走り去る背中はハイスピード
「あの…………。散々偉そうな口利いといて、道路に大穴空けてごめんなさい」
禍々しく、怒れる様はまさに悪鬼のごとしだったゴブリンナイト。
それがやけに礼儀正しく頭を下げて謝罪する姿に、ファムは思わず軽く噴き出してしまった。異形の鬼面でそんな所作をされると、妙に笑いを誘うのだ。
「いや、謝ることはない。あの三人を倒せるだけの威力を出しつつ、周りの被害を最小限に抑えようとした結果なのだろう? それに半分以上は、あの大地を操る術が原因だったようだしな」
しょんぼり肩を落とすゴブリンナイトの背後には、すり鉢状に陥没した地面に半分埋まって呻き声を上げる《チキュウ人》の三人組。
その一人が石畳や下の地面を操り、砲弾や槍、石像の拳といった武器に変えていた。どうやら操った分だけ地中の土や石を消費していたようで、周囲の地面が空洞だらけの酷く脆い状態だ。チキュウ人だけに宿る常識外の異能EXスキルといえど、無から有を生み出すとはいかないらしい。
空洞だらけの地面は結果的にクッションとなり、三人組のダメージは幾分が減じられたはずだが、とても無事とは呼べない有様だ。
「あばば、ば」
「ぎぎぎぎっ」
「ぐぇぇぇぇ」
最初に跳ね飛ばされた際にやられたのだろう。地面からはみ出た手足は無残にへし折れ、骨が皮膚を突き破って露出していた。口から零れる血反吐の量から考えるに、トドメのキックで内臓も一つか二つ潰れている。
これがゴブリンナイトの本気か、とファムは内心戦慄を覚えた。
レベルが一つ違えば、その間ではスキルの力に絶対的と言っていい差が生じる。しかしレベルが同じでも、スキルの力をどこまで引き出せるかでピンキリの開きがあるものだ。
その点、ゴブリンナイトは身体強化系スキルも高レベルにあるだろうチキュウ人を三人まとめて、それも戦技さえ使わずただの蹴り一発で瀕死にした。おそらくレベルⅧの中でも上位……つまり国を越えて大陸中に名が知れ渡ってもおかしくない域にある。
それほどの人物がなぜこんな格好でこんなことをしているのか、不思議でならない。
「えっと……それで、どうする?」
「あー……道路に大穴を空けた罪で大人しく捕まれ、と言ったら捕まるのか?」
「それはちょっと、なあ」
つい先日と同じように、どうにもやり難い空気に互いに顔を見合わせる。
仮にも助けられた身としては、さあ仕切り直して御用だ、とも言いづらい。
「お姉ちゃん!」
「む」
頭上からの物音と同時、腕に抱えた獣人の少女の悲鳴。
どうやら三人組の攻撃を受け止めた障壁は、横に広げた分、上方には隙間ができて攻撃が通っていたらしい。
背後の民家の屋根が一部崩れ、瓦礫が落ちてきたのだ。
特に問題もなくファムは避けようとしたのだが、
「すまん」
「なっ!?」
身を躱すよりも先に、力強い両腕に抱き上げられた。
獣人の少女ごとファムを抱えたゴブリンナイトは、屋根もひとっとびのジャンプで表通りから離れる。
「……あっ、ああああ! 隊長が、隊長がゴブリンナイトにさらわれたぁぁぁぁ!」
「しかもお姫様抱っこで!」
「追えー! 隊長を取り戻すんだー!」
数秒ほど呆気に取られ、我に返ると火が点いたように大騒ぎする隊員たちの声が遠のいていく。
――そうか、これがお姫様抱っこというものか。私には縁遠いというか、どちらかといえばする側だと自負していたのだが。ふむ、されるのも悪くはない、な。こうしているとまるで守られているような……いや実際、少なくとも今宵は確かに守ってもらったのだ。この異形の装いをした、鬼面の騎士に。
などと、ファムが不思議な感慨を抱いている間に、ゴブリンナイトは裏路地の一角に着地した。
「すまない。あの場では言えない話があってな」
二人を降ろすと、ゴブリンナイトは屈んで獣人の少女と目線を合わせる。
狼の獣人で黒目は珍しいが、この子はハーフなのだろう。本来なら勝気な印象を与えるつり目は、今は不安と恐怖が色濃い。しかし異形であるはずのゴブリンナイトを前に、少女は恐れるどころか不安が和らいだように微笑みさえ浮かべた。
