならないのか。
「ああ、もう、いっそのこと、あの二人を囮にでも使って……」
――風が、立夏の頬を撫でた。
グチャグチャで目も当てられない色に染まった思考を洗い流す、涼やかな風。
ハッと顔を上げ、そして立夏は見た。
マフラーを風にたなびかせたヒーローと、いつもは行儀の悪い猫背のくせに、ここぞというときにはシャンと伸びる少年の背中を。
「……っ」
瞬き一つすれば、ヒーローも少年もそこにはいない。
風も錯覚だ。より深い階層なら風どころか竜巻が絶えず発生するエリアもある。しかしここは上層の洞窟。出口の近くでもないのに風など吹いているはずがない。
全てはただの幻。けれど立夏には馴染みのある幻だ。
足が竦んだとき。決意が挫けそうなとき。心が醜く悪い方向へと流されそうになったとき。いつだって風が吹いて、ヒーローと少年が背中で問いかけるのだ。
君はどうする? と。
そして、立夏の返答はいつも決まっていた。
「全く、本当に楽じゃないわね、《ヒーロー》ってヤツは――!」
両足を肩幅に開き、左足をやや退いて身構える。
右拳を腰に、左腕は手の甲を正面に向けながら縦に。
最後は斜め上に突き出した右拳を左手と打ち鳴らしながら、心の内で叫ぶ。
――変身!
気恥ずかしさから声には出せなかったし、外見にも変化は何一つない。
しかし、意識は劇的に切り替わる。
迷いも混乱も恐れも、零れたインクのように滲み出た悪意も、全てを風が吹き散らしていく。クラスメイトは助ける。自分も生き延びる。浩介の無事な姿を見るまで死ぬものか。そのために、まずはこの窮地を切り抜ける。
冴え冴えとした思考が風車のごとく回転し、打開の道を模索するため状況を再確認。
背後にクラスメイト二名。正面に《ヴァイパースコーピオン》が一体。
相対している場所はヴァイパースコーピオンが動き回れる程度に広い空間。天井には大穴が空いており、一階層上に繋がっている。元から吹き抜けなのではなく、最近崩落したもののようだ。
あそこから上にさえ行ければ、敵の巨躯では同じように壁をよじ登って追うことはできないはずだ。しかし今の立夏の身体能力でもジャンプ一つで届くかどうか微妙な高さの上に、お荷物が二つ。荷物を両腕に抱えながら、敵の攻撃を捌きつつ上がるのは難しい。
「KISHAAAA!」
「ひぃぃ!」
「キャアアアア!」
立夏の意識の変化を、有形無形を問わず力に敏感な魔物は察知したのか。
獲物が弱るのを待つように静観していたヴァイパースコーピオンが、鋏をガチガチ打ち鳴らしながら迫ってくる。背後から耳障りな金切り声の悲鳴。
「シッ!」
考える暇は与えないと言わんばかりの突進だが、立夏も伊達に荒事だらけの人生を送ってきたわけではない。
地球での十六年間に加え、ダンジョン攻略の四ヶ月間で積み重ねた経験と直感から、取るべき選択肢を弾き出して実行に移した。
片足の激痛は無視して地を蹴り、相手の眼前へと躍り出る。
ヴァイパースコーピオンはご馳走を一呑みにしようと、鎌首を伸ばして大きく顎を開いた。青紫の毒液に塗れた牙が、まさに毒々しい輝きを放つ。
恐怖も躊躇いも抜き去って立夏は跳躍。逃れようがない空中で迫る毒蛇の顔。
その毒牙が届く直前、立夏の振りかぶった足が発光――雷が爆ぜた。
反動によって立夏の体は空中で軌道を変え、空を切った毒牙がガチンと火花を散らす。
立夏は地球で培った格闘技術に、このアンダーヘイムで手にした超常の力を乗せて、地下迷宮の怪物へと叩きつける。
「【
「GI!?」
足側面に形成された雷の刃を、蹴りの勢いに乗せて一閃。ヴァイパースコーピオンの残る右目を焼き潰した。
――魔物は普通の生物とは多くの点で異なる。が、生物の姿を取っている以上、共通する部分もある。その多くが普通の生物と同じように視覚で見、聴覚で聞き、嗅覚で嗅ぎ、味覚で味わい、触覚で感じるが故に痛覚を持つ。
そして眼球などの急所を潰された生物が反射的に取る行動は、大体決まっている。
「GIIIISHAAAAAAAA!?」
「よ、しっ!」
立夏の狙い通り、ヴァイパースコーピオンは苦悶の叫びを上げながら、その長い首を大きく仰け反らせた。持ち上がった首の長さは、天井の穴にまで届く。ヴァイパースコーピオンの首を梯子代わりにして、上層へ駆け登る算段なのだ。
両眼が潰れた今なら、クラスメイト二人を抱えながらでも十分攻撃を避け切れる。
着地した立夏は即座に反転し、二人を回収するべく走り出した。
……が、
「SHAAAA!」
「なっ!?」
突然片足が動かなくなる。
見れば、粘液によって地面に接着させられていた。
溶解液と同様、成分の配合を変えた毒液なのだろう。痛みや毒が侵食する感覚はないが、溶かしたゴムのように粘度が高く、力ずくでは引き剥がせそうにない。
こんな芸当までできるとは。いや、そもそもどうやって正確に命中させたのか。
確かに目を潰したのに……そう思って見上げると、ヴァイパースコーピオンは両眼の潰れた顔を、真っ直ぐこちらに向けていた。
――そういえば理科の授業、それにヒーロー番組でもヘビ怪人が出てくる話で聞いた覚えがある。ヘビには生物の発する熱を感知するピット器官というものがあり、それによって暗闇の中であろうと獲物の位置を正確に捉えることが可能なのだと。
必要なときに限って記憶の引き出しが開かないのはよくある話だが、よりにもよってこのタイミングでか。あまりの自分の迂闊さに舌打ちした。
その間にも上から、大口を開けた蛇頭が降ってくる。
「KISHAAAA!」
「こんの――!」
まだだ。まだ折れない。
粘液で固められていない、溶解液を浴びた方の足でヤケクソ半分の反撃を試みる。
瞬間、風が吹いた。
今度は幻でない、本物の疾風が。
「ゴブリン…………チョ――――ップ!」
蛇頭よりさらに上、天井から風を纏って走る影。
縦一文字に放たれた、戦技ではないただの手刀が、鎧のような鱗に覆われたヴァイパースコーピオンの首を音もなく斬り落とした。胴から断たれたことに気づいていないのか、なおも首だけで跳ね回る蛇頭。
それをグシャリと踏み潰して降り立った影は、黒と深緑の革鎧に身を包み、赤いマフラーをたなびかせ、しかし救世主には似つかわしくない異形の面貌。
手刀が閃き、立夏の足を拘束していた粘液がバラバラになった。当然、立夏の足には傷一つ付けていない。
安堵で力が抜け、よろいめいた立夏の身体をグローブに覆われた手が受け止める。
「すまない。遅くなった」
「いいえ、ナイスタイミングよ。ヒーローさん」
お姫様でも扱うように自分を抱き上げた鬼面の騎士に、立夏は抵抗もせず身を委ねながら微笑んだ。
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