それを確認して、ゴブリンナイトは少女の首元に手を伸ばす。
そこには……鎖のついた首輪が巻かれていた。武骨な鉄製でとても丁寧に扱われているとは言い難い、「商品」が逃げ出さぬよう繋いで置くための首輪が。
少女の肌を傷つけぬよう細心の注意を払いつつ、ゴブリンナイトは鉄の首輪をまるで焼き菓子のように容易く二つに割った。
そしてそのうちの一方、円形のプレートが取り付けられた方をファムに差し出す。
「このシンボルに心当たりはないか?」
「これは――!」
そこに刻まれていたのは、羊の首を加えた黒犬という悪趣味なシンボル。
それを見たファムの表情が険しいものになった。
「知っているのか?」
「これは《羊飼いの猟犬》という犯罪組織のシンボルだ。我々のように亜人と呼ばれる者を各地で誘拐しては奴隷として人身売買している。奴隷制度が廃止された現在でも、亜人を差別し家畜のように扱いたがる輩がいるんだ。少なくとも、人身売買の需要がある程度にはな。王都にまで手を伸ばしているとは耳にしていたが……」
「……そうか。なら、これが役に立ちそうだ」
一体どこに仕舞っていたのやら、ゴブリンナイトが紙の束を取り出した。
なにかの書類らしいそれを受け取り目を通すと、ファムは危うく書類を握り潰しそうになった。
「これは!?」
「この子が買われた際の証文だ。非合法であろうと商売である以上、こういった記録は残る。購入者が金にうるさい人間なら尚更、金の出入りは几帳面に記録しとくものだ。ついでに横領の記録と思しき裏帳簿も回収させてもらった」
震えるファムの手に、宥めるように自らの手を重ねながらゴブリンナイトは続ける。
「見ての通り、証文には組織の印章、それに……ニーラン伯爵家の印章が押されてある。伯爵の屋敷に組織の印章がついた奴隷がいて、組織と奴隷の売買をした印章つきの証文があった。伯爵を拘束し、取り調べるには十分な証拠になるんじゃないか?」
「これが、貴様がニーラン大隊長の屋敷を襲撃した理由か」
「いや、襲撃は半分偶然だ。フードで全身を隠した不審な人影を見かけて尾行したら、伯爵の屋敷に入っていってな。窓から様子を探っていたら、伯爵がこの子にろくでもない真似をしようとしていたんで、とりあえずぶん殴った」
「それはまた、なんというか、無茶をするな」
ゴブリンナイトが伯爵家を襲撃――それを聞かされたときは何事かと思っていたが、どうやら人助けという意味ではこれまでと同じ動機だったらしい。
しかし理由がなんであれ、騎士団大隊長にして土地持ちの伯爵に暴行を加えたのは大事だ。一夜明ければ騎士団も動くし、ゴブリンナイトは高額賞金首のお尋ね者になっていただろう。そう、この印章付きの首輪と証文がなければ。
「そこらの酔っ払いとは違う、殴って解決する話じゃないのは流石にわかっていた。だから伯爵があからさまに気にしていた壁を調べて、発見した隠し金庫をこじ開けて見たところ、この証文やら裏帳簿やらを発見したわけだ。俺が持っていたところでどうしようもないが、貴女なら有効活用してくれるだろう?」
王都の人の出入りを管理する検問所も騎士団の管轄だ。《羊飼いの猟犬》がこうも容易に商売の手を伸ばしているのは、ニーラン伯爵が裏で衛兵に手を回したためだとすれば説明もつく。つまり人々を守るべき騎士団の大隊長が、あろうことか人身売買組織と繋がっている疑いが出たのだ。
確たる証拠がこちらの手にある以上、貴族の身分を盾に揉み消すとはいくまい。
王都守護の職務を果たさないばかりか、人身売買に手を貸していた大隊長の悪事を暴き失脚させる。これはまたとない好機だ。
しかし、ファムの心情と表情は晴れない。
「こんな怪しい格好の上、上官を殴り倒したようなヤツの話を信じられないのはわかる。だが……」
「違う、そうではない。貴様の話は真実だろう。ただ――法と秩序を守る我々警備隊より、無法者の貴様の方が人を救っている。挙句にその無法者から手柄を譲られている自分が、酷く不甲斐なくてな」
人々が集って生きていく中で、法と秩序は必要不可欠であり守られるべきものだ。
そう信じたから法と秩序を守る警備隊に入ったし、その考えは今も変わらない。
しかし現実として法も秩序も欲深い貴族たちに都合よく定められ、自分たちは満足に弱き人々を守りも救えてもいない。目の前の、異形の姿に扮した無法者の方が余程それを成している。
これでは警備隊は、自分はなんのためにいるのか。
忸怩たる思いで俯くファムに、ゴブリンナイトの穏やかな声が降ってくる。
「これは、俺の持論なんだがな。正しさの形は一つきりじゃない。人の数と同じくらい『正しい』の形があって、違う『正しい』同士で衝突することもある」
「私と貴様もそうだと?」
「どうかな」
苦笑するように、ゴブリンナイトは肩を竦めて見せた。
「そして……それ一つだけでなにもかも上手くいくような、誰も彼もを救えるような『万能の正しさ』なんてものは存在しない。貴女の正しさでは救えないものがあるように、貴女の正しさでなければ救えないものがあるはずだ」
ふと、ゴブリンナイトがギュッと拳を握っていることに気づく。
なにか感情を押し殺すような、その拳のうちに握り込むような仕草は、丁度ファム自身が取っているのと同じもので。
――彼もまた、ままならない現実に歯噛みし、もがいているのだろうか。
「えっと、つまりだな。貴女は、そのままでいいんだと思う。この王都は賑やかで明るい笑顔に満ちている。悪党どもが堂々と日の下を歩けたりはしないくらいに。それは間違いなく、貴女たち警備隊の功績なんだから」
世辞のない、真っ直ぐな肯定に耳がくすぐったくなる。
酷く、救われた気持ちになってしまった。相手は異形の騎士だというのに。
「それに――俺には捜査だとか巡回だとかは向いてないしな。見ての通り、素顔じゃ面と向かって話せないほどシャイなもんでね」
「……ぷっ。くく、あはははっ。どんな理由だ、それは」
冗談めかしたセリフが、軽くなった胸のツボに妙にハマッてしまう。
腹を抱えて笑うファムに心なしか憮然とした雰囲気を出しつつ、ゴブリンナイトは改めて少女に目線を合わせ向き直る。
「このお姉ちゃんのことは、信じて大丈夫だ。さっき、自分の身を盾に君を守ろうとしてくれただろう? 咄嗟に誰かを助けようと行動できる人は、信じられる」
――それは貴様も同じだろう。
誰よりも早く人の危機に気づき、風より速く駆けつける。そして人の痛みを我がことのように慮り、憤ることができる。
姿が異形であっても、無法者であっても、間違いなく彼の心根には善があった。
ゴブリンナイトに促され、幾分か警戒を解いた少女がファムに手を差し出す。
不安を取り除けるよう優しく握り返せば、少女はぎこちなくも微笑んでくれた。
「それじゃあ、後は頼む」
「っ、待て!」
無法者ではあるが悪事を働いたわけでもない不審人物より、人身売買組織と結託した疑いのある伯爵家の方が遥かに捜査は優先される。
見逃すだけの理由も口実もあったが、反射的にその背を呼び止めてしまっていた。
怪訝そうに振り返ったゴブリンナイトに、一瞬悩んでからファムは問いかける。
「貴様は、一体何者なんだ?」
「……何者でもないさ。俺はゴブリンナイト。それ以上でも以下でもない。強いて付け加えるなら、そう。勇者でも英雄でも怪物でもない、ただの――」
《ヒーロー》だ。
そう言い残し、ゴブリンナイトは今度こそ走り去る。
風のような速さで遠のく背中を、少女と並んで見送った。
「ヒーロー、か」
初めて聞く言葉だ。
勇者とも英雄とも違うらしいが、もしかするとチキュウの言葉なのだろうか。
神秘が息づくアンダーヘイムでは、勇者の伝説や英雄譚はいくつもある。
しかし《ヒーロー》なる言葉はファムと少女の胸に、それ以上の特別な響きとなって刻み込まれた。
